「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

したい時にしたいこと

 

飛行機の中で本を読んだ

出発ゲートの売店で暇つぶしに買った本
「身軽に生きるコツ」
そんなタイトルの本だった

色んなことが書かれていたのだけれど
印象に残ったのがこの一文
「腹が減ったら食べる」

一日三食、食べなくてもいいい
一日一食でも二食でも、お腹がすいたら食べればいい
腹が空いてないのに食べる必要はない

当り前のことだけど腑に落ちた
お腹が空いていなくてもお昼になったら昼食を食べる
なぜか?
理由はお昼だから

よくよく考えると、僕らの日常はそんな事ばっか

夜になったから寝なきゃ
朝は6時に起きなきゃ
今日もジョギングに行かなきゃ
休日だから家族を遊びに連れていかなきゃ
ブログを書かなきゃ

なんかねー
したい時にしたいことをすればいい
そんなこと思う

眠くなったら寝ればいい
お腹がすいたらご飯を食べればいい

そりゃ生活習慣としてしなきゃいけないこともある
でも眠くもないのに寝る必要はないんじゃないの?
夕食の時間だからといってご飯を食べる必要もないんじゃないの?

ものごとには多かれ少なかれ決まりごとがある
あるにせよ、それを「しなければならない」にする必要はない

もっと自分の気持ちに素直になっていい
自分のカラダやココロに聞く耳を持った方がいい

勉強しなきゃいけない
仕事しなきゃいけない
休日は遊ばなきゃいけない
有意義な一日にしなきゃいけない

やらなきゃいけないことはしっかりやればいい
それ以外のことには
もう少し自分のしたいことに身を任せたっていい
もう少し自分に寛容な自分でいたい
そうしないと自分が自分を苦しめてしまうから

僕は休日になると
いつも有意義な一日にしなければいけないと考える
一日中焦ってる
そして今日も
一日何もできなかったと落ち込む

我ながらアホな自分

天気のいい日は窓辺に座り空を見る
何もしないで空を見る
そして
美しい夕日を見ながらスパークリングワインを飲む
こんな時間が自分にとってサイコーの時間であることを知る
最近ようやくわかった

何かをしなきゃ有意義になれないことなんてない
何もしないことの大切さ
もっと気づくことが大事

グウタラって言われたっていいじゃない
ずっとグウタラなわけではないのだから
グウタラをエンジョイする
そんな気持ちが大事なんだと思う

 

Pengin

 

ペンギン
といえばヨチヨチ歩くあの姿

可愛らしい、愛くるしい
でも、すみだ水族館で見たそれは違っていた
歩く姿は見ていない

水槽の中を勢いよく泳ぎ回るペンギン
水を切り裂くその姿
泳ぐというより飛んでいた

やっぱ鳥なんだなー
きっと昔は空を飛んでいたんだろう
可愛いひれは立派な羽に見えた

まるでロケットかミサイルのよう
すごいスピードで縦横無尽に泳ぎ回っている
ぶつかったら痛いだろうな

陸の上をヨチヨチを歩く姿とは大違い
外見や思い込みに騙されちゃいけない
何ごとも一緒

ペンギンだけじゃない
誰にもいろんな顔がある
普段は見せない顔もある

僕は普段どんな風に見えているだろう
本当の自分はどんな自分なのだろう

というか本当の自分ってなんだ?
いつもの自分は自分ではないのか?

頭の中がこんがらがってきた
そんなこと考えても仕方がない
ここは水族館、クラゲにペンギン、お魚たち

どんな僕でもそれが僕
普段も本当もない
自然でいるのが一番いい
それでいい

目の前のお魚たちがお手本だ
きっと水族館が閉まっても同じ姿で泳いでいる
誰のためでもない、自分のため

自分に嘘をつかないこと
誤魔化さないこと
そんな自分でいれますように

ペンギンたちを見て
そんなこと思う僕はきっとアホなのだろう

でもそんな時間も実は楽しい
手にはビール
至福の時間
いつまでたっても僕の頭はヨチヨチ歩きのままらしい

 

 

水族館とビール

 

昨日は会社を休んでお出かけした

急ぎの仕事もなかったので前の日に決めた
自分が思うほど、自分にしかできない仕事なんてない
僕だけじゃない、誰でも同じ

みんなそう思いたくないだけ
責任感、自分勝手な妄想
僕らは自分を自分で縛ってしまう
何のためだろうね

自分のことは自分で決めたい
もっと自分に自然でいたい
もちろん人に迷惑をかけない
それは当然の大人の所作

さてどこに行こう
いつもならクルマに乗って気ままにドライブ
ちょうど前の日に5回目の車検から戻ってきたばかり

それでも、たまには電車で出かけるか
そう思い向かったのは東京スカイツリー
目当てはタワーじゃない、水族館

すみだ水族館
クラゲがきれいらしいじゃないか
一度行って見たかった

以前、室蘭の水族館に行ったことがある
小さな遊園地に併設された古い水族館
そこでみたクラゲはとても美しかった

すみだ水族館のクラゲはモダンな感じに展示されていた
ひらひら、ふらふら
あらやだ、やっぱり美しい

水族館の中にカフェがある
軽食を売っているだけの売店だけど
ビールがあった、生ビール
こんな時、電車で来てよかったと思う

鳥つくね(?)を一緒に買い、いそいそと水槽の前へ
まわりは家族連れかカップ
気にせず空いていた椅子に座る

ここはペンギンの水槽らしい
水槽の下からのぞき込むように見る
すいー、すいー、ペンギンが泳ぐ

ペンギンを見上げながらビールを飲む
鳥つくねを食べる
なんか不思議な気分だ

いつの間にかペンギンに見入ってしまう自分
ペンギンだけじゃなく水槽の中の光景にココロ惹かれる
自分が海の底にいるかと錯覚する

海の中でビールを飲む、鳥つくねを食べる
ペンギンって鳥だっけ?
そんなことはどうでもいい
ただただサイコーの気分

気がつくと一時間くらい水槽の前にいたようだ
あー楽しい
ホント楽しい

明日からまた頑張ろう
そう思う

楽しい休日
こんな休日
さて次はどこに行こうかな

 

 

必要とされて嬉しかった、は危険な証

 

必要とされて嬉しかった

犯罪に巻き込まれ、自らも手を染めてしまった人のセリフ
騙される人の典型的なパターン


承認されたい欲求は誰にでもある
それを相手に求め委ねるとその誰かさんの奴隷になってしまう


そうならないために
自分を自分で肯定できる自分になること
その結果として、誰に対しても認められる自分になること


この順番が必要だ
でもこれが難しい


自分に甘かったり誤魔化したり
客観的に見ることが出来なかったり


認めてくれないのは相手が悪い
こんな思考回路に陥ると最悪だ


会社なんかで良くある話
自分は悪くない、受け入れてくれない相手が悪い
あいつのせい、組織のせい


さてさて自分はどうすべきだろうか


一つ目、まずは自分の考えを明らかにすること
そう発信者になること
これは自分で自分を知るための訓練


二つ目は、その中で自分のセンスを磨くこと
相手が知りたいことを発信するのではなく
相手が知りたくなるようなことを発信すること


相手に媚びて、相手が欲しいいことだけを発信しても意味がない
そんなテクニックに走っても何の意味もない


三つ目は、自分だけの特別な何かを持つこと
それが何かはわからない


何かとの出会いもその一つかもしれない
だから星野道夫さんはこう言う


「短い一生で心惹かれることに多くは出会わない
 もし見つけたら、大切に、大切に。」


人はこの三つ目から進めて(求めて)しまいががち
それでは本物にはなれない


別に本物でなくてもいい
結果が得られれば何だっていい
それならそれでいい


でも、そんな急ぐ必要なんてどこにもない


ゆっくりと
じっくりと
一つ目から進めてみるのがいいと思う


焦る必要なんてないのだから
自分のことなんだもの


もっと自分を大切に
ホントそう思う

 

慣れたら終わり


戦争が始まった時に感じたこと


なんで?どうして?そんなバカな
この現代にそんなこと起こるわけがない


これまでの経験や道徳が音を立てて崩れていった
ただただ信じられない、信じたくない


ニュースで報じられる数々の惨状
美しい街、サッカーチーム、人々の暮らし
失われるはずのないものや尊厳

あっという間に蹂躙され踏みつけられる
こんなことが今の時代に起こるはずがない
映画や歴史書の世界


それが簡単に繰り返された
この世界はどうなってしまうのか


政治家や学者、ニュースのアナウンサーが
色々なことを言っている


どうこの難局を乗り越えるのか
大事なこと


でも僕にはもっと気になることがある


この戦争が始まって半年以上が経った
僕らは慣れてしまった
いとも簡単に慣れてしまった


この状況に受け入れられないまま慣れてしまっている僕ら
結局僕らはこの程度の生き物なのかもしれない


これまでもそうやって理不尽を受け入れて生きてきた
殿様や王様、君主や独裁者からの命令、暴力、搾取、差別・・・


それは昔の話、僕らは現代人
そんなのはまやかしだった
僕らは弱い


ただただ弱い
ただただ受け入れ慣れていくだけの生き物


独裁者はそれを知っている
だから独裁者は独裁を続ける
それが自分の生きる術と知っているから


でも僕らは学んだ
慣れたら終わりであることを


まだ間に合う
まだ間に合うはず


僕らは気づいた
人間の弱さ、最大の弱点
それは慣れること


慣れることは自分を誤魔化し否定すること
だから
それを生きる手段にしては絶対にいけない


そう思う
心からそう思う

 

テレワーク万歳


最近、出社率が上がっている

会社もはっきりは言わないけど
働き方を見直そう、そんなこと言って
リモートワークに偏った仕事環境を見直そうとしている


要はコロナも落ち着いたんだからもっと出社してもっと働け
言ってることはイーロンマスクさんと一緒
ハッキリ言うか言わないか
相変わらずの日本企業っぷりは健在だ


とはいえ自分はどうかというと
最近はできるだけ出社するようにしている


なぜか?


それはリモートだと、うまく発言できないから
リモート会議なんかではなかなか発言のタイミングがつかめない
言いたいこともうまく言えない


奥ゆかしい私
リアル会議だと何となくタイミングも見定められるし
雑談含めて話しやすい


要は自分がリモートでパフォーマンスを発揮できるスキルがない
それを認識しているから非効率とわかっていながら出かけていく
そう自分のための出社なんですね。。悲しい。。。


なんですけど
先週は久しぶりに1週間まるまるテレワークをしてみた


一緒に出張していた同僚が高熱を出しちゃったから
念のために出社を控えた


これがねー
快適でしたよ、テレワーク(今さら。。。)


多少の会議のもたもた感はあるものの(もちろん私のせいです)
まる一日、家で過ごせることの快適さ
こりゃ癖になるよねー


あらためてそんなことを思います
だからなのか出社しない奴はまったく出社しない


でもやはり思います
みんな出社している時と同等のパフォーマンスを出せているのか?
リモートワークは権利じゃない


その辺のことは自分自身で認識すべき
この快適さを享受するためには自分のスキルを磨くしかない
それが立派な大人の所作だと再確認する


ということで、テレワーク万歳
この環境に適したスキルを磨くためにはどうしたらいいか
そんなことをもっともっと考えたいと思った次第


最近はZOOM-ROOMだけでなく、TEAMS-ROOMも一般的になってきたらしい
それでも技術革新だけに頼っていてはダメだと思う


「人は話し方が9割」
そんな本がベストセラーになっているみたい


リモートワークにおける話し方のスキルをどう磨くか
そんな観点でも取り組むべき事項は多々あるのではないか
なんて思う


現場の人間こそ、こういう努力が必要
そうしないと絶対にリーダーを納得させられない


だってリーダー自身がリモートワークのスキルを持っていないのだもの
だから彼らは目に見える働き方しか評価できない


イーロンマスクさんだってきっとそう
そんなリーダーが上司になる前に
リモートワークのスキルを高めるのが先決だ


自由は与えられるものではなく、自分でつかみ取るもの
そういうことだよね

 

友達なんていらない

 

自分で言うのも何だが友達が少ない

少ないというより「いない」と言ってもいいくらい
いま友人的な付き合いをしているのは会社の同僚が中心


退職と同時に家に引きこもる高齢者の話をよく聞く
典型的な予備軍だと思う


土日は地域の人と一緒に飲んだり出掛けたり
趣味の釣りや野球で楽しんだり
そんな話をよく聞くが、自分にはできない芸当


まず面倒くさい、考えただけで面倒くさい
そういう機会もないのによく言うよね


相手に気を使い、気を使われ
そんな時間は億劫で仕方がない


それより一人で酒でも飲んでいた方がいい
寝転がりテレビを見てた方がどれだけ楽か


こんなんでよく会社員生活を送れている
実は会社という組織があるからできること


偽りの関係の中で、誤魔化しながら過ごしている
それが会社という組織
もちろんそうでない人もいるだろうけどね


僕は典型的な社会不適合者なのだと思う
人といるより一人の方がいい


僕は自分のことしか考えられない
自分より相手のことを想うことができない


我ながらひどいやつだと思う
人間的な魅力のかけらもない


それでいて人に好かれたい
よく思われたいなんて都合のいいことも思っている


でもそれでいい
僕は僕でしかないのだから


相手が僕をどう思うかは相手次第
僕にどうにかできるわけでもない


僕がどうにかしようと思ったとたん
僕は相手に媚を売ることになる


だから僕は自分のことだけを考えていたい
そんな僕でいたい


相手の話を聞くことが大事
そんな話もよく聞くけど
それって人間関係をよくするためのテクニック


ああ面倒くさい
ほんと面倒


だからいいじゃないか
仕事と割り切って他者と付き合えばいい
それ以外はひとりで過ごせばいい
それでも近づいてくる奇特な人がいれば接すればいい


不思議なことにたまにそんな人がいる
自分と一緒にいて何が楽しいのだろう?
そう思うけど
そういう人と一緒にいるのは実は楽しい

不思議なもの


僕からその人にあげるものは何もない
それなのに僕に接してくる


よほど僕が不憫に見えるのか
ボランティア精神が旺盛なのか


よくわからないが
一緒にいて居心地がいいから、まあいいか


また年賀状の季節がやってくる
一年に一回だけの友人たち


たまには連絡でもしてみようか
面倒くさいけどね

 

したいこと100を書いてみる

 

ゾンビになるまでにしたい100のこと、そんなマンガがある。

ある日突然、世界中の人間がゾンビに襲われる、逃げまどう人たち。
ゾンビ映画なんかでお馴染みのストーリー。


このマンガはちょっと違っていた。


これまでの会社一辺倒の生活から解放された主人公。
ゾンビから逃げまどいながらも、これまでできなかったことをしようと考える。
そこで、ゾンビになるまでにしたい100のことをノートに書きだし実行する。
寿司を腹いっぱい食べるとか、グランピングしたいとか、
他愛のないことばかりなんだけど、ポジティブなお話で面白い。


そこで僕も書き出してみることにした、したいこと100。

 ・別荘を建てる
 ・外の景色を見ながら昼間からシャンパンを飲む
 ・アルピーヌA110を買う
 ・ゲレンデヴァーゲンを買う
 ・ランカウイ島に行く
 ・沖縄で暮らす
 ・ゴルフがうまくなる
 ・一人一日釣りをする
 ・家を建て庭で焚火をする、BBQもする
 ・金髪にする
 ・日焼けマシンで日焼けをする
 ・一人でスイカ割をして全部食べる
 ・小沢健二のコンサートに行く
 ・岡村靖幸のコンサートに行く
 ・ビリージョエルのコンサートに行く
 ・フロリダのダリの美術館に行く
 ・サーファーになる
 ・オープンカーを買う
 ・ゆでたての毛ガニをひとりで一杯食べる
 ・自分のクルマで47都道府県を一周する
 ・みんなの前で弾き語りをする
 ・金目鯛の煮つけを作る
 ・クルーザーに乗ってシャンパンを飲む
 ・千里浜なぎさドライブウェイでドライブする
 ・ガレージと庭のある一軒家に住む
 ・ブルーマジックみたいに踊る
 ・カングーに乗るスポットドライバーになる

 などなど。。。


いやー我ながら創造力がない、物欲ばかり、自分のことばかり
精神面の充足は求めないのだろうか、自分ながらあきれてしまう。


実はこれ書いたの3年近く前のこと。
きっとその頃の自分は、こんなことをしたい自分だったのだろう。


たぶん、いま書いても同じようなもんだろう。
でもいいの、「したいこと」と「願い」は違うんだから。
ちなみに「目標」とも違います。
(間違っても大谷選手の目標達成シートと比べないように)


単に自分がしたいことを知るだけ。
できることならすればいいじゃん、ってことなんです。


この中で実現できたのは、千里浜なぎさドライブウェイに行ったことくらい。
逆に言えば、まだまだしてないこと、したいことはたくさんあるということ。


ということで、したいこと100書き出してみるのお勧めです。
ここに書いていない恥ずかしいこともたくさんあるけどね。
それも含めて自分がしたいこと。


何事にもポジティブに取り組むってことです。
例えゾンビだらけの世の中になったとしてもね(実は今もそうかも。。。)。

 

マスコミは変わらないなー、なんでだろ?

 

ワールドカップ、日本代表の活躍で盛り上がっている


日本代表にはあまり興味がない
だって横浜F・マリノスの方が見ていて面白いんだもの


それでも日本が勝つと嬉しい
日本の選手が活躍すると喜んで応援している自分がいる


それはそれでいいんだけど
テレビのニュース、そればっか


日本スゴイ、森保監督スゴイ
堂安選手のエピソード、家族の話、恩師の話
前回大会落選のリベンジ、努力の成果、感動の物語


ええーい、いい加減にせい!
何でこんなにも、いままでと同じ
決められた文脈でしか物事を報じられないのか
いい加減に頭にくる


そんなことを思いながらテレビを消す
そして家族に嫌がられる


僕らは洗脳されている
間違いなく、マスコミにいいように操られている


おかしい、これじゃいけない
だってマスコミが報じることはマスコミの考えだもの


僕らは事実だけを知ればいい
そして自分の頭で考えればいい


そりゃ選手の知られざるエピソードも知りたいだろう
でも自分の目で試合を見て純粋に楽しめばいい


そこに、こう感じなければいけないなんていらない
信じろとか、祈れなんて言われたくない
自分のことは自分で考える


それを促すのが正しいマスコミの姿だと思う


負けた国が悔しがる様子、日本への賛辞
本当にそうなのだろうか?
ちゃんと客観的に取材しているのだろうか?


勝ったことは素晴らしい
だけどあのサッカーはそこまで素晴らしいのか
そこまで誇れる内容なのか


真実が知りたい
僕らは真実を知る、感じる努力をしなければいけない


どうして選手はインタビューで、「国民」のみなさまへ
みたいなこと言うのだろうか
大本営発表と一緒じゃないか


時代は変われど変わらない
だからこの現代でもあんな戦争が起きている


そろそろ僕らは学ばなければいけない
一皮むけなければいけない


だからマスコミも変わってほしい
本当にそう思う

 

最新のiPhoneは最良のiPhoneなのか?

 

iPhoneXを使っている。

もう4年半くらい使っていることになる。

 

幸い、落として画面が割れたりすることもなく、

バッテリーが劣化して1日も持たないというようなこともない。

 

まだまだ十分使える、もちろん僕にとっての話。

 

それでも最新のiPhoneが発売されるたびに気にはなる。

正直欲しくなる。

だって、新しい何かを僕に与えてくれそうなんだもん。

 

もちろんそんなことはなくて、

単なる錯覚でしかないことも分かっている。

それでも何か変えてくれるのではないかと期待してしまう。

 

そんな思考で、僕らはついつい新製品にとびつく。

パソコン買ったり、カメラ買ったり。

結局、全然使いこなせない、もちろん僕にとっての話。

 

でも満足感はある。

使い倒す満足感ではなく、自分のものにしたことの満足感。

もちろん間違っていることも知っている。

 

そんな僕だが、新しいiPhoneには替える気がしない。

なぜだろう?

 

だってダサいんだもの。

あの巨大なカメラまわりのデザイン、あれはないよね。

 

そりゃ画質はいいのでしょうよ、でも所詮はスマホ

何ごともホドホドというものがあるはず。

 

なんかスマートじゃないし、洒落てない。

見るたびに思う、きっと慣れの問題なんだろうけど。

 

最新のポルシェは最良のポルシェ。

クルマの世界ではこんなことがよく言われる。

 

モデルチェンジするたび、前の方が良かったと言われ続けたポルシェ様。

性能とデザインでそんな声を黙らせ、最終的にこう言わしめた。

実際、最新のポルシェは最高にカッコいいと思う。

 

iPhoneもそうなってほしいな。

 

毎日使うものだもの、持つ喜びを与えてほしい。

満足感が得られるのであれば、ちょっとお高くてもいいと思う。

 

次のiPhoneはどんなデザインになるのだろう?

そんなことを思いながら、iPhoneXのケースを変えてみた。

 

ジャクソンポロック、結構いいでしょ?

当分はこれでいい、満足、満足。

 

 

夢を見た、とてもとても幸せな夢を見た



夢を見た。

 

不思議な夢。

なぜか僕は泥棒で、

紙に包んだ札束を持って逃走中。

 

お巡りさんが追ってくる。

逃げなくちゃ、つかまっちゃダメだ。

札束が重くて持ちにくい。

 

タクシーに乗り込み行き先を告げる。

フィッツジェラルド空港まで行ってくれ。

一体どこだか自分でもわからない。

 

安心したのか、僕は眠ってしまう。

気がつくとタクシーは停まっていた。

空港じゃない、目の前には交番がある。

 

やられた、僕はタクシーを降り一目散に駆けだす。

お巡りさんが追ってくる。

札束が重いったらありゃしない。

 

もうダメか。

目の前に大勢の人たち、カメラ機材が並んでいる。

何かの撮影現場らしい。

 

僕はその中に札束を投げ込み、火をつけた。

みんなが驚く。

あたり一面大慌てだ。

 

その隙に僕は裏手のビルに逃げ込んだ。

外壁のパネルのようなものをつたって、屋上まで登る。

道を挟んだ向こうに空港が見える。

 

とてもあそこまでは行けない。

もはや札束もない。

ここまでか、そう思いながら遠くを見つめる。

 

そのビルは団地のようだった。

僕は団地の一室へと入りこむ。

そこには僕の家族がいた。

 

本当の家族ではない。

知らない人たちが5~6人。

でも僕の家族だった。

 

家の中には何もない。

なぜか僕の靴下が三足あり、

子供たちがそれで遊んでいる。

 

三足だからあと三日。

お父さんと一緒にいられるのはあと三日。

そんなことを言っている。

 

僕はなぜだか知らないけど、

そんな家族が無性に愛おしくて、

ずっと一緒に居たい、そう思った。

 

外から見つからないようにしなくちゃ。

夜は電気もつけずに息をひそめた。

みんなで身を寄せ合って寝た。

 

雑魚寝ってやつ。

みんなの寝息が聞こえてくる。

みんなの体温が伝わってくる。

 

僕は不思議な感情に包まれていた。

幸せだ。

こんな幸せを今まで感じたことがない。

 

僕の心はとてつもなく満たされていて、

真っ暗な部屋の中で妻に言った。

「なんか俺、幸せだよ。」

 

次の日、僕らはこっそり外に出た。

近くの土手の上をみんなで歩いた。

土手の下にはたくさんのバーベキューセットが並んでる。

 

大勢の人たちがバーベキューを楽しんでいた。

天気もいい、風も心地いい。

太陽の下、僕らも楽しくてしょうがない。

 

しばらく歩くと土手の端についた。

土手はここで終わりらしい。

僕は少し寂しくなる。

 

この幸せな時間がここで終わってしまう、そんな気がした。

家族の1人がこう言った、年配の男の人。

「夏休みも終わりだな。」

 

そうか夏休みだったのか。

同時に夏休みが幸せだったことを思い出した。

よく見ると、その年配の人は父だった、隣には母もいた。

 

ずっとこうしていたい。

このままでいたい、僕は願った。

そして父と母を抱き寄せた。

 

僕は幸せで、

とてつもなく幸せで

心から幸せを感じていた。

 

そんな夢

とてつもなく幸せな夢

そんな夢を見た。

 

僕らに必要なのは「非日常」

 


ひとりドライブ、能登半島一周の旅から1週間。

 

いまだココロが高揚している。

というか、幸せな気分が持続している。

 

我ながらお安い自分。

昔から何ごとにも影響を受けやすい自分。

 

それでも思う、「非日常」の経験は人生を変える。

 

大げさかもしれないけどそう思う。

僕らはいつもの毎日、いつものルーティンに慣れっこになっている。

 

経験を積んでできるようになったこと、単に習慣になっていること。

知らないうちにそんな日常の繰り返しになっている。

 

僕らはロボットじゃない、AIでもない。

生身の人間。

 

生身の人間である僕らを成長させるのは僕ら自身。

そのためには「非日常」な時間が必要だ。

それを自ら作り出すことが必要だ。

 

能登半島一周の旅は、新たな出会いや気づきを与えてくれた。

単に一人でドライブしていただけのこと。

それでも見たことのない光景、気の向くままに足を踏み入れた場所。

その時の景色、気持ち、感情、それらすべてが僕にとっての「非日常」。

 

そんな「非日常」の瞬間は、僕を新たな僕にしてくれる。

新しいこと、新しい経験に飢えさせてくれる。

 

なんかやりたいことがたくさんだ。

 

でもしばらくたつと、そんな気持ちが段々減少してくるのが分かる。

いつもの日常が僕を侵食してくる。

いつもの毎日が僕をいつもの自分に染め直そうとしてくる。

 

僕らが旅に出る理由、そんな歌があったっけ。

僕らは旅に出なければならないんだ。

あらためてそんなことを思う。

 

実際の旅でなくてもいい。

毎日の通学・通勤の帰り道、いつもの週末。

 

少しの冒険、好奇心。

何かを変えれば、何かが変わる。

僕自身が変わる。

 

なんか面白い、そう思った。

 

幸せ過ぎて、笑いが止まらなかった

 


どうしても行って見たい場所があった。

 

遅い夏休み、予定は何もない。

思い切って出かけてみた。

 

もちろん一人のドライブ旅。

向かうは石川県、能登半島にその場所はある。

「千里浜なぎさドライブウエイ」

 

もう最高だった。

こんな場所がこの世にあるのか。

心揺さぶられる、そんな場所。

 

ここは波打ち際をクルマで走ることができる。

皆が思い思いに楽しんでる。

写真を撮っては、はしゃいでいる。

 

みんな笑顔。

 

そう、僕もさっきからずっと笑っている。

笑いが止まらない、幸せ過ぎて笑いが止まらない。

こんなこと初めてだ。

 

奇跡の光景。

その奇跡の中に僕はいる。

そんな時間。

 

天気予報は雨だったが、雲の切れ間から薄日が差し込んでいる。

海に注ぎ込まれた光が、きらめき輝く。

 

「すごい、すごい」

 

ひとり、つぶやく。

まわりから見たら変な人、でもかまうものか。

僕は幸せなのだ、羨ましいだろ。

 

ここに来たくて、横浜から自分のクルマでやって来た。

この場所を自分のクルマで走ってみたかった。

 

みんなとワイワイ、そんな旅も楽しい。

美味しいもの食べて、たくさんお喋りして、みんなと一緒に感動する。

 

それでもドライブ旅はひとりに限る。

 

ドライブを楽しみ、見たことのない景色に出会う。

そして、全身全霊で気づき感じる。

 

これが僕のひとりドライブ旅の流儀。

名所にも行かない、美味しいものも探求しない、それでいい。

 

なんか人生に似ている。

そんなことを思った。

 

梅雨の季節に思う、雨って不思議



雨の日は嫌いではない。

 

一日中、雨が降り続く。

僕は家に守られて、家の中でぬくぬくと過ごす。

 

ヒンヤリとした空気感、窓を開けると雨のにおい。

思わずスパークリングワインの封を切ってしまう。

 

最高だ。

安全地帯から、奇跡の光景を観察する。

 

土砂降りの雨の中、あえてクルマで出かけるのも好きだ。

僕はクルマに守られながら、好きなところに行くことができる。

 

まるで移動映画館、僕は特等席に座っている。

車窓からは普段はお目にかかれないような世界が広がり続ける。

 

雨脚が弱まり、奇跡的に雲の切れ間から光が漏れる。

天国のよう、まだ行ったことはないけどそう思う。

 

雨の日がこんなに不思議で美しいってこと、みんな知らない。

気づかない、だから僕は気づきたい。

 

もしかしたら、

普段の光景にも気づいていないこと、たくさんあるのかもしれない。

 

当たり前だと思った瞬間、当たり前でない光景も当たり前になる。

僕らのいる世界は当たり前のようで当たり前ではないのに。

 

だから何も見逃したくない。

全てを感じて生きていきたい。

 

僕はこの世の景色をすべて見てみたい、感じてみたい。

特別なところでなくてもいい。

 

感じるか感じないかは自分次第だから。

自分が感じることが大事だから。

 

もうすぐ梅雨入り。

じめじめ、シトシト、外に出るのが億劫になる季節。

 

いやいや、そうじゃない。

また奇跡の光景が広がる季節がやってくるのだ。

 

外に出ようじゃないか。

あちこち行って見ようじゃないか。

 

知ること、感じることで僕らは成長できる。

それが人生ということじゃないかと思う。

 

そんなことを思った。

 

襟裳岬で聞いた襟裳岬(by森進一さん)は最高だった



北海道に1年半、単身赴任していたことがある。

 

行きたくて行ったわけではない。

簡単に言えばそりが合わない上司に飛ばされただけだ。

 

飛ばされたなんて言うと、北海道の人には失礼極まりない。

でも、縁もゆかりもない土地に異動することになった人は誰しもこう思う。

 

とはいえ、北海道は素晴らしい場所だった。

もっと若いうち、子供が小さいころに住んでみたかった。

 

自由を感じさせる、経験したことのない自然。

何よりそこで暮らしている人たちが自然で、あくせくしていない。

 

なんか素の自分でいられる、いていいと言われているような気がした。

でも、だからかもしれない、僕はとても寂しかった。

 

何をするのも一人だったから。僕は人とつるむのが苦手。

楽しそうに暮らす人たちを見て僕はいっそう孤独を感じていた。

 

そんな僕は毎週末、クルマでドライブに出かけた。

一人ドライブで見たことも無い景色に触れる時間は格別だった。

 

襟裳岬までクルマで行った、海岸線をひた走る。

ラジオから森進一さんの襟裳岬が流れてきた。

 

これまで襟裳岬が流れてきても何も感じたことはない。

ああ、昔のヒット曲、演歌だよな、そんな感じ。

 

それなのに、この曲の旋律が、歌詞が、僕の体にしみわたった。

なんだろうこの気持ちは、不思議に思った。

 

「北の街ではもう 悲しみを暖炉で
 燃やしはじめてるらしい
 理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに
 老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)
 拾い集めて 暖めあおう
 襟裳の春は 何もない春です」

 

表現するということは、人の琴線、潜在意識に触れること。

こんなことを作詞家の、松本隆さんが言っていた。

 

僕にはこの曲を受け入れる経験も知恵も感受性もなかったのだろう。

この曲の舞台を訪れたことで、それを得た。

 

もちろん、その土地がそう感じさせただけではない。

その時、その場にいる僕自身の境遇がそう感じさせたのだと思う。

 

僕はまだまだ知らないことだらけだ。

知ることは楽しい、襟裳岬で聞いた襟裳岬は最高だった。

 

色々な土地で色々な人が色々な生き方をしている。

それを知りながら、自分を知る。

 

やっぱり僕らは旅をし続けなければいけないんだ。

そんなことを思う。