何もすることがない休日
夏休みになってわかったことがある。
何もすることがないのだ。
僕はいつも何かをしなければと焦っている。
だけど、時間を持て余してみて初めてわかる。
僕は、何もすることがないのだ。
そこで、何もしないことにした。
何もせず、ただテレビをずっと見たり、昼寝をしたり、夕方ベランダで椅子に座り空を見たり、そのままビールを飲んだり。
あれ?これっていつもの休日じゃないか。
そうか、いつもの休日、何もしていないことに焦っていたけど、していることは同じだった。
だったら、何もしないことに焦ってるだけ無駄、意味のないココロの圧迫だ。
だから、焦るのをやめた。
何もしないことは、僕が望んで行っていることなのだ。
これが僕のしたいことなのだ。
そう思ったら、何もしない休日が至高の一日になった。
ベランダで空を見上げながら、たまにスマホのAppleMusicを流してみる。
ヘッドホンをしようかと思ったが、あえてしない、音楽が聴きたいわけではないのだ。
蝉や通りを走るクルマの音に紛れて、音楽が聞こえる、なんとも自然な時間だ。
こんなに時間があるなら、映画でも見てみようかと思う。
でもそんな必要もない。
見たかったら見ればいい、今はこうしていたいのだ。
そうなんだよね、したいことすればいいんだ。
したいことが無ければ、何もしなければいいのだ。
その時々に思い付いたしたいことをして過ごせばいい。
夏休みの日記、毎日何をしたのか、どんなに充実していたのか、一生懸命に書いた、毎日描いた、絵日記まで書いた。
こういった経験が、充実した毎日を送らねばならない、そんな強迫観念を心のどこかに植え付けてしまっているのかもしれない。
罪作りな教育だな。
雨が降ってきた。
ベランダにはひさしがあるから濡れることはない。
雨をずっと見ていたら、何かが洗い流されていくような気がした。
足を延ばして、ちょっと雨に濡れてみる。
冷たくて気持ちがいい。
また蝉のなく声が聞こえてきた。
すぐに雨も上がるのだろう。
僕も何かしたくなるのかもしれない。
仕事のようにしたくなくても、しなければならないこともあるだろう。
その時が来ればすればいい。
何もしたくない。
だから何もしない。
最高だ。