「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

歳の取り方って大切


テレビで久しぶりに見る懐かしの芸能人、老けたなー、そんなこと思う時がよくある。

最近は自分の身近でも多い。久しぶりに会った仕事の関係者、老けたなー、そう思う機会が増えた。髪が白くなるのはまだいいのだが、一番思うのは肌、顔につやがなくなっている姿が最も老化を感じさせる。

だいたい顔の輪郭にシャープさがなくなっている、それに加えてシミがあったり、浅黒かったり。やっぱり老化は肌から来るんだね、男性は手入れもあまりしないもの当然の報いか。

きっと僕もそう思われているに違いない。アイツ老けたなー、おじいちゃんみたいだな、なんてね。そう考えるといつまでもジーンズに白T、その上に上着とか若ぶった格好ばかりしていられないのかもしれない。巷によくいる、痛いファッションのおやじにだけは絶対になりたくない。

以前、日サロに行こうかと本気で思ったことがある。こんど勇気を出して行ってみようか。いろいろな妄想が頭に浮かぶ。

でもふと思う、年取っても魅力的なおじさんもいる。こういうおじさんも、たまに会うと老けたなーとなるのだろうか。なんか違う気がする。

それに肌つやの劣化は気になるが、逆にしわはあまり気にならない、それは歳相応に刻み込まれた年輪、笑い顔がチャーミングになったりと悪いことばかりではない、大人の余裕を感じさせる人も多い。

そう考えると、見かけで老けたなー、歳取ったなーと感じさせるのは、肌つやだけでなく別の要素が大きいのではないだろうか。たとえば、生気みたいなもん。大げさに言えばその人の生き方が顔に出るのだ。

生活や仕事への充実感や達成感、情熱を持ち続けているものがあるか、何か欲しているものがあるか、かこだわっているものがあるか、そんなことが自分自身への納得感や自信となって表情や仕草に現れるのではないだろうか。

そういったものが無い人は、カラダの衰えだけでなく、ココロの衰えが見かけに出る、そういうことではないかと思う。

歳をとるって、時間の経過とともに誰にでも共通でやってくるものと思っていたが、実は違うのかもしれない。きっと人によってスピードや進み方が違うのだ。そんな大事なことに気がついた。単に歳をとるのではない、いい歳の取り方をすることが大事なんだと思う。

新緑の美しさを見て考える


いやー、過ごしやすい季節になったものだ。こうしてまたひとつ歳をとることになる。

それにしても春という季節は爽快だ。暑くもなく、寒くもなく、まあ、ちと暑すぎるきらいはあるが、許容範囲。徐々に服装が身軽になる、そんな小さなことに喜びを感じる季節だ。

ふんわりとさわやかなを風も気持ちいいし、なんといっても春のにおいが好きだ。これって何のにおいだろうかと思うが、たぶん新緑の香りが多くを占めているのではないだろうか。

僕の家は横浜の田舎だから、結構な木々に囲まれてる。いわゆるニュータウンと言うやつ、だから通勤の道も緑道を通って駅に向かう。生まれたての酸素を吸いながらの10分間は贅沢な時間。ものは考えよう。

美しい新緑を見ていつも思うのだけど、植物って不思議な存在だと思う。動かないし喋らない、それでもしっかり生命を営んでいる。これらの植物たちは一体何を考えて生きているのだろう、乙女チックにそんなことを考える。

僕は思います。この植物ちゃんたち、美しい花や新緑に目を奪われがちだけど、実は根っこが彼らのメインなんではないだろうか。要は地中に埋まっている根っこが植物の本来の姿で、地上に出ている部分は見せかけ、そんなことを思うのです。

植物ちゃんは根っこ同士で、ほかの植物と絡み合ったり、会話したりしている。時には地中にいる動物や昆虫なんかともやり取りしているかもしれない。そんな地中の世界がきっとあるのだ。

僕らは自分たちの常識しか物事を考えられない。だから植物を見ても花がキレイだ、面白い葉っぱだ、そんなことにしか気がつかない。見えないところにこそ、その生命の本質があるのではないだろうか。

そう考えると面白い、だって海の中は見ることができるけど、土の中ってそうはいかない。きっと面白い世界が広がっているのではないだろうか。そんなことを考えながら、今日もぼーっと空を見ている。

でもこういう時間が大切なんだよな、暇つぶしなんてもったいない、暇を愛おしむことが大事なんだ、そんなことをこの歳になって発見する。そんな日々だ。羨ましいでしょ。

奥歯を抜く(第2ラウンド)


20年ぶりに満を持して歯医者に赴くも、歯の根っこが地中深くに埋もれており中断。先日、第2ラウンドを実施してきた。

機材など、それなりの準備をしてくれていた様で20分ぐらいで無事終了。抜いた歯を見せてもらったが、けっこう大きな根っこだった。永久歯に入れ替わってだから50年近く一緒に過ごした奥歯ちゃん。もう感謝しかない。

最近は歯ぐきが痩せてきたと感じていたところなので、そのうち他の歯もボロボロ抜けてしまうのではないか。そんな恐怖を感じていた。

しかし、先生によると、全体的に頑丈に生えているので当面大丈夫とのこと。虫歯にもなりにくいのではと言われた。なんか嬉しい、それを聞いてほっとした。

ただ、その反面、歯医者に来ないので歯石やら汚れやらが目立つから、ここでしっかりメンテナンスしましょうということになった。

後日、抜歯に伺うと、キャンセルが出たのでこのままクリーニングしませんかと言われ、その後何も予定がなかったので実施してもらった。なんと1時間強、若い女医さんに格闘いただく。

終わって見せてもらうと、あらキレイ。確かにタバコも吸わないのに歯が茶色く汚れていたりずっと気にはなっていた。ツルピカになり、なんでもっと早くやらなかったのかなーと思う次第。

ところが先生によると、歯ぐきの中にも歯石がうずもれており、これも除去したほうが良いとのこと。なんと6回に分けて麻酔をかけて実施するそうだ。なんと各回1時間コース。

はー、大変なことだ。でもこれからのことを考えると、ここでしっかり対応してもらうしかない。もう覚悟を決めたのだ。歯石除去の6回コースを終えたころには抜歯した後の歯ぐきも良くなっているので、次の治療を行いましょうとのことだった。

最近、仕事で会う人、特に60を越えた人は歯の治療の話をよくしていることを思いだした。なるほどなーこういうことなんだな、僕も立派なおじさんの仲間入りだ。こうして健康話に花を咲かせる高齢者になるのだろう、なんて、全体ならないから!そう思う日々だ。

 

 

 

奥歯とサヨナラなのだ


奥歯を抜いた。

親知らずではない、奥から二本目の下の歯。加齢って悲しい、とうとう永久歯の一本とサヨナラする日がやってきた。

といっても原因はわかっている。虫歯だなーと思いながらもずっと放っておいたのだ。僕は歯医者が大キライ。まあ好きな人はいないと思うが、僕は怖くて怖くて仕方がない。だから本当にどうかなるまで我慢してきた。今回、とうとうどうかなってしまった訳だ。

そんなだから、歯医者を訪れたのは約20年ぶり。すでに神経を抜いて銀をかぶせていたにも関わらず中がボロボロになっているらしい。

「抜くしかありませんねー」きれいな女医さんに言われて、やむなく従った。

治療を始めること20分、なんか様子がおかしい。「院長に変わりますねー」そう言って女医さんは行ってしまった。

どうも歯の根っこがあごの骨に癒着してしまっているらしい。男の院長に変わり30分以上格闘するもそれでも抜けない模様。

「1年に一回くらい、こういう方がいらっしゃるんですよねー」院長が申し訳なさそうに言う。相当深いところで歯の根っこが残ってしまっている、特別な機材を用いないと無理ということで、後日、機材を用意してやり直すことになった。歯ぐきはそのまま縫合して本日は終了。。。

満を持して大キラいな歯医者に赴き、こんなに頑張ったのに。。。まさか2ラウンド目があるとは思いもよらず。呆然としながら歯医者を後にした次第。

それにしても最近、歯ぐきが痩せてきたようにも感じていたので、そのうち歯が抜けてしまうのではないかとおののいていた。それが意外や意外、歯の根っこは地中深くにしっかり根差していることが分かった。僕の歯もなかなかやるじゃん、そんな自信も少し沸いてきた。

嬉しいやら、悲しいやら、何とも複雑な気持ち。でも、50代半ばの立派な大人、カラダのメンテナンスはしっかりしなければならないことを再認識。歯医者が怖いなんて言ってる場合じゃない。この際、きちんと直すことにしよう。

ちなみに無くなった歯の代替手段としては、「部分入れ歯」「ブリッジ」「インプラント」の三種類があるらしい。巷でよく聞く「インプラント」はなんと40万とのこと。

なるほどなー、子供が大きくなり教育費がかからなくなってくると次はこういうことにお金が必要になるのですね。世の中とはよく出来ているものです。まあ、保険が効く方法でとりあえず直そうかな、今後はこういう悩みが増えるのだろうなー。。。

『LIFE』30周年記念ライブ

小沢健二の武道館ライブに当選した。

1994年にリリースされたアルバム『LIFE』(1994年)の発売30周年を記念して、8月31日(土)に武道館で一夜限りのアニバーサリーライブを開催するらしい。

たまたまツイッター(X)で告知を知り、酔った勢いで申し込んだことを思い出した。まさか当たるとは。。。うれしい。

小沢健二は僕にとってはお医者さん、そしてアルバム『LIFE』は僕に処方されたクスリみたいな存在だ。当時僕は精神的に不安定だった。なぜか突然不安に襲われたりして、このまま死んでしまうのではないか、そんな漠然とした恐怖感を抱くことがあった。

そんな時に助けられたのが『LIFE』、軽妙なイントロから始まる「愛し愛されて生きるのさ」、その歌を聞くと自然と心が穏やかになった、スーっと不安が消えて行った。出張には必ずディスクマン(古っ!)に『LIFE』を入れて持ち歩いていた。

クスリというだけでなく、お守りのような存在。まさに僕のライフを共に生きてくれたのが『LIFE』という存在だった。

今回のライブでは『LIFE』の収録曲全曲を演奏するだけでなく、アルバムのサウンドを徹底的に再現すべくレコーディングに参加した主要ミュージシャンほぼ全員を招集するらしい。

きっと当時感じていたことや、その時のにおいが蘇ってくるんだろうな。若返っちゃうかもしれない。ふふふ。

チケットは二枚申し込んだので、普段つれない息子に行くか聞いてみたら、二つ返事で「行く!」と即答があった。息子とライブなんて初めてだ。

小沢健二と『LIFE』、僕の人生にこんな形で彩を与えてくれる存在、感謝だ。

 

 

自然との付き合い方


雨の日が好きだ。
正確に言うと出かけなくていい雨の日。会社に行く日は気が滅入る、我ながらおかしなもの。

雨が降っている=出かけなくていい=家の中に居ていい=大好きなひとり時間、そんな思考回路が僕の中に出来上がっている。

家の中からボケッと降り続ける雨を見るのが好きだ。不思議だ、なんでお空から水が降ってくるのだろう、しかもバシャーンじゃない、ちゃんとデザインされた雨が時にザーザー、時にシトシト降って来る。世の中って面白い。

うちの近くにはドイツ人向けの施設があり、駅への行き来でそんな人たちとすれ違う。この人たち、少しくらいの雨なら傘をささない。特定の人だけでなく、みんながそう。

そういえば、冬なのに半そで短パンでいる外人を都内で見かけたりする。体温が高いとか皮膚の構造でも違うのだろうか、でもそれと雨でも傘を差さないのは違う気がする。

単に気にしない、そういうことかもしれないが、どうも傘を持つのが面倒くさいことも一因のようだ。パーカーのフードをかぶってやり過ごす、そういえば映画でもそんなシーンを見かける。

雨なんてただの自然現象なんだから、そんな自然に抗う方がおかしい、少しくらい濡れてもいい、そんなとこだろうか。きっと鷹揚なんだな。

考えてみれば、僕らは小さいころから雨が降ると、カッパ着て長靴履いて完全武装で学校に行っていた。そんな僕らの方が自然じゃないのかもしれない。

先日、雨の中をずぶ濡れになってゴルフをした。出張先で取引先と予定していたから、少しくらいの雨ならやりましょうということでそうなった。ところが結構な本降りの雨、コースを回っていたのは3組くらい。

これが結構楽しかった。雨に打たれながら、緑のにおいが充満した貸し切り状態のゴルフコースを歩くだけで幸せな気持ちになった。プレイ後のお風呂も格別だ。

僕らはもっと鷹揚になって自然と接した方がいいのかもしれない。きっとそこには新たな発見、そして楽しさがあるかもしれない。

クルマというひとり空間


クルマの中で音楽を聴くのは最高だ。
これは家の中でゆったり音楽に集中するのとは違う。五感を研ぎ澄ませクルマを走らせる、そんな非日常的な瞬間を色づける役割を音楽は担ってくれる。

クルマの中は自分だけの空間だ(ひとりの場合)。それでいて人がたくさんいる街中に入り込める、そして目の前には様々な景色がインタラクティブに現れては消えていく。そんなクルマは僕にとって最高のエンターテイメント空間。

ひとりでいることができながら、社会にも参加できる。僕にとって、こんなうってつけのギアはない。

しかもその空間で誰に邪魔されることも無く、好きな音楽を大音量で流すことができる。時には大声で歌っても構いやしない。ある意味、音楽と一体化できる貴重な瞬間。

僕は時たま一人ドライブに出かけていく。目的はドライブだから行き先はどこでもいい。気持ちいい景色を見ながら走り抜けること、それ最優先だ。そこに色を添えるのが音楽、最高の空間で素敵な時間を満喫する。

お気に入りは、山中湖。ここにある豆腐屋さんをめがけて、平日ドライブを満喫する。もちろん会社は休む、ひと月に一回は、こんな時間を取ろうと思うが、なかなかできない。

定年を迎えると、こんな毎日が日常になるのだろうか。非日常が日常になると嫌だな、そんなことも思うけど贅沢な悩みだ。

松田聖子の「ハートをロック」、この曲を聴きながらのドライブが最高だ。いくつになってもこんな時間を楽しみたい。次のドライブはどこに出掛けよう、お供のプレイリストは何にしよう。ささやかな楽しみ。

街の喧騒に気づく


最近会社はほぼ週5で通っている。
ご多分漏れず、うちの会社でも4割出社を推奨なんてことを言い始めた。経営側の人間は基本リモート勤務なんて信用していない。

毎日会社を往復していると、あのコロナの頃が少し懐かしくなる。不謹慎だが、あの特別感、スペシャルな日常にワクワクしていた。

外に出なくていい、会社に行かなくていい、家に居なくちゃいけない、もともと家の中が大好きでひとり時間を愛する僕にはうってつけだった。雨の休日に似ている、どこに出掛ける必要もない、安全地帯の家の中から降りしきる雨を見続けるのが大好きだ。そうやって僕は幸せを感じていた。

今となっては昔話、何の変哲もなくなった毎日、会社との往復。ほとんどの人がワイヤレスイヤホンを耳にはめている。そんなに音楽が好きなのか。何となく習慣になっている人も多いのではないだろうか。

僕は外でイヤホンをするのは、音楽を聴きたい時だけ。それ以外は、極力、街の音を聞いていたい。そうしないと不安だし、外の出来事に何も感じなくなる自分がこわい。

だからゆっくり音楽を聴くことができるのは家の中だけ(クルマの中でも聞くけど、ゆっくり音楽を聴くのとはまた違う楽しさがある)。家の中なら安全だ、無防備に音楽に没頭できる。家人がいなければリズムに合わせて首を振ったり、踊ったりして自由気ままに過ごせる。

そういう意味では、街中でも無防備で音楽を楽しめるのは世の中が平和ということなのだろう。戦場で音楽なんか聴いていたら一発でやられてしまうもの。

そんな平和な世の中を音楽で満喫するのもいい。でも僕はできるだけ街中の音に気づいていたい。

クルマのエンジン、自転車のブレーキ音、人の足音、動物の鳴き声、木々のざわめき、橋を渡る電車の音、人の会話、子供の泣き声。。。


そうしないと何にも気づけない自分になってしまいそう。ホントにそう思っている。

悲しい気持ち


混んだ電車に乗らなければならない時もある。そんな時は時間を合わせて始発の電車に乗る。そうすれば座ることができる。

二駅も過ぎると、社内は満員になる。外も見えないし、不機嫌な空気が充満しているが、座ってさえいれば本を読んだり自分が好きなことができる。ささやかな自己防衛。

途中の駅で乗り込んできた女性が僕の前に立ったのだが、徐々に体が前のめりになって来るのに気付いた。調子が悪いのだろうか。そう思ったら僕の右隣りの席が空いた。だけどその席は他の女性がそそくさと座ってしまった。

目の前の女性は書類がたくさん入った紙袋を足元に置き、手すりにつかまりながらも頭が段々垂れていく。髪の毛が前に覆いかぶさってしまっているので表情も分からない。まだ若い子だ。これは席を代わってあげなきゃかな、そう思ったら僕の左隣の席が空いた。よかったー。

ドサッ、大柄のスーツの男性が勢いよく座ってきた。あらまー、譲ってあげないんだ。その女性は膝に手を当て、電車の揺れにも耐えられない感じになっている。

「座りますか?」そう言って僕は席を立った。その女性は消え入りそうな声で「ありがとうございます」そういうとこちらを向きもせず椅子に座り、そのままうなだれてしまった。ホント大丈夫だろうかと心配になる。

先に僕の左右に座った人は我関せずといった感じで目を閉じている。結局この女性は僕が下りるまでそのままだったので、その後のことはよくわからない。

僕は席を人に譲ったりするのは得意ではない。もちろん譲りたくないというのもあるが、本当にそうすべきなのかわからないことが多いからだ。大げさに言えば勇気がない。

でもその時は、誰がどう見ても明らかだった。ホントならいいことしたなーくらいの気持ちになるのだろうが、僕の両隣に座っている人たちを見ると暗澹たる気持ちになった。

何より、その二人がひどく不格好な人間に見えてしまった。単に二人は調子の悪い女性に気がつかなかったのかもしれない(そんなことはないと思うけど)。でも、こういう人になりたくないな、思われたくないな、そんなふうに思ってしまう自分がいた。

イライラでもない、オライラするのでもない、なんか悲しい気持ち。だから混んだ電車には乗りたくない。明日は早起きして空いている電車に乗ろう、そんなことを思ったある日のできごとだった。

オライラする自分


混んだ電車に乗るとイライラする。空気が薄い、外が見えない、そしてみんなが自分勝手で不機嫌、そんな空気が充満している。

みんなイヤホンしてスマホをいじってる。何を見ているのかさりげなく覗き込む。ゲーム、マンガ、ビデオ、インスタ、だいたいこんなところだ。要は暇つぶし。意外とゲームをしている人が多いことに驚く。しかもいいオッサンが多い。

最近は文庫本を読んだりしている人を見かけない。そういえば新聞を読むオッサンも少ない。週刊誌を読んでいる人なんて見たことない。

駅で人が乗って来る、その人が乗れるように僕は一歩後ろに下がる。乗ってきた人は自分のぎりぎりまで詰め寄り背中のリュックを密着させる。そして自分の前にできたスペースでスマホを見る。当然ながら僕の前にはそんなスペースはない。

僕はイライラする。それだけでなく、その相手に対する敵対的な気持ちが強まる、何だコイツとオラつく自分。そんな僕はオライラする。

イライラするのは自分の問題だが、オライラする気持ちは自分だけでなく相手にも向けられる。オラつきが表に出ないよう、僕は自分のココロを落ち着かせる。でもオライラする気持ちはおさまらない。

すると、今日はなんて日だ(by小峠さん)とか、ついてない、そういった非科学的な思いで頭がいっぱいになる。そして自分も不機嫌な空気を発する人の一員になる。

なんとも器が小さいというか、人間ができていないというか、もっと鷹揚な自分になりたい、そう思ってしまうが仕方がない。自分が気を使っているからといって、相手にもそれを求めるは理不尽だ。

だから僕はできるだけ空いている時間に電車に乗る。そうすればオライラする自分にならなくてすむから。何ごとも自分が努力する方が大事だ、人のせいにしてはいけない、人に不満を向けてはいけない。

でもたまに思う。こんなに人がいっぱいいるのだから、自分のココロを浄化させるような出来事は起きないのだろうかって。ムリかなー、でもまずは自分から、そう思って混んだ電車ではスマホを出さないことにする、できることからしてみよう。そんなところだ。

みんながしないことをする


会社への通勤、朝早く空いている電車に乗るのが好きだ。
通勤電車なのにガラガラ、もちろんゆったり座れる。車内の空気も清々しい。どこかピクニックにでも行く気分。

最近は帰りも早く帰る。16時くらいの電車、仕事が終わっていなければ帰ってすればいい。コロナ禍を経て実現した働く場所と時間の自由化。

この時間帯は学生が多い。帰宅するサラリーマンはほぼいない、会社に戻る途中かどこかに向かう人がほとんどだろう。少しばかりの優越感、そしてまだ明るい空を見てお得感を感じる。

僕はずっと人と同じように生活してきた、そのように教わってきた。みんなと同じように、みんながしているから。でもそれって少しばかり窮屈だ、それに疲れる。

みんなと少しずらせばいい。そうすれば競争しなくてもいい。行楽地や遊園地、デパートや食事屋さん、我先と急いだり並んだりするのは苦手だ。人がいかない時間に行けばいい、平日に休みをとって行けばいい。

それだけで、ステキな場所が一層ステキになる。楽しい時間が一層楽しくなる。

競争して勝ち抜くことだけが人生ではない。競争しないですむならそれに越したことはない。それだって戦略という一種の競争だ。

みんなと同じように、みんながしているから、そこから抜け出すのは少しの「勇気」と「自信」だけ。何がしたいか決めたのなら、ただ実行するだけではなく、どう実行するかを考える。

空いた電車の中で車窓の風景を見ながらそんなことを思う。

自分のやりがいを作る


サラリーマンにとってのやりがいは人それぞれ。そしていい会社ほど、そのやりがいが各種用意されている(結果として)、そんな話を前回した。

では組織に属さない、自分個人のやりがいって何だろう。もちろん、会社生活でのやりがいとイコールの人もいるだろう、いやいや自分や家族に対するやりがいが最優先だよ、もちろんそんな人いるだろう。結局、これも人ぞれぞれ、でも現実は会社生活でのやりがいに寄っている人が大多数ではないかと思う。

そもそも、やりがいって何だ?やりがいに正解なんてあるのか?

やりがいとは、自分が感じる満足感や達成感だから千差万別だ。それに比べると会社生活でのやりがいは限定される。一見たくさんあるようだが、いくつかのケースに分類される場合が多い。何と言っても自分で選べない、他者にゆだねなければならないのがつらいところだ。

それに比べて自分のやりがいは、自分で見つけて作っていくことができる。

「オモウマい店」という番組があるけど、最初は随分特殊な人たちが出ている番組だと思った。採算度外視で大盛や格安の食べ物を提供している。商売しているにもかかわらず、お金儲けにこだわらず、それどころが身銭を削って商いをしているのが不思議で仕方がなかった。

でも、しばらく見ていると、この番組に登場している人には共通項があることが分かった。それは「相手が喜ぶこと」に「やりがい」を感じているということだ。

だからこれらの人たちは単にいい人なのでも何でもなくて、「お金」をもらうか代わりに「やりがい」をもらうことを目的にしている人たち。そういう商売人だ。ある意味したたかで、ある意味自分に正直な人たちだと思う。

僕自身、会社員生活が長いせいか、そのような価値観がまったく理解できなかった。仕事というのは、ちゃんと利益出して、社会にも貢献して、その結果として給料もらって、いいクルマ乗って、良い服着て、いいもの食べて、そんな生活を送るためにすること。いつの間にやらそんな考えに寄ってしまっていた。

世の中わかっている気になっていたけど、まったくわかってなかっていなかった。先にも言った通り、やりがいは、自分が感じる満足感や達成感だから千差万別。人によって価値観は様々、自分と違うからおかしいと思っちゃいけない。

さてさて、会社生活でのやりがいはもう十分得た、ほんとお腹いっぱいだ。これからは何をやりがいにしようか。参考になることはたくさんある。テレビひとつ見ててもこんなありさまだ。まずはこの世間ずれから直さなきゃいけない、まったく恥ずかしいと思った。

サラリーマンにとってのやりがい


会社で出世する人間に共通しているのは仕事ができること、これ当り前。加えて思うのは、闘争心が強いこと、でもその背景にあるのが出世欲、これがスポーツとか純粋な勝負事とは違うところ。

仕事で結果を残す、そのためには仕事の目的を達成することが大前提、なんだけどそれ以上に自分の成果にこだわる人が一定数いる。逆に言えば、仕事の目的が達成できないときは、自分の責任にならないようにこだわる人。

そんな人たちは、ライバルだけでなく、時には上司と戦い、場合によっては引きずり降ろすことに闘争心を燃やす。そしてその戦いに勝ち抜き、相手のポジションを奪い去る、そして出世していく。

一見、この戦いは非合理に見える、だって上司に指示されたことをこなしながらも、その相手を否定し出し抜くのだから尋常ではない。この場合、認めさせる相手(上司の上司が多い)を別に定めることが大事だ。

こんな風に仕事に対する直接的な対応だけでなく、闘争心を持ち、戦いを自ら設定し、そして勝つ、というか相手を出し抜く、それがサラリーマンの出世競争というやつだ。

なかなかハイレベルなことをしていると思う。まあ、そんな人ばかりではなく、仕事の結果が純粋に認められて出世する人も当然いるが、こういうケースの方が今はレアかもしれない。

この様な闘争心をもって出世していく人間にいい人はいない。ただ仕事はすこぶるできるので、それを認めてみんなもついてくる。いい人ではなくても人が敬い、ついてくるのだから、サラリーマンって面白い。

さてさて、世の中のサラリーマン諸氏は何をやりがいにしているのだろうか。出世、人に認められることだろうか、それとも自分自身の満足や、直面する仕事での成果だろうか。

もうこれは人それぞれだと思う。ひとつ言えるのは、いろんな人間がいるから会社組織は面白い、そして成り立っているということだ。だからやりがいもひとつでなくてもいい、ひとそれぞれ、たくさんのやりがいが用意されている会社がいい会社なのだと思う。

終わりよければ


やっぱり終わりって大事だよな。
GWに買いだめておいたマンガを一気読みしてそう思った。

どんなに内容やストーリーが面白くても、最後に納得できる終わり方をしてもらわないとモヤモヤ感が残る。なんかしっくりこないというか、消化不良感が漂い、結果としてそのマンガの印象も悪くなる。そんな気がする(勝手なこと言ってます)。

そう思うと、自分自身はどうなのか、そんな思いも湧き出てきた。30年以上のロングランを開催してきたサラリーマン生活がもうすぐ終わるのだ。この終わり方、終わらせ方によっては、これまでの取り組みが、納得できないものになってしまうのではないか。なにより、これからの第二の人生に悪影響を及ぼすのではないか、そんなことを感じてしまった。

でもサラリーマン生活の終わらせ方、ハッピーエンドって何なのだろう。出世して偉くなることだろうか、でも定年を迎えて会社から離れればただの人だしな。「課長 島耕作」だって、社長・会長にまでなったけど、引退した後はどこかの社外取締役になったり、会社員時代よりは寂しい感じだ。なにより、成功したサラリーマン生活を引きずっているように感じる。マンガの内容がそうというより、これは引退したサラリーマンの悲哀ではないかと思ってしまった。

そんなこと思って島耕作さんの現在を検索してみると、なんと佐賀県の副知事になっているようだ。やっぱ、出世が価値観、それがサラリーマンのサガなのか、そんな感じがしないでもない(あくまでフィクションですけどね)。

でもよく考えてみると、マンガはエンターテイメントだから、ステキな終わり方を求めるけど、実生活はどうなのだろう。

これまでだって所属した組織を離れることはあった、小学校、中学校、大学、それに塾や部活に習い事、組織じゃないけど付き合っていた子との別れもそうかもしれない。いずれも、自分が納得できるようなハッピーエンドだったかというとそんなことはない。単に時間が来たから終わっただけのことが多い。そう、卒業ってやつだ。

そう考えると、サラリーマン生活の終わりと言ったって、単なる会社組織からの卒業でしかない。時間がきただけのこと。となると、大事なのは次だ、次に何をするか。

会社生活は学校生活と一緒、楽しかったな、面白かったな、でも辛いこともあったな、それでいいんじゃないかと思う。特別な感情など持たずに淡々と卒業する、それでよいような気がする。

そして、新しい道に進む、新たな出会いを求めドキドキする。次に向かうのは新たな組織でないことだけは確かだ。だから、どちらかというと恋愛に似ているかもしれない。

そう思うと僕は単純だから楽しくて仕方が無くなる。ハッピーエンドを求めるのではなくて、ハッピースタートを切るのだ。終わりじゃない、それに気づくことが大事なんだと思います。

買いだめたマンガを一気読みする

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買いだめておいたマンガをGWに読んだ。
セールの時に勢いで買ってしまったものだ。どうも僕は期間限定のお買い得商品に弱い、根っからの貧乏性なのだろう。最近は電子書籍で簡単に買えてしまうのも要因の一つ、まあ、うまいこと商売されてると言えばそれまでのこと。

でも、買いだめたマンガは心のゆとりにもつながる、いつか時間ある時にまとめて読もう。それが楽しみになる。その楽しみを実行するのがGWのようなまとまった時間だ。

一気読みするのは完結したマンガにつきる。脳みそのキャパには限界があるから、時間をおいて続きから読もうとすると、その前のストーリーを忘れていることがある。だから最初から最後まで一気通貫して読むことをお勧めする。

まず読んだのは「創世のタイガ」、僕はまったりとしたハッピーエンド的な話が好きなのだが、一方でサバイバルものも好き。この物語は平凡な大学生が太古の昔にタイムスリップしてしまい、色んな工夫をしながら生き延び、当時の人間(ホモサピエンスネアンデルタール人)と協力し合ったり戦ったりする内容だ。

最後はどうなるんだろう、タイガは現代に帰れるのか、それともその時代で何らかの役割を担う存在になるのか、どんな終わりがあるのか楽しみに読み進めた。最終巻の11巻も半ばを過ぎる、あれっ、残りページが少ないけど、どうやって終わるんだろ。そう思っていたら、なんと「第一部 完」そんな言葉と共に最終ページがやって来た。。。

うーん、そうなのか、そうなのか終わらないのか。何か残念。たぶん、続きを読むことはないだろうなー、なんかずっと同じような戦いが続いていて変だと思った。ちょっと飽きていたのが正直なところ。せっかくの面白い物語なのだから間延びさせずに終わってほしかった。

気を取り直して次に読んだのが、「Dr.コトー診療所」、映画にもなった有名なヒューマンドラマだ。なんと、全25巻、すごいボリューム、むかしのマンガだからお安くなっていたんだよね。内容は時代を感じさせず、とっても読み応えのあるストーリーがたくさん。感動して涙流したり、理不尽な展開に憤ったりしながら読み進める単純な私。

最後どうなるのかなー、コトー先生と星野さんはどうなるんだろう、ハッピーエンドだといいなー、そう思いながら最後まで読み進めると。。。

なんと話の途中で終わってしまった・・・。どういうこと?

ネットで調べると、どうも作者さんの病気かなんかで休載になり、それから10年以上そのままとのこと。えーーー、そんなのあり!?

ということで、何とも消化不良な感じ。いやーこのままじゃ終われない、と最後に読んだのが「高台家の人々」、ほんわか系の少女マンガ。大好きな「アシガール」と同じ作者さんのマンガで、内容は期待通り、こんなに笑ったのは久しぶりというくらい面白かった。ホント、50過ぎたオッサンが涙流しながら大笑いしてしまいました。

なんですが、このお話も何となく最後は唐突に終わってしまったのです。まだ、気になることが色々あったのに・・・なんで?という感じのラストでした。

こんな感じで、それぞれ面白いマンガだったのですが、読後感はイマイチ、やっぱり終わりって大事だよなー、そんなこと思いながら、自分の終わりがどうなるのだろうと考えてしまった私がいた(つづく)。