「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

空も飛べるはず 〜オレンジ色のカナリア〜

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子供の頃は泣き虫だった。なんか些細なことですぐに泣いていたことを覚えている。家に変えると母から言われた、今日も泣いただろう、顔に涙の跡がある。あのとき、本当にそんな跡があったのだろうか。

 

ある日、家の中に一羽のカナリアがとんできた、オレンジ色のやつ、今では見ないよね。どこから来たのだろう、不思議に思ったが、家族はみんな大喜び、近所で飼っている人も思い浮かばなかったので家で飼うことにした。それまで鳥なんて飼ったことがなかったので新たに鳥かごを買いに行くことになった。オレンジのカナリアも家に一人というか一羽でいるのも何だということで、袋かなんかに入れて車ででかけていった。

 

ペットショップの前、母が鳥かごを買いに行っている間、父と僕はクルマの中でカナリアを見張ってるというか一緒に待っていることになった。そこで何がどうなったのか全然覚えていないのだけど、何かのタイミングでカナリアが袋から出てしまい、何を思ったのか父のいる運転席側は窓が少し空いており、そこから飛んでいってしまった。僕はただただ呆然と見ているしかなかった。その向こうから満面の笑みを浮かべた母が得意げに新品の鳥かごを持ってこちらに帰ってくるのが見えた。

 

それから我が家は代々、小鳥を飼うことになった。最初はカナリヤだったと思う、あのオレンジ色の変わりだ、その後はインコを飼い続けた、名前はすべてピーコに統一されていた。

 

最初のカナリヤは猫にやられてしまった。鳥かごのままベランダで日向ぼっこをさせていたのだが、その間にどこからか猫が来て手を伸ばしてしまったらしい。カナリヤは傷ついていた。僕は母からヨードチンキを薬局で買ってくるように言われ、走って買いに行った。一生懸命、全速力で走った。でも今思えばそんなもので治るわけがない。オレンジのカナリヤにヨードチンキを塗ったけどダメだった。そのカナリヤは家の裏に埋めた。いまでもその場所を通る時はそこを踏まないようにしている。

 

そのあと、代々のピーコは黄色のインコだった。僕は何も気を使わなかったから夜中までピーコの前でテレビを付けていたり、家に帰って真っ暗な部屋に急に電気をつけたりと、そのたびにピーコはピッと泣くのだが大変はた迷惑なことだっただろう。そんなピーコの最後はだいたいが朝起きて鳥かごを見ると横たわっていることが多かった、とういうかそれしか記憶にない。昨日まで元気に、まあ元気だったのかどうかわからないけど、僕の目には元気に見えて、いつものようにピッと言っていたのに今朝になって冷たくなってしまっているのが不思議だった。

 

そんな僕も独立して自分の家を持つようになったわけだが、その家にもいまインコがいる。名前をスーという。たいそう大事に育てられており、ちょっと調子が悪くなると病院に連れていく(そのたびに大体一万円も払う)、もちろん小さなかごに入れて外に飛び出してしまわないように細心の注意を払ってる。普段スーが入っている鳥かごにはヒーターまで着いていて、夜の8時になると専用のカバーが掛けられてお休みタイムとなる。まったく幸せな小鳥だ。

 

僕は代々のピーコとの別れを経験してきたので、最初は飼うのに反対だったが、妻と子供に望まれて飼うことになった。みんな一生懸命面倒を見ている。まあ、そういうことなんだろうな。そういう僕も時折スーの前に座って話しかけてる。ちょっとは僕の悩みも聞いてくれないか。そんなふうに思ったりもするけど、スーは何を考えているのか、もっとしっかりしろよ、そんな目でこっちを見ている。まったく、だからペットは嫌なんだ、そんなこと思いながらカバーが掛けられた鳥かごの横で音を立てないようにテレビを見ている青い日々だった。