「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

マリノスのサッカーが好き、改めて気づくJ開幕戦

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Jリーグが開幕した。

 

開幕戦は金曜日、通称「金J」、昨年度のチャンピオンチーム川崎と、一昨年度のチャンピオンチーム我らが横浜Fマリノスとの神奈川ダービーだ。

 

いやー、待ちに待った開幕戦、もう本当楽しみでした。数日前から、ずっとワクワクしてました。

 

結果は残念ながら2-0で完敗、まあそれはどうでもいいんだけど(負け惜しみです、もちろんどうでもいいなんてことはありません)、見ていて面白い試合だった。

 

詳しいことはよくわからないのだけど、前半はマリノスが今年から採用した新布陣がまったく機能せずに、やられまくっておりました。

 

でもね、何か見ていて面白かった、なんか新しいことにチャレンジしようとしている人たちを見るのは楽しい、それがマリノスですもの尚更です。

 

それに相手が昨年のチャンピオンチーム、完成されたチームと誉れ高い川崎相手に、それを実践する志の高さが誇らしいです。

 

普通だったら、強豪相手に戦い方を対策するはずなのです、それなのに、それよりも自分たちの新しい戦い方への挑戦を優先させたのだもの素晴らしいよ、本当そう思います。

 

それでも前半やられすぎてしまいましたので、後半は選手も変えてやり方も変えてきました、一見、これまでの陣形に戻したように見えますが、やっぱり違うのです。

 

右サイドの仲川を左に、そして右には水沼を。

 

そしてこれまで左サイドに固執してきた前田を真ん中に置き、そのちょっと後ろにオナイウを配置したように見えます。

 

これがこれが、アグレッシブなマリノスのサッカーを復活させたのです、後半は明らかに川崎を圧倒していました。

 

残念ながら、点は入らなかったけど、やっぱりこれですよ、見ていて楽しいサッカー、こういうサッカーじゃなきゃ見る気にならないもん。

 

だから、マリノスのサッカーは見るけど、他のチームの試合はあまり見る気にならないんだね。その理由が昨日の試合、前後半の変遷を見ていて改めて自分自身、理解できました。

 

前半試した形に失敗したから、去年の形に戻しただけじゃん、みたいな言われ方もしているようですが、僕はそうは思いません。特に後半の姿は昨年のマリノスをスケールアップしていたように感じたからです。

 

これで前半の新しい取り組みまで形になってきたら、どんなマリノスのサッカーが見れるのかしらん。モー楽しみしかないぜ!

 

試合後、川崎の選手もイマイチ喜んでいないように私には見えました。シミッチ選手とか特にね、なんか得体の知れないものを感じたんじゃないかしらんと、勝手に思う私です(思うのは、自由だもんいいじゃんね)

 

ということで、ビバJリーグ! ビバマリノス

 

早く暖かい太陽の下、スタンドでビール飲みながら試合を見たいなー!もうすぐ春がやってくる、今年もWe Trust Bossなマリノスをみることができる幸せをかみしめたいと思いまーす。

 

メンテナンスって大事、人もクルマも一緒です

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車検からクルマが返ってきた。

 

当たり前とは言え、車検に出すクルマを見送った時は、どこかに行ってしまうような気がしたから、戻ってきてホッとしている。

 

こんなことを考えるのもアイツが家出をしてしまったからだ。まったく嫌になる。

 

整備費用約35万円、税金約8万円の総額43万円、まったくもって目が眩むようでございます。普通の人だったら、きっと買い替えを検討するのでしょうね。

 

走行距離は37000キロ、9年目のクルマにしては少ないほうなのでしょう。なので、ちゃんと手入れをすれば、まだまだしっかり乗れますよ、そんなディーラーさんの優しい声に後押しされた次第です。

 

交換した部品は、タイヤ、バッテリー、ブレーキパッド&ローター、オイルにワイパー、それと修理が必要だったABSの検知装置などでした。

 

ディーラーのお兄さん、しっかり変えておきましたよ。これだけ変えると乗り味も変わると思いますから楽しみにしてください、温かくなったら遠くまでドライブに出かけてくださいねー。

 

そんな温かいお言葉をかけていただきます。さすがヤナセです、教育が行き届いてるわー。

 

ということで、整備終了のクルマを受け取り、ディーラーを後にします

 

ん?

 

スーーーーーーー。。。

 

何やら走りが違います。素人さんでもわかります。これまで車検を受けて何かが変わった印象を受けたことはありません。それが今回は明らかに違うのです。

 

乗り味もそうだし、静かさ、そしてエンジンもなんか元気になっているような気がする。。。どういうこと?

 

タイヤなのかオイルなのか、もしかしたらブレーキなのか。それとも、余程これまで劣化していたということなのか。

 

とにかく走りが、静粛性が、レスポンスが改善されているのでございます。

 

もしかしたら43万円を支払った私の頭がそう感じさえているのかもしれません。

 

まーいいか、いずれにしてもドライブが楽しくなったことは間違いございません、もしかしたらクルマを改造する人たちっていうのは、こういう違いを感じたくて行っているのかもしれませんね。

 

僕のカラダの部品も交換できたらいいのになー、そんな妄想膨らむ一日なのでございました。

 

あらためて思う、僕らはジコチューな生き物

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以前読んだ、稲垣栄洋さんの「生き物の死にざま」をパラパラとめくる。鳥に関する話があったかな、何かそんなこと思い読み返してみた。

 

鶏の話が出ていた。

 

鶏、ここでいう鶏は食用のブロイラーのことだけど、生まれてから4~50日で出荷されるらしい。

 

元々鶏は、東南アジアの森林にいる野鶏がルーツらしく、この野鶏の寿命は10年~20年くらいらしい。

 

この野鶏が改良されたブロイラーの寿命を知る人は誰もいないのだろうけど、5年から10年くらいは生きるのではないかと書かれていた。

 

凄まじいよね。

 

普通であれば5年から10年は生きる鳥の命を僕らは一か月足らずで食料として扱ってしまう。スーパーなんかで国産「若鶏」とよく書いてあるけど、それがこれに当たるらしい。

 

こうなると、もう感情も何もあったもんじゃない。

 

人間っていうのは、そういう生き物なんだよね。牛や豚や魚だって同じように扱う、僕らは動物を食べて生きている。

 

食べるために飼う、そういう生活を大昔からしてきたはずだ。だからこそ、自分たちに食べられる動物たちに感謝して食べる、そして自分たちが生きる、そういうふうに暮らしてきた。

 

一方で、いまは平和な時代だから、自分たちで飼育したりすることもない、スーパーに行けば食材として好きなだけ買うことができる。

 

だから、今の時代で身近にいる動物と言えば、ペットということになる。

 

そしてペットを愛する人もいれば、虐待する人や捨ててしまう人なんかもいる。売られているペットがいる一方で、年間何万頭も処分されている。

 

まったく、僕らは身勝手な生き物だ、食べたり、作ったり(?)、飼ったり、育てたり、遊んだり、動物たちも大変だ。

 

だからペットが死んで悲しむというのも、僕らの身勝手な思いでしかない。僕らはみんなジコチューな生き物なんだ。

 

でもそれらも含めて生きるということなんだろうね。僕らは僕らで、僕らのために生きてくれた動物たちに感謝するしかない、それしかないんだろうね。

 

結局、僕らは僕ら自身の事しか考えていない、だからアイツの感情は僕の感情としてしか存在しない、そういうことなんだ。

 

勝手だね、そう勝手なんだ。僕らは自分勝手な生き物、だから賢いようで愚かなんだ、よくわかったよ。

 

電波が見えるメガネが欲しい、そこには恐ろしい光景が。。。

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いよいよやってまいりました花粉症の季節、私は「アレグラ」様から手が離せません。

 

以前はこの薬、お医者さんで処方してもらわないといけなかったんですよね、いまでは薬局で買えるので至極便利になりました。

 

とはいえ、最近はリモートワーク主体で外に出る機会も大幅に減っています。花粉症持ちにはありがたいことこの上なしです。

 

そんなリモートワークですが、時々回線、つまりWIFIの調子が悪くなるときがあります。結構大事な会議で回線が落ちちゃったり、音声が不明瞭になっちゃったり、ちょっと焦ります。

 

特にうちの場合、お昼時や夕方になると、調子が悪くなる時が見受けられました。たぶん、休み時間になり、回線の使用料が増えるんだろう、そんな風に思っておりました。

 

なんですが、お昼時は大概11:45くらいから調子が悪くなり、12時ごろには回復するのですよね、うーん、不思議、そう思っておりましたら、会社の子に言われました。

 

電子レンジ使ってません?

 

なんと、電子レンジがWIFIの電波に干渉するらしいのです。時間的にもぴったり、家族がお昼ご飯のために何やらを温め始める時間とドンピシャです。

 

でもなー、電子レンジとWIFIルーターは別の場所にあるのになーと不思議に思う次第です。

 

ということで改めて見てみると、台所の奥にある電子レンジ、その前には食器棚と壁、そして壁の向こう側はリビングの入り口で電話台が。。。そうです、ここにWIFIルーターが設置されているのでございます。

 

なるほどー、食器棚や壁も通り越して影響を与えていたわけなのですね。電子レンジ恐るべし。

 

どうやら、電子レンジは2.4GHz帯の電磁波を発生させる機械らしく、同じ帯域で使っているWIFIと干渉してしまうらしいのです。

 

ということで、WIFIルーターを5GHz帯に変更した次第でございます。

 

いやー知らないことって多いな、それにしてもこんだけ様々な電波(?)やら何やらが飛び交っていて、そこには大容量の様々なデータが流通していて、僕らの生活は大丈夫なんでしょうか。

 

いちど電波が見えるメガネでもあれば見てみたいもんです。そこには恐ろしい光景が展開されているかもしれないね。

 

事実だから言葉で取り繕う、それは隠ぺいと一緒

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東京五輪パラリンピック組織委員会、森さんの不適切発言から、辞任、そして橋本新会長の選出に至るまでの一連の流れ、まったくようやるわ、そんな感想しか思い浮かびません。

 

女性蔑視発言、男女差別そんな問題に起因したことから、政府やらIOCやら、オリンピックスポンサー各社は対応に必死です。

 

特にスポンサー各社のコメント合戦には笑います、もう他社がコメントするならうちもコメントしなきゃと言った感じの大作文大会。ダイバーシティインクルージョンを積極的に推進します、そんな内容であふれかえっていました。

 

各社ともどんだけ女性の役員や管理職を登用しているのでしょうね、一緒に公開すればいいのにと思います。

 

こういった関係者の発言や対応を見ると、女性蔑視や男女差別というのは現代社会に間違いなく存在してるということがよくわかります。それを認めているからこそ、自分たちはそんなことしてませんという発言をしなければいけない、そんな感じです。

 

自民党の竹下さんが「橋本さんはああいう性格です。しかもスケート界では男みたいな性格で、ハグなんてのは当たり前の世界です。それをセクハラだと言われたら、これはかわいそうだなと…」という発言も突っ込みどころ満載で、大変話題になっていました。

 

それに対してテレビのニュースなんかでは、この「男みたいな性格」というところを、今時であれば「アクティブな方」とか「エネルギッシュな方」に言い換えたほうがいいなんて言ってましたけど、これってある種の隠蔽ですよね。

 

本当はそう思っていて、意味合いもよくわかるんだけど、そう言ってはいけない、だからこういう表現に変える、そんな小手先で取り繕う風潮が社会に蔓延すると嫌だなー、ホントそう思います。

 

そもそも、後任が女性であるべきなんて、それこそ男女差別も甚だしいと思います。

 

実力のある人がしかるべき立場に立つべきであって、男性でも女性でもどっちでもいいわけです。それなのに女性から選ぶなんて、かえって女性をバカにしているような気がします。

 

なんかねー、そもそも男性と女性は体の作りが違うわけですから、その辺の「違い」もわきまえた上で、機会の平等を徹底していくべきなんではないかと思います。

 

そうじゃないと、そもそも男女で競技種目を分けているのもおかしい、差別だ、そんな話になってしまいますからね。

 

これまでは、戦争など戦いの中でかよわき女性を男性が守る、そういう世の中だったのでしょう。平和じゃなかったということです、この点は忘れちゃいけないよね。

 

その上で、今は平和な世の中なんだから、機会均等にみんなが、差別なくやりたいことがやれる社会、そういう認識を持つことが大事なんではないかと思います。

 

クルマ自体に感情はなくても、僕ら自身の感情と一体化するのだ

 

アイツが家出をしてしまったその日の午後、車検に出すためディーラーの人がクルマを取りに来た。

 

色々考えたのだけど、今のクルマを4回目の車検に出すことにした、タイヤやらバッテーリーやらを各種交換するため、総額40万コースだ。

 

この機にクルマを買い替えようか、そんなことも思ったけど、他にそれほど欲しい車があるわけでもないし、何より今のクルマを気に入っている。

 

もちろんお財布の事情もあるわけだけど、それでも車検にこんな費用を払うならみたいなことも考える。でも、クルマ自体を替えるとなると支払うお金の桁が変わってしまう。

 

これまで、あまり深く考えずにクルマを買い替えてきたけど、今後のサラリーマン生活なども考えると、今さらローンはしたくない、だから簡単に買い替えるという選択肢には至らない。

 

うーん、僕もオッサンになったのだな。欲を言えば、あまりそこら辺を考えずに好きなクルマに乗れる身分になりたいけど、しかたがない。

 

頑張って好きなクルマに乗れるよう自分で頑張るしかない、夢見て願っているだけでは、何も変わらないし実現できないということに、先日、気づいたばかりだ。

 

やってきたディーラーの人に鍵を渡し、僕は自分のクルマが駐車場を出ていくのを見送った。

 

なんか変な感じだ、さっき、アイツを見送ったばかりだもの、僕のクルマがもう帰ってこないのではないか、そんなことを思ってしまった。

 

以前、クルマを買い替えた時に感じた思いが蘇ってくる。

 

クルマは単なる機械だ、だけどそれに乗っていたのは僕ら生身の人間だ、だから僕らの思いや感情はクルマと一緒にある。つまり僕らの感情はクルマと一体化している。

 

クルマ自体に感情はなくても、僕ら自身の感情と一体化するのだ。

 

家出してしまったアイツも、最後に出ていくときは感情もなく機械と同じような状態だったけど、僕らの感情はアイツと一体化していた。

 

そうなんだな、僕らは身勝手な生き物、相手が生きていようがいまいが、自分に取り込んで自分の感情にしてしまう。

 

そう思うと、僕も誰かに取り込まれ、その誰かの感情と一体化されているのかな、そんなこと思う。

 

アイツが家にいた時、アイツの感情に僕はどう一体化されていたのだろうか。

 

何だか知らないけど、知りたくなる。僕らはホント、面倒くさい生き物、そう思う。

 

いつもの場所に、いつものものがある幸せ

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いつもの場所に、いつものものがない。

 

テレビのリモコンやらスマホやらメガネやら、あれ?と思い探すと、ソファーの隙間にあったり、違う場所に置き忘れていたり、面倒だなーと思いながら、いつもの場所に置き直す。

 

同じように居間の傍らには、いつものように鳥かごがある。

 

いつものように温かい毛布が掛けられている。

 

あれ?姿が見えないな、そう思い、ここに居たいつものアイツが、もうここには居ないことを思い出す。

 

不思議なもんだ、あいつがいなくなってから、何回、こんなことを繰り返しているのだろう。

 

もうここには居ないことを思い出しては、なんだか不思議な気持ちになる。

 

多分生まれてこの方、ずっとかごの中の生活だったのだろう、それが、かごの中に居ないということは、一体どういうことか。

 

念願かなって、外の世界に飛び立ったのだろうか。アイツは外の世界でも逞しく生きていけるのだろうか、すぐに戻ってくるのではないだろうか。

 

隣の芝生は良く見えるっていうけどな、アイツなりに思うところがあって家出してしまった、そんなところかもしれない。

 

アイツは動かなくなると、フリルのついた真っ白いハンカチにくるまれ、これまたきれいな箱に入れられた。

 

箱の周りには花が飾られ、餌と水、いつも遊んでいたおもちゃがその脇に飾られている。

 

近所の公園に埋めに行くのかと思ったら、専門の業者が引き取りに来た。作業着を着た普通の青年だった。

 

箱の中に花を詰め、リボンで蓋を閉じる。バレンタインかなんかのプレゼントのようだ。

 

作業着を着た青年にその箱を渡すと、青年は大切そうにその箱を胸の前に持ち、そのまま行ってしまった。

 

僕ら家族はその様を見送り、僕はちょっとだけ手を振ってみた。

 

これがアイツが初めて家を出た瞬間だった。ようやく外の世界に出れたのだ、そもそも出たかったのかどうかすらわからないけど。

 

こんな感じでアイツは家出をしてしまい、家の中にはアイツが使っていたものだけが所在なさげにそのまま残っている。

 

この違和感はいつまで続くのだろうか。たぶんそのうち、忘れてしまうんだろう、それまでの間のことだ。

 

いつもの場所に、いつものものがある。それって、幸せなことなんだ、そんなことを生まれて初めて知った。

 

ペットなんて嫌い

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ペットは嫌いだ。

 

よくテレビで犬や猫を溺愛している人を見るけど、不思議でしょうがない。基本、土足だし、ウンチしてもおしっこしてもそのまま部屋の中を歩き回るんだから、衛生的にもどうなのかと思う。

 

それに家の中にペットがいると色々と気を使う、夜中に電気をつける時もそうだし、大きな音出さないようにとか、知らないうちに気を使わなきゃならないのが面倒だ。

 

せっかくの自分の家なのに、好き勝手に過ごしたいじゃないのよさ、いっつもそんなことを思う。

 

それに何だかんだ言って、家族からチヤホヤされて、僕なんかホットかれて。。。あれ?それは僕の問題か、いずれにしてもペットを飼うなんて面倒くさいだけだと思う。

 

といっても、うちにイヌやネコがいるわけではなく、いるのは鳥かごに入った小さなインコだけだ。

 

それでも、たいそう大事にされており、ホント僕なんかより大切にされていること間違いなしで、まったく幸せな奴だ。

 

以前、このブログでもそんなことを書いた。

 

blue-jk.hatenablog.com

 

そんなインコ、名前はスーというのだけど、3週間くらい前から調子が悪く、僕は家人に言われ動物病院に連れて行った(これまでも何回も行っている、そのたびに一回一万円くらい払う)。

 

薬をもらうも、だんだん餌も食べなくなり、痩せていき、まぶた(?)も重たそうで、ここ数日は昼間でも寝ていることが多かった。

 

鳥かごの中にある、ヒーター(ヒーターですよ、専用のヒーター)に寄り掛かるように寝ていた。鳥かごには毛布も何枚もかけられて、まるでお大名のようだ。

 

一昨日には、ようやく餌を食べるようになり、娘が食べるポテトチップスをついばんだりして、ようやくいつもの姿に戻った。

 

なんだ、元気になるんじゃないか、そう思ったら、次の日の朝、鳥かごの中で死んでいた。

 

動物も人間も一緒なんだ、亡くなる直前に一瞬だけ元気になる、不思議なもの。

 

うちの母もそうだった、そんなことを思った。そういえば、二重になった目元も、なんとなく亡くなる前の母に似ていた。なんかそう感じた。

 

もう家人や娘は泣きじゃくるし、あー、これだからペットは嫌なんだ、本当そう思う。ペットを飼うとき、最初に約束したはずだ、いつか僕らより先に死んじゃうんだからねって。

 

それでも、動かなくなったスーを見ると、それなりに色んなことを思い起こす。

 

鳥かごから出ると真っ先に僕のところに飛んできたこと
僕の頭の上にとまり、僕の耳や首筋をかじって痛かったこと
ピッと鳴く声に合わせて僕が口笛を鳴らすと、延々そのやり取りが続くこと
お決まりのドラマの主題歌がかかると、勢いよく鳴き始めること
たまに鳥かごを見ると、自分をかごから出せと柵を開けようとしたこと
酔っ払って、お前はイイよなとか、ひとりスーを見て呟いたこと

 

うーん、だからペットは嫌なんだよ。まったく。

 

スーは僕の口笛にどんな思いで反応していたんだろうか
スーの目にはうちの家族はどんなふうに見えていたんだろうか
スーはこの家で暮らすことをどう思っていたんだろうか
スーは何のために生まれてきたんだろうか
スーは何を考え最後の時を迎えたんだろうか
スーの人生(鳥生?)は幸せだったのだろうか

 

夜中起きて水を飲みに居間に行く、音をたてないように電気をつけないようにしている自分に気づき、傍らにあるからっぽの鳥かごに気づく。

 

あー、だから言ったじゃないか、ペットなんか嫌だって。本当にそう思う、ペットなんか大っ嫌いだよ。

 

もー、困ったもんだ。いつの間に僕らをこんなに幸せにしてくれちゃったんだよ、もー。君も少しは幸せだったのかな、そうであったら嬉しいな。

 

スーさん、さようなら。ペットなんてホント嫌いだよ。

 

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「受け入れる」ことが、次に向かうために必要なこと

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僕は「受け入れる」ことができているのだろうか。最近、そんなことをよく思う。

 

こうありたい自分、他人からこう思われたい、こう見られたい、そんなことをよく思うけど、そんな自分でいるかというと、必ずしもそんなことはない。

 

そんな自分に気づくとき、誰にもあると思う。

 

その時に大事なこと、それは「受け入れる」ことができているか、それとも「誤魔化」しているか、だと思う。

 

誰にでもプライドはあるし、自分が自分で望んだ自分でないことがわかることはツライし悲しいことだ。それでもその現実を受けとめて「受け入れる」ことができる人は強い。

 

僕はと言えば、「誤魔化」していることが多い、そんなことに最近気がついた。

 

「誤魔化」すとは、他人を誤魔化すということではない、自分自身を誤魔化すということだ。

 

たまたま運が悪かったんだ、やればできるんだ、アイツだって同じようなもんじゃないか、僕はこんなもんじゃない、やろうと思えばいつでもできる、理解しないアイツが悪い。。。そんな感じだ。

 

そんな風に自分を「誤魔化」すと、誤魔化す僕になってしまう。そのままずっと、その時の僕のままだ。

 

僕は「受け入れ」なきゃいけない、自分の至らなさに自分で納得しなければならない。

 

「受け入れる」とは次に向かうことだ。

 

受け入れなければ、次に向かえない。同じ場所に居続けなければならない。そして誰かが助けに来てくれるのを待ち続けなければならない。

 

「願う」というのはそういうことだ。

 

そんなことに今ごろ気づいた。

 

僕は「受け入れる」、自分の不甲斐なさ、自分の至らなさを「受け入れる」。そして次に向かう、次に向かって歩き出す。それが「新しい楽しみを見つけ続ける日々」だと思うから。

 

あーあ、今ごろこんなことに気づくオッサンです、まーいーか、これからだよね人生は、成長するって難しい、でもこんなオッサンでも成長できるってことだ、がんばろー。

 

楽しむってことは、ただ楽しむだけでいいんだ、そんなことを知る

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先日の千葉一周の旅、実は一泊してまいりました。

 

世の中は緊急事態宣言中、STAYHOMEが求められ、Gotoも停止中ではありますが、何度も言います通り、クルマで一人ドライブは至極安全な旅だと思っております。

 

お昼はコンビニでおにぎり、夜もビジネスホテル近くで買い出して、ひとり寂しく部屋食した次第です。

 

二日目は銚子に向かいました、犬吠埼ですね。

 

前回、千葉の景色が北海道に似てるって話をしたんですが、この犬吠埼にある灯台、ここは室蘭にある地球岬灯台に感じが良く似てるんですよねー。

 

まあ、崖の上にある灯台はみんな、こんなもんかもしれませんが、それにしても雰囲気が良く似ています。

 

この犬吠埼に向かう途中ですが、九十九里の海岸によりました。たまたま、道を入った先にあった海岸で吉崎という場所だったんですが、他にもクルマで来ている人たちがちらほら。

 

海をみると、サーフィンやっている人たちがそれなりにいたんですね。

 

なんかいいなー。

 

実はサーフィン、憧れてます。一度やってみたい、そんなことを今さらながら思ってるオッサンなんです。

 

しばらく見てたんですが、ここでサーフィンしてる人たちなんともいい感じ、湘南海岸なんかで見る、「密」な感じはまったくなく、みなさん波と戯れている、そんな感じでチョー楽しそうです。

 

しばらく見てると、おっさんが三人くらいクルマでやってきて同じように海を見ています。

 

地元の人かな、そう思っていると、そのオッサンたちクルマに戻り、ウエットスーツに着替え始めるではありませんか。

 

どう見てもただのオッサン、姿かたちもお洒落でも何でもない、ただのオッサンなんです。クルマだって多摩ナンバーの軽自動車でした。

 

湘南で見るサーファーは、オッサンであっても白髪交じりの長髪をポニーテールにして、こじゃれた外車のワゴンに乗るお洒落オッサンばかりだったのでビックリです。

 

うーん、楽しむっていうのはこういうことなのかもしれないな。

 

オッサン三人組は、楽しそうに海に向かっていきました。単に僕と同じように通りすがりに海を見に来ただけかと思っていましたが、まさかプレイヤーとは。

 

しかしね、僕なんかすべて形から入る方だし、他人の目ばかり気にしちゃうんだけど、楽しむってことは自分が楽しむってことなんだよな、そんな当たり前のことを知る九十九里の海なのでございました。

 

人生はべんきょーと挑戦だ。いつかサーフイン、やってみたいなー、その時は出来ればお洒落サーファーがいいなー、まったく学びのない私でした。

 

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いつもの右を時には左へ、さらに左へ向かうと何がある?

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先日、ドライブ旅行に行ってまいりました。もちろん一人です、友達いないんです、ほっといてください。

 

友達は愛車です。今度、4回目の車検に出すことが決定した中古のベンツCクラス金色です。

 

以前ね、三浦半島をいつもは右へ曲がって湘南方面に向かうところを、左の浦賀方面に向かってみたところ、新しい発見がたくさんあり、楽しいったらありゃしなかったことをお伝えしました。

 

そこで今回はさらに左へ行ってみようというわけで、アクアラインで千葉にわたり房総半島を反時計回りに一回りすることにしたわけです。

 

これがねー、ほんとモー、サイコーでございました。千葉ってこんな良いところなんだ、そんなこと思いました、ホント、北海道みたいだった。北海道でさんざんドライブしてた私が言うのですから間違いありません。

 

特に南房総の海岸沿いの道は、襟裳岬に向かう海岸線のようで、何か懐かしく、そして右手に海を見ながらのドライブはサイコーだったんですね。

 

道の両端には、もう菜の花が咲いていてね、あー春がやってくるんだなーそんなことを思い感じさせてくれます。

 

それにしても、恐るべし千葉、場所場所によって海の色も違うし、その海に応じて海岸沿いの景色も大きく変わります。

 

南房総はほんと何もない感じ、人があんま住んでない感じの場所で、だからなのか所々に観光施設があって風光明媚さが感じ取れるステキな場所でした。

 

その先の鴨川やら勝浦は、完全な地方都市ね。広島や岡山なんかの瀬戸内海沿いの町、そんな感じです。

 

その先を北上すると九十九里海岸沿いに一宮という町があります。ここはサーファータウンなんですね。知らなかったなー、こんな場所があるんですね。

 

この一宮の海沿いの道には、こじゃれたサーファーショップや、サーファー向けと思われる賃貸らしき住宅がたくさん並んでいるのです。

 

先日訪れた浦賀あたりでも感じたけど、知らないって罪だよなー、近いところにこんな場所があるなんてね。

 

観光地を訪れるだけが旅じゃない、そんなこと思います。

 

この千葉一周、左回りの旅なんですが、一番感動したのがこちら。

 

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南房総、館山から見た「富士山」でございます。

 

いやー、千葉に旅行して富士山が見られるとは思っていませんでした。東京湾越しにぽっかり浮かび上がる富士山、それはそれは素晴らしい景色でございました。

 

いつものことですが、色んなものに刺激を受け、元気づけられたドライブな旅でございました。さーて、クルマを車検にださなきゃな、これからも一緒に色んな所に参りましょー。

 

そんな思いを新たにする、春を感じる一日でございました。

 

小さな一歩は大きな一歩、フライパンを買う

 

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フライパンを買ったんです。

 

リモートワークになり、毎朝、家で朝食を食べる日々。いままで家で朝食を食べるのは土日だけだったから、家人がいつも作ってくれていた。でもねー毎日じゃあねー、そう思い、最近は自分自身ですますことが多い(当たり前と言わないで)。

 

定番は「シラス」や「シーチキン」「海苔」なんかをご飯にかけてお醤油で混ぜたものや、たまに「カレー」なんかを温めることもある(朝カレーね、もちろんイチローさんのモノマネです)。

 

でもね、やっぱり飽きてきちゃうんですよね。そこで、火を使う料理(?)にチャレンジ(?)です。目玉焼き(!)を作ることにしたんです。

 

適当に油をひいて、塩コショウで味付けして、ハムやベーコンなんかも一緒に焼いたりしてね。

 

でもイマイチ美味しくないんだよなー、なぜだろ。

 

加えて、家人に言われた決定打、「このフライパン使うのやめてくれない、痛むから」・・・。。。

 

フライパンが痛む?なんじゃそりゃ。確かに、なにやら良いフライパンを使っているらしいのだけど、痛むから使わないでとは。。。シュンて感じです。

 

ということで、ホームセンターで安いフライパンを購入した次第、焦げ付きにくいのがいいなとT-falの2000円くらいの奴です、蓋も買いました。

 

僕はですねー、まったく料理しないんですね、以前、単身赴任で札幌に2年弱、独り暮らししたことがあったんだけど、新築で入ったこの部屋のガスコンロ、結局、一回も火をつけることありませんでした。

 

そんな僕ですので、目玉焼きを作る、しかもハムやベーコンも一緒に焼いてみる、大大大進歩なんですね。小さな一歩も僕にとっては大きな一歩ってやつです。

 

ということで、ウインナー焼いたりもして、段々目玉焼きも焼き加減がいい感じでできるようになってきた昨今でございます。

 

それにしても、料理器具(?)を買ったのは生まれて初めてです。人生初のマイ・フライパン、さてさて、この後、どんなものが作られることになるのでしょう。

 

ちょっと楽しみ、人生何ごとも経験、なんてことを今さら知るおっさんなのでした。失礼しましたー。

 

「新しい楽しみを見つけ続ける日々」はどこにある?

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海沿いの道をドライブしているといつも思う。いつかこんな場所に暮らしてみたい。

 

窓の外には海が広がり、
温かい日差しの中を椅子に座りまどろむ、
気が向いたら浜辺を散歩、
暖かい陽にくるまれて一日を過ごし、
日が暮れ始めたら庭のベンチでビールを飲み、
気が向いたらお気に入りの音楽を聴きながらバーベキュー、
そんな一日。

 

まったりとしていながら、優雅な一日、そんな生活に憧れる。

 

同時にこうも思う。

 

たまにその様な生活を送るから楽しいのであって、それがいつもの日常になったら、楽しくなんかないのではないだろうか。

 

どうなんだろうね。

 

僕はそんな生活を送ってみたことがないからわからないや。

 

それでもいつか、そんな生活を送ってみたい、そう思う。

 

そんな日常を楽しむ、そしてそんな日常の中で「新しい楽しみを見つけ続ける日々」、そんな日々を送ってみたい。

 

そう思ったら、いつもの日常をそんな日常に変えない理由が何もないことに気がついた。

 

足を踏み出すか、踏み出さないか、その違いでしかない。

 

じゃあ、足を踏み出せばいいじゃない、足を踏み出さない理由がない。

 

同時にこうも思う。

 

僕は本当に海辺での生活を送りたいのか。

 

暮らす場所を変えるだけで、幸せな日常を送ることができるのだろうか、「新しい楽しみを見つけ続ける日々」を送ることができるのだろうか。

 

「新しい楽しみを見つけ続ける日々」、そんな日々を送ることが目的であって、それができなければ、どんな日常であってもいつもの日常になってしまうのではないだろうか。

 

つまりだ。

 

今の日常で、「新しい楽しみを見つけ続ける日々」を送ることができなければ、どんなに場所を変えても、僕が欲している日常はやってこない。きっと、誤魔化し続けるだけだ。

 

そうなんだなー、薄々は思っていたけど、今の日常を楽しめないやつが、場所を変えただけで、日常を楽しめる奴になれるわけがない、すぐに飽きてしまうはずだからね。

 

だからね、今ここで、自分が置かれたこの場所で何ができるかなんだ。いまさらながら、そんなことに気づきます、相変わらず遅いね。「新しい楽しみを見つけ続ける日々」、やってみようじゃないのよさ。

 

僕らは守られている、まずは気づくことから始めよう

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夕暮れ時、西に向かってクルマを走らせる。

 

目の前には思いっきり太陽が。。。もう眩しくて仕方ない。それと同時に何か、えも言われぬ不思議な神々しい雰囲気を感じる。

 

太陽に吸い込まれていく、そんな感じ。

 

未知との遭遇」という映画で、そんなシーンがあったなー。目の前にあるのは眩しい眩しい太陽さんなんだけど、なんか宇宙船のようで、その宇宙船にクルマごと吸い込まれていくような感じです。

 

そもそも太陽とは何なのでしょう。

 

遠く離れた宇宙の彼方にあって、星そのものが燃えている、あー、なんてことでしょう、そんな超絶不思議な物体が太陽さんなのです。

 

だいたい、大昔から燃え続けてるって、一体全体どういうことなんだろう。それに空気がないと火はつかない、ということは太陽には空気がある???あー、この世は何なんだろう、夜も眠れなくなりそうです。

 

そんな超絶摩訶不思議な太陽さんなんだけど、その神々しい光は、僕らを温め続けています。

 

窓辺の椅子に座って、日向ぼっこ、こんな時間はサイコーです、至福の瞬間。一日中、薄暗い自分の部屋でリモートワークしてると、そんな太陽の温かみが恋しくなってしょうがありません。

 

もしも太陽が燃え尽きちゃったら、僕らの世界はどうなるんでしょう?

 

ずーと夜になっちゃう、そんな生易しいものではないようです。気温は一気に氷点下になり、海も凍ってしまう、それに草木も光合成できなくて死に絶えちゃう、つまり酸素が生成されなくなり、人類というか動植物全部があっと言う間に滅亡してしまうということのようです。

 

うーん、そう思ったら、ますます太陽さんが恋しくなってきたというか、神聖なものに見えてきた。

 

そもそも「燃える」、つまり「火」って不思議なものだと思います。たまに焚火なんかするとずっと見続けちゃうもんね。

 

そんな不思議な太陽さん、知らないうちに僕らをずっと見守ってくれていたわけです。僕らは全然気づかないっていうのに、ありがたいもんです。

 

僕らは一人のようでひとりじゃないということですね、なんか、ちょっと元気が出てきた、ものすごく出てきた。

 

たまには太陽と一緒にまどろんでみることをお勧めします。もちろん見続けることはできないけど、感じてみましょうよ、新しい気づきがあるかもしれません。

 

正論なんていらない、自分で判断することが大事

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東京五輪パラリンピック組織委員会長の森さん、エライことになってます。

 

ご本人がどう思われていたかは関係なくて、女性蔑視と受け取られる発言をしたこと自体に弁解の余地はありません。まったく持ってNGなご発言だったと思います。

 

それにもかかわらず、謝罪会見で弁解、つまり言い訳(逆切れ?)しようとした訳ですから、火に油を注ぐというか、エライことになってしまった訳です、単に自業自得ですね。

 

これはこれで森さんご本人の問題なのでしょうがないとして、私が気になっているのは、どうしてここまで皆さん、森さんひとりを責め立てるのかということです。

 

テレビ、新聞、芸能人から政治家、一般の企業まで、すべての人や組織が、森さんをトンでもない奴だと非難しています。もう集団いじめを見ているようで不快です。

 

こんだけ騒がれたんだから、「あいつバカだなー」でいいじゃないですか、それなのに後からあとから森さんの発言を非難する声が出てきます。

 

まるで、非難しなきゃいけないような、非難しとかないと自分がまともな奴だと思われない、だから非難する、そんな雰囲気さえ感じられるのです。

 

この世に蔓延る、正論言っておけば大丈夫、責任逃れの足跡残し、そんな風潮です。

 

だいたい、非難してる人たちは、森さんの発言の全文見てるんですかね。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言は、よく読むと、文科省から女性理事を4割と言われていることに対して出てきた発言なんですよね。

 

社会全般で女性の登用はまだまだ進んでいないのが実態、逆に女性だからというだけで役職に登用される人も出てきている、そういう人たちはおのずと競争意識が高くなるから、会議に出席した全員が他の人に負けじと発言しあう、結果、会議時間が長くなる。

 

森さんを擁護するつもりは全くありませんが、全文を読むとこんな風に受け取れます。

 

つまり、実力に関係なく単に女性の割合を増やそうとする文科省への批判、そして以前より女性登用を進めると言いながらもそうなっていない現実社会のギャップ、こんな感じです。

 

ちなみに発言の最後には組織委員会にいる女性を称え、欠員が出たら女性を選びたいみたいなことも言っていますね。

 

なんかねー、発言事態はNGなんだけど、ちょっと感じ方違いますよね。やっぱり、批判するなら自分自身でまずは確認して納得しないとです。これで森さんが自殺でもしちゃったらどうすんだろうって思います。

 

報道に踊らされることなく自分でしっかり考えていきたいね、ましてや人を批判するならなおさらです。そして何よりも、もっと鷹揚で、懐の深い社会になるといいな、そんなことを思います。