「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

【仕事】定年後も今までと同じように働くのか


50代にもなると、会社での最終的な立ち位置が見えてくる。うちの会社では56歳になると役職定年を迎え、ほとんどの人が関係会社へと転籍していく。はずだったのだが、最近、その役職定年という制度が無くなった。

 

そもそもおかしな制度だとは思っていた。60歳の定年を迎える前に一方的に管理職からリタイアさせられ報酬も減となる。組織の新陳代謝を促すための制度だったのだろう。

 

でもこの制度が廃止された理由は、制度がおかしかったからではない。ジョブ型といわれる人事制度への移行やシニアの活用促進などといわれているけど、実態は移籍先の会社、つまり受け皿が無くなっているからだ。

 

だから役職定年が無くなったからと言っても、定年まで安泰というわけではない。むしろ逆で、いつ首を斬られてもおかしくないし、降格や減給も覚悟しなければならない。

 

会社に残るにしても、他に移るにしても、その選択肢は自分自身で考えなければならない。会社が面倒見てくれる時代ではとっくになくなっている。

 

さて自分はどうしようか。定年になったらスパッとやめたいが、それで暮らしていけるわけでもない。年金は65歳から(多分そのうち70歳から)だし。そもそも年金だけでは暮らせないだろう。

 

まわりを見ると、付き合いのある関係会社にスリスリして、それなりの役職をもらって65歳くらいまで働く人が多いようだ。よくやるよなーと思う。受け入れた関係会社の目的は、受け入れ元の会社からの発注だから、その人は昔の部下にスリスリしてくる。

 

こういうのって日本的だと思うけど、やはり専門的な知識や技術がないフツーの営業サラリーマンだとこうやって生きていくしかないのだろうか。いまさらながら手に職を持つことの重要性を感じる。

 

だからなのか、退職してから人材育成みたいな仕事をする人も多い。手に職のないサラリーマンが数十年の会社経験で培った(と思われる)部下育成の経験を活かすのだ。でもこれも元の会社関連で仕事する人が多い、こういうことができるのもひと握りの人だけだ。

 

先日訪れた、山形県加茂水族館(クラゲで有名)の壁にこんなことが書かれていた。


なるほどなー、これまでのサラリーマン生活、悩みながらも自分が担っている仕事を好きになろうと取り組んできた。これはこれで大事なことだと思う。でも、好きなことを仕事にできたらやっぱり最高だ。

 

よく考えたら、これからは、これまでのようにより良い給料や昇進昇格を目指す必要なんてない。そのようなことのために上司に媚を売るような必要もない。好きなことを仕事にして、それなりに生きていければよいのではなかろうか。

 

僕らはついつい仕事は面倒なこと、我慢すること、憂鬱なこと、だからこそ給料がもらえると思いがちだ。でもそれはこれまでの30年で十分してきたこと。だから、これからは好きなことをして、それなりに日々の糧が得られればいい、そうマインドセットすべきなんだと思う。

 

定年まで、まだもう少し時間がある。その間にもうちょっと考えてみよう。儲かる儲からない、損か得か、ついついそんなことばかり考えてしまう人生からはおさらばするのだ。これも修行かもしれないねー。

 

【ひとり旅】新潟の街を見下ろして思う、人生いろいろ


新潟の旅では日航ホテルに泊まりました。このホテルの31階には展望台もあるようです。宿泊した部屋は26Fの海側、まさに貸し切りの展望室状態、すばらしい眺望でした。

 

佐渡島や、海に沈む夕日も見れるのですが、有名な萬代橋を含め、新潟の街も一望することができました。

 

「ほへー」そんな言葉が出てきそうな感じで、しばらくボケーっと眼下に広がる街並みを見続けます。この街で何万という人たちが、それぞれの人生を送っているんだなー、そんな当たり前のことを思うと、自分はどんだけちっぽけな存在なのかと改めて気づきます。

 

そんなちっぽけな存在でありながらも、自分の人生の主役を張っている自分、これまた不思議なものです。しかもこの舞台はすでに50年以上にわたりロングラン公開されているのです。

 

そう思うと大したもんだな、そんな気もしてきます。まったくいい気なものです。

 

思えば、僕らは他人の人生を見て、つい羨んだりしてしまいがちです。でも、もっと自分のことだけを考えれば良いのではと思います。誰に見せる必要もない自分だけの舞台なんだから、何をしようが自分の勝手です。他人の目を気にする必要なんてありません。

 

ああすればよかった、こうすればよかった、そうではなく、ああしよう、こうしようといつも思って生きていきたいと思います。この舞台、あと何年続くかわかりませんが、できるだけ自分勝手に生きて行こう、そんな勝手なことを思った新潟の旅でした。

 

【ひとり旅】最高の旅には最高のプレイリストが必要


新潟へのひとりドライブ旅、欠かせないのが車中で聞く音楽です。最近は便利なもので、AppleMusicのおかげで、聞きたい曲を簡単にチョイスすることができます。

 

複数のプレイリストを用意し、その時の気分によって使い分けたりしていますが、今回のロングドライブでよく聞いた曲はこちらでした。


いやー、歳がわかりますね。でも改めてこれらの曲を聞くといいんですよ。何がいいかって、まず曲のビートって言うんですかね、ドラムラインが気持ちいい、そして何と言っても曲を織りなすメロディー全体が美しんです。

 

わかりやすい心地よさっていうと伝わりますでしょうか。この辺が最近の楽曲と一番違うところではないかと思います。

 

これに加えて歌詞が素晴らしんですね。ココロにドンドン響いてきます。これらの曲を大声で歌いながらのドライブ旅は至極幸福な時間です。ちなみに歌はものすごく下手ですが、まったく関係ありません、だってひとり旅なんですもの。

 

自分がこの曲の歌手になり切って、誰の目もはばかることなく大声で歌う、これって楽しいですよー、ぜひ一度お試しあれ。

 

聖子ちゃんの「ハートをRock」なんて素晴らしすぎて、運転しながらカラダも踊りだしそうでした。

 

大げさなことを言うと、旅って新たな気づきを得て、新たな自分に出会うことだと思います。それには自分を解放することが必要なんです。それができることがひとり旅の醍醐味だと思います。

 

こちらは笹川流れで食べた日本海ソフトクリームのミックス、絶品でした!

 

【ひとり旅】新潟の笹川流れをひとりドライブ


愛車の傷も治ったので、遅い夏休み、恒例のひとりドライブ旅に出かけました。今回の目的地は新潟です。

 

なぜ新潟なのか?特に理由はないのですが、「笹川流れ」という場所に興味を持ちました。この海岸沿いの道をクルマで走ったらさぞかし楽しいのではないのかしらん、そう思ったからでした。

 

さてさて、お目当ての笹川流れですが、もうサイコーでした。こんな美しい場所が日本にあるのですよね。日本海の荒波にもまれた奇岩、環礁などが至るとことに現れるのですが、それが夏の日本海とセットで奇跡的な光景を見せつけてくれます。あー来てよかった。

 

実はここから山形県の鶴岡にある加茂水族館まで北上したのですが、ホント素晴らしいドライブコースでした(かも水族館はくらげの展示で有名で、一度見て見たかったのです)。


お昼はやはりお刺身がいいなーと思い、ルート沿いにあったお店に適当に入りました。あまり期待していなかったのですが、お刺身もぜんぶ美味しくてビックリ、もちろん岩ガキも絶品でした。


それにしても暑い、新潟は暑いとは聞いていましたがとっても蒸し暑い、尋常じゃない感じです。建物から外に出るたびに何度も「うわっ」って言ってしまいました。

よく一人でドライブ旅なんて行くよねーと言われますが、この歳になると誰に気兼ねすることも無く、工程も大まかにだけ決めて自分が行きたいと思ったところに行く、それが一番楽ちんで楽しいことに気づきました。実際、こんな自由気ままな旅が一番贅沢なんではないかと思います。

 

誰の目を気にすることも無いからね、クルマの中で大声で歌えるし、ひとりごとも言えるし、好きなもの食って飲んで、結局、自分が楽しめればそれが一番なんですよね。そんなこと思います。ホテルの部屋に帰って夕陽を見ながら飲むビール、サイコーでしたー。

【クルマ】齢をとること=成長すること、ではないことに気づく


この間、クルマぶつけちゃいました。実家の車庫に止めるとき、ブロック塀にガリガリガリと擦ってしまったのです。今まで何百回は停めているはずのいつもの場所。。。なんで???どうして???どうにも気持ちが収まりません。

 

実はこの前日に愛知県は豊田スタジアムまで横浜Fマリノスの試合を見に行っていたのです。せっかく行くのだからと浜松に一泊し渥美半島を一周、その後、豊田でサッカーを満喫し、もう一泊して帰ってきたところだったのでした。

 

初めて走る第二東名はとても快適、しらないうちに120キロくらいスピードが出てしまいます。途中、土砂降りの雨や霧が出たりする中、無事に帰った矢先の出来事でした。

 

やはり緊張の糸が切れるときってあるのですよねー。何百キロとクルマを走らせ、無事に帰りついたと思いきや、いつもの駐車場でクルマをこするこの体たらく、まったくもってウ・カ・ツ。。そんな三文字が頭から離れません。

 

でも起きてしまったことはしょうがありません、走行に問題ないとはいえ、これまで一緒に苦楽を共にした相棒です、すぐに修理に出すことに致しました。やっぱりディーラーに、そう思いましたがいくらかかるかわからないので、近所の板金工場にお願いしました。お値段約6万円、とってもきれいに仕上がりましたので満足です。ディーラーだとバンパー交換になっちゃうんじゃないかしらん、受付のお姉さんが言われていました。

 

50も過ぎると体にガタが来るのは当然ですが、集中力も減衰してきます。いつものことがいつものようにできなくなるのかもしれません。これに気づくか気づかないかってとっても大事です。

 

齢を重ねるということは成長すること。これ若い人にとっては当然の原理、自然の摂理。でも、50も過ぎるとそうではないことに気づきます。いつまでも人は成長できないんだー、そんな当たり前のことに気づいてしまうのです。

 

齢をとることによって、僕らはカラダもココロも変化していきます、まずはそれを知ること、そしてそれに合わせて自分自身を変化させていくことが必要なんだと思います。難しいことではなくてみんなやっていることだと思います、実はそれが人生なんだです。大人の所作。

 

そんなことに気づく50代、こうしなきゃ、ああしなきゃ、こうできるはず、ああできるはず、そうじゃなくて変化していけばいいだけのこと。もっと早く知りたかったなーと思います。

 

最近はお昼ご飯を食べると眠くてしょうがない、こんな時はしっかりお昼寝することも大事です(低レベルですみません)。自分のカラダとココロ、しっかる耳を傾け大切にしていきたいものです。

 

【ライフ】昼間の自分と寝ている時の自分


僕は夢を見る、よく見る。夢といっても、「I have a dream」の夢ではない。寝ている時に見る夢だ。

 

夢って何なのだろう?ほんと不思議だ。僕の夢は結構リアルな夢が多くて、仕事していたりする。となると、昼間仕事して、夜寝ている間も仕事をしていることになる。

 

朝起きて愕然とする、今も仕事していたのに、またこれから仕事するのかよ。。。働きすぎだ、過労死してしまう。そうなったらいったい誰に訴えればいいのだろう。

 

なんか最近思うんですよね、起きている時の自分と、寝て夢を見ている時の自分、どちらが本当の自分なのだろうって。実は夢の中の自分が本当の自分なのではないだろうか?だったら、楽しい夢が見たい。楽しい夢を見るにはどうしたらいいのだろう?

 

もしかしたら、起きている時も寝ている時もどちらも夢であって、この世自体が夢の中なのではないだろうか?そうであれば数々の不思議なこともつじつまが合う。

 

なーんてことを考えたりする、そんな50代、いい歳をしたおっさんです。50にもなってこんなことを考える僕は病気かもしれない。でも今日はどんな夢が見れるのか、そんなこと考えるだけでなんか楽しい。眠りにつくときはちょっとウキウキしている。

 

やっぱ、こんな僕は以上だろうか。。。でも何ごとも楽しむことが大事、そう、昼間の自分も夜寝ている間の自分も両方楽しんじゃいましょう。どちらもひっくるめて僕の人生なんだからね。そう思うことにします。

 

【スポーツ】F・マリノス渡辺皓太の感動的なゴール

 

昨日、FマリノスFC東京を見に行ってきました。二週連続でのサタデーナイトマッチ、今回もトリコロール・スプラッシュなる水がぶわっと出るイベントが開催されており、大変美しく楽しむことができました(今回は炎もぶわっと出ました)。

 

気づいたことが二点ありました。

 

まず一つ目、たった一週間の違いなのですが、陽が落ちるのが早くなったこと、そして風がいささか涼しくなったこと。日中は暑い暑い日が続きますが、明らかに秋が近づいていることを感じました。こうやって季節は移り変わっていくのだねー。そういえば空にはとても美しい三日月が輝いていました。

 

二つ目は試合についてなのですが、FC東京のプレイスタイルが変わったように感じたことです、FC東京ってラフなプレイをするイメージがすごくありました。昨年も同じカードを見に行ったのですが、手を使うなどのプレーが散見され、あまりいいイメージを持ちませんでした。なんかチーム全体でそのラフさが共有されているように感じたのです(この時は松木選手が退場しています)。

 

それが今回、そんなラフさは影を潜め、どちらかといえばクリーンな戦いぶり、大変好感を持った次第です。ディエゴ・オリベイラ選手のゴールなんて敵ながらあっぱれのスーパープレーでした。

 

実はこれって、今年Fマリノスから移籍した仲川選手や、元Fマリノスコーチで今季途中から就任したピーター・クラモフスキー監督の影響があるのではと勝手に思ってしまいます。Fマリノス目線の勝手な想像ですが、彼らのサッカーに対する意識や取り組み方がFC東京というチームを変えていこうとしているのであれば嬉しいなと思いました(反面、FC東京のサッカーに怖さが感じられなかったのも事実なので、ここがサッカーの難しいところです)。

 

先週見た、ガンバ大阪は随所に手を使った意識的なファールやラフプレーが多く、見ていて気持ちのいいものではありませんでした。立て続けに同じ環境で試合を見ると、各チームの特色がよく分かってとても面白いです(サポーターも同様に個性があります、これはまた別の機会に)。

 

さて試合ですが、我らがFマリノスの渡辺皓太選手がロスタイムに値千金のミドルシュート、決勝点をたたき出すという感動的な幕切れとなりました。あーサイコー、こういう試合を見ると、見に行ってよかった・・・ホントにしみじみと思います。

 

そういえば、前回お伝えしたマルコス・ジュニオール選手も早速、新チームの広島で得点をあげたようでとても嬉しくなりました。チームが変わっても、これまでFマリノスのプレイスタイルそのまま、チームのために頑張る姿に感動します。

 

こうして色々な試合を見ていくと、やはりチームごとに様々な特徴があって面白いし、その取り組み方法や選手の活かし方なども様々でなるほどなーと思います。なるほどなーというのは、僕らの仕事と基本一緒だよなーと思うからです。

 

かたやスター選手、かたやフツーのサラリーマン、でも根っこは同じなんだと思います。チームのために会社のために、そして自分自身のために、日夜努力して知恵を出し合いながら前に進もうとしているのです。

 

だから例え平凡なサラリーマンであっても、自分はただのサラリーマンだからなんて決して思ってはいけないのだと思います。そう思ったらそこでおしまいですもの、世間一般から見るとちっぽけな仕事かもしれませんが、そこに誇りを持って全力投球することが大事なのだと思います。

 

スター選手のスーパープレイを見ながら、自分自身に置き換える、我ながら勝手な奴だと思いますが、こういうインスピレーションを受けることが大事なのだと思います。何ごとも自分自身で考えて決める、そして前に進んでいくことが大切なんですからね。

 

試合前には渡辺選手のJ1出場100試合を記念するセレモニーがありました。奥様と小さなお子様二人と一緒に写真を撮る初々しい渡辺選手、昨夜の大活躍はそんな家族の力もあったのでしょう。こんなところも僕らと一緒です。我々も負けじと頑張って参りましょう!

 

 

【食事】大黒屋のうな重(持ち帰り)


お盆がおわりましたね。この時期に休みを取られている方も多いと思います。ちなみに私は来週夏休みです。

 

子供の頃は、この時期に親と一緒に田舎に帰省するのが常でした。親戚が一堂に集まり、その地域のお祭りに参加したり、夜になるとカブトムシを探しに行ったり、楽しく過ごしたことを思い出します。

 

大人になるとこの時期の過ごし方が変わりました。お盆を取り仕切る側となったのです。といってもお寺に施餓鬼供養に行ったり、実家を片付けてお盆の用意をする程度なのですが、それなりに疲れます。なんか気が張ってしまうのですよね。亡くなった母がこの時期だけ喜び勇んで家に帰ってくるような気がして、それなりにちゃんとおもてなしをしなければと考えてしまうのです。

 

ここ数年はみんなで「うなぎ」を食べることが習慣となりました。近所の「大黒屋」といううなぎ屋さんからのお持ち帰りです。

 

うな重というのは不思議なもので、少し冷めても美味しい、いや熱々よりも少し冷めていた方が美味しいと思います。蓋を開けた時のあの香り、たまりません。

 

値段は少し張りますが、たまにはいいのではないでしょうか。何よりみんながうなぎを食べている時の満足そうな笑顔、その場の空気感がたまりません。あー幸せだなー、そんな雰囲気に満ちています。

 

何年か前に雑誌の懸賞かなんかで「約束」をお題に短文を書いて申し込んだことを思い出しました。母のこと、うなぎのことを書いたんですよね。パソコンのフォルダを覗いたら残っていたので恥ずかしながら掲載します。明日は母の命日だなー。


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「幸せのうなぎ」


「約束」を辞書で調べるとこう書いてある、「相手に対し、または互いに取り決めを行うこと、その取り決めの内容」。僕は約束を守ることができなかった、だから僕はウソつきだ。でも僕は自分のウソがウソだと思わなかった、それがウソだと信じなかった。

 

母を病院に連れて行くことが僕の役目になっていた。母は乳がんで、手術を二度した、それからはずっと抗がん剤を服用している。半年にいちど検査を行い、その結果を聞く日、僕は母を連れて病院に行く。お互い緊張し、言葉少なに診察の時間を待ち、名前を呼ばれ診察室に入る、「異常はありません」、先生の言葉を聞き、心底ホッとする、その繰り返しだった。病院を出たあと必ず母はこう言った「なにか美味しいもの食べたいね」。

 

そんなときに食べるのは決まって「うなぎ」だった。デパートにあるうなぎ専門店。「美味しいね、美味しいね、こんなに美味しいもの食べていいのかね、バチが当たらないかね。」毎回、母は同じことを言った。

 

そんな日常は長くは続かなかった、ある年の検査で肺に転移があることがわかった。主治医の先生は今は抗がん剤もいろいろあるから、どれが母に効くか試していきましょうと言った。「大丈夫、大丈夫だって。先生のいうこと聞いてれば間違いない、必ず良くなるから。」僕はこう言った、母もそれに納得してくれた。

 

それからしばらくたつと、抗がん剤の副作用で母の髪は抜け落ち、がんの影響で右手の自由も効かなくなってしまった。そんなある日、母は息苦しさを訴え、緊急入院した。

 

病院に駆けつけると先生はこう言った。「レントゲンに真っ白な肺が写っています、もって2〜3ヶ月と思われます」。病室に帰ると、母はじっと僕の顔を見て「もうダメだって言ってたかい?」、そう言った。いつもの優しい、温かい声で僕に聞いてきた。僕は精一杯の平静を装って「何いってんだよ、いろんな抗がん剤を試してみようってさ、そうすれば大丈夫だって、いつも通り先生の言うことを聞いていけば大丈夫だよ」。「早く退院して、また「うなぎ」を食べに行こうよ、精だってつけなきゃいけないしね、だからすこしの間しんどいけど頑張ろうよ」、そう言うと母はちょっとだけ寂しそうな顔をしたあと、僕をじっと見つめ、そしてゆっくり頷いた。

 

母は悪くなる一方だった、食事もだんだん取れなくなり、ベッドから起き上がることもできなくなっていった。

 

そろそろ病院の食事を頼むのも止めようか、家族が言った。そのとき、僕はいつものデパートで「うなぎ」のお弁当を買っていくことにした。食べられるはずなかったけど、母に見てもらいたかった。「母さん、母さんの好きなうなぎ買ってきたよ、少し食べないか」、ベットのテーブルの上に「うなぎ」のお弁当をひろげ、母を起こした。すると、驚いたことに母はスプーンを持ち、「うなぎ」のお弁当を食べはじめた。

 

何も言わなかった、もう何も言わなかった。いつものように「美味しいね、美味しいね」とも言ってくれなかった。だけど、じっと「うなぎ」を見つめ、口に運ぶ母の表情は、いつもの優しい顔をした母だった、そこにはいつも繰り返されてきた僕らの幸せな時間が流れていた。

 

それが母の最期の食事だった。またいつものように「うなぎ」を食べに行こうね、それは、あの時のような幸せな時間をまた一緒に送ろうね、そういう約束だった。母は最後に僕との約束を守ってくれた。約束を守れなかった僕はウソつきの僕だけど、母はそんなこともわかって、最後に一瞬だけ幸せな時間をくれたのだ。

 

僕は今でもなにかいいことがあると「うなぎ」を食べに行く。そんな時、僕は息子の前で「うまい、うまいなー、幸せだなー」と言う、息子はそんな僕を何を大げさなこといってんだと怪訝な顔をして見ている、それでもいつかわかってくれるだろう、この幸せの瞬間、それが我が家の約束、幸せの「うなぎ」であることを。

 

【おじさん】大人の振る舞いができるおじさんになりたい


土曜日の日産スタジアム、Fマリノスガンバ大阪を見に行った話を先日も書きました。スタジアムに行くのはだいたい一人、以前は誰かを誘っていましたが最近は独りのほうが落ち着くおじさんです。

 

サッカーって集中して見ないといけないので、誰かとワイワイというのは不向きなスポーツだと思います。お酒をゆっくりん飲む暇もないくらい。だから最近は試合開始の1時間半ほど前に出向き、きれいな芝生のピッチを見ながらビールを飲んだりしています。こんな時間が優雅なのだよねー。

 

この日はマルコスジュニオールの退団が発表された翌日ということもあり、そのお別れセレモニーを目当てにしている人も多いようでした。

 

私はいつも通路側の座席に座ります、だって気兼ねなくトイレ行ったりビール買いに行ったりしたいじゃないね。そしてなるべく隣が開いている席を指定します。その日も同様でした。それなのに試合開始直前に僕の隣に座る方がいたんですね、もっと他に空いてる席あるんじゃないの?と思いましたが、まあ仕方がありません。

 

隣に座った方は30半ばくらいの女性、ひとりで見に来ていたようです。マリノスファンなのでしょう、試合中も両手を握りしめながらお祈りするように見ています。そして試合が終了し見事勝利を収めた際は、小さなバッグから小さなトロコロールのパラソルを取り出しあいさつに来た選手たちに向かって振っておりました。

 

さりげなく、そして真剣に応援している様に好感が持てました。こんな時は隣に座るおじさんはどうするのがいいのでしょう?そんなふうに思ってしまいます。

 

声をかけ勝利を分かち合うべきか、そんなことも思いましたが、気色悪いおじさんに声かけられたなんて思われたら困ります、ですのでマリノスの勝利にココロ一つになりながらも何も声を掛けないことを選択致しました。なんとなく私的には気まずい雰囲気を感じ取ってしまいます(その方は何も感じていないのでしょうが)。

 

こんな時にできるおじさん、大人なおじさんはどう立ち振る舞うべきなのか、そんなことが気になり始め、なぜだか自己嫌悪に陥る私でした。

 

私もその方もマルコスのセレモニーを残って見ていました。他にいたお客さんは帰り始めています。周りには、私とその方しかいません、しかも隣同士に座っています。

 

普通に考えたら、どう見ても夫婦か、一緒に来た人だと思うよなー。そうは思いましたが、先に決めたように声をかけることも無く、席を後にしました。

 

別に下心があるわけでも何でもないのですが、大人としての振舞いがもっとあったのではないか、おじさんとしての自然なふるまいができたのではないか、そんなことに悶々と考える試合後となりました。

 

あーあ、立派な大人になりたいもんだ、いくつになっても成長しない50代(成長中という考え方もあります)、そんなことを考えたちょっと情けない真夏の夜でございました。

 

【食事】バブルオーバーでアメリカンブレックファースト

 

横浜市荏田にあるバブルオーバーでアメリカンブレックファーストを食べました。こういう朝食、たまに食べたくなるよねー。カロリーはどんだけあるか知らんけど。

 

 

【仕事】クリエイターと経営者は両立するのか?

 

日大アメフト部の大麻問題、大学側の対応がお粗末すぎると話題です。確かにあの記者会見はないと思うし、警察に届けるまでの空白の12日間など、隠ぺいしていたと思われても仕方がないですよね。事後対応にしても、こんな大きな組織がどうしてここまで悪手を打ってしまうのか不思議に思います。


まあ、それはさんざん報道もされてるからいいとして、私が気になるのは林真理子さんです。この人の書く小説は、若いころからよく読んでいました。洒落た恋愛小説が多く、そのような経験の乏しい私は、林さんの小説を読みながら、疑似恋愛をしているような気分になったものです。あーなつかしー。

 

そんな林真理子さん、何故、日大の理事長になんてなったんでしょうね。まあ、本人がなりたいのならいいとして、ここで思うのは、「クリエイター」と「経営者」は両立しないのかという問題です。

 

私、昔からよく思っていました。会社の社長や経営者って、着ているものもイマイチだし、どちらかというとダサい人が多い。私の勤める会社もそうです、なんかセンスがないんですよねー、だからあまりその人の価値観にも共有できない。期初のキックオフなんか、未だに恥ずかしげもなく「頑張ろう、えいえいおー」なんてやっちゃう、そんな人たちです。

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きっと経営のセンスはあるのかもしれませんが、クリエイター的な何かを生み出すセンスはまったく感じられない、きっとそんなもの自分の役割ではないと思っているのでしょう。それが間違ってるんだよねー。

 

センスのある経営者って、本当はクリエイティブな能力も持っていなきゃいけないんだと思います。そうじゃないとこれからの会社はやっていけない。機能やコストで差別化する時代ではなく、その会社のコンセプトや哲学、それらが表現された有形無形のデザインが、その会社が成長するポイントだからです。

 

その会社が生み出す「美意識」や「価値観」、それに賛同し、自分も手にいれたいと思う、自分もそうなりたいと思う。もう、モノやサービスを買う時代ではなく、このような「美意識」や「価値観」を買う時代なんだと思います。

 

だから大学の長に林真理子さんがなると聞いて、とても期待していました。だって、センスのある人が、センスのある若者たちを教育・育成するのですから。これからの時代に最も必要なことだと思います。

 

やっぱり、小説家や教員みたいに若いころから「先生」と呼ばれている人たちは、クリエイターといっても単に自分勝手なクリエイターになってしまうのかもしれません。そういう意味では、「クリエイター」と呼ばれる人たち自体も、もっと客観性というか、それこそ経営のセンスを得る必要があるのかもしれません。

 

なんかすごく大切なことに気づいたような気がしてきた。。。自分ももう少し頑張ろうっと、これって、これからの人生のポイントかもしれないですよ。

 

【世の中】どんな時でも楽しむことを忘れずに


世の中はお盆休み、何処へ行っても大混雑、ニュースでは駅や空港、高速道路が渋滞している様子が繰り返し流されています。

それにしても、つい三年前のことです。 コロナが大流行し、実家にも帰れないと大騒ぎをしていたあの夏が遠い昔のようです。 Jリーグだってオリンピックだって無観客でしたし、観光地はどこも閑古鳥が鳴いていました。 そんなことがあったなんてみんな忘れてしまっているのではないでしょうか、なにより、自分自身が忘れかけていることにビックリします。

私の趣味はドライブ、趣味といえる趣味ではありませんが、あちらこちらとふらふらとドライブすることが大好きです。 実はコロナが流行している間も、ふらふらとドライブに出かけておりました、だって、誰との接触もない自家用車は最も安全な移動手段だったからです。 食事はコンビニなどですませることが多かったのですが、ドライブ自体が目的ですから何の問題もありません。 


なんといっても当時は渋滞知らず、伊豆半島や房総半島を一周したり、遠くは長野や新潟、金沢の方まで出向きました。

いま思うと大正解だったのではないかと思います。 自粛自粛、外出禁止と声高に叫ばれていましたが、少し考えれば、そんな中でも普段できないことを楽しむことはできたのです。

これは大事なことだなーと思います。 どうしてもその時々の状況で人は流されてしまいがちですが、そんな時こそ何をすべきか考えることが重要なのだと思います。

暑くて暑くてどこに行っても混雑している今年の夏休み、こんな時だからこそすべきことを考えてみるのが良いのではないでしょうか(写真は長野の美ヶ原から見る富士山、ここも今は大渋滞なんでしょうね)。

 

 

【仕事】何事にもいい塩梅というのがある


先日、仕事で青森に出張してきました。ちょうどねぶたまつりが開催されていて、行きの新幹線は満席、ホテルも取れなかったので用事を済ませると早々に帰路に着きました(写真は新青森駅に飾ってあったねぶたです)。

なんかもったいないなーとは思いながらも、仕事モードで観光する気にはなかなかなれないものです。巷では、自民党の議員さんが38人という大所帯でフランス視察旅行に出向いていたことが話題になっていますが、こちらは最初から遊びモードで仕事(観光?)に行ったのでしょうね。これは極端な例として、仕事をちゃんとした上であれば、せっかくなのですからもう少し現地を楽しむ余裕くらいは持ちたいものです。

こういうことは習慣が影響するのだと思います。いったん、出張先で仕事より観光を優先させてしまったりすると、次もまあいいか、その次も別に誰も何も言わないからいいかという具合に考えてしまいがちです。

人間って弱いものだなーと思います、一度タガが外れると、それが習慣になってしまう。だから自分を律することが大事、でもそれが行き過ぎると、すべてが義務のようになってしまう。息苦しい生活を送ることになりかねないし、それを人に押し付けることになったら最悪です。そんな上司が近くに居ませんか?昔はこうだった、俺はこうしてきた、そんな人たちですね。これまた巷で話題のビッグモーターの幹部さんもそんな人たちかもしれません。

じゃあどうしたらいいのでしょう、気を緩め過ぎず、自分を律し過ぎず。何ごともほどほどで取り組む、でもそれってすべて中途半端になってしまうのでは?

やっぱり、何ごともメリハリをつけることが大事なんだと思います。自分がやると決めたことは一生懸命頑張る、そして休む時は気兼ねなく休む、簡単そうですけどこれが大事なことだと思います。

なぜだか僕らは「休む」イコール「悪いこと」ととらえてしまいがちだからです。休むこととサボることは同義ではないのにおかしいですよね。たぶんこれって、仕事や勉強が面白くないからなんです。つまり頑張って取り組んでいることが楽しくないから、休みに逃げる、逃避する、そんなイメージがあるのだと思います。

逆に言うと、仕事や勉強を楽しむことができれば、休むことだってもっと楽しめるはずです。難しいことかもしれませんが、実はそうでもないんです。みんな真面目だからついハードルを高くあげすぎてしまうのです。何ごとにも適度にちょうどいい塩梅があるはずです、それを見つけることがポイントだと思います。

その塩梅の中で一生懸命頑張る、これです、これが大切なことだと思います。頑張ることは苦労するということではないのです。楽しんで頑張る、それができるように自分ちょうどいい塩梅を見つける、何ごとも自分次第ということです。

そして大事なのは、この塩梅が自分の価値観にあっているかということ。これを間違わなければ、自民党の議員さんみたいになることもありませんし、ビッグモーターの幹部のようになることもありません。僕らは法律で決められたことだけをしているのではありません、ましてや法律に抵触しなければ何をしてもいいわけではありません。

自分がしていることを自分で受け入れられるか、自分の価値観に即しておかしくないか、自分自身の価値基準に従い行動することが求められるのです。大げさな言葉で言えば、美意識と言うやつです。これができれば、きっと素敵な人生になると思います。

実は私も50を過ぎてからこんなことに気づきました。もっと早く知りたかったなーと思います。ほんと、誰か教えてよー。

 

【スポーツ】マルコスジュニオールに思う、仕事で大切なこと


昨日、横浜Fマリノスガンバ大阪の試合を見に日産スタジアムまで行ってきました。19:30開始のナイトゲーム、夏らしく「トリコロール・スプラッシュ」なる水がぶわっと吹き出る演出が実施され、思いのほか楽しんでしまいました。私は2階席の前の方だったのですが結構濡れたんですよね、50にもなるおっさんが「ひゃー冷たいー」なんて言っちゃいました。でもこれ、1階席にいた人は相当濡れたんじゃないでしょうか。

さて、この試合の前日、マルコスジュニオール選手が広島に完全移籍することが発表されました。マルコス選手は2019年にチームに加入し、その年の得点王、そして何と言っても15年ぶりにマリノスに優勝をもたらしたブラジリアンです。ドラゴンボールを愛し、ゴールを決めた時のかめはめ波ポーズでもおなじみです。

チームを離れてしまうのは残念なのですが、そんな予感もしていました。最近は後半途中からの出場がほとんどでしたし、何より、マルコス選手のプレイスタイルが今のマリノスの戦術にあわなくなってきたように感じていました。テクニックに優れるマルコス選手ですが、今のマリノスに求められる強度が足りず、最近はファールで無くても倒されるシーンがよく見受けられました。

そんなマルコス選手ですが、これまでの外国籍選手と少し違う面がありました。うまく言えないのですが、チームに対する忠誠心、これが飛びぬけて高かった選手だったと思います。マルコス選手はベンチから外れても後半わずかの途中出場であっても、決して腐ることなく全力でプレーをしました。それだけではなく、スタメンを争うライバル選手であっても全力で応援し、チームの勝利に常にこだわって取り組んでいたのです。

これって当り前のようで難しいことだと思います。仕事だってそうですよね、同期や同僚の成果を素直に喜ぶことができていますか?ココロのどこかで相手の失敗を望んでいる自分がいたりしないでしょうか。私も自信がありません。

マルコス選手のこの姿勢は、当然ながらチーム全体の雰囲気を変えていきました。特に同じ外国籍選手たちには大きな影響を与えていると思います。助っ人と呼ばれチヤホヤされがちな外国籍選手であっても、誰も手を抜かないしサボらない。こんな姿勢が、誰が出てもFマリノス、近年のチーム作りに大きく影響してきたと思います。

最近、企業ではジョブ型という雇用形態が流行っていますが、マリノスのチームスタイルも同様と思います。戦略・戦術を定め、そこに必要な役割に適したメンバーをそのポジションに採用する、それがジョブ型です。マリノスで言えば、アタッキングフットボールという戦術に合わせて各ポジションに最適な選手を採用しています。このようなマネジメントスタイルにおいては、戦略・戦術が大事で、それが誤っているとどんなに優秀なメンバーを採用しても成果は出ません。

でもそれ以上に重要なのが、チームの意思や目的達成に向けた志ではないでしょうか。それが無ければ、どんなに優れた戦略・戦術であっても人がついてきません。結局はスポーツであっても、仕事であっても人が行うこと、そこにココロ震わせるものが無ければ人が持ってる力は発揮できないということだと思います。

この様な中にあって、マルコス選手みたいな役割は重要です。自ら率先して手本を見せる、何が大事なことなのか大切なことなのか、それを行動でわからせる。いまどきの組織において必要なものを示してくれたような気がします。それが日本人選手ではなく、外国籍選手だったというところも面白いなと思います。

ということでマルコス選手、いままで楽しいサッカーを見せてくれてありがとうございました。まだまだ、活躍できると思いますし、広島で新たなマルコスジュニオールを作り上げることを期待しています!来年の広島の新スタジアム、見に行きますからね!!

 

 

【世の中】寝転ぶ子供たちを見て笑う

 

夕方、マンションの広場で子供たちが寝転び空を見ていた。4~5人が寝転んで空を指さして、アーダコーダと言い合っている。夏らしい青い空、入道雲、ところどころに怪しい黒い雲もある。

いやー君たち、気づいたかね。そういって褒めてあげたくなる。もちろん、そんなことしたら変質者扱いで通報されてしまう。でもそんな気分になるくらい誇らしい気持ちになった。

僕は今でもボーっと空を見続けることがある。そんな楽しさを知ったのは大人になってから。あの空は空であって空ではない、宇宙なのだ。風に流され刻一刻と姿を変える雲の美しさ、あの雲はいったい何でで出来ているのだろうか、きっと乗れるに違いない、だって物質として存在しているのだもの。一体あの雲はどこからきてどこに行くのだろう?そんなことを思っていると自分の存在が不思議に思えてくる。この世って何?僕って何?

もちろん、あの子たちがそんなことを考えているはずがない。でも間違いないのは、何かに気づいたこと。

空の不思議、雲の不思議、色や形の面白さ、美しさ、不思議さ、それに気づくことが素晴らしい、そう思う。

そんな子供たちに100点花丸を上げたい。ゲームやマンガにないものがそこにはある、勉強やスポーツにないものもそこにはある。そんなことに気づいた君たちはきっと大物になる。

そんなことを感じさえてくれたひと時だった。オッサンぽいでしょ。