「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

「受け入れる」ことが、次に向かうために必要なこと

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僕は「受け入れる」ことができているのだろうか。最近、そんなことをよく思う。

 

こうありたい自分、他人からこう思われたい、こう見られたい、そんなことをよく思うけど、そんな自分でいるかというと、必ずしもそんなことはない。

 

そんな自分に気づくとき、誰にもあると思う。

 

その時に大事なこと、それは「受け入れる」ことができているか、それとも「誤魔化」しているか、だと思う。

 

誰にでもプライドはあるし、自分が自分で望んだ自分でないことがわかることはツライし悲しいことだ。それでもその現実を受けとめて「受け入れる」ことができる人は強い。

 

僕はと言えば、「誤魔化」していることが多い、そんなことに最近気がついた。

 

「誤魔化」すとは、他人を誤魔化すということではない、自分自身を誤魔化すということだ。

 

たまたま運が悪かったんだ、やればできるんだ、アイツだって同じようなもんじゃないか、僕はこんなもんじゃない、やろうと思えばいつでもできる、理解しないアイツが悪い。。。そんな感じだ。

 

そんな風に自分を「誤魔化」すと、誤魔化す僕になってしまう。そのままずっと、その時の僕のままだ。

 

僕は「受け入れ」なきゃいけない、自分の至らなさに自分で納得しなければならない。

 

「受け入れる」とは次に向かうことだ。

 

受け入れなければ、次に向かえない。同じ場所に居続けなければならない。そして誰かが助けに来てくれるのを待ち続けなければならない。

 

「願う」というのはそういうことだ。

 

そんなことに今ごろ気づいた。

 

僕は「受け入れる」、自分の不甲斐なさ、自分の至らなさを「受け入れる」。そして次に向かう、次に向かって歩き出す。それが「新しい楽しみを見つけ続ける日々」だと思うから。

 

あーあ、今ごろこんなことに気づくオッサンです、まーいーか、これからだよね人生は、成長するって難しい、でもこんなオッサンでも成長できるってことだ、がんばろー。