「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

【スポーツ】あ~暑い、こんな炎天下に野球ですか!?


甲子園、夏の高校野球が真っ盛り。それにしても、こんな炎天下の中、試合をしていて大丈夫なのだろうか?選手も大変だが、応援する観客も相当なもの。テレビ越しにも、日向で直射日光を浴びている観客が心配になる。


夏が暑いのは当たり前、燦燦と輝く太陽の下で応援だって全力投球。血と汗と涙でつかんだ甲子園の切符、出場校の生徒の特権。これぞ青春、高校生らしく正々堂々、夏を謳歌しようじゃないか。

うーん、なんかそんな文脈で語られていそうで心配です。これじゃ、もったいないからとクーラー切って亡くなる高齢者と一緒。これまでの経験や伝統に凝り固まり、思考不全に陥ってやいないでしょうか。どう考えてもナイター開催すべきと思います。

進化論のダーウィンもこう言っております。「強いものが生き残るのではなく、賢いものが生き残るのでもない。唯一生き残るのは変化するものである」

そんなこと思いながらテレビを見ていたら、なにやら聞き覚えのある音楽が。。アルプススタンド、応援団のブラスバンド。なんだっけ、これ?しばらくしてハタと気がついた、「サウスポー」ピンクレディーだ。

「背番号一のすごい奴が相手・・・」歌詞までちゃんと覚えていた。なんでこんな大昔の楽曲が・・・と思ったけど、なんかしっくりくる。このリズム、テンポ、野球の応援歌としてぴったりだ。

それでも気になる。だって高校生がこの曲を知っているはずがないのだもの。ちゃんと自分たちで楽曲を選び演奏しているのだろうか。先輩から代々引き継いだ伝統というだけで、受け入れてるのではないだろうか。

旧態依然とした高校野球っぽいと言えばそう。高校生が自ら考え、自分たちで決めた結果なのか心配になる。そもそも彼らは進化論にあるように生き残るために変化しようとしているのだろうか。応援する学生の姿も昔から変わらない、メガホンやボンボンを振っている。

何も考えずに受け入れるのは楽、とっても楽。自分の頭で考え、変革し、他者を説得し実現していくのは骨が折れる。でもだからこそ、高校生たる若者がそれを実現していくべきだ。

そういうことを教えない、教育していない大人たちが問題だ。50代のオッサンのたわごとと言われても仕方がないがそう思う。

世界中から常識や道徳が失われつつある、当たり前の平和が崩れつつある。日本だっていつどうなるかわからない。独裁者が巧妙にしたたかに登場するやもしれない。

そんな奴が、あの国を攻撃しろといったら、従うのか。何も考えず、言われたことに従うばかりの人間になってはいけない。自分で考え、自分の自由を自分で勝ち取れる人間を育成すべきだ。

甲子園の変わらない景色を見てそんなことを思う。でも、そんなことを思いながらも、さっきからサウスポーの音楽が頭から離れない。ピンクレディーは偉大だな。。。(それとも作詞の阿久悠さんか。。)どうやら私の頭のほうが平和ボケのようだ。。。

 

【ひとり旅】今井浜のいま

 


2月の上旬、恒例のひとりドライブ旅に出かけた

目的地は南伊豆、伊豆半島の最南端は石廊崎に向かう。当日はあいにくの曇り空、それでも向かって左側には、いつもの美しい海。海岸沿いのドライブはなんでこんなに楽しいのだろう。

なんてったって平日だもの道が空いている。気持ちの高ぶり、ココロの余裕がそうさせる。いつでもこんな心持でいたいもの。

途中の熱海では梅が見ごろ、街にはたくさんの観光客、だんだん春が近づいているのだと感じる。

石廊崎ももう近く、弓ヶ浜という浜辺による。道が細くて驚くばかり、前からクルマ来ないでね、お祈りしながら道を進む。たどり着いた砂浜、平日だもの人影はなし。美しい砂浜でココロを和ませる。いったい僕は何を求めているのか、自分でもよくわからん、その時々に身を任せるだけ。

石廊崎に3時ごろ着く、むかし来たことがあるはずだけど覚えていない。クルマをとめて石廊崎灯台まで歩く。断崖絶壁のその場所は、なんか凛として、それでいて荒々しい空気に満ちている。今も昔もこのような場所に人は訪れる。ここでみんな、どんなことを想ってきたのだろう。

その日は今井浜の東急ホテルに宿を取った、若いころ妻と来たことがある。部屋からみるその光景は昔と同じで素晴らしい。

夕焼けに光り輝く海、波の音、部屋の窓を全開にする、ちょっと寒いけど冷蔵庫からビールをとりだす。と思ったら冷蔵庫の中はからっぽ、ルームサービスもないようだ。

よく見ると部屋もそれなりに年季が入っている。自分だってそれなりに年季が入っているはず、時がたつとはこういうことか。

売店にビール買いに行く。やりなおし、海を見ながらビールを飲む、サイコーだ。このためにこの旅に出た、このためにこの宿を選んだ。こういう時に思う、幸せだなー、安い幸せ、結構じゃないか。僕にとっては最高の瞬間。

ホテルの温泉に向かう。おじさんが一人いるだけ、そのおじさんがいなくなると貸し切り状態。そういえばフロントでも若い客はいなかった。年配の人ばかりが目についた、ホテルにも新陳代謝があるのかもしれない。

それでも貸し切り状態の温泉は最高だった。露天風呂だって貸し切り。ハービバノンノ、幸せの言葉。

部屋に戻るとすでに外は真っ暗、波の音だけが聞こえてくる、贅沢な空間。

翌日、早く起きて日の出を見る。そのあとはずっと海を見続ける、コーヒーを飲みながら海を見続ける。こんな時間が日常になったら。そんなことは思わない、非日常があるから日常がある、そう思うから。

チェックアウトは11時、まだ時間はたくさんある、こういう時間が贅沢な時間と知ったのは最近だ。

帰り道も渋滞知らず、土曜日だから伊豆に向かうクルマは渋滞している。それを見ながら横浜に戻る。途中で金目鯛の煮つけを買う。値段も様々、聞くと伊豆近海もの、青森のもの、外国のもの、色々あるらしい。

途中の農協では梅の枝を買う、なんと280円。ぜいたくだな、ホントそう思う。

もう湘南海岸まで帰ってきた、土曜日だものにぎやか。そんな光景をクルマから眺めるのは楽しい。友達同士でにぎやかに、恋人同士が手をつなぎ、サーファーたちが楽しそう、色んな人たちの日常を見るのは楽しい。僕はひとりクルマの中、寂しくなんかない、だって幸せな人を見るのは楽しいから。ほんと楽しすぎる。

次はどこに旅に出よう、名所史跡を巡るだけが旅ではない。何もしない何も目指さない旅があってもいい。なんか人生みたいだ、そんなこと思った。

 

 

【ライフ】MacBookAirがふくらんだ

 

MacBookAirがふくらんだ

3年くらい前にMacからSurfaceに買い替えた、だから今はSurfaceがメインマシン。MacBookはもう10年くらい前に購入したものだけど、たまに使っている、写真や音楽データを保存したままにしているからだ。

ある時、机の横にあるMacBookAirの蓋が少し開いたままになっていた、おかしいな、そう思い蓋を閉じる。

閉まらない。。。なんで???

蓋を閉めようとしても何かが抵抗して閉まらない。何が挟まっているのだろう、そう思って見ても何もない。変なの、そう思って手元に置いてよく見てみる、むむむ。。。

なんと、キーボードの真ん中あたりが膨らんでいる。MacBookAir自体が変形していた。世にも奇妙なその光景、一体何が起きたというのか、このまま爆発でもしてしまうのではないだろうかと怖くなる。

ネットで調べる、すると、同じような症状が結構出ていた。どうやら、経年劣化したバッテリーが膨張してしまったらしい。既に10年物のMacBookちゃんはもちろん保証の対象外、みんな必要に応じてショップで直してもらったりしている様子。

精密機械であるPCにこんなことが起きるなんて思いもよらず、それにしても、あのスタイリッシュなMacBookさまのこの変わり果てた姿、見ていて哀しくなる。

このMacには写真データがたくさん入ったまま、はてさてどうするべきか。やはりショップに持ち込んで直してもらうべきなのか。そもそも、写真データの管理ってこれからどうしていけばいいのだろう?また別のMacを買って保存するのか?このSurfaceはどうするのか?

思えば、最近はスマホで写真を撮ってもそのままだ、保存も管理もしていない。MacBookに残っている膨大な写真データは子供が小さかった頃のものが中心、些細なものもたくさんあるがどれも大切な思い出。とはいえ、ここ最近、昔の写真を見返すこともほとんどない。子供も成人しているし、僕自身、昔の写真を見返し懐かしむ歳でもない(まだ)。

写真はどう管理しておくのが良いのだろう?さらに言えば、これから自分は写真とどう向き合っていけばいいのだろう、そういう問題だと気づく。

デジカメで撮っていた頃に比べ、スマホでは他愛のない写真を撮る機会が多い。思えば、5年落ちのiPhoneXは空き容量がほとんどない。写真を削除しようと思ったが、消してしまうのも気が咎める。かといって、保存しておくほどの内容ではない気がする。保存するものを選んで残しておけばよいのだろうが、MacBook様はこのありさま。やはり新しいMacBookが必要か。

ネットで調べると、クラウドに保存したり、保存専用のマシンを使う手もあるらしい。昔ながらにCDやDVDの焼いて保存する方法もあるのだろう。しかし、どれもイマイチピンとこない。

よくよく考えると、最近は音楽聞くのもAppleMusicだし、映画見るのもAmazone、マンガや読書なんかもkindleだ。要は自分でCDなどの媒体を買ってきて、保存したりコレクションすることがなくなっている。見逃したテレビ番組だって、TverやらYoutubeで後からチェックすることができる。いつも間にやらこんな使い捨ての生活に慣れ切ってしまったのだ。

そう考えると、写真なんかもいちいち選別せず、撮ったら撮っただけ何も考えずにクラウドにあげて保存するのが正しい選択なのだろう。そんな時代なのだ。

それでも何かが引っかかる、こんな生き方でいいのだろうか(おおげさ)。やっぱ、新しいMacBookを買って、自分が好きなものを自分で選んで管理すべきではないだろうか。何ごとも自分で考えることに意義があるはず。


自分の生き方は自分で決める、その一部を写真という形で切り取り、自分なりのストーリーや思いを乗せて活かしていく、そこに写真を撮る意味があるのではないだろうか。たまには居間のテレビにつないで、みんなに自分の生きざまを見せてあげるのもいいだろう。(ホントおおげさ)
 

何ごとも自分で考えてこそだ、それでないと生きている意味がない。ということで、お買い物の理由もできたし、さあ、機種選びから始めよう、楽しー。

 

【クルマ】クルマはいつまでクルマであり続けるのか

 

クルマ好きです。

これまで何回も書いているのだけれど、自分だけの空間で自分が操作して自分が行きたいところ行ける。そんなクルマは現在を生きるタイムマシーン(?)であり、世界最高の発明品であり嗜好品だと思います。

だからこそクルマには愛着も沸くし、そのデザインや走り、性能だけでなくメーカーの思想や歴史にも感化される。その結果、ココロを揺さぶられ大枚はたいてご購入となるわけ。だから満足感もひとしお。

そんなクルマがいま大きく変わってきた。テスラに代表されるEVもそうだけど、なんかただの移動の手段になりつつある。自動運転やら大型液晶パネル、映画やゲームもできる。これなら後部座席のモニターでアニメを見ているちびっ子と一緒、そんなのクルマじゃない。

そんなことを思うおじさんな自分、そもそも最近の若い人はクルマに全然興味がないらしい。自分の息子も成人したのに免許を取りにもいかない。金出すから取りに行け、そんなこと言ったのだけど、「必要性を感じない」こんなこと言っていた。

あー、家族で外食した時にお酒飲んで息子に運転変わってほしいのに。こんなささやかな願いも眼中にない模様。まあ、それはいいとしてクルマ自身が、単なる移動体に舵を切っているようで仕方がない。ミニバンが悪いとは言わないけど、これこそトラックと一緒、荷物が物か人間かの違いだけ。

先日、BMWの最新モデルに試乗してみた。電気自動車のi4と普通の3シリーズ。どっちも3シリーズをベースにしているので外装はともかく内装は一緒、運転席の前には細長い液晶画面がドテチーンとお備わりになっていた。

広大な画面に表示されるナビ画面、それだけならいいけど、目の前のメータもすべて画面に表示されるだけ。うーん。。。まるでゲーム機。。。これならメーターの画像じゃなくてもいいんじゃないの。

もちろん助手席との間にはシフトレバーもありません、のっぺらぼーな感じ。BMWからしてこうなのか。。。「駆け抜ける喜び」BMWの有名なキャッチフレーズ

このフレーズはクルマの性能だけではなく、運転席を構成する雰囲気や質感も含めての話のはず。なんか全然ココロ躍らない、単に僕が時代遅れなだけなのだろうか。

いやそんなことはない、中途半端なのだ。単なる移動体としての「クルマ」なのか、嗜好品としての「クルマ」なのか、すでに後者は存在意義がないということなのだろうか。

試乗を終え自分のクルマに戻り、座席に座る。いつもなら最新型のクルマに乗った後は古臭さを感じるものだ。それがこの時は違った、なんか落ち着いた、しっくりきた。やっぱり僕自身が時代遅れなのか。

先々代のCクラスは今年の頭に5回目の車検を終えた。前回は50万近くかかったが、今回は20万程度で済んだ。そのうち8万近くが税金なわけだが。。。

お高いことに変わりはないが新車を買うことに比べれば・・・と思う。そもそもいま欲しいクルマが見当たらない、もちろん自分で買うことができる範囲でのはなし。

駆け抜ける喜びやFun To Drive、ずっと追及してほしいんだけどな。やっぱり時代遅れなのだろうか。

 

【ライフ】青い、青い日々を送る、そんなGW

 

今年もGWがやって来た。

お出かけの穴場情報やら高速道路の渋滞状況なんかが繰り返しテレビから伝えられている。もう何十年も繰り返されてきたこの光景、毎度まいどの繰り返し、お疲れ様だよね。

という僕だってスペシャルな休日を満喫しているかというと、そんなことはない。もう何十年も繰り返されてきたGWを今年も同じように過ごしている。どこに出かける予定もない、時間もたっぷりある、というか有り余っている。

ただいつもと違う点がある。それは「焦っていない」こと。昨年の今ごろ、実はこんなブログを書いている。

 

GWだけじゃない、いつも休日になると僕は何やら焦りだす、有意義な価値ある休日にしなければ、そんなことばっかり考えて、何も成し得ることのない一日を後悔して終える。それが今年のGWにはない、なんでだろ?

なぜだか知らねど、なんか達観した自分がいる。好きなように時間を過ごせばいいじゃないか、これが人生というものだよケセラセラ。なぜにこんな気持ちを抱くようになったのか?不思議なもの。

50を過ぎ、人生の半分はとっくに通過、もしかしたら僕はエピローグの章にいるのかもしれない。歳をとって、気持ちに変化が表れてきたのか、もしかしたらあきらめの境地に入っているのか。

実はそんなことも無くて、ただただ自然。人に誘われれば、その時の気分で赴き、気がのらなければ一人で過ごす。それなりに忙しい日を送っている。このGWを振り返ってみても、日産スタジアムにサッカーを見に行きその後食事に行ったり、父親を病院に連れて行ったり、洋服を買いに行ったり、家族と食事に行ったり、弟家族とピクニックに行ってモルックしたり、そんな感じでそれなりに充実している。今日はといえば、さっきまで仕事をしていた。連休明けの仕事が気になったから。

まあ、ようやく歳相応に落ち着いたというか、鈍感になったというか、自然な所作が身についたといったところだろうか。まったく今ごろと思うが、僕はポジティブだから、そんな僕を褒めてあげる。ようこそ自分、ってね。

ということで、これからの残りの人生、こんな感じで自然体で過ごしていけたら嬉しい。自分がしたいことをしたいようにする、それだけだ。とは言っても悩みだってたくさんあるに決まってまる、会社生活だってもうじき定年が見えてくる。

嫌だ嫌だと言いながら、毎日繰り返された会社勤め、それもあと数年で終わり。これしかしてこなかった自分はその後どうしたらいいのだろう。収入だって一気になくなる、そもそも生きていけるのだろうか。そんな思いも抱きながら、色んなことを考える日々。でも、この歳になってようやくわかった自然の摂理もある。

ただひたすらに、おっさんWayを歩むのみ、というか真正面から受けて立とうじゃないの良さ。ここからが僕の青い日々、本当の青春が始まるのだ。そんなことを本気で思っている今日この頃。このブログも歳相応に少しリニューアルしてみた、なんか楽しいね。

多幸感あふれる幸せな生活、そんな日々を色んなことに気づき感じながら過ごしていきたい。素敵な休日や非日常の瞬間を満喫したい、ひとり旅だってどんどんしていこう。青い青い日々をおくっていくのさ、よろしく自分。そんな今年のGWだ。

【読書】したい時にしたいこと

 

飛行機の中で本を読んだ

出発ゲートの売店で暇つぶしに買った本
「身軽に生きるコツ」
そんなタイトルの本だった


色んなことが書かれていたのだけれど
印象に残ったのがこの一文
「腹が減ったら食べる」


一日三食、食べなくてもいいい
一日一食でも二食でも、お腹がすいたら食べればいい
腹が空いてないのに食べる必要はない


当り前のことだけど腑に落ちた
お腹が空いていなくてもお昼になったら昼食を食べる
なぜか?
理由はお昼だから


よくよく考えると、僕らの日常はそんな事ばっか


夜になったから寝なきゃ
朝は6時に起きなきゃ
今日もジョギングに行かなきゃ
休日だから家族を遊びに連れていかなきゃ
ブログを書かなきゃ


なんかねー
したい時にしたいことをすればいい
そんなこと思う


眠くなったら寝ればいい
お腹がすいたらご飯を食べればいい


そりゃ生活習慣としてしなきゃいけないこともある
でも眠くもないのに寝る必要はないんじゃないの?
夕食の時間だからといってご飯を食べる必要もないんじゃないの?


ものごとには多かれ少なかれ決まりごとがある
あるにせよ、それを「しなければならない」にする必要はない


もっと自分の気持ちに素直になっていい
自分のカラダやココロに聞く耳を持った方がいい


勉強しなきゃいけない
仕事しなきゃいけない
休日は遊ばなきゃいけない
有意義な一日にしなきゃいけない


やらなきゃいけないことはしっかりやればいい
それ以外のことには
もう少し自分のしたいことに身を任せたっていい
もう少し自分に寛容な自分でいたい
そうしないと自分が自分を苦しめてしまうから


僕は休日になると
いつも有意義な一日にしなければいけないと考える
一日中焦ってる
そして今日も
一日何もできなかったと落ち込む


我ながらアホな自分


天気のいい日は窓辺に座り空を見る
何もしないで空を見る
そして
美しい夕日を見ながらスパークリングワインを飲む
こんな時間が自分にとってサイコーの時間であることを知る
最近ようやくわかった


何かをしなきゃ有意義になれないことなんてない
何もしないことの大切さ
もっと気づくことが大事


グウタラって言われたっていいじゃない
ずっとグウタラなわけではないのだから
グウタラをエンジョイする
そんな気持ちが大事なんだと思う

【おでかけ】Pengin

 

ペンギン
といえばヨチヨチ歩くあの姿

可愛らしい、愛くるしい
でも、すみだ水族館で見たそれは違っていた
歩く姿は見ていない

水槽の中を勢いよく泳ぎ回るペンギン
水を切り裂くその姿
泳ぐというより飛んでいた

やっぱ鳥なんだなー
きっと昔は空を飛んでいたんだろう
可愛いひれは立派な羽に見えた

まるでロケットかミサイルのよう
すごいスピードで縦横無尽に泳ぎ回っている
ぶつかったら痛いだろうな

陸の上をヨチヨチを歩く姿とは大違い
外見や思い込みに騙されちゃいけない
何ごとも一緒

ペンギンだけじゃない
誰にもいろんな顔がある
普段は見せない顔もある

僕は普段どんな風に見えているだろう
本当の自分はどんな自分なのだろう

というか本当の自分ってなんだ?
いつもの自分は自分ではないのか?

頭の中がこんがらがってきた
そんなこと考えても仕方がない
ここは水族館、クラゲにペンギン、お魚たち

どんな僕でもそれが僕
普段も本当もない
自然でいるのが一番いい
それでいい

目の前のお魚たちがお手本だ
きっと水族館が閉まっても同じ姿で泳いでいる
誰のためでもない、自分のため

自分に嘘をつかないこと
誤魔化さないこと
そんな自分でいれますように

ペンギンたちを見て
そんなこと思う僕はきっとアホなのだろう

でもそんな時間も実は楽しい
手にはビール
至福の時間
いつまでたっても僕の頭はヨチヨチ歩きのままらしい

 

 

【おでかけ】水族館とビール

 

昨日は会社を休んでお出かけした

急ぎの仕事もなかったので前の日に決めた
自分が思うほど、自分にしかできない仕事なんてない
僕だけじゃない、誰でも同じ

みんなそう思いたくないだけ
責任感、自分勝手な妄想
僕らは自分を自分で縛ってしまう
何のためだろうね

自分のことは自分で決めたい
もっと自分に自然でいたい
もちろん人に迷惑をかけない
それは当然の大人の所作

さてどこに行こう
いつもならクルマに乗って気ままにドライブ
ちょうど前の日に5回目の車検から戻ってきたばかり

それでも、たまには電車で出かけるか
そう思い向かったのは東京スカイツリー
目当てはタワーじゃない、水族館

すみだ水族館
クラゲがきれいらしいじゃないか
一度行って見たかった

以前、室蘭の水族館に行ったことがある
小さな遊園地に併設された古い水族館
そこでみたクラゲはとても美しかった

すみだ水族館のクラゲはモダンな感じに展示されていた
ひらひら、ふらふら
あらやだ、やっぱり美しい

水族館の中にカフェがある
軽食を売っているだけの売店だけど
ビールがあった、生ビール
こんな時、電車で来てよかったと思う

鳥つくね(?)を一緒に買い、いそいそと水槽の前へ
まわりは家族連れかカップ
気にせず空いていた椅子に座る

ここはペンギンの水槽らしい
水槽の下からのぞき込むように見る
すいー、すいー、ペンギンが泳ぐ

ペンギンを見上げながらビールを飲む
鳥つくねを食べる
なんか不思議な気分だ

いつの間にかペンギンに見入ってしまう自分
ペンギンだけじゃなく水槽の中の光景にココロ惹かれる
自分が海の底にいるかと錯覚する

海の中でビールを飲む、鳥つくねを食べる
ペンギンって鳥だっけ?
そんなことはどうでもいい
ただただサイコーの気分

気がつくと一時間くらい水槽の前にいたようだ
あー楽しい
ホント楽しい

明日からまた頑張ろう
そう思う

楽しい休日
こんな休日
さて次はどこに行こうかな

 

 

【世の中】必要とされて嬉しかった、は危険な証

 

必要とされて嬉しかった

犯罪に巻き込まれ、自らも手を染めてしまった人のセリフ
騙される人の典型的なパターン


承認されたい欲求は誰にでもある
それを相手に求め委ねるとその誰かさんの奴隷になってしまう


そうならないために
自分を自分で肯定できる自分になること
その結果として、誰に対しても認められる自分になること


この順番が必要だ
でもこれが難しい


自分に甘かったり誤魔化したり
客観的に見ることが出来なかったり


認めてくれないのは相手が悪い
こんな思考回路に陥ると最悪だ


会社なんかで良くある話
自分は悪くない、受け入れてくれない相手が悪い
あいつのせい、組織のせい


さてさて自分はどうすべきだろうか


一つ目、まずは自分の考えを明らかにすること
そう発信者になること
これは自分で自分を知るための訓練


二つ目は、その中で自分のセンスを磨くこと
相手が知りたいことを発信するのではなく
相手が知りたくなるようなことを発信すること


相手に媚びて、相手が欲しいいことだけを発信しても意味がない
そんなテクニックに走っても何の意味もない


三つ目は、自分だけの特別な何かを持つこと
それが何かはわからない


何かとの出会いもその一つかもしれない
だから星野道夫さんはこう言う


「短い一生で心惹かれることに多くは出会わない
 もし見つけたら、大切に、大切に。」


人はこの三つ目から進めて(求めて)しまいががち
それでは本物にはなれない


別に本物でなくてもいい
結果が得られれば何だっていい
それならそれでいい


でも、そんな急ぐ必要なんてどこにもない


ゆっくりと
じっくりと
一つ目から進めてみるのがいいと思う


焦る必要なんてないのだから
自分のことなんだもの


もっと自分を大切に
ホントそう思う

 

【世の中】慣れたら終わり


戦争が始まった時に感じたこと


なんで?どうして?そんなバカな
この現代にそんなこと起こるわけがない


これまでの経験や道徳が音を立てて崩れていった
ただただ信じられない、信じたくない


ニュースで報じられる数々の惨状
美しい街、サッカーチーム、人々の暮らし
失われるはずのないものや尊厳

あっという間に蹂躙され踏みつけられる
こんなことが今の時代に起こるはずがない
映画や歴史書の世界


それが簡単に繰り返された
この世界はどうなってしまうのか


政治家や学者、ニュースのアナウンサーが
色々なことを言っている


どうこの難局を乗り越えるのか
大事なこと


でも僕にはもっと気になることがある


この戦争が始まって半年以上が経った
僕らは慣れてしまった
いとも簡単に慣れてしまった


この状況に受け入れられないまま慣れてしまっている僕ら
結局僕らはこの程度の生き物なのかもしれない


これまでもそうやって理不尽を受け入れて生きてきた
殿様や王様、君主や独裁者からの命令、暴力、搾取、差別・・・


それは昔の話、僕らは現代人
そんなのはまやかしだった
僕らは弱い


ただただ弱い
ただただ受け入れ慣れていくだけの生き物


独裁者はそれを知っている
だから独裁者は独裁を続ける
それが自分の生きる術と知っているから


でも僕らは学んだ
慣れたら終わりであることを


まだ間に合う
まだ間に合うはず


僕らは気づいた
人間の弱さ、最大の弱点
それは慣れること


慣れることは自分を誤魔化し否定すること
だから
それを生きる手段にしては絶対にいけない


そう思う
心からそう思う

 

【仕事】テレワーク万歳


最近、出社率が上がっている

会社もはっきりは言わないけど
働き方を見直そう、そんなこと言って
リモートワークに偏った仕事環境を見直そうとしている


要はコロナも落ち着いたんだからもっと出社してもっと働け
言ってることはイーロンマスクさんと一緒
ハッキリ言うか言わないか
相変わらずの日本企業っぷりは健在だ


とはいえ自分はどうかというと
最近はできるだけ出社するようにしている


なぜか?


それはリモートだと、うまく発言できないから
リモート会議なんかではなかなか発言のタイミングがつかめない
言いたいこともうまく言えない


奥ゆかしい私
リアル会議だと何となくタイミングも見定められるし
雑談含めて話しやすい


要は自分がリモートでパフォーマンスを発揮できるスキルがない
それを認識しているから非効率とわかっていながら出かけていく
そう自分のための出社なんですね。。悲しい。。。


なんですけど
先週は久しぶりに1週間まるまるテレワークをしてみた


一緒に出張していた同僚が高熱を出しちゃったから
念のために出社を控えた


これがねー
快適でしたよ、テレワーク(今さら。。。)


多少の会議のもたもた感はあるものの(もちろん私のせいです)
まる一日、家で過ごせることの快適さ
こりゃ癖になるよねー


あらためてそんなことを思います
だからなのか出社しない奴はまったく出社しない


でもやはり思います
みんな出社している時と同等のパフォーマンスを出せているのか?
リモートワークは権利じゃない


その辺のことは自分自身で認識すべき
この快適さを享受するためには自分のスキルを磨くしかない
それが立派な大人の所作だと再確認する


ということで、テレワーク万歳
この環境に適したスキルを磨くためにはどうしたらいいか
そんなことをもっともっと考えたいと思った次第


最近はZOOM-ROOMだけでなく、TEAMS-ROOMも一般的になってきたらしい
それでも技術革新だけに頼っていてはダメだと思う


「人は話し方が9割」
そんな本がベストセラーになっているみたい


リモートワークにおける話し方のスキルをどう磨くか
そんな観点でも取り組むべき事項は多々あるのではないか
なんて思う


現場の人間こそ、こういう努力が必要
そうしないと絶対にリーダーを納得させられない


だってリーダー自身がリモートワークのスキルを持っていないのだもの
だから彼らは目に見える働き方しか評価できない


イーロンマスクさんだってきっとそう
そんなリーダーが上司になる前に
リモートワークのスキルを高めるのが先決だ


自由は与えられるものではなく、自分でつかみ取るもの
そういうことだよね

 

【ライフ】友達なんていらない

 

自分で言うのも何だが友達が少ない

少ないというより「いない」と言ってもいいくらい
いま友人的な付き合いをしているのは会社の同僚が中心


退職と同時に家に引きこもる高齢者の話をよく聞く
50代も半ばの自分、典型的な予備軍だと思う


土日は地域の人と一緒に飲んだり出掛けたり
趣味の釣りや野球で楽しんだり
そんな話をよく聞くが、自分にはできない芸当


まず面倒くさい、考えただけで面倒くさい
そういう機会もないのによく言うよね


相手に気を使い、気を使われ
そんな時間は億劫で仕方がない


それより一人で酒でも飲んでいた方がいい
寝転がりテレビを見てた方がどれだけ楽か


こんなんでよく会社員生活を送れている
実は会社という組織があるからできること


偽りの関係の中で、誤魔化しながら過ごしている
それが会社という組織
もちろんそうでない人もいるだろうけどね


僕は典型的な社会不適合者なのだと思う
人といるより一人の方がいい


僕は自分のことしか考えられない
自分より相手のことを想うことができない


我ながらひどいやつだと思う
人間的な魅力のかけらもない


それでいて人に好かれたい
よく思われたいなんて都合のいいことも思っている


でもそれでいい
僕は僕でしかないのだから


相手が僕をどう思うかは相手次第
僕にどうにかできるわけでもない


僕がどうにかしようと思ったとたん
僕は相手に媚を売ることになる


だから僕は自分のことだけを考えていたい
そんな僕でいたい


相手の話を聞くことが大事
そんな話もよく聞くけど
それって人間関係をよくするためのテクニック


ああ面倒くさい
ほんと面倒


だからいいじゃないか
仕事と割り切って他者と付き合えばいい
それ以外はひとりで過ごせばいい
それでも近づいてくる奇特な人がいれば接すればいい


不思議なことにたまにそんな人がいる
自分と一緒にいて何が楽しいのだろう?
そう思うけど
そういう人と一緒にいるのは実は楽しい

不思議なもの


僕からその人にあげるものは何もない
それなのに僕に接してくる


よほど僕が不憫に見えるのか
ボランティア精神が旺盛なのか


よくわからないが
一緒にいて居心地がいいから、まあいいか


また年賀状の季節がやってくる
一年に一回だけの友人たち


たまには連絡でもしてみようか
面倒くさいけどね

 

【ライフ】したいこと100を書いてみる

 

ゾンビになるまでにしたい100のこと、そんなマンガがある。

ある日突然、世界中の人間がゾンビに襲われる、逃げまどう人たち。
ゾンビ映画なんかでお馴染みのストーリー。


このマンガはちょっと違っていた。


これまでの会社一辺倒の生活から解放された主人公。
ゾンビから逃げまどいながらも、これまでできなかったことをしようと考える。
そこで、ゾンビになるまでにしたい100のことをノートに書きだし実行する。
寿司を腹いっぱい食べるとか、グランピングしたいとか、
他愛のないことばかりなんだけど、ポジティブなお話で面白い。


そこで僕も書き出してみることにした、したいこと100。

 ・別荘を建てる
 ・外の景色を見ながら昼間からシャンパンを飲む
 ・アルピーヌA110を買う
 ・ゲレンデヴァーゲンを買う
 ・ランカウイ島に行く
 ・沖縄で暮らす
 ・ゴルフがうまくなる
 ・一人一日釣りをする
 ・家を建て庭で焚火をする、BBQもする
 ・金髪にする
 ・日焼けマシンで日焼けをする
 ・一人でスイカ割をして全部食べる
 ・小沢健二のコンサートに行く
 ・岡村靖幸のコンサートに行く
 ・ビリージョエルのコンサートに行く
 ・フロリダのダリの美術館に行く
 ・サーファーになる
 ・オープンカーを買う
 ・ゆでたての毛ガニをひとりで一杯食べる
 ・自分のクルマで47都道府県を一周する
 ・みんなの前で弾き語りをする
 ・金目鯛の煮つけを作る
 ・クルーザーに乗ってシャンパンを飲む
 ・千里浜なぎさドライブウェイでドライブする
 ・ガレージと庭のある一軒家に住む
 ・ブルーマジックみたいに踊る
 ・カングーに乗るスポットドライバーになる

 などなど。。。


いやー我ながら創造力がない、物欲ばかり、自分のことばかり
精神面の充足は求めないのだろうか、自分ながらあきれてしまう。


実はこれ書いたの3年近く前のこと。
きっとその頃の自分は、こんなことをしたい自分だったのだろう。


たぶん、いま書いても同じようなもんだろう。
でもいいの、「したいこと」と「願い」は違うんだから。
ちなみに「目標」とも違います。
(間違っても大谷選手の目標達成シートと比べないように)


単に自分がしたいことを知るだけ。
できることならすればいいじゃん、ってことなんです。


この中で実現できたのは、千里浜なぎさドライブウェイに行ったことくらい。
逆に言えば、まだまだしてないこと、したいことはたくさんあるということ。


ということで、したいこと100書き出してみるのお勧めです。
ここに書いていない恥ずかしいこともたくさんあるけどね。
それも含めて自分がしたいこと。


何事にもポジティブに取り組むってことです。
例えゾンビだらけの世の中になったとしてもね(実は今もそうかも。。。)。

 

【スポーツ】マスコミは変わらないなー、なんでだろ?

 

ワールドカップ、日本代表の活躍で盛り上がっている


日本代表にはあまり興味がない
だって横浜F・マリノスの方が見ていて面白いんだもの


それでも日本が勝つと嬉しい
日本の選手が活躍すると喜んで応援している自分がいる


それはそれでいいんだけど
テレビのニュース、そればっか


日本スゴイ、森保監督スゴイ
堂安選手のエピソード、家族の話、恩師の話
前回大会落選のリベンジ、努力の成果、感動の物語


ええーい、いい加減にせい!
何でこんなにも、いままでと同じ
決められた文脈でしか物事を報じられないのか
いい加減に頭にくる


そんなことを思いながらテレビを消す
そして家族に嫌がられる


僕らは洗脳されている
間違いなく、マスコミにいいように操られている


おかしい、これじゃいけない
だってマスコミが報じることはマスコミの考えだもの


僕らは事実だけを知ればいい
そして自分の頭で考えればいい


そりゃ選手の知られざるエピソードも知りたいだろう
でも自分の目で試合を見て純粋に楽しめばいい


そこに、こう感じなければいけないなんていらない
信じろとか、祈れなんて言われたくない
自分のことは自分で考える


それを促すのが正しいマスコミの姿だと思う


負けた国が悔しがる様子、日本への賛辞
本当にそうなのだろうか?
ちゃんと客観的に取材しているのだろうか?


勝ったことは素晴らしい
だけどあのサッカーはそこまで素晴らしいのか
そこまで誇れる内容なのか


真実が知りたい
僕らは真実を知る、感じる努力をしなければいけない


どうして選手はインタビューで、「国民」のみなさまへ
みたいなこと言うのだろうか
大本営発表と一緒じゃないか


時代は変われど変わらない
だからこの現代でもあんな戦争が起きている


そろそろ僕らは学ばなければいけない
一皮むけなければいけない


だからマスコミも変わってほしい
本当にそう思う

 

【ライフ】最新のiPhoneは最良のiPhoneなのか?


iPhoneXを使っている。
もう4年半くらい使っていることになる。

幸い、落として画面が割れたりすることもなく、
バッテリーが劣化して1日も持たないというようなこともない。
まだまだ十分使える、もちろん僕にとっての話。


それでも最新のiPhoneが発売されるたびに気にはなる。
正直欲しくなる。
だって、新しい何かを僕に与えてくれそうなんだもん。


もちろんそんなことはなくて、
単なる錯覚でしかないこともかっている。
それでも何か変えてくれるのではないかと期待してしまう。


そんな思考で、僕らはついつい新製品にとびつく。
パソコン買ったり、カメラ買ったり。
結局、全然使いこなせない、もちろん僕にとっての話。


でも満足感はある。
使い倒す満足感ではなく、自分のものにしたことの満足感。
もちろん間違っていることも知っている。


そんな僕だが、新しいiPhoneには替える気がしない。
なぜだろう?


だってダサいんだもの。
あの巨大なカメラまわりのデザイン、あれはないよね。


そりゃ画質はいいのでしょうよ、でも所詮はスマホ
何ごともホドホドというものがあるはず。


なんかスマートじゃないし、洒落てない。
見るたびに思う、きっと慣れの問題なんだろうけど。


最新のポルシェは最良のポルシェ。
クルマの世界ではこんなことがよく言われる。


モデルチェンジするたび、前の方が良かったと言われ続けたポルシェ様。
性能とデザインでそんな声を黙らせ、最終的にこう言わしめた。
実際、最新のポルシェは最高にカッコいいと思う。


iPhoneもそうなってほしいな。


毎日使うものだもの、持つ喜びを与えてほしい。
満足感が得られるのであれば、ちょっとお高くてもいいと思う。


次のiPhoneはどんなデザインになるのだろう?
そんなことを思いながら、iPhoneXのケースを変えてみた。


ジャクソンポロック、結構いいでしょ?
当分はこれでいい、満足、満足。