「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

友達なんていらない

 

自分で言うのも何だが友達が少ない

 

少ないというより「いない」と言ってもいいくらい

いま友人的な付き合いをしているのは会社の同僚が中心だ

 

退職と同時に家に引きこもる高齢者の話をよく聞く

典型的な予備軍だと思う

 

土日は地域の人と一緒に飲んだり出掛けたり

趣味の釣りや野球で楽しんだり

そんな話を同僚から聞くが、自分にはできない芸当だ

 

まず面倒くさい、考えただけで面倒くさい

そういう機会もないのによく言うよね

 

相手に気を使い、気を使われ

そんな時間は億劫で仕方がない

 

それより一人で酒でも飲んでいた方がいい

寝転がりテレビを見てた方がどれだけ楽か

 

こんなんでよく会社員生活を送れているものだと思う

それは会社という組織があるからできていること

 

つまり偽りの関係の中で、誤魔化しながら過ごしている

まあ、相手も似たようなものだろう

 

それでも僕は典型的な社会不適合者なのだと思う

人といるより一人の方がいい

 

僕は自分のことしか考えられない

自分より相手のことを想うことができない

 

我ながらひどいやつだと思う

人間的な魅力のかけらもない

 

それでいて人に好かれたい

よく思われたいなんて都合のいいことも思っている

 

でもそれでいい

僕は僕でしかないのだから

 

相手が僕をどう思うかは相手次第

僕にどうにかできるわけでもない

 

僕がどうにかしようと思ったとたん

僕は相手に媚を売ることになる

 

相手の話を聞くことが大事

よくそんな話を聞くけど

それって人間関係をよくするためのテクニック

 

ああ面倒くさい

ほんと面倒

 

だからいいじゃないか

仕事と割り切って他者と付き合えばいい

それ以外はひとりで過ごせばいい

それでも近づいてくる奇特な人がいれば接すればいいだけだ

 

不思議なことにたまにそんな人がいる

自分と一緒にいて何が楽しいのだろう?

そう思うけど

そういう人と一緒にいることは実は楽しい

不思議なもの

 

僕からその人にあげるものは何もない

それなのに僕に接してくる

 

よほど僕が不憫に見えるのか

ボランティア精神が旺盛なのだろうか

 

よくわからないが

一緒にいて居心地がいいから、まあいいか

 

また年賀状の季節がやってくる

一年に一回だけの友人たち

 

たまには連絡でもしてみようか

面倒くさいけどね

 

 

 

 

 

したいこと100を書いてみる

 

ゾンビになるまでにしたい100のこと、そんなマンガがある。

 

ある日突然、世界中の人間がゾンビに襲われる、逃げまどう人たち。

ゾンビ映画なんかでお馴染みのストーリー。

 

このマンガはちょっと違っていた。

 

これまでの会社一辺倒の生活から解放された主人公。

ゾンビから逃げまどいながらも、これまでできなかったことをしようと考える。

そこで、ゾンビになるまでにしたい100のことをノートに書きだし実行する。

寿司を腹いっぱい食べるとか、グランピングしたいとか、

他愛のないことばかりなんだけど、ポジティブなお話で面白い。

 

そこで僕も書き出してみることにした、したいこと100。

 

 ・別荘を建てる

 ・外の景色を見ながら昼間からシャンパンを飲む

 ・アルピーヌA110を買う

 ・ゲレンデヴァーゲンを買う

 ・ランカウイ島に行く

 ・沖縄で暮らす

 ・ゴルフがうまくなる

 ・一人一日釣りをする

 ・家を建て庭で焚火をする、BBQもする

 ・金髪にする

 ・日焼けマシンで日焼けをする

 ・一人でスイカ割をして全部食べる

 ・小沢健二のコンサートに行く

 ・岡村靖幸のコンサートに行く

 ・ビリージョエルのコンサートに行く

 ・フロリダのダリの美術館に行く

 ・サーファーになる

 ・オープンカーを買う

 ・ゆでたての毛ガニをひとりで一杯食べる

 ・自分のクルマで47都道府県を一周する

 ・みんなの前で弾き語りをする

 ・金目鯛の煮つけを作る

 ・クルーザーに乗ってシャンパンを飲む

 ・千里浜なぎさドライブウェイでドライブする

 ・ガレージと庭のある一軒家に住む

 ・ブルーマジックみたいに踊る

 ・カングーに乗るスポットドライバーになる

 などなど。。。

 

いやー我ながら創造力がない、物欲ばかり、自分のことばかり

精神面の充足は求めないのだろうか、自分ながらあきれてしまう。

 

実はこれ書いたの3年近く前のこと。

きっとその頃の自分は、こんなことをしたい自分だったのだろう。

 

たぶん、いま書いても同じようなもんだろう。

でもいいの、「したいこと」と「願い」は違うんだから。

ちなみに「目標」とも違います。

(間違っても大谷選手の目標達成シートと比べないように)

 

単に自分がしたいことを知るだけ。

できることならすればいいじゃん、ってことなんです。

 

この中で実現できたのは、千里浜なぎさドライブウェイに行ったことくらい。

逆に言えば、まだまだしてないこと、したいことはたくさんあるということ。

 

ということで、したいこと100書き出してみるのお勧めです。

ここに書いていない恥ずかしいこともたくさんあるけどね。

それも含めて自分がしたいこと。

 

何事にもポジティブに取り組むってことです。

例えゾンビだらけの世の中になったとしてもね(実は今もそうかも。。。)。

 

 

マスコミは変わらないなー、なんでだろ?

 

ワールドカップ、日本代表の活躍で盛り上がっている

 

僕自身は日本代表にはあまり興味がない

だって横浜F・マリノスの方が見ていて面白いんだもの

 

それでも日本が勝つと嬉しい

日本の選手が活躍すると喜んで応援している自分がいる

 

それはそれでいいんだけど

テレビのニュース、そればっか

 

日本スゴイ、森安監督スゴイ

堂安選手のエピソード、家族の話、恩師の話

前回大会落選のリベンジ、努力の成果、感動の物語

 

ええーい、いい加減にせい!

何でこんなにも、いままでと同じ

決められて文脈でしか物事を報じられないのか

いい加減に頭にくる

 

そんなことを思いながらテレビを消す

そして家族に嫌がられる

 

僕らは洗脳されている

間違いなく、マスコミにいいように操られている

 

おかしい、これじゃいけない

だってマスコミが報じることはマスコミの考えだもの

 

僕らは事実だけを知ればいい

そして自分の頭で考えればいい

 

そりゃ選手の知られざるエピソードも知りたいだろう

でも試合を自分の目で見て純粋に楽しめばいい

 

そこに、こう感じなければいけないなんていらない

信じろとか、祈れなんて言われたくない

自分のことは自分で考える

 

それを促すのが正しいマスコミの姿だと思う

 

負けた国が悔しがる様子、日本への賛辞

本当にそうなのだろうか?

ちゃんと客観的に取材しているのだろうか?

 

勝ったことは素晴らしい

だけどあのサッカーはそこまで素晴らしいのか

そこまで誇れる内容なのか

 

真実が知りたい

僕らは真実を知る、感じる努力をしなければいけない

 

どうして選手はインタビューで、「国民」のみなさまへ

みたいなこと言うのだろうか

大本営発表と一緒じゃないか

 

時代は変われど変わらない

だからこの現代でもあんな戦争が起きている

 

そろそろ僕らは学ばなければいけない

一皮むけなければいけない

 

だからマスコミも変わってほしい

本当にそう思う

 

 

最新のiPhoneは最良のiPhoneなのか?

 

iPhoneXを使っている。

もう4年半くらい使っていることになる。

 

幸い、落として画面が割れたりすることもなく、

バッテリーが劣化して1日も持たないというようなこともない。

 

まだまだ十分使える、もちろん僕にとっての話。

 

それでも最新のiPhoneが発売されるたびに気にはなる。

正直欲しくなる。

だって、新しい何かを僕に与えてくれそうなんだもん。

 

もちろんそんなことはなくて、

単なる錯覚でしかないことも分かっている。

それでも何か変えてくれるのではないかと期待してしまう。

 

そんな思考で、僕らはついつい新製品にとびつく。

パソコン買ったり、カメラ買ったり。

結局、全然使いこなせない、もちろん僕にとっての話。

 

でも満足感はある。

使い倒す満足感ではなく、自分のものにしたことの満足感。

もちろん間違っていることも知っている。

 

そんな僕だが、新しいiPhoneには替える気がしない。

なぜだろう?

 

だってダサいんだもの。

あの巨大なカメラまわりのデザイン、あれはないよね。

 

そりゃ画質はいいのでしょうよ、でも所詮はスマホ

何ごともホドホドというものがあるはず。

 

なんかスマートじゃないし、洒落てない。

見るたびに思う、きっと慣れの問題なんだろうけど。

 

最新のポルシェは最良のポルシェ。

クルマの世界ではこんなことがよく言われる。

 

モデルチェンジするたび、前の方が良かったと言われ続けたポルシェ様。

性能とデザインでそんな声を黙らせ、最終的にこう言わしめた。

実際、最新のポルシェは最高にカッコいいと思う。

 

iPhoneもそうなってほしいな。

 

毎日使うものだもの、持つ喜びを与えてほしい。

満足感が得られるのであれば、ちょっとお高くてもいいと思う。

 

次のiPhoneはどんなデザインになるのだろう?

そんなことを思いながら、iPhoneXのケースを変えてみた。

 

ジャクソンポロック、結構いいでしょ?

当分はこれでいい、満足、満足。

 

 

夢を見た、とてもとても幸せな夢を見た



夢を見た。

 

不思議な夢。

なぜか僕は泥棒で、

紙に包んだ札束を持って逃走中。

 

お巡りさんが追ってくる。

逃げなくちゃ、つかまっちゃダメだ。

札束が重くて持ちにくい。

 

タクシーに乗り込み行き先を告げる。

フィッツジェラルド空港まで行ってくれ。

一体どこだか自分でもわからない。

 

安心したのか、僕は眠ってしまう。

気がつくとタクシーは停まっていた。

空港じゃない、目の前には交番がある。

 

やられた、僕はタクシーを降り一目散に駆けだす。

お巡りさんが追ってくる。

札束が重いったらありゃしない。

 

もうダメか。

目の前に大勢の人たち、カメラ機材が並んでいる。

何かの撮影現場らしい。

 

僕はその中に札束を投げ込み、火をつけた。

みんなが驚く。

あたり一面大慌てだ。

 

その隙に僕は裏手のビルに逃げ込んだ。

外壁のパネルのようなものをつたって、屋上まで登る。

道を挟んだ向こうに空港が見える。

 

とてもあそこまでは行けない。

もはや札束もない。

ここまでか、そう思いながら遠くを見つめる。

 

そのビルは団地のようだった。

僕は団地の一室へと入りこむ。

そこには僕の家族がいた。

 

本当の家族ではない。

知らない人たちが5~6人。

でも僕の家族だった。

 

家の中には何もない。

なぜか僕の靴下が三足あり、

子供たちがそれで遊んでいる。

 

三足だからあと三日。

お父さんと一緒にいられるのはあと三日。

そんなことを言っている。

 

僕はなぜだか知らないけど、

そんな家族が無性に愛おしくて、

ずっと一緒に居たい、そう思った。

 

外から見つからないようにしなくちゃ。

夜は電気もつけずに息をひそめた。

みんなで身を寄せ合って寝た。

 

雑魚寝ってやつ。

みんなの寝息が聞こえてくる。

みんなの体温が伝わってくる。

 

僕は不思議な感情に包まれていた。

幸せだ。

こんな幸せを今まで感じたことがない。

 

僕の心はとてつもなく満たされていて、

真っ暗な部屋の中で妻に言った。

「なんか俺、幸せだよ。」

 

次の日、僕らはこっそり外に出た。

近くの土手の上をみんなで歩いた。

土手の下にはたくさんのバーベキューセットが並んでる。

 

大勢の人たちがバーベキューを楽しんでいた。

天気もいい、風も心地いい。

太陽の下、僕らも楽しくてしょうがない。

 

しばらく歩くと土手の端についた。

土手はここで終わりらしい。

僕は少し寂しくなる。

 

この幸せな時間がここで終わってしまう、そんな気がした。

家族の1人がこう言った、年配の男の人。

「夏休みも終わりだな。」

 

そうか夏休みだったのか。

同時に夏休みが幸せだったことを思い出した。

よく見ると、その年配の人は父だった、隣には母もいた。

 

ずっとこうしていたい。

このままでいたい、僕は願った。

そして父と母を抱き寄せた。

 

僕は幸せで、

とてつもなく幸せで

心から幸せを感じていた。

 

そんな夢

とてつもなく幸せな夢

そんな夢を見た。

 

僕らに必要なのは「非日常」

 


ひとりドライブ、能登半島一周の旅から1週間。

 

いまだココロが高揚している。

というか、幸せな気分が持続している。

 

我ながらお安い自分。

昔から何ごとにも影響を受けやすい自分。

 

それでも思う、「非日常」の経験は人生を変える。

 

大げさかもしれないけどそう思う。

僕らはいつもの毎日、いつものルーティンに慣れっこになっている。

 

経験を積んでできるようになったこと、単に習慣になっていること。

知らないうちにそんな日常の繰り返しになっている。

 

僕らはロボットじゃない、AIでもない。

生身の人間。

 

生身の人間である僕らを成長させるのは僕ら自身。

そのためには「非日常」な時間が必要だ。

それを自ら作り出すことが必要だ。

 

能登半島一周の旅は、新たな出会いや気づきを与えてくれた。

単に一人でドライブしていただけのこと。

それでも見たことのない光景、気の向くままに足を踏み入れた場所。

その時の景色、気持ち、感情、それらすべてが僕にとっての「非日常」。

 

そんな「非日常」の瞬間は、僕を新たな僕にしてくれる。

新しいこと、新しい経験に飢えさせてくれる。

 

なんかやりたいことがたくさんだ。

 

でもしばらくたつと、そんな気持ちが段々減少してくるのが分かる。

いつもの日常が僕を侵食してくる。

いつもの毎日が僕をいつもの自分に染め直そうとしてくる。

 

僕らが旅に出る理由、そんな歌があったっけ。

僕らは旅に出なければならないんだ。

あらためてそんなことを思う。

 

実際の旅でなくてもいい。

毎日の通学・通勤の帰り道、いつもの週末。

 

少しの冒険、好奇心。

何かを変えれば、何かが変わる。

僕自身が変わる。

 

なんか面白い、そう思った。

 

幸せ過ぎて、笑いが止まらなかった

 


どうしても行って見たい場所があった。

 

遅い夏休み、予定は何もない。

思い切って出かけてみた。

 

もちろん一人のドライブ旅。

向かうは石川県、能登半島にその場所はある。

「千里浜なぎさドライブウエイ」

 

もう最高だった。

こんな場所がこの世にあるのか。

心揺さぶられる、そんな場所。

 

ここは波打ち際をクルマで走ることができる。

皆が思い思いに楽しんでる。

写真を撮っては、はしゃいでいる。

 

みんな笑顔。

 

そう、僕もさっきからずっと笑っている。

笑いが止まらない、幸せ過ぎて笑いが止まらない。

こんなこと初めてだ。

 

奇跡の光景。

その奇跡の中に僕はいる。

そんな時間。

 

天気予報は雨だったが、雲の切れ間から薄日が差し込んでいる。

海に注ぎ込まれた光が、きらめき輝く。

 

「すごい、すごい」

 

ひとり、つぶやく。

まわりから見たら変な人、でもかまうものか。

僕は幸せなのだ、羨ましいだろ。

 

ここに来たくて、横浜から自分のクルマでやって来た。

この場所を自分のクルマで走ってみたかった。

 

みんなとワイワイ、そんな旅も楽しい。

美味しいもの食べて、たくさんお喋りして、みんなと一緒に感動する。

 

それでもドライブ旅はひとりに限る。

 

ドライブを楽しみ、見たことのない景色に出会う。

そして、全身全霊で気づき感じる。

 

これが僕のひとりドライブ旅の流儀。

名所にも行かない、美味しいものも探求しない、それでいい。

 

なんか人生に似ている。

そんなことを思った。

 

梅雨の季節に思う、雨って不思議



雨の日は嫌いではない。

 

一日中、雨が降り続く。

僕は家に守られて、家の中でぬくぬくと過ごす。

 

ヒンヤリとした空気感、窓を開けると雨のにおい。

思わずスパークリングワインの封を切ってしまう。

 

最高だ。

安全地帯から、奇跡の光景を観察する。

 

土砂降りの雨の中、あえてクルマで出かけるのも好きだ。

僕はクルマに守られながら、好きなところに行くことができる。

 

まるで移動映画館、僕は特等席に座っている。

車窓からは普段はお目にかかれないような世界が広がり続ける。

 

雨脚が弱まり、奇跡的に雲の切れ間から光が漏れる。

天国のよう、まだ行ったことはないけどそう思う。

 

雨の日がこんなに不思議で美しいってこと、みんな知らない。

気づかない、だから僕は気づきたい。

 

もしかしたら、

普段の光景にも気づいていないこと、たくさんあるのかもしれない。

 

当たり前だと思った瞬間、当たり前でない光景も当たり前になる。

僕らのいる世界は当たり前のようで当たり前ではないのに。

 

だから何も見逃したくない。

全てを感じて生きていきたい。

 

僕はこの世の景色をすべて見てみたい、感じてみたい。

特別なところでなくてもいい。

 

感じるか感じないかは自分次第だから。

自分が感じることが大事だから。

 

もうすぐ梅雨入り。

じめじめ、シトシト、外に出るのが億劫になる季節。

 

いやいや、そうじゃない。

また奇跡の光景が広がる季節がやってくるのだ。

 

外に出ようじゃないか。

あちこち行って見ようじゃないか。

 

知ること、感じることで僕らは成長できる。

それが人生ということじゃないかと思う。

 

そんなことを思った。

 

襟裳岬で聞いた襟裳岬(by森進一さん)は最高だった



北海道に1年半、単身赴任していたことがある。

 

行きたくて行ったわけではない。

簡単に言えばそりが合わない上司に飛ばされただけだ。

 

飛ばされたなんて言うと、北海道の人には失礼極まりない。

でも、縁もゆかりもない土地に異動することになった人は誰しもこう思う。

 

とはいえ、北海道は素晴らしい場所だった。

もっと若いうち、子供が小さいころに住んでみたかった。

 

自由を感じさせる、経験したことのない自然。

何よりそこで暮らしている人たちが自然で、あくせくしていない。

 

なんか素の自分でいられる、いていいと言われているような気がした。

でも、だからかもしれない、僕はとても寂しかった。

 

何をするのも一人だったから。僕は人とつるむのが苦手。

楽しそうに暮らす人たちを見て僕はいっそう孤独を感じていた。

 

そんな僕は毎週末、クルマでドライブに出かけた。

一人ドライブで見たことも無い景色に触れる時間は格別だった。

 

襟裳岬までクルマで行った、海岸線をひた走る。

ラジオから森進一さんの襟裳岬が流れてきた。

 

これまで襟裳岬が流れてきても何も感じたことはない。

ああ、昔のヒット曲、演歌だよな、そんな感じ。

 

それなのに、この曲の旋律が、歌詞が、僕の体にしみわたった。

なんだろうこの気持ちは、不思議に思った。

 

「北の街ではもう 悲しみを暖炉で
 燃やしはじめてるらしい
 理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに
 老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)
 拾い集めて 暖めあおう
 襟裳の春は 何もない春です」

 

表現するということは、人の琴線、潜在意識に触れること。

こんなことを作詞家の、松本隆さんが言っていた。

 

僕にはこの曲を受け入れる経験も知恵も感受性もなかったのだろう。

この曲の舞台を訪れたことで、それを得た。

 

もちろん、その土地がそう感じさせただけではない。

その時、その場にいる僕自身の境遇がそう感じさせたのだと思う。

 

僕はまだまだ知らないことだらけだ。

知ることは楽しい、襟裳岬で聞いた襟裳岬は最高だった。

 

色々な土地で色々な人が色々な生き方をしている。

それを知りながら、自分を知る。

 

やっぱり僕らは旅をし続けなければいけないんだ。

そんなことを思う。

 

 

 

 

 

 

僕らが旅に出る理由、を考えてみる



旅に出たい。

 

GWが終わったばかりだというのにそんなことを思う。

ここ2~3年、ひとりで泊りがけの旅行に行くようになった。

 

かつては考えられないこと。

ひとりなんて、手持ち無沙汰だし、なんか寂しい人みたい。

(否定はできないですけど)

 

それが、ひとりお気楽なドライブ旅行。

誰にも気遣わず、気遣われずの好き勝手な行程が心地よい。

 

僕も大人になったのだなー。

よくわからんけど。

 

それに旅行といっても名所史跡を巡るわけでもない。

美味しい地元名物を食べに行くわけでもない。

 

基本ドライブが主体だ。

お昼だって、コンビニのおにぎりで済ますこともある。

 

風光明媚な場所を訪れるのは好きだが、特段興味がなければ立ち寄らない。

クルマからの景色を堪能するだけ。

 

地元で有名な食事処も基本スルー。

ひとりじゃ落ち着かないし、並んだりも嫌だもんね。

 

お気楽、気ままにクルマを走らせ、気が向いたら立ちよる。

何時までにあの店に行かなきゃ混んでしまう、そんな時間に追われる旅はまっぴらだ。

 

何気なく立ち寄った場所の景色に感動したり。

地元の人が普通に生活している姿に思いを寄せたり。

その土地のにおいや空気感に何かを感じたり。

 

そんな一つ一つの時間がとても楽しい。

その場を感じながら、実は自分ことを考えていることも多い。

 

自分だけの時間。

そう考えると贅沢な時間だ。

 

そうでいながら、今度は誰かと一緒に来たいな。

この景色を見せたいな、そんなことも思う。

 

旅をするというのは、どこかを訪れることが目的ではない。

何かを感じる、自分ごととして考えることに目的がある。

 

自分を感じて、他人を感じて、人を思う。

そんな旅をたくさんしていきたい。

 

これまで訪れたところ、ガイドブックにも載ってないただの場所。

それでも何かを感じさせてくれた場所はたくさんあった。

 

お一人ドライブコース、こんなガイドはどこにも売ってない。

こんど自分で作ってみようかな。

 

どこかにそんなガイドがあればいいのだけどね。

 

ワイングラスで飲む日本酒は、新しい幸せを教えてくれる



最近、日本酒をよく飲む。

 

以前は好きではなかった。

味も香りも含めて、単なるアルコールという感じ。

 

元々、お酒は強くない。

だから、たまに飲むと二日酔いになるのも嫌だった。

 

だから飲むのはもっぱらビール。

次第にワインやスパークリングワインが多くなっていった。

 

食事の時にもワインを飲むことが多い、赤ワイン。

でも、どうしても合わない食べ物がある。

 

お刺身や餃子なんかの時にそう思う。

そう思って日本酒を試してみた。

 

あら不思議、いけるじゃないの。

最近の日本酒はどれも美味しい。

 

昔よくあった、甘ったるいような独特のにおいがない。

透き通った美しさ、香りもすこぶる上品だ。

 

EXILEの人が出ている番組で、ワイングラスで飲むことを知った。

日本酒はおちょこでチビチビと飲むものだと思っていた。

 

ワイングラスに注がれた日本酒は、その透明感が一層引き立つ。

凛とした香り、それを鼻いっぱいに吸い込み、口の中で転がす。

 

旨いなー。

幸せだなー。

 

僕は食通ではないから、そんな感想しか出てこない。

でも最高だ、ワイングラスに注がれた日本酒が神々しく見える。

 

酒屋に行くと色んな種類の日本酒がある。

季節ごとに作られる生酒がある、特別感があって好きだ。

 

最近は週末になると、酒屋に赴き色んな酒を試してみる。

値段だってそんなには高くない。

 

お気に入りは山形の「山本」という酒。

いろんな種類があって楽しい、ネーミングも面白いものがある。

 

最近は若い人が色んな日本酒造りにチャレンジしているらしい。

既存概念にとらわれず取り組んでいるのだろう。

 

EXILE橘ケンチという人は福岡の酒造と一緒にコラボもしているらしい。

目の付け所もしゃれてるよね、ワイングラスで飲む姿も決まっていた。

 

日本酒自身のイノベーションも素晴らしいけど、

とっくりおちょこで飲むものという既成概念を打ち破ったことが素晴らしい。

 

他にもこういうことって、たくさんあるのだろうね。

当たり前を当たり前を思ってはいけない。

 

何事にも気づくことが大切だ。

そんな生き方をして生きたい。

 

クリエイターやアーティストでなくてもできるはず。

 

そんなことを思った。

 

 

 

 

 

内面は外見に現れる、変えられるのかそれとも受け入れるのか

 

 

会社に来ていく服を買いに行った。

 

すっかり暖かい季節になったから衣替えが必要だ。

なにより新しいジーンズ(デンハム)に似合う服を着たい。

 

キレイ目な感じで、紺色のカーディガン、白いTシャツ。

ワンポイントが入った紺のTシャツを買った。

 

本当は紺色のジャケットの下に着る水色のTシャツが欲しかった。

雑誌で外国人モデルが着ていてカッコよかったから。

 

そうは思ったけど妻に強く制止された。

あなたは紺色ベースで普通にしていた方がいい。

 

どうやら色物は似合わない、フツーの格好が一番似合う。

そういうことらしい、確かに自分でも地味な外見だと思う。

 

長年一緒にいる人が言うのだからそうなのだろう。

たまには派手な格好もしてみたいけど、それが巷で見かける痛い人かも。

 

カーディガンを選んでいたら、店員さんに試着するよう勧められた。

だいたい大きさも分かるので断ったらこう言われた。

 

試着、面倒くさそうですものね。

うーん、なぜわかっただのだろう。

 

そう、僕は面倒くさがり、そしてせっかちだ。

だからよく失敗する。

 

ちゃんとベルトしないでズボンの丈を合わすから、思ったより短かったり。

ポロシャツをサイズだけ見て購入したら、丈が長すぎてだらしなかったり。

 

なんで店員さんは僕が面倒くさがりであることが分かったのだろう。

そんな態度もとってないし、いやな表情もしていないはず。

 

適当なことを言っただけなのだろうか。

それとも長年の接客経験でわかるのだろうか。

 

さすがに聞きはしなかったが、きっと外見にでていたのだろう。

面倒くさがりでせっかちなオーラが出ていたのだと思う。

 

確かにそうだ、僕はさっさと買い物を済ませようとしていたし、

そもそも、このようなお洒落な空間は苦手だ。

 

僕は常々、鷹揚な人間でありたいと思っている。

それなのに、いつもせかせかと何ごとにも焦ってしまう。

 

そんな内面が外見にも表れているのだ。

そう思ったら急に恥ずかしくなった。

 

外見は内面を表す。

内面はその人の本質だから隠しようがない。

 

修行が足りないのか、それともこんな自分を受け入れるしかないのか。

そのはざまで揺れ動く自分。

 

しょうがない。受け入れるべきは受け入れるのだ。

そして、少しでも鷹揚な自分になれるよう、心がける。

 

きっと受け入れるということ自体が大事なんだ。

受け入れなければ、何も変わらない。

 

歳を取ったからかもしれない。

最近は、少しゆっくり自分を見れるようになった気がする。

 

そんなことを思った。

自分が一番大事だもの、それを大切にしなきゃね

 

連休明けの会社、いつもの毎日が始まった。

 

当然ながらにやることたくさん。

そりゃそう、連休明けにぶん投げといた仕事がいっぱい。

 

忘れている内容もたくさん。

ひとつひとつ思い出しながら段取りを確認していく。

 

ああ、連休中、自分のことだけを考えていられた日々が懐かしい。

そこでハタと気づく。

 

仕事が何で嫌なのか、面倒くさいと思うのか。

そう、他人のことを考えねばならない時間が圧倒的に多いからなのです。

 

GW、悶々としながらも、自分のことだけを考えられた時間。

何も変わらない、変われないと悩みながらも、それは自分のこと。

 

それに対して仕事は。。。

自分が思うことはさておき、他人に気を使い、思いめぐらす日々。

 

なるほど、そういうことか。

自分ことだけを考えていられる幸せ、それを初めて認識。

 

そんな事とは思いも及ばず、自分の悩みに四苦八苦。

こんな時間が幸せなな時間なんだとはつゆしらず。

 

ああ、僕はバカだなー。

本当そう思います。

 

でも今更だけど、こんなことを知ることができた自分を褒めてあげる。

だって、明日からの自分の所作が変わるもの。

 

僕にとって一番大事なのは自分。

もちろん自分を取り巻く他人も大事だけど、自分があってこそのこと。

 

だから、自分が変わるのだ。

自分ファーストな自分に変わるのだ。

 

大事な時間はどんな時間なのか、それも理解できた。

嫌われたってかまわない、そういうこと。

 

自分があってこその他人との関係。

優先順位の話、ビジネスと一緒。

 

これは仕事をサボるという話ではない。

自分にとって大事なこと、それを大切にしなきゃね。

 

それができないと結局、何だってできない。

きっとそう思う、仕事も人生も一緒。

 

そんなことを思った。

 

今週のお題「サボりたいこと」

 

DENHAM(デンハム)のジーンズを買いに渋谷へ行く

 


ジーンズを買った。

 

最近は会社にもジーンズをはいていく。

濃い色のジーンズだとキレイ目だし、セーターなどにもあう。

 

履いてるのはユニクロ、これがなかなかいい。

とはいえ、良い大人がユニクロを履いて会社に行くのもどうかとも思う。

別にいいっちゃいいんだろうけど、気になる(小心者の私)。

 

そこでちょっとよさげなジーンズを買いに行く。

リーバイスなどのジーンズメーカーではなく、セレクトショップで探してみる。

 

みんな驚くほど高い。2~3万円するのだ。

ユニクロなんて3千。。。いかんいかん、そういうことではないのだ。

 

何本か試着してみるが、どうもしっくりこない。

イタリア製の生地です、こだわりの縫製です、いろいろ言われるがなんとも。

 

家に帰りネットでもいろいろ探してみる。

段々、頭がマヒしてくる、3万円くらいでもいいか、どうにも影響されやすい私。

 

気になったのがデンハムというメーカーのジーンズ。

オランダ製らしい、オシャレー。

 

気になると、気になってしょうがないのが私の性分。

その日は土曜日、18時から食事の予定。今はまだ15時、よし出掛けよう。

 

普段は出不精なのに体にムチ打って出かける。

目的地は渋谷のパルコ、何十年振りだろうか。

 

緊張しながら、人でごった返すスクランブル交差点を渡る。

目的地につく、店員のお姉さんにスマホで目的のジーンズを見せる。

 

これは店頭に出してないんですよ、そんなこと言って店の奥に取りに行く。

試着させてもらうと何ともいい感じ、しっくりくる。

 

お似合いですよー、美人のお姉さんが後押ししてくれる。

即座に購入、その間15分程度のいいお客。お値段3万3千円。

 

こんな高いジーンズ買ったの初めて。

けどこのお店の売れ筋は5万円くらいするものらしい。

 

若い子がこんな高価なジーンズ何で買えるのだろう。

デニムは履くほど味が出てきますからねー、お姉さんがほほ笑む。

 

ということで、無事に満足感を購入完了。

あー楽し。

 

これで麻のシャツでも着て、さっそうと街を歩こうじゃないか。

これまた何十年振りかにスペイン坂を下る。

 

その横にはPCR検査場がある。

街の風景は変わらないようで変わっていく。

 

自分も変わらなきゃな。

少し緊張しながら渋谷の街並みを歩く。

スキップでもしたい気分、ホント単純なものだ。

 

 

仕事の経験を自分のことに活かす、なぜそれをしようとしないのだろう

主催者の無料写真

 


今日でGWも終わり。

 

長かったようで短かった10日間。

明日からまたいつもの毎日へと戻っていく。

 

GWが始まるといつものように焦りだす自分がいた。

何かしなきゃ、何か変えなきゃ。

 

そんなことを先日も書いた。

結局どうだったのか。

 

まあ、いつものGWだった。

でも、いつもよりは考える時間が多かったような気がする。

 

今年はあえて、あまり出かけないようにしてみた。

このブログを書いたり、本を読んだり。

 

そして、少し自分のこれからについて考えてみた。

いつも自分はこれからどうしたらいいか、どうすべきか思い悩んでいたから。

 

ノートに書きだしては悶々としていた。

それを今回、パソコンのテキストで整理してみた。

 

なんか少しだけれどスッキリした。

頭が整理されて、やること、やりたいこと、無理なこともわかった。

 

よく考えると、こんな感じでいつも仕事している。

やるべきこと、期日、内容を整理して実行している毎日。

 

なんだ、こうやって考えればいいのか。

なんで、いつも仕事でしていることを自分のことに活かしてこなかったのだろう。

 

僕は仕事は好きではない、いつも嫌々仕事をしている。

でも根が真面目(?)だから一生懸命取り組んでいる。

土日も仕事をする、人より時間をかけなきゃ一人前になれないから。

 

たぶん僕は仕事がキライといいながら、仕事しかしてこなかった。

仕事しかすることがなかった、だから一生懸命。

 

これはこれでしょうがないこと。

でも、もう少し自分のために時間を使ってもいいのではないかと思う。

 

休んだり、遊びに出掛けたりということではない。

自分がしたいことをみつけ、それを実行するための時間に使うということ。

 

仕事の時間を1~2割、こちらへ持ってくればいい。

仕事の時間を削らなくても、朝6時から8時半までの時間を使えばいい。

テレワークで可能になったこと。

 

やるか、やらないかは自分次第。

尊敬する写真家、星野道夫さんの言葉を思い出す。

 

「短い一生で心惹かれることに多くは出会わない

 もし見つけたら、大切に、大切に。」

 

僕は自分の時間というのは余暇の時間だと勘違いしていた。

だから何かしなきゃ、出かけなきゃといつも思っていた。

 

そうではない、考えること、そして実行すること。

いつも仕事でしていること。

 

初めてそんなことに気づいた。

そんなGWだった。