「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

【食事】大黒屋のうな重(持ち帰り)


お盆がおわりましたね。この時期に休みを取られている方も多いと思います。ちなみに私は来週夏休みです。

 

子供の頃は、この時期に親と一緒に田舎に帰省するのが常でした。親戚が一堂に集まり、その地域のお祭りに参加したり、夜になるとカブトムシを探しに行ったり、楽しく過ごしたことを思い出します。

 

大人になるとこの時期の過ごし方が変わりました。お盆を取り仕切る側となったのです。といってもお寺に施餓鬼供養に行ったり、実家を片付けてお盆の用意をする程度なのですが、それなりに疲れます。なんか気が張ってしまうのですよね。亡くなった母がこの時期だけ喜び勇んで家に帰ってくるような気がして、それなりにちゃんとおもてなしをしなければと考えてしまうのです。

 

ここ数年はみんなで「うなぎ」を食べることが習慣となりました。近所の「大黒屋」といううなぎ屋さんからのお持ち帰りです。

 

うな重というのは不思議なもので、少し冷めても美味しい、いや熱々よりも少し冷めていた方が美味しいと思います。蓋を開けた時のあの香り、たまりません。

 

値段は少し張りますが、たまにはいいのではないでしょうか。何よりみんながうなぎを食べている時の満足そうな笑顔、その場の空気感がたまりません。あー幸せだなー、そんな雰囲気に満ちています。

 

何年か前に雑誌の懸賞かなんかで「約束」をお題に短文を書いて申し込んだことを思い出しました。母のこと、うなぎのことを書いたんですよね。パソコンのフォルダを覗いたら残っていたので恥ずかしながら掲載します。明日は母の命日だなー。


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「幸せのうなぎ」


「約束」を辞書で調べるとこう書いてある、「相手に対し、または互いに取り決めを行うこと、その取り決めの内容」。僕は約束を守ることができなかった、だから僕はウソつきだ。でも僕は自分のウソがウソだと思わなかった、それがウソだと信じなかった。

 

母を病院に連れて行くことが僕の役目になっていた。母は乳がんで、手術を二度した、それからはずっと抗がん剤を服用している。半年にいちど検査を行い、その結果を聞く日、僕は母を連れて病院に行く。お互い緊張し、言葉少なに診察の時間を待ち、名前を呼ばれ診察室に入る、「異常はありません」、先生の言葉を聞き、心底ホッとする、その繰り返しだった。病院を出たあと必ず母はこう言った「なにか美味しいもの食べたいね」。

 

そんなときに食べるのは決まって「うなぎ」だった。デパートにあるうなぎ専門店。「美味しいね、美味しいね、こんなに美味しいもの食べていいのかね、バチが当たらないかね。」毎回、母は同じことを言った。

 

そんな日常は長くは続かなかった、ある年の検査で肺に転移があることがわかった。主治医の先生は今は抗がん剤もいろいろあるから、どれが母に効くか試していきましょうと言った。「大丈夫、大丈夫だって。先生のいうこと聞いてれば間違いない、必ず良くなるから。」僕はこう言った、母もそれに納得してくれた。

 

それからしばらくたつと、抗がん剤の副作用で母の髪は抜け落ち、がんの影響で右手の自由も効かなくなってしまった。そんなある日、母は息苦しさを訴え、緊急入院した。

 

病院に駆けつけると先生はこう言った。「レントゲンに真っ白な肺が写っています、もって2〜3ヶ月と思われます」。病室に帰ると、母はじっと僕の顔を見て「もうダメだって言ってたかい?」、そう言った。いつもの優しい、温かい声で僕に聞いてきた。僕は精一杯の平静を装って「何いってんだよ、いろんな抗がん剤を試してみようってさ、そうすれば大丈夫だって、いつも通り先生の言うことを聞いていけば大丈夫だよ」。「早く退院して、また「うなぎ」を食べに行こうよ、精だってつけなきゃいけないしね、だからすこしの間しんどいけど頑張ろうよ」、そう言うと母はちょっとだけ寂しそうな顔をしたあと、僕をじっと見つめ、そしてゆっくり頷いた。

 

母は悪くなる一方だった、食事もだんだん取れなくなり、ベッドから起き上がることもできなくなっていった。

 

そろそろ病院の食事を頼むのも止めようか、家族が言った。そのとき、僕はいつものデパートで「うなぎ」のお弁当を買っていくことにした。食べられるはずなかったけど、母に見てもらいたかった。「母さん、母さんの好きなうなぎ買ってきたよ、少し食べないか」、ベットのテーブルの上に「うなぎ」のお弁当をひろげ、母を起こした。すると、驚いたことに母はスプーンを持ち、「うなぎ」のお弁当を食べはじめた。

 

何も言わなかった、もう何も言わなかった。いつものように「美味しいね、美味しいね」とも言ってくれなかった。だけど、じっと「うなぎ」を見つめ、口に運ぶ母の表情は、いつもの優しい顔をした母だった、そこにはいつも繰り返されてきた僕らの幸せな時間が流れていた。

 

それが母の最期の食事だった。またいつものように「うなぎ」を食べに行こうね、それは、あの時のような幸せな時間をまた一緒に送ろうね、そういう約束だった。母は最後に僕との約束を守ってくれた。約束を守れなかった僕はウソつきの僕だけど、母はそんなこともわかって、最後に一瞬だけ幸せな時間をくれたのだ。

 

僕は今でもなにかいいことがあると「うなぎ」を食べに行く。そんな時、僕は息子の前で「うまい、うまいなー、幸せだなー」と言う、息子はそんな僕を何を大げさなこといってんだと怪訝な顔をして見ている、それでもいつかわかってくれるだろう、この幸せの瞬間、それが我が家の約束、幸せの「うなぎ」であることを。