「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

いつもの場所に、いつものものがある幸せ

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いつもの場所に、いつものものがない。

 

テレビのリモコンやらスマホやらメガネやら、あれ?と思い探すと、ソファーの隙間にあったり、違う場所に置き忘れていたり、面倒だなーと思いながら、いつもの場所に置き直す。

 

同じように居間の傍らには、いつものように鳥かごがある。

 

いつものように温かい毛布が掛けられている。

 

あれ?姿が見えないな、そう思い、ここに居たいつものアイツが、もうここには居ないことを思い出す。

 

不思議なもんだ、あいつがいなくなってから、何回、こんなことを繰り返しているのだろう。

 

もうここには居ないことを思い出しては、なんだか不思議な気持ちになる。

 

多分生まれてこの方、ずっとかごの中の生活だったのだろう、それが、かごの中に居ないということは、一体どういうことか。

 

念願かなって、外の世界に飛び立ったのだろうか。アイツは外の世界でも逞しく生きていけるのだろうか、すぐに戻ってくるのではないだろうか。

 

隣の芝生は良く見えるっていうけどな、アイツなりに思うところがあって家出してしまった、そんなところかもしれない。

 

アイツは動かなくなると、フリルのついた真っ白いハンカチにくるまれ、これまたきれいな箱に入れられた。

 

箱の周りには花が飾られ、餌と水、いつも遊んでいたおもちゃがその脇に飾られている。

 

近所の公園に埋めに行くのかと思ったら、専門の業者が引き取りに来た。作業着を着た普通の青年だった。

 

箱の中に花を詰め、リボンで蓋を閉じる。バレンタインかなんかのプレゼントのようだ。

 

作業着を着た青年にその箱を渡すと、青年は大切そうにその箱を胸の前に持ち、そのまま行ってしまった。

 

僕ら家族はその様を見送り、僕はちょっとだけ手を振ってみた。

 

これがアイツが初めて家を出た瞬間だった。ようやく外の世界に出れたのだ、そもそも出たかったのかどうかすらわからないけど。

 

こんな感じでアイツは家出をしてしまい、家の中にはアイツが使っていたものだけが所在なさげにそのまま残っている。

 

この違和感はいつまで続くのだろうか。たぶんそのうち、忘れてしまうんだろう、それまでの間のことだ。

 

いつもの場所に、いつものものがある。それって、幸せなことなんだ、そんなことを生まれて初めて知った。