「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

天気雨

 

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天気雨が好きだ。
思いがけず、こんな雨に遭遇すると幸せな気分になる。

 
突然のどしゃ降り、最近はよくあること。
頭の上には黒い雲、それでも空は明るく、向こうの方には青空も見えている。
陽が差し込むなか降る雨、その光景は美しい。
まるで天国じゃないか、そんなことを思う。

 
先日もクルマに乗っていたら、天気雨に遭遇した。
クルマの中からそんな奇跡のような光景を堪能する。
突然の雨に走り出す人たち。
雨宿りをしている親子連れ。
街の平凡な日常が突然、息をし始める、生きていることを思い出すように。
そんな姿をあちらこちらに感じる。

 
天気雨はすぐ止んでしまう。
だから、もっと楽しめばいいのに。

 
雨が上がると虹が見える、そんな時もある。
あの虹の真下はどんな風になっているのだろう、虹はどのように見えるのだろう。
虹を登る、誰でも一度は想像してみたことがあるはずだ。
あの虹の中に入ってしまうと世の中は虹色に見えるのだろうか。

 
雨が上がった。
しぶきをあげながらクルマが走る。
前から来るクルマは濡れていない、不思議なもんだ。

 
天然のシャワー。
そう思って、クルマを洗車した帰りであることを思い出す。
今日は奮発して手洗い洗車をお願いしたのだ。
僕にとってこんなことは日常茶飯事、いつものこと。

 
運が良いとか悪いとか、そんなことを考える。
良いに決まってるじゃないか。
どう捉えるかは自分次第。
天気雨に耀くピカピカの僕のクルマ、こんなに楽しいことはない。
そのために洗車をしたのだ。

 
僕は天気雨を愛している。
僕は運が良い、そう思う。
 

迂闊な日々

 

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春先にマリノスのTシャツを買ったのを忘れていた。
また、いつものように大事に温めてしまうところ。
 

カーキ色で、胸にはカモメのマーク、一見したところマリノスのTシャツに見えないところがいい。
袋から取り出し袖を通す、肉厚の生地で着心地もいい。
ちなみに僕はユニフォームは持っていない。
サポーターは毎年新しいユニフォーム、お気に入りの選手のモデルを購入して、それを着てスタジアムで応援する。
それはそれでいいのだが、どこか恥ずかしい。
僕はさりげなく応援したい派だ。

 
コーヒーを淹れる、Tシャツの肌触りに心地よさを感じながら飲む、なんとも贅沢な時間。
最近、コーヒーはタンブラーに入れて飲んでいる。
こうすると、淹れたてのコーヒーを温かいまま飲み続けることができる。
カップで飲むとすぐ冷めてしまう、そんなストレスが無くなった。

 
次は何を買おうかな。
ネットでいろいろ探索する、こんな時間は意外と楽しい。
タンブラーの飲み口を開けコーヒーを飲む。
蓋の隙間からコーヒーがこぼれる、どうやら蓋がよく閉まっていなかったようだ。
新しいTシャツにコーヒーが滴り落ちる。。。

 
せっかくの優雅な気分が台無しだ。
こうやってコーヒーをこぼすのは三回目。
最初はタンブラーの蓋を開けて香りを感じながら飲みはじめる。
そのうち蓋を閉めて飲み口からチビチビ飲んでいく。
蓋をしっかり閉めていないから、隙間からコーヒーがこぼれる。
いったい何度同じ過ちをするのか、自分でも嫌になる。

 
そういえば、こないだ夏に向けて白いTシャツを買った、厚手の生地のお気に入りだ。
こういう何でもないTシャツをザクッと着ると気持ちいい。
夕食を終えるといつの間にかその白い生地に赤ワインが飛び散っている。。。

 
イタリアンでの小洒落た食事に出掛ける、麻のパンツでおしゃれさん。
楽しい食事、口元からアヒージョがこぼれる落ちる、麻のパンツ、それも股間
油にまみれた僕の股間、薄手のベージュのパンツが台無しだ。。。

 
こんなことは日常茶飯事。
マリノスのTシャツを水につけ、コーヒーを落としながら考える。
僕は何でこうも迂闊なのだろう。

 
だから、買ったものをいつまでも着ないでとっておいてしまうのだ。
もったいなくて着れない、理由は明確だ、こうしてすぐ汚してしまうからだ。
自分の心の奥底に眠っていた真実を発見したような気がする。

 
さて、どうする?
すぐに汚してしまうのだから、安い服でいい、これからはユニクロ一択でいいのではないか。
いや、ダメだ、それは違う。
迂闊な自分を見直すのだ、僕の成長にはそれが必要なのだ。

 
もしくは、いいものだろうが何だろうが、汚れても気にしないで着るのはどうだろうか。
そんな鷹揚な自分になるのだ、ありのままの自分を受け入れるのだ。

 
なんだか、どれもピンとこない。
もしかしたら運が悪かっただけかもしれない、いや、そんなこと考えた時点で僕の成長は終わってしまう。

 
いずれにしても、まずはコーヒーのでシミを落とすことが先だろう。
こんな夏のある日、これが僕のいつもの毎日。
今日も暑くなりそうだ。
 

楽しいお買い物

 

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買い物が好きだ。
そして買い物が下手だ。
 

先日もお気に入りの店で麻のシャツを買った。
今はセールの真っただ中、それなのにその品はセール対象ではなかった。
やはりいい品はセール対象にはならないのだ、そう思いご購入。
昨日、再びその店を訪れた。
僕が買ったそのシャツは3割引きで売られていた、サイズもまだ残っていた。

 
こんなことは日常茶飯事、たいしたことではない。
それでも少し、いやかなり悲しい。
お得に購入することができなかったからではない。
僕が気に入ったシャツ、セール対象でなかったそのシャツが10日そこらで値下げされていた事実。
要は人気がなかった、値下げせねばならなかったということだ。
そのシャツを選んだ僕のセンスが悲しかった。

 
いま、この雑文をノートパソコン「SurfaceGO」で書いている。
1年前に購入した、お気に入りにの小型モバイルパソコンだ。
気になるところが一つある。
小さいから仕方ないのだが、キーが打ちにくいのだ、誤入力ばかりしてしまう。
でもこれはSurfaceのせいではない、僕のタイピング能力が低いのだ。
そうは思ったが、昨日、外付けのキーボードを購入してしまった。
うっ、使いやすい・・・、今までの誤入力の嵐は何だったのだろう。。。
ちなみにこの小型モバイルパソコン「SurfaceGO」、いまだ家の外では使ったことがない。
普通サイズのSurfaceを購入すべきではなかったのか・・・そんなことは決して思わないようにしている。

 
そういえば、1年前に初めて株を購入した。
アメリカ株なら二倍三倍になるのは当たり前らしい、儲かったら何を買おうかしら。
買いたいものリストの幅が広がる、嬉しい。。。妄想が広がる。
証券会社のスマホアプリ、今は保有株の資産状況がすぐに表示されるようになっている。
このアプリ、極力、開かないようにしている。
理由は察してほしい。

 
なんだろう、僕は欲しいものが見つかると、早く買わねばと焦ってしまう。
もし売り切れになったらどうしよう、今すぐ買わねばと思ってしまう。
こうなれば簡単なもの、買わない理由なんてないことを確認して、自分を納得させるだけ。
なぜだか、こんなことを繰り返している。

 
でもいいのだ、僕は必要なものを買ったのだから。
多少(?)の失敗はあるかもしれないが、買ったものを選んだ僕が僕なのだから仕方がない。
それを受け入れて、僕は僕であり続けるのだ。

 
はたして、これでいいのだろうか?

 

家族と友人

 

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ひとりは好きじゃない。
 

独りのほうが気楽、そんな人は意外と多い。
僕のまわりにも結構いる。
結婚しない人たち、決して結婚できない人たちではない。

 
ひとりでいたいこともある。
それはよくわかる。
でも、ひとりは寂しい。
単身赴任していた時によくわかった。
どこに行っても、何をしていても、家族と一緒じゃないとつまらない。

 
友人と出かければいいじゃないか、そう思う。
でも、人とつるむのは面倒くさい。
今度あそこに行って見ようか、そんな話で盛り上がる
でも実際に行くことはない、面倒だから。
だからだろう、僕は友人が少ない。

 
僕は面倒くさがりで自分勝手、そういうことだ。
だから人に合わせることも面倒だし、疲れる。
要は我がままなのだろう。

 
一緒にいること、それが当たり前の人たちと一緒にいたい。
気を使うことも無いし、気も使ってもらえる。
それが家族。

 
そんなことだからだろう、最近は家族も僕にかまってくれない。
子供も成長する、ママだって自分の生活がある。
こうやって、ひとり友人もなく、何もすることのないオッサンが大量生産されていく。

 
平日のショッピングセンターには、そんな年寄りがウロウロしている。
自分の将来を見ているようで恐ろしくなる。

 
結婚もせず、ひとりで暮らしている人たちは寂しくないのだろうか?
交友関係が広く、多趣味で充実した生活を送っているのだろうか。

 
結婚すること家族を作ることは、自分のよりどころを作ること。
だから、僕は逃げ込む場所を自ら作り、そこに避難し続けているのかもしれない。。
逃げ込むか、逃げ込まないかは自分次第。
逃げ込み続ける人は、ひとりで生きていけなくなる。
家族もいつかは自立していくのだから。

 
よく考えると逃げ込む場所があるということは幸せなこと。
そんな場所があるからチャレンジできる、そういうことかもしれない。
だったらチャレンジしてみればいい。

 
今ごろこんなことに気づく。
これも気づくか気づかないかは自分次第。
いろんな家族の姿があっていい、いろんな友人関係があっていい。
僕らは映画やドラマに出てくる、幸せな家族関係、友人関係に影響され過ぎている。
もっと自由に生きればいい。

 
自分の時間を何に使うかは自分次第。
それこそ我がままにすればいい、楽しめばいい。
そんな姿を見て、家族や友人が何かを感じてくれればいい。
それが大事なことじゃないか。
そんなことを思う。

 

何もすることがない休日

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夏休みになってわかったことがある。
何もすることがないのだ。
 

僕はいつも何かをしなければと焦っている。
だけど、時間を持て余してみて初めてわかる。
僕は、何もすることがないのだ。

 
そこで、何もしないことにした。
何もせず、ただテレビをずっと見たり、昼寝をしたり、夕方ベランダで椅子に座り空を見たり、そのままビールを飲んだり。
あれ?これっていつもの休日じゃないか。
そうか、いつもの休日、何もしていないことに焦っていたけど、していることは同じだった。
だったら、何もしないことに焦ってるだけ無駄、意味のないココロの圧迫だ。

 
だから、焦るのをやめた。
何もしないことは、僕が望んで行っていることなのだ。
これが僕のしたいことなのだ。

 
そう思ったら、何もしない休日が至高の一日になった。
ベランダで空を見上げながら、たまにスマホのAppleMusicを流してみる。
ヘッドホンをしようかと思ったが、あえてしない、音楽が聴きたいわけではないのだ。
蝉や通りを走るクルマの音に紛れて、音楽が聞こえる、なんとも自然な時間だ。

 
こんなに時間があるなら、映画でも見てみようかと思う。
でもそんな必要もない。
見たかったら見ればいい、今はこうしていたいのだ。

 
そうなんだよね、したいことすればいいんだ。
したいことが無ければ、何もしなければいいのだ。
その時々に思い付いたしたいことをして過ごせばいい。

 
夏休みの日記、毎日何をしたのか、どんなに充実していたのか、一生懸命に書いた、毎日描いた、絵日記まで書いた。
こういった経験が、充実した毎日を送らねばならない、そんな強迫観念を心のどこかに植え付けてしまっているのかもしれない。
罪作りな教育だな。

 
雨が降ってきた。
ベランダにはひさしがあるから濡れることはない。
雨をずっと見ていたら、何かが洗い流されていくような気がした。
足を延ばして、ちょっと雨に濡れてみる。
冷たくて気持ちがいい。

 
また蝉のなく声が聞こえてきた。
すぐに雨も上がるのだろう。
僕も何かしたくなるのかもしれない。
仕事のようにしたくなくても、しなければならないこともあるだろう。
その時が来ればすればいい。

 
何もしたくない。
だから何もしない。
最高だ。
 

アマチュアとプロ

 

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オリンピックの柔道、いつの間にかルールが変わっていた。
以前は、赤二本、白一本、みたいな感じ、決められた時間が過ぎると判定勝負。
それが今ではゴールデンスコアと言って、サドンデス。
要は決着つくまでの延長戦。
やはり判定より、勝敗が明確だから面白い。
選手だってそうだと思う、人に決められるより潔い。
 

それにしても柔道って独特な競技だと思う。
攻めてないと消極的と捉えられ、警告が与えられちゃう。
こんなスポーツあまりない、あとはレスリングくらいだろうか。

 
正々堂々と戦う、その姿は見ていて何とも清々しい。
引き分け狙いや、先にポイントを取った選手の勝ち逃げを許さない。
こんなルールが作れるのはアマチュアススポーツだからだろう。

 
プロの格闘技だったら、試合が成り立たない。
あの手この手で相手を出し抜き、とにかく勝つ、プロセスより結果、目的はお金を稼ぐことだから。

 
この様なルールがないにもかかわらず、正々堂々を求められる格闘技もあったな。
日本の国技と言われるお相撲さん。
横綱らしい相撲とか、品格とか、勝った力士がガッツポーズしても怒られる。
こんな相撲はプロでもなければアマチュアでもない。
伝統芸能、暗黙の了解という世界の中での興行だもの、しょうがない。

 
プロとアマ、テニスやゴルフのような同じルールのものもあれば、全く異なるものもある。
その最たるものがボクシング。
技術の優劣で勝負するアマチュアに対して、プロは倒すか倒されるか。
それでも最近は計量オーバーでも試合を行ったり、チャンピオンが複数の協会ごとに乱立していたりで、興行に近くなっている。
このまま、お相撲やプロレスのようになってしまうのか、何事もお金が絡むとダークになる。

 
そう考えると、商業化著しいと言われるけど、オリンピックは見ていて面白い。
なんか純粋にスポーツを楽しむ、そんな気持ちになる。
きっと選手も一緒だろう。
賞金もないのにプロが参加するのも分かる気がする、みんなスポーツが好きなのだ。
(もちろん金メダルとってスポンサー獲得してって邪な気持ちもあるだろうけどね。)

 
普段、僕らが目にするのはプロのスポーツばかり。
それはそれで面白いし、熱中する。
それでもアマチュアにはアマチュアの面白さがある。
それを教えてくれるのがオリンピック。

 
いろいろ騒がれたけど、みんなが熱中するのには訳がある。
純粋に面白い、見ていて楽しい、そう言うことなのだろう。
何ごとにも理由がある、そういうことですね。
 

人生、楽しんでいますか?

フェンウェイ パーク, ベースボール ・ ダイアモンド, 野球の試合, 緑色の怪物


今日も大谷選手が活躍している。


すごいものだ、27歳だってさ、この歳の頃、自分は何していたのだろう?
きっと何一つ自分では決められない、大人のふりをした子供だったはず。
仕事も、生活も、ただただ人に言われたことを鵜呑みにして過ごしていた。
実は今でも変わっていない。


そんなことはどうでもいい。
大谷選手の活躍を見ているとなぜだか幸せな気分になる。
だってこの人、楽しそうなのだもの。
大谷選手には今までのスポーツ選手にありがちな悲壮感がない。
この前の試合、一塁で盗塁を狙っているその顔は笑っていた。
まるで、いたずらっ子、もう楽しくて、楽しくて仕方がない、そんな感じ。


成功したか、成功しなかったかじゃなくて、楽しそうかどうかってこと。
イチロー松井秀喜、どちらもすごかったけど、常に緊張感に包まれていた。
斬るか斬られるかの真剣勝負、まるで侍、だから侍ジャパン

 

成功するには、歯を食いしばり、血の涙を流さなければならない。
真剣に全力で取り組まなければ、結果はついてこない。
こんなステレオタイプの成功物語に僕らは慣れ切ってしまっている。
 

なんで悲壮感を漂わせて辛い思いをしてまで頑張る必要があるのだろう。
一生懸命やることに変わりがないのなら、楽しめばいいんじゃないだろうか?
 

全身全霊で楽しんでいる人の姿を見ていたら、自分まで楽しくなってきちゃった。
幸せな気分になってきちゃった。
 

楽しんでいる人の姿を見て、こんなに幸せになれるのなら、自分が取り組むことすべて、もっと楽しめばいいんじゃないだろうか。
そんなこと思う。

 
幸せになれるか、なれないかは自分次第、というより考え方次第。
だったら、考え方を変えて幸せになった方がお得だよ。
 

暗い気持ちで取り組んでも、ワクワク楽しみながら取り組んでも。
結果が出る時は出るし、出ないときは出ない。
それなら、楽しんだ方がいい。ワクワクした方がいい。
 

勉強も仕事も一緒。
僕らはいつもの日常を楽しんでいるだろうか。
 

大谷選手と違って、僕らの日常は失敗ばかりかもしれない。
負けてばかりかもしれない。
それでも、たまにはヒットも打つし、試合に勝つ時もある。
ホームランは打てないかもしれないけどね。
でもきっと、それが人生。
 

だから楽しんだ方がいい。
ワクワクした方がいい。
いつも険しい顔ばかりしてないで、たまには笑ってみたらどうだろう。
案外、人生を楽しむって、そんなことかもしれない。
 

今日も大谷選手が笑っている。
真似して僕も、笑ってみる。
きっと楽しい毎日がやってくるに違いない。
あーあ、27歳の若者に教わっちゃった。

センスこそが最終目標

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先日の信州ドライブ旅行、松本市内のガソリンスタンドで給油。
僕と入れ替わりに一台のフェラーリが入ってきた。

 
同じようにドライブ旅行かな。
そう思ったけど、そのフェラーリは松本ナンバーだった。

 
ふーむ、そりゃそうだよな。
スーパーカーに乗っている人は都会に住んでいる人だけではない。
なぜか松本ナンバーのフェラーリがすごくカッコよく見えた。

 
最近、都内を走っていると、とんでもない高級車に日常茶飯事でお目にかかる。
運転している人を見ると結構若い人が多い。
どうしたら、その年でそんなクルマに乗れるのか。
羨ましく思うけど、同時に自分は何を羨ましがっているのか考える。
 

高級車に乗っていることが羨ましいのか。
高級車に乗れる、そんな生活が羨ましいのか。
うーん、まあどっちもなんだろうけど、微妙に違う。
 

要は金持ちになりたいのか、それとも金持ちになって何をしたいのか、そういう話。
たぶん後者はセンスの話だから。
金持ちであってもセンスのない人はたくさんいる、見てすぐわかる。
金持ちで、さらにセンスもある人、そんな人に憧れる。
お洒落で玄人好み、それでいて高級なクルマに乗っているような人。
まあ、見かけで判断していること自体、間違っているとは思うのだけどね。
 

間違いついでに、松本ナンバーのフェラーリを見てカッコいいなと思っちゃった。
なんかね、都会に住むこともなく、自分の暮らしを変えずにフェラーリに乗るという生き方。
単純にいいなーと思います。
見かけで勝手に妄想しているだけなのですけどね。
ちなみに松本市内にはフェラーリのディーラはないそうです。
 

そう考えると、お金持ちになることと、センスある暮らしをするということは違うのだろうね。
もちろんお金持ちであれば、そのセンスの幅や選択肢が広がるということなのでしょう。

 
センスのいいお金持ち。
素敵だね、羨ましいや。
自分は自分なのだから、ひとを羨んでもしょうがないって言うけど、しょうがない。
やっかみを持たなければそれでいいさ。
 

センスのある人のことはどんどん羨んでいいと思う。
そして自分もそんな自分になりたいと思えばいい。
シンプルにそう思うことにする。

飽きっぽいわけじゃない

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久しぶりにブログを更新している。
子供の頃から何ごとにも飽きっぽい性格。
おねだりしたプラモデル、たくさん買ってもらったけど完成した記憶がない。
 

昔からそうだ。
買った時点で満足してしまう。
今も変わらない。
奮発して買った服だってそう。
買っただけで満足してしまい、着てないものがたくさんある。

 
着るのがもったいない、とっておきの時に着ることにしよう。
こんな、しょうもないことを考えてしまう。
ようやく着る時はいつもセールで安くなった後。

 
果たしてこれは飽きっぽいというのだろうか?
根気がない?
いやいや執着心がないのかもしれない。

 
たぶん、目的を見誤っているのだろう。
洋服でも何でもいい。
欲しいもの、それを手に入れることで、なりたい自分になれると思う自分がいる。
それが、そもそもの大間違い。
買ったものは使い倒してこそ、自分のものになる。

 
でも、実はこんな人、意外と多い。
スニーカーマニア、箱に入れてそのまま、そっととっておく。
強者は同じものを二つ買い、ひとつは使い、ひとつはとっておくらしい。

 
こういう人はコレクターというのだろう。
家に使わないキャンプ用品が山ほどあるなんてのもよく聞く話。
僕らは幻想を求めて買い物をするのかもしれない。

 
人が羨むような、そんな何者かになりたい自分。
このグッズを使いこなせばそんな自分になれる。
だから手に入れてしまえばミッションコンプリート。
いつでも実行できる自分が完成する。
実行するかしないかは、もう、どうだっていい。

 
今日も懲りずにAmazonやZOZOで欲しいものを探している。
欲しいものを見つけることが目的になっている。
そう考えると、僕はこの行動をずっと飽きずに続けている。

 
そうかそうか、僕は飽きっぽいわけではなかったのだ。
根気がないわけでもなかったのだ。
だって、欲しいものを何十年も探し続けているのだもの。

 
欲しいものは何ですか
見つけにくいものですか
それより僕と踊りませんか

 
なるほどな、この歌はそういう意味だったのだね。
いまごろ分かった気がします。

 
まあ、まだ時間はある。
これから精いっぱい踊り続けようじゃありませんか。
きっと楽しい毎日がやってくる。

 

優秀な経営者とは

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仕事をしていて面倒くさいなーと思うことがよくある。
問題の解決より、組織の都合を優先する人たちとの会話。
こういう人と話すのは時間の無駄でしかない。
 

問題が発生し、どうやって解決するか、関係者で知恵を出しあい検討する。
そんな時、問題に対する責任の所在、要は自分には責任がないことの証明に躍起になる人たちがいる。
部長なんかの組織長がその役目を担うことが多い。
問題解決にその組織の力が必要な場合は、部長の上位者、役員などにエスカレーションして最終決定を謀ることになる。
説明も説得もそれ相応の時間が必要になる。

 
こんな会社多くないですかね?
僕の勤める会社だけなのかな。
そうであれば、うちの会社も長いことないのだろうね。

 
だって、こんな進め方が必要だというのなら、会社には意思決定する役員と現場だけがいればいいということになる。
中間管理職、組織長なんていらない。

 
でも、こんな対応をする中間管理職や組織長が出世したりする。
自分の組織を守り、責任を回避することが功績になるから。
経営的な判断ができると評価されたりしてしまう。

 
あーあ、困ったもの、ろくなものじゃないよね。
でも、社会とは、会社とはだいたいこんなものです。
優れた経営者はほんの一粒、あとは経営者のふりをした小賢しい大人たち。

 
それでも世の中はこんな人たちで成り立っている。
よく言えば、ダイバーシティ
無駄がいっぱいあって、その無駄を食い扶持にしている人たちがいる。

 
問題解決に汗をかく人たち。
問題の責任回避に汗をかく人たち。
どちらになりたいですか?

 
実は、問題解決に一丸となる組織を作れる人たち。
そんな人が必要です、こんな人たちがいる組織が良い組織。
こういう人たちを優秀な経営者というのだと思います。

 
実はそんな人たちがいる会社もたくさんある。
だから世の中は回っている。
もちろん、そうじゃない会社もたくさんある。

 
だから僕らは会社の意見や雰囲気に振り回されてはいけない。
自分で考え自分で決める必要がある。
簡単なようで難しい、でもそれを簡単にさせてくれる会社が良い会社。
幾つになっても忘れちゃいけないよね。
客観性が、僕らが正しく生きていくためのよりどころなのだと痛感します。
 

何かに集中する

 

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一年ぶり、信州へのドライブ旅行。
何も考えず、いや、色んなこと考えながらの一人ドライブ。
何かに集中することは楽しい。

 
松本からの帰り道、ヴィーナスラインで霧ケ峰に向かう。
前回は雨の中のレイニードライブ、それはそれで非日常的な光景に感動する。
今回は梅雨明けの日本晴れ、やっぱり晴天の中を走り抜ける霧ケ峰は格別だった。
なんと富士山まで見える、あー、日本って、地球って素晴らしい。

 
アマゾンの創業者が民間ロケットに乗って宇宙旅行に行ったらしい。
地球の姿に感激したってさ。
遠くから見るより近くで見たほうがもっときれいだよ、そう教えてあげたい。

 
僕らは、何処かに行かなきゃ特別なものには出会えないと思っている。
今いる場所にある特別なものには気がつかない。
気づくか気づかないかは自分次第。

 
だから、もっと耳を澄ましてみる、目を凝らしてみる、色んなものを感じてみる。
僕らは気づき感じ、何かを生み出すことができる。
そのきっかけも自分次第。

 
いつもの会社へ通う道、いつもと違う路線で行ってみる。
ささいな変化、ちっぽけな冒険。
それでも新しい何かに気づくかもしれない、出会うかもしれない。
そんな毎日を送りたい。

 
中央高速から府中競馬場が見えてきた。
むかし聞いた歌を思い出す。
中央フリーウエイ、口ずさみながら、その時の気持ちを思い出す。
あのころと違う今の自分の気持ちにも気づく。

 
やっぱりドライブは最高だな。
 

戦うことは本能なのか?

 ヤギ, 再生, 戦う, 角, 動物, 自然, かわいい, ボック, 戦いの姿勢, ビリーヤギ, 哺乳類

 

オリンピック、始まる前は不祥事てんこ盛りでエライ騒ぎ。
でも、やっぱり始まってしまえば大盛り上がり。
つくづく僕らはお調子者の単純な生き物だと思います。

 
このオリンピック、当然ながら国同士の競い合い、戦いの場。
スポーツマンシップに則ってとはいいますが、勝つか負けるかの真剣勝負。
自分の生まれた国を背負って戦うのがオリンピック。

 
ここで思うわけです、なぜ僕らは生まれた国を背負って戦うのでしょう?
そりゃ、自分の国には愛着もあるし、そこで暮らす人たちとの一体感もある。
それが文化だし、もしかしたら、もっと根源的な生物学的なルーツによるものなのかもしれない。

 
でも今回「多様性と調和」が大会理念として掲げられている。
男女はもちろん、トランスジェンダーなどLGBTの方も含めて互いに相手を認め合う大会。
世の中まさしくダイバーシティってやつ。

 
でも、ダイバーシティって人種、性別、年齢、信仰などにこだわらずに多様な人材が活躍できる社会ってこと。
だったら生まれた国に分かれて競い合うオリンピックって・・・、なんてことも思う。

 
野球だって、メジャーリーグのあの球団でプレイしたい、そんな理由で海を渡るのが当たり前の現在。
自分が活躍したい場所、プレイしたいチームで、そこに集まった多様な人材と競い合う方が何だかしっくりくる。
これこそダイバーシティなんじゃないだろうか。

 
結局オリンピックって、戦争をスポーツに置き換えただけのイベントではないのかしらん。
だから多様性とか言いながら、国という単位で競い合う、死に物狂いで戦い合う。
勝った選手は国旗を掲げて喜ぶし、負けた選手はなぜか国民に泣いて謝る。

 
僕らは本能的に争うこと戦うことがDNAに組み込まれているのかもしれない。
それが生きるということだと。
そういう生き物なのかもしれない。

 
だからなのか、その根源的な部分を無視して、多様性という響きのいい言葉だけを掲げているオリンピックに違和感を感じてしまう。
大坂なおみ選手が最終聖火ランナーって、誰が決めたのだろう。
単に多様性を表現したいだけだったのではないのと勘ぐってしまいます。

 
実はオリンピック憲章にはこう書かれているそうです。
「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」
やっぱりね、単純にアスリートの祭典なんだ。
それを僕らが国同士の戦いとか、多様性と調和とか勝手に意味合いを追加しちゃっているだけ、それだから色々とつじつまが合わなくなる。

 
僕はサッカーが好きだけど、最近は日本代表には興味がなくなっちゃった。
横浜F・マリノスと日本代表が対戦したら、間違いなく前者のブラジル人を応援する。
でもね、なんかこれが正しい姿のような気がする。
こういった感覚が、これからの時代はより必要なんじゃないだろうか。

 
いつかの未来、よその星からエイリアンが攻めてきた時。
僕らは地球人として初めて多様性を認め合い、一体化できるのではないだろうか。
結局は何者かと戦うことでしか自分たちを認め合えない、そんな生き物なのかもしれません。
 

プロセスか結果か

 陸上競技用トラック, 番号, 霧, 陸上競技場, ミスト, スポーツ, トラック, 実行している, スプリント

 
サッカーが好き、いやマリノスが好き。
正確に言うとマリノスのサッカーが好き。
昔のマリノスじゃない、今の攻めまくるマリノスのサッカーが好き。

 
マリノスの試合をDAZNで観戦する。
中継の合間に、スポーツ選手の名言が流れる。

 
カールルイス
「大切なのは、結果より道のり」

 
うーむ、そうなのよね。
どんなスーパースターでも、辛く険しいプロセスがあったに違いない。
そのプロセスを経たからこその結果だし、今がある、そういうことだろう。

 
でも、僕にはしっくりこない。
理由はわかっている、僕が凡人だからだ。

 
結果よりプロセス、そう言う人は心に余裕がある人だ。
もしくは結果に自信がある人、さらに言えば結果を出した人。

 
結果に自信がない人や、何の成果もあげられていない人、そんな人には結果が必要だ。
僕のことを言っている。

 
だからなのだろう。
僕は結果ばかりを望んで生きてきた。

 
勉強していても、欲しいのは良い点数、合格することが目標だから。
絵を描いていても、いい絵が描けた結果が欲しいだけ、描くプロセスはどうでもいい。
仕事をしていても、早く終わらせて遊びたい、だって仕事は好きじゃないのだもの。
観光地に行っても、訪れた経験が欲しいだけ、人に自慢できればいいのだから。

 
いったい自分は何のために生きているのか。
全くさえない人生だ。
でも、この人生が、この生き方が僕のプロセスなのかもしれない。
だって生きること、それが僕の結果なのだから。

 
生きている、そのプロセスを純粋に楽しめればいい。
あれ?おかしいね、カールルイスと同じこと言っているや。
片やスーパースター、片やただの凡人。
要は僕にとっての結果、ゴールは何かってことだ。

 
もっと鷹揚に生きたい。
それだけで、なんだか楽しくなってくるに違いない。
きっとそうに違いない・・・そう思う。
 
 

変わる、変えるってどういうことなんだろう、あーそうか「目的」を持つってことなんだ

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僕の「目的」は何なのだろうか?昨日、そんなことを思ってしまった。

 

仕事の目的やお買い物の目的を明確にする、それはわかりやすい。それでは自分自身の「目的」は何なのだろうか?

 

モテたい

偉くなりたい

お金持ちになりたい

幸せになりたい

好きなものに囲まれて好きなことして暮らしたい

 

確かのそうかもしれない。でもそれが「目的」なのかというと、そうではないような気がする。

 

モテたい、のはなぜなのか?

偉くなりたい、のはなぜなのか?

お金持ちになりたい、のはなぜなのか?

幸せになりたい、のはなぜなのか?

好きなものに囲まれて好きなことして暮らしたい、のはなぜなのか?

 

この「なぜ」、なんだと思う。

 

そんな風に考えると、よくわからない。これが偽らざる事実だ。でも同時にこうも思う、よくわからないから、そうなりたいのではないだろうか。なんか少し、しっくりきた。

 

まずはそうなってみる必要がある、そういうことなんだと思う。だから、そうなるためにはどうしたらいいか、モテるにはどうしたらいいか、偉くなるにはどうしたらいいか、お金持ちになるにはどうしたらいいか。

 

まずやってみよう、そういうことなんですね。

 

やるからには作戦が必要です、そして行動することが必要です。それが「変わる」ということ、「変える」ということなんでしょうね。

 

夢見ていてもしょうがない、願っていてもしょうがない、まずは自分でやってみなきゃ何も変わらない。

 

実は人生ってシンプルなことかもしれない、そんなこと思います。

 

目的は何だ、それがないから悩むのだ

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この週末は、なんだか知らないけれど気分が乗らない。何するにしてもやる気が起きない、そんなことってたまにある。

 

理由はたぶん、仕事で嫌なことがあったからだと思う。

 

昨日の土曜日は一日中、本を読んで過ごした。嫌なことがあったと嘆いていても仕方がない、たまには仕事関係の本でも読んでみようかな、自分なりにできることはしなくちゃ、そんなこと思い読み始める。

 

そんなこと思ったけど、休みの日に仕事関係の本を読むと、やっぱり気分はすぐれない。ますます、すぐれない、頭がいつの間にやら仕事モードになってしまう。だから途中で大好きなクルマ関連の本にチェンジした。

 

小説家の羽田圭介がクルマを購入するまでをまとめたエッセイだ、以前から気になっていたので、購入して読んでみることにした。

 

内容的にはとても面白い、というか、とても共感できることばっかりだった。

 

クルマを購入するのはとても労力がいることだ、それにディーラーの人との駆け引きというか、そんなやり取りに心身が消耗する。

 

僕はなぜだか人に気をつかってしまう質なので、クルマを選ぶ側でありながら、いつの間にやらディーラーの人に気をつかい、ご機嫌を取るようなリップサービスまでしてしまい、自分は何をやっているのだろう、そんなことよく思う。

 

羽田さんは、そこまで相手に気をつかうことはないようだが、それでもかなり気をつかう様が見て取れ共感した。

 

これって何なんだろう?

 

やっぱり、クルマが高額な品物だからかもしれない、加えて、外車ディーラーなんかは、ブランド物の意識が強いから、ディーラーの人の丁寧な姿勢の中にも上から目線な対応を感じることがよくある。

 

お前がこのクルマ買えるの?あんたにはこのクラスがお似合いじゃないの?いつの間にか話している中で、そんな雰囲気を感じ取ってしまう感じだ。

 

こちらとしては、少しでもいいクルマをお安く買いたいという心理が働くから、なぜだか、ディーラーの人に気をつかってしまう。

 

それに高額な買い物でありながら、そう何回も試乗出来ない。すぐに選ばなければならない、そんな雰囲気を醸し出されて、そこで決断しないと変な客、せこい客、そう思われてしまうような変な意識。

 

そんなこんなで心身を消耗する思いが、この本を読んで蘇ってきた。

 

羽田さんが色んなクルマに試乗して、自分に最適なクルマを導き出すエッセイなのに、そんなことばかりが気になってしまった。

 

そう思って、自分は目的が不明確なんだということに気がついた、だから、いつもプロセスのことばかりを気にして、その対応で四苦八苦してるんだと思う。

 

仕事もそう、クルマ購入する場合もそう、目的が明確であれば、そのプロセスにおける意思決定や人とのやり取りなんかで、気をつかう必要なんてサラサラない。

 

目的が曖昧だから、そのプロセスの中でどう行動をどうするかばかりが気になるんだ。

 

クルマを購入する目的、候補となるクルマ、予算を決めてから、その購入プロセスに臨めば、ディーラーの人の対応なんて気にする必要はない。

 

仕事も一緒なんだろうな。

 

あーあ、結局、仕事のことを考えてしまっている。まーしょうがない、でも「目的」はなんだ、それはすべてに共通することだと思う。やっぱ、芯を持たなきゃね、そんなこと思ったある日の週末なのでした。