ペットは嫌いだ。
よくテレビで犬や猫を溺愛している人を見るけど、不思議でしょうがない。基本、土足だし、ウンチしてもおしっこしてもそのまま部屋の中を歩き回るんだから、衛生的にもどうなのかと思う。
それに家の中にペットがいると色々と気を使う、夜中に電気をつける時もそうだし、大きな音出さないようにとか、知らないうちに気を使わなきゃならないのが面倒だ。
せっかくの自分の家なのに、好き勝手に過ごしたいじゃないのよさ、いっつもそんなことを思う。
それに何だかんだ言って、家族からチヤホヤされて、僕なんかホットかれて。。。あれ?それは僕の問題か、いずれにしてもペットを飼うなんて面倒くさいだけだと思う。
といっても、うちにイヌやネコがいるわけではなく、いるのは鳥かごに入った小さなインコだけだ。
それでも、たいそう大事にされており、ホント僕なんかより大切にされていること間違いなしで、まったく幸せな奴だ。
以前、このブログでもそんなことを書いた。
そんなインコ、名前はスーというのだけど、3週間くらい前から調子が悪く、僕は家人に言われ動物病院に連れて行った(これまでも何回も行っている、そのたびに一回一万円くらい払う)。
薬をもらうも、だんだん餌も食べなくなり、痩せていき、まぶた(?)も重たそうで、ここ数日は昼間でも寝ていることが多かった。
鳥かごの中にある、ヒーター(ヒーターですよ、専用のヒーター)に寄り掛かるように寝ていた。鳥かごには毛布も何枚もかけられて、まるでお大名のようだ。
一昨日には、ようやく餌を食べるようになり、娘が食べるポテトチップスをついばんだりして、ようやくいつもの姿に戻った。
なんだ、元気になるんじゃないか、そう思ったら、次の日の朝、鳥かごの中で死んでいた。
動物も人間も一緒なんだ、亡くなる直前に一瞬だけ元気になる、不思議なもの。
うちの母もそうだった、そんなことを思った。そういえば、二重になった目元も、なんとなく亡くなる前の母に似ていた。なんかそう感じた。
もう家人や娘は泣きじゃくるし、あー、これだからペットは嫌なんだ、本当そう思う。ペットを飼うとき、最初に約束したはずだ、いつか僕らより先に死んじゃうんだからねって。
それでも、動かなくなったスーを見ると、それなりに色んなことを思い起こす。
鳥かごから出ると真っ先に僕のところに飛んできたこと
僕の頭の上にとまり、僕の耳や首筋をかじって痛かったこと
ピッと鳴く声に合わせて僕が口笛を鳴らすと、延々そのやり取りが続くこと
お決まりのドラマの主題歌がかかると、勢いよく鳴き始めること
たまに鳥かごを見ると、自分をかごから出せと柵を開けようとしたこと
酔っ払って、お前はイイよなとか、ひとりスーを見て呟いたこと
うーん、だからペットは嫌なんだよ。まったく。
スーは僕の口笛にどんな思いで反応していたんだろうか
スーの目にはうちの家族はどんなふうに見えていたんだろうか
スーはこの家で暮らすことをどう思っていたんだろうか
スーは何のために生まれてきたんだろうか
スーは何を考え最後の時を迎えたんだろうか
スーの人生(鳥生?)は幸せだったのだろうか
夜中起きて水を飲みに居間に行く、音をたてないように電気をつけないようにしている自分に気づき、傍らにあるからっぽの鳥かごに気づく。
あー、だから言ったじゃないか、ペットなんか嫌だって。本当にそう思う、ペットなんか大っ嫌いだよ。
もー、困ったもんだ。いつの間に僕らをこんなに幸せにしてくれちゃったんだよ、もー。君も少しは幸せだったのかな、そうであったら嬉しいな。
スーさん、さようなら。ペットなんてホント嫌いだよ。