「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

あらためて思う、僕らはジコチューな生き物

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以前読んだ、稲垣栄洋さんの「生き物の死にざま」をパラパラとめくる。鳥に関する話があったかな、何かそんなこと思い読み返してみた。

 

鶏の話が出ていた。

 

鶏、ここでいう鶏は食用のブロイラーのことだけど、生まれてから4~50日で出荷されるらしい。

 

元々鶏は、東南アジアの森林にいる野鶏がルーツらしく、この野鶏の寿命は10年~20年くらいらしい。

 

この野鶏が改良されたブロイラーの寿命を知る人は誰もいないのだろうけど、5年から10年くらいは生きるのではないかと書かれていた。

 

凄まじいよね。

 

普通であれば5年から10年は生きる鳥の命を僕らは一か月足らずで食料として扱ってしまう。スーパーなんかで国産「若鶏」とよく書いてあるけど、それがこれに当たるらしい。

 

こうなると、もう感情も何もあったもんじゃない。

 

人間っていうのは、そういう生き物なんだよね。牛や豚や魚だって同じように扱う、僕らは動物を食べて生きている。

 

食べるために飼う、そういう生活を大昔からしてきたはずだ。だからこそ、自分たちに食べられる動物たちに感謝して食べる、そして自分たちが生きる、そういうふうに暮らしてきた。

 

一方で、いまは平和な時代だから、自分たちで飼育したりすることもない、スーパーに行けば食材として好きなだけ買うことができる。

 

だから、今の時代で身近にいる動物と言えば、ペットということになる。

 

そしてペットを愛する人もいれば、虐待する人や捨ててしまう人なんかもいる。売られているペットがいる一方で、年間何万頭も処分されている。

 

まったく、僕らは身勝手な生き物だ、食べたり、作ったり(?)、飼ったり、育てたり、遊んだり、動物たちも大変だ。

 

だからペットが死んで悲しむというのも、僕らの身勝手な思いでしかない。僕らはみんなジコチューな生き物なんだ。

 

でもそれらも含めて生きるということなんだろうね。僕らは僕らで、僕らのために生きてくれた動物たちに感謝するしかない、それしかないんだろうね。

 

結局、僕らは僕ら自身の事しか考えていない、だからアイツの感情は僕の感情としてしか存在しない、そういうことなんだ。

 

勝手だね、そう勝手なんだ。僕らは自分勝手な生き物、だから賢いようで愚かなんだ、よくわかったよ。