「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

あらためて思う、大人な大人になりたい

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この間、スーパーにクルマで出かけ、駐車場の入り口を曲がり、坂道になってるスロープを登ろうとした、その瞬間。。。

 

ガキッ・・・。

 

なんか変な音がして、クルマが進まなくなっちゃった。いくらアクセル踏んでもウンともスンとも言わない。なんで・・・?

 

後ろを見ると、たくさんのクルマが並んでる。ヒー・・・困ったチャン、どうしたらイイのかしらん。。。

 

もうバックするしかないと、同乗していた父が後ろの車を誘導に行くと、後ろに並んでいたおじさんがクルマから降りてやってきた。後輪のタイヤが空転してるからといって、トランクに乗っかったり何かしてくれたんだけど、それでもうまくいかず。

 

結局、そのおじさんの言う通り、ハンドルを逆に切りながら少しバックしたら、どうやら後輪がスロープに接地したようで、無事、前に動き出すことができたのでした。

 

あー、怖かったよー。おじさんありがとー、大きな声で窓から顔を出してお礼を言いましたが、もう心臓はドックんどっくんです。5分くらいのことだけど、それなりに渋滞もできちゃったしね。

 

いやー、しかしなんでだろ。これまで何回も行ったことのあるスーパーなのに。

 

僕のクルマは後輪駆動、でも、そんなクルマ、他にもいっぱいあるよねー。アクセルを強めに踏んだら、空転してるタイヤからものすごい煙が出て(たぶん少しだけ接地してたんだろうね)、まるでドラッグレースのスタート時のよう、すごいゴム臭いし、ホントビックリ。

 

ホントあのおじさんに感謝だね、でも、ああいうおじさんが大人のおじさんなんだろうな、落ち着いて、やることやって、さっさと自分のクルマに戻って行っちゃったの。

 

こういう人は、普段からこういう人なんだろうなー。

 

他人の目を気にしたり、大きなお世話にならないかと考えたり、余計なことして失敗したらどうしようとか、そんなこと、これっぽっちも思わないんだろうね。

 

自分がやるべきこと、当たり前のことを自信をもって行動する。もーただそれだけ。できるようで、出来ないんだよなー。

 

あー、あんな大人になりたいー、と心底思った、心臓バクバク、小心者のわたくしなのでございます。修練が足りないなー。悲しー。恥ずかしー。

 

殴りあう唯一のスポーツ、ボクシングがボクシングであり続けるために

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年末恒例のボクシング世界戦、四回級王者の井岡一翔vs三回級王者の田中恒成、手に汗握るいい試合でしたねー。

 

結果は8ラウンドTKOで井岡さんの勝利、やっぱボクシングってスピードやパワーも大事だけど、技術を競う列記としたスポーツなんだなー、そんなことを改めて認識した試合でした。

 

正直、井岡選手ってあまりいい印象もっていませんでしたが、年々強くなっているような気がします。パワー、スピードで勝る田中選手を高度な技術でねじ伏せた、そんな感じの一戦でした。

 

そんないい試合だったんだけど、なんかね、最近は井岡選手の入れ墨のことが話題になってるみたい。

 

日本ボクシングコミッションのルールでは、入れ墨をした選手はファウンデーションなんかで隠さなければいけなかったらしいんだけど、それをしなかった井岡さんにペナルティが与えられるとか、井岡さんは井岡さんで海外では入れ墨なんて当たり前なんだからおかしい、もう日本では試合しないとかなんとか。

 

なんかねー、せっかくのいい試合だったのにもったいないよねー。

 

こんなのルールを守らなかった井岡選手が悪いに決まってんじゃんねー、そしてルールを守ってないのにリングにあげてしまったコミッションも悪い、そういうことだと思います。後からどーこー言う話じゃないし、入れ墨がいいか悪いかなんて関係ないよね。

 

ボクシングは技術を競うスポーツと言ったけど、それと合わせて厳密に階級分けされたレギュレーションの中で闘うスポーツなんだよね。そこが徹底されないと、体重の重い選手が圧倒的に有利になっちゃうから。

 

体重超過のネリに歯が立ったなかった山中慎介選手だってそうだし、モンスター井上尚弥選手がドネアに苦戦したのもドネアが上の階級から階級落としてきた相手だったからだと思う。

 

今回の田中選手も階級を上げて戦った初戦だったからね、今まではスピードとパワーで圧倒して、不足していたかもしれない技術面を補っていたかもしれないけど、今回は補いきれなかった、そういうことだと思います。

 

だからねー、やっぱりボクシングはルールの中で競い合うスポーツ、ルールを守らなければ成立しないスポーツなんだと思うんです。それができなきゃ、プロレスと同じ(興行という意味でね)、そうしちゃいけないんです。

 

だから、コミッショナーはたとえ試合が中止となってもルールを守られてなければ反則負けにして開催中止すべきだよ。それがスポーツであるボクシングを守ることなんだと思います。

 

そうじゃなきゃ、またネリみたいな確信犯的な人が、強い相手には体重超過して勝つみたいな戦略が正当化されちゃうからねー。

 

あしたのジョーリングにかけろ、なぜボクシングは僕らのココロを震わせ続けるのか。それは拳と拳だけで、男ののプライドとアイデンティティを賭けて戦う真剣勝負だから。強いものが勝つそれだけの世界。

 

だからルールが大事なんだよねー。それがなきゃただのケンカだもん。

 

そんな素晴らしいボクシングをずっとずっと見ていきたいよー、だからもっと大切にしてよね、異種格闘技戦なんてしなくていいからね、お願いだよー。

 

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正義とは誰のための正義なのか、よーく考えましょう

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最近、ブレーカーがよく落ちる。

 

寒い寒い冬の日、暖房で温められた部屋、夕方時分に電子レンジやらなにやら使い始めると、ガチャン、電気が落ちることが多い。

 

なんでだろ?ブレーカーが落ちるなんて、今までなかったのに???

 

答えは明白です。皆が家にいるからなのです、特に私が・・・。

 

一家四人、各自が部屋で暖房を使い、パソコンを使い、テレビを見て音楽を聴く、夕方になり夕食の準備が始まる、すると今までは足りてた電気ちゃんが足りなくなってしまうようなのです。

 

なるほどなー、最近のオール電化のマンションだったらこんなこと、ないんだろうけど、うちは古い中古のマンション、そういえば春先にガスコンロが壊れたのでIHにしようと思ったら、電圧が足りず断念したっけなー、こういうことか。

 

電気なんて、停電にでもならない限り、使えるだけ使えるもの、勝手にそんな風に思ってたけど、そんなことないんですね(当たり前)。

 

ここで思ったのが、僕の大好きなクルマちゃん。電動化、EV化が進められていますが、今のガソリンエンジン車がEVに置き換えられたら、毎日大量のクルマが充電することになる、だから間違いなく今の発電所のキャパじゃ電気が足りなくなるよね。

 

2035年には電動化とか国もお気楽に言ってるけど、原子力発電所が稼働してない状況でどうやって電気を充当するんだろうね。火力発電所いっぱい作って、ガソリン車どころじゃないCO2を排出しちゃうんじゃないかしらん。

 

こんなだもんトヨタの社長さんが、国は軽々しく2035年に全車EV化なんていうんじゃないと怒るわけだよね(一番お気楽なのは、国より早く2030年に全車EV化実現すると言っちゃった小池さんだろうけどね)。

 

ということで、クルマのEV化というのは実はクルマだけの話ではなくて、モビリティのエコシステムを再設計というか再発明するかということなんだと思うわけです。

 

そう考えると、もしかしたらクルマの個人所有なんてなくなるかもしれない。だって限られた電気を有効に活用できるしくみが必要になっちゃうもの。クルマは公共交通機関だけになるとかね。

 

そんな未来はイヤだよねー。だから僕らはモットモット真剣に考えなきゃ、感じなきゃいけないんだよね。

 

CO2を排出しない夢の自動車、エコ、環境社会、それこそが正義、そんな風潮だけに流されてはいけないわけです。誰にとって、何にとっての正義なのかよく考えてみなきゃね。何ごとも一緒だね、気を付けましょー。

 

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失敗したっていいじゃん、もっとチャレンジしたことを讃えよう

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前回、県知事さんって「偉くなりたい」だけの人の代表格って話をしたけど、もちろん一生懸命仕事をしている人たちもたくさんいます。

 

先日テレビ見てたら、大阪府の吉村知事が出ていた。

 

一緒に出ていた病院の偉い人が、民間の病院がコロナ患者を受け入れていないと批判されているけど、民間の病院は100床以下の小さな病院が大半を占めており、単に受け入れ拒否しているわけでなくて、物理的に難しいことも理解してほしいと言われていた。

 

それを聞いた吉村知事、今は「有事」であって緊急事態、だから「平時」の状態のままで物事を考えてはいけなくて、この「有事」に何をすべきか、何を変えるべきかが大事。そして、それを実行するのが自分たち政治の役割なんだと仰ってました。

 

仰る通りだよね。

 

吉村知事って、イソジンが効くとか、時々わけわからんこと言うけど、やっぱり政治家なんだよね。トンチンカンな失敗もするけど、この「有事」の状況では、試行錯誤しながら取り組んでいくことが大事なんだなーと思いました。

 

やっぱねー、みんな失敗を恐れすぎなんだよね。

 

それに失敗したらとにかく糾弾されちゃうし、後出しじゃんけんされちゃう、そんな報道しかないものね。菅が、政府が、若者が、そんな報道ばっか。

 

だから県知事さんとか、医師会会長なんかは、誰かのせいにするべく、せっせと記者会見してアリバイ作りに勤しんでるんだよね、そんな姿勢が見え見えだもん、あーやだやだ。なんでもっとみんな指摘しないんだろうなー。

 

よく言われることだけど、失敗を責めるのではなく、チャレンジしたことを讃える、それが今こそ必要なんだと思います。

 

青くて申し訳けないけど、改めてそんなこと思います。

 

まずは自分から始めてみよっと、やっぱ、ひとり一人がそう思って取り組むことが大事なんだよねー。

 

何かできることが、まだまだあるんじゃないかなー。そんなこと考えてたら、少しココロが明るくなりました。失敗してもいいじゃん、チャレンジ、チャレンジ、おめでたく単純な私なのでございます。

 

偉いだけの人はいなくなる、コロナで変わる、社会が良くなる

 

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会社で偉くなるってのはどういうことなんだろう、そんな青いことをよく考える。振り返ると、以前にもこんな投稿をしていた。

 

blue-jk.hatenablog.com

 

もちろん仕事の幅を広げ、権限と責任をもって大きなことを成し遂げたい、そう思う人が大半だろう。でも、実はそうじゃない人も、かなりの数で存在する、「威張りたい」「人から崇め奉られたい」だから「偉くなりたい」そんな人たち。

 

実はその代表格が県知事さんなんじゃないだろうか、そんなことを失礼ながら思います。

 

実際、地方行政を司っているのは各地の市町村、県はその広域支援や国との連携といった役目を担っている。だから僕ら住民からも県は遠い存在、県庁舎だって、行ったことないしね。

 

だからなのか、県のトップは名誉職的な意味合いが強いんだよねー、悪く言えばお飾り。ニュースキャスターやら、元タレントさんが多いでしょ。要はそんな行政のプロじゃなくても務まる役職、それが県知事さんだと思います(ホント失礼)。

 

もちろん人によって取り組みは違うけど、でも石原元都知事だって、ほとんど登庁せずに小説書いてたって話だし、その後の都知事はじめ、公私混同やスキャンダルが原因で失脚したりする人が多いのも事実。

 

先日も公用車がトヨタの最高級車センチェリーであることを批判された兵庫県知事が、兵庫は土地が広く頑丈なクルマが必要だ、なんて言ったもんだから大笑いされちゃってた。俺は偉いんだから、偉い人が乗るべきクルマに乗って何が悪いんだ、そう思ってんだろうからそう言えばいいのにね。

 

要は行政のプロだけでなく、政治のプロでない人たちも多い、官僚出身の人たちね。官僚でトップになれなかった人たちの高級な天下り先、もしくは転身先になってる。偉くなるために選んだ道、だから世間ずれした感覚しか持てない。まー、そういう人を選んでるのは僕らの責任なんでしょうがね。

 

それにしても、最近、そんな県知事さんがやたらと脚光を浴びている、コロナ対応。

 

コロナ対応の旗振り所管は県だから。今までだったら、市町村に任せときゃというか、責任転嫁しておけばよかったんだけどそれができない。県が対応しなきゃいけないから、そのトップである県知事がリーダーシップをとらなければならない。

 

なので、普段ろくに行政実務を行っていない県知事が表に引っ張り出されちゃってるわけで、その対応が見事なまでに悲惨な状況になってるのです。

 

みんながみんな、小池さんと同じようにプラカード掲げて記者会見、他の県がするなら自分のとこも緊急事態宣言しなきゃ、そこには根拠も戦略もなし、あるのは責任を回避することだけ、そんな感じにしか見えません。

 

みんな、県知事になって何をしたかったんでしょうね、「偉くなりたかった」、それだけなんじゃないだろうか、そんなこと思います。

 

もちろん、職員からのたたき上げの人や政治家なんかはそうじゃないんだろうけど、結果的にそんな人が大多数なように見えてしまいます。

 

これから、偉くしていられるだけの役職って、ドンドンなくなっていくと思います。逆にそういう役職の人がいる組織は淘汰されるんだと思います。当たり前の話ですけどね。

 

そう考えると今回のコロナ、悪いことばかりじゃないんだよね。隠れていた、隠されていた社会の問題点がドンドン炙り出されてる。

 

これを機に社会を良くしていく大チャンス、というかしていかなきゃいけないんだよね、それを実行するのは僕らなのよね、さー頑張らなきゃー。

 

箱根駅伝に学ぶ、何を見て、何を感じるべきなのか

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お正月恒例の箱根駅伝、なぜだかわかりませんが、ずーーっと見続けちゃいますよね、ただただ走ってるだけ、それを見るだけなのに、なぜか見続けちゃう、不思議なものです。

 

今回の箱根駅伝、最終区間でものすごいドラマが待っていましたが、皆さん見ましたか?

 

私は最終区間で、一位との差が3分以上あった時点で、あーもうこのままだな、そう思いスーパーにお買い物。車に戻りテレビを見ると既に一位はゴール済み、しかも駒沢大学と表示されているではありませんか・・。

 

うーーむ、いつものものことながら、大事なところを見逃してる・・・。相も変わらず迂闊なわたくし、何ごとも最後まであきらめちゃダメ、そんな小学生が教わるようなことを新年に改めて認識させられた次第です。

 

それにしても、今回の箱根駅伝、観戦の自粛が要請されていましたが、いつものようにそれなりの人垣が沿道には見られました。選手の仲間や家族でさえ現地では応援できず、寮や自宅でテレビ応援しているのにけしからん、みんな気が緩みまくってる、駅伝後にはそんな報道があちこちでされていたんですね。

 

でもね。。。これってしょうがないよね。

 

だって、テレビでずっと見続けちゃうくらいなんだもの、近くを選手が走ってたら、そりゃ見に行きますよ、応援しますよ。それに屋外だし、人が密集しなければ、感染の危険性だってそんなに高くないと思います。

 

でもそんな人たちが移動すること自体が危険なんだ、抑制したいんだっていうなら、観戦自粛じゃなくて観戦禁止すべきだよね。主催者がちゃんと対策をとるべきです。もし、本当に危険なんだったら、残念だけど駅伝自体を中止にすべきなんだと思います。

 

もちろん駅伝を中止にすればよかったということではなくて、きちんと科学的根拠に基づきて決めればいいんだと思うんですよねー。

 

それなのに「自粛」なんて、あいまいな表現で開催しておいて(しかもマスコミが)、しかもその結果、観戦に来た人たちを非難するなんて(しかもマスコミが)卑怯だよね。

 

「根拠」に基づいた「対策」も実行してないくせに、人の良心に判断を委ねるなんて、ひどい話だと思います。報道する側がこんなだから、風評被害とかも生まれるんだと思います。

 

本来みんなが持ってる大切な「良心」、本当に必要な「良心」が、そんな人たちに汚されてるような気がします。騙されちゃいけないよね。

 

あの箱根駅伝の選手たちのように、純粋に速く走れるように努力して、技術を磨いて、戦略立てて、皆で協力し合ってゴールを勝利を目指す。いま必要なのはこれですよ。

 

こんないいお手本を目の前にしながら、それに気がつかない大人たちってどうなんだろうね。いったい何を見て何を感じているんだろう。そう思っちゃいました。

 

やっぱね、自分自身で気づかなきゃいけない、そして感じなきゃいけない、そんなことを改めて教えてくれた箱根駅伝だったのでした。

 

ボロはボロなりに成長するのだ(希望的観測)

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このあいだクルマに乗ってたら、カーステレオの音が左からしか聞こえていないことに気づいた。

 

うーん、接触不良かしら、今度の車検はお金がかかりそうだなー。いつの間にやら4回目の車検だし。そんなこと思ってたら、いつの間にやら右のスピーカーからも聞こえるようになった、でも若干、音が小さいような気がする。

 

その数日後、会社の健康診断を受けたのですが、なにやら右の耳の聴力が低下しているとの指摘を受けたのでございます。あー加齢って悲しい。。。

 

先日感じたクルマのスピーカーの音量も、クルマのせいじゃなくて私のせいだったのね、疑ってごめんなさい。車検を受けなきゃいけないのはどうやら私のようです。

 

健康診断で重たいヘッドホンをして、音が鳴るとボタンを押す検査を受けたんだけど、右耳は低音らしい音が聞こえないんだよねー。検査する人が「聞こえませんか?」っていうんだけど聴こえないんだから仕方ない。

 

そういえば、最近、人が話す声がよく聴こえないことが多かった。会社なんかでも偉い人に限って、小声でコソコソ話するんだよね、なんとなく話しを合わせることが多かったけど、よく聴こえないなー、そんなこと思ってた。

 

これも、僕のせいだったんだね。もっとハッキリわかるようにコソコソ話してほしいなーなんて思ってたんだけどね。

 

まあ、日常生活に支障が出るほどではないので、病院にもいかずに過ごしてはおりますが、これが歳をとるってことなんでしょうかね。

 

色んな所が衰え、ボロになっていくのでしょう。逆に良くなっていくところってないのかしらん。

 

お気楽にそんなこと思いますが、実はあると思ってます。いつも思ってるんですが「感じる」こと、「気づく」ことは増えています。だから「考える」ことも増えている。

 

これが良くなってるということなのか、どうなのかはわかりませんが、そう思って楽しんでいくことが大事なんだと達観しております。

 

ものごとはすべてプラスとマイナスで出来ている、そういうことなんですね。だからプラスもマイナスもどう感じるか次第ということ。まあ、加齢に悩むおっさんの意見です。失礼しましたー。

 

明かりを灯せば、ココロも明るくなる(ハズ)

 

部屋の明かりを追加しました。以前もお伝えした通り、自分の居場所を快適化するために部屋でテレビを見れるようにしたり、加湿器を置いたり、色々と改善を図ってみたのです。

 

ちょっと電気が暗いよな、夜になるとそんなことが気になるようになりました。

 

テレワークで打ち合わせをしていても、外が暗くなる夕刻になると、ディスプレイに映る私のお顔も暗くなる、そんな感じ。まあ、私の顔がよく見えなくなっても何ら困ることはないのですがね。

 

ということで、明かりを追加することに決定し、あれやこれや悩んでみます。ikeaのカタログを見たり、ニトリに赴きあれやこれや見るのですが、どれもイマイチピンときません(もっといいモノ売ってるお店に行きなさいとは言わないでね)。

 

なにより、狭いながらも楽しきわが部屋、というか単に狭い小さい部屋なので、場所をとること自体が何なのです。ということで最終的に選んだのがこちら。

 

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部屋の天井にぶら下げ這わせてみることにしたんです。なんか屋外のビアガーデン(?)みたいでステキでしょ。まあ、それはともかく、ちょこっと光量も増えたし、なんとなく気分がよくなる単純なわたくしでございます。

 

こういうことで得る満足感もとっても大事なことです。さーて、次は何を改善してみようかな?

 

窓枠に色でも塗ってみようかしらん。以前、リビングや洗面所の扉を黄色やピンクに塗ってみたことがあります。

 

まったく、これじゃマンションの資産価値下がっちゃうかもね。そんなことも思いましたが、楽しい毎日を送る方が大事だもんね、いつものように自分を自分で納得させる私です。

 

やっぱピンクかなー。それとも金運が高まるように黄色にしてみようかな、妄想高まる、寒い寒い冬の楽しい一日なのでございました。

 

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会社キライ、だから気持ちよく仕事したい

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2020年を10年後に振り返ると何を思うだろう。

 

この一年で色んなことが変わってしまった、一番大きかったのは会社に行かなくても仕事ができるようになったこと。

 

もちろん職種にもよるわけですが、雨の日も風の日も、電車が止まっていても、規則正しく出社しなければいけないなんて、単なる幻想だったってことに、ようやく誰もが気づいた、そして実行することができた、そんな年だったと思う。

 

結局ね、みんな忖度しあってたってことなんです。上司や周りの人に気を使って、お主、愛いやつじゃなと思われたくて媚を売って生きてきた、そういう社会だったということが明らかになったわけです。

 

服装も自由、働く時間も自由、その代わり最高の成果を上げてください、評価は仕事の成果だけで判断します、そんな働き方改革が求められていたわけですが、一瞬で実現してしまったわけです。

 

いまのところ、自由な働き方だけがクローズアップされていますが、そろそろ結果が求められ始めるころだと思います。結果を出せないリモートワーク族は排他されていくんです。

 

こんなはずじゃなかった、会社に行って忖度していた方が楽だった、そんなことを感じる働き方改革元年になるのかもしれません。

 

でも、僕はとってもポジティブに考えています。だって仕事、会社キライなんだもん。特に人に気を使うのがとっても面倒くさい。ずーっと、そう思ってきました。

 

だから、会社に行かず、人とも会わず、キライな仕事ができる幸せ(?)、まずは、この居心地の良さを享受しつくしたい、そう思っています。

 

だって、これまで日曜の夜なんて、あー明日は会社か。。。そんな気持ちでいっぱいだったけど、最近はそんなことちっとも思いません。明日の朝食は何をに食べようかな、そんな感じ。

 

あらためて思います、気持ちよく働くって大事ってことなんだなーって。

 

だから、部下に対しても、むやみに色んなプレッシャーを与えてくる人とかいるじゃない、あーいうのってホント無駄、必要悪だって思います。

 

成果を出すため、部下を鍛えるためって思ってのことかもしれないけど、そんなことのために気持ちよく働くことができないデメリットの方が、どんだけ大きいかということです。

 

だからって僕ら自身も甘えちゃいけないんだと思います。気持ちよく働くために、きちんと結果を出す、それができなければ、クビやむなし。そう思って頑張らなきゃね。

 

10年後に振り返って、仕事が楽しくなった年、そんな風に振り返ることができたらいいなー、そんなお気楽なことを思うポジティブシンキングな新年なのでございました。

 

 

自分は誰かになりたいのか?何になりたいのか?

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女性が選ぶ“なりたい顔”ランキングっていうのがあるらしい。あのオリコンが企画しているらい。栄えある今年の一位は北川景子さん、ナント連覇、お美しいですもんねー。

 

でもね、”なりたい顔”ってなんだろ?顔だけですよ、顔だけ。

 

そりゃね、誰しも美人、美男子にはなりたいと思うだろうけど、顔っていうのは、その人の人柄やら性格なんかが表現されていると思うんだよね。

 

だから人様の顔になるってことは、自分でなくなっちゃうってこと、なりたい顔の人になっちゃうってことなんではと思うわけです。

 

もっと言えば、顔だけじゃなくて、その人の仕草やなんか全体から発せられる雰囲気、それがその人自身なんだと思うんですよね。

 

だから堂々としている人は堂々とした人だし、弱弱しい人は弱弱しい人なんです。

 

例え、そのように振舞っているだけだったとしても、そのように振舞っている感がちゃんと表現されるのが人間です、うまくできているよね。

 

だから、顔だけ変わってもしょうがないんではないかと思うわけです。北川景子さんであれば、北川景子さんの顔ではなく、北川景子さんみたいな人になりたい、そう言わなきゃ失礼なんじゃないかなーって思います。

 

それに自分自身に対しても失礼だよね。僕らはもっと自分自身に自信を持つべきなんだと思います。

 

やっぱ、歳とってくるとね、その人なりの雰囲気っていうのが表情にも表れやすくなります。やっぱりオリジナルが大事、自分なりの自分が大切なんだと思います。

 

ちなみに、男性が選ぶ“なりたい顔”ランキングというのもあるそうです。一位は竹野内豊さんだってさ。なんか、ふーんって感じ。

 

負け惜しみじゃないんだからーーーー。

 

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人を笑わせるということは、人を幸せにするということ

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なんか、M1グランプリで優勝した人たちの芸が、あんなの漫才じゃないとか言われてるらしい。

 

お笑いの芸なんて、何でもありと思ってたから、ちょっとビックリ。それだけ、現代のお笑いに求めるものが高度化されてるのでしょうか。それとも既に落語みたいな伝統芸能の域に入っているのでしょうか?そんなわけないか。

 

なんかねー、お笑いなんてと言ったら失礼かもしれませんが、面白いか面白くないか、それだけでいいと思うんですよね。

 

ラーメンなんかと一緒、お気楽に食べられて、美味しいかどうか、ただそれだけ。あの出汁がとか麺がとかなんて別にどうでもいいんだよね。

 

人気があるということの裏返しなのかもしれませんが、コダワリや愛着を持っている人が多いのかもね。けど、お笑いやラーメンなんかは、もっとシンプルに楽しませてもらいたいよーと思います。

 

ときどき、東京でテッペン取ってやる、そんな芸人さんの発言を見ると、ちょっと引きます。なんか粋じゃないよなー、そんなことを思います。

 

笑うっていうことは、幸せになるっていうこと。だから人を笑わせるということは、人を幸せにさせるということ。素晴らしい仕事だよね。

 

なので、売れたいとか、有名になりたいとかは、もちろんあるんだろうけど、それを感じさせないで、シンプルに笑わせてくれるのがサイコーなんではないかと思うわけです。

 

そうじゃなきゃ「笑わされた」になちゃう、それじゃ幸せの押し売りだもん。楽しくないよね。

 

それに笑い自体をアーダコーダと評論するのも野暮だなー、と感じちゃう、身内だけで内々でやってくれればいいのにね、特訓、厳しい世界であることは間違いないんでしょうから。

 

血と汗と涙の結晶であるお笑い芸をただただシンプルに表現して、ただただ笑わせてくれる、幸せにしてくれる、そういう人たちがみんなに愛される芸人さんになるんだと思うんです。

 

だからこそ、血と汗と涙は見せないでほしいよね、これは、何ごとでも一緒かもしれない、僕らも見習わないとね。涼しい顔して、一生懸命、全身全霊。

 

ここにも他人のふり見て我がふり直せだ。人生は勉強だなー。あー大変。

 

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急ぐばかりが人生じゃない、時には待つことも必要なのだ

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お正月、いつものようにお雑煮を食べてて思う、おいしー。。。でも、なんでお餅ってお正月にしか食べないんだろ。

 

どうやらお餅はお正月に神様へお供えする物であって、その神様にお供えしたものを僕らも頂くことで力を分け与えてもらうということらしいです。

 

だからお餅の入ったうどんのこと、力うどんっていうんだね。何ごとにも意味があるんだなー、なんか素晴らしいや。

 

年末は「のし餅」を買ってきて、包丁で切り分けるのが僕の役目になっています。まだ柔らかくて温かい「のし餅」をオットットとか言いながら、大切に持ち運ぶのは、何となく特別感があって大好きです。

 

でも、これ切り分けるのが大変なんですよねー。包丁に柔らかいお餅がついちゃったりして、なかなかうまく切れないの。いつも結構なひと仕事なのです。

 

でも今回は、もしかしたら柔らかいうちに切るからこうなるのでは、素朴にそんなこと思い、一晩おいて少し硬くなってから切り分けることに致しました。

 

するとなんてことでしょー、簡単に切り分けられるではありませんか。。。

 

そうかそうか、そうだったのか、いつもは温かいうちに切り分けなきゃ、硬くなったら大変だ、そんなことを思い、買ってきてすぐに四苦八苦していたわけですが、時には「待つ」ことも大事、そんなことを今更ながらに学ぶ私です。

 

ちなみに切り分けたお餅、いつもは4~5個単位でラップにくるんでいたのですが、今年は一個ずつくるんでみました。するとですねー、美味しいんですよ、お雑煮、いつものお餅より柔らかくて。。。なんか発見でした。

 

急ぐことばかりが良いことではない、時には待つことも大事、そして一つひとつ丁寧に対応すること、なんか普段の僕に必要なことを学んだ年末だったのでございます。

 

何年かかってんだろね。

 

いま僕らに必要なこと、他人のふり見て我がふり直せ

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首都圏の知事さんが緊急事態宣言の発令を政府に求めたらしい。

 

ホンマですか?単純な感想です。そもそも、緊急事態宣言は何のため?って話なんですが、当然ながら知事さんは、感染拡大に歯止めがかからないから、大幅増加しちゃってるから、このままでは医療崩壊が懸念されるから。。もっともなことを仰ってるんだけど。。。

 

責任回避。。。こんな思惑が透けて見えちゃうんだよね。自分のせいにされたくないから、足跡残しておきたいから。。。まあ、知事さんだけじゃなくて、政府も医師会もみんなそうなんですけどね。

 

みんな頭のいい人たちなのに何で科学的根拠に則った政策決定をしようとしないのかなー、4月の緊急事態宣言の功罪分析、感染拡大の原因調査結果と公表、コロナ患者を受け入れていない医療機関含めた今後の対応策、ワクチンへの対処方針、などなど。国に求める前に担当地域を預かる知事としてすべきこと、考えることがいっぱいあるよねー。

 

なんか全てが心象で動いているような気がするんですけど。。。緊急事態というのであれば、絶対、ち密な戦略が必要なはずです。

 

それにね、一番問題だと思うのは、みんながみんなサラリーマン的発想だってこと。だって、緊急事態宣言を発する側、報道する側は仕事が無くなったりしない側だもの。自営業の人のこと、本気で考えてないよね。

 

発令に賛成している人たちだってそうだ。あー会社行かなくてすむ、国が出かけちゃいけないって言うんだものしょうがないよね、嬉しー・・・。実際こんなとこ。

 

もしかしたら、一番危機感を持ってなきゃならない自営業の人たちも一緒なのかもしれない。国から給付金がもらえるからいいか、とかね。

 

これは、本当にやばい状況のような気がします。コロナ云々というより、この社会の空気感がマズいように思うのです。

 

誰かが何とかしてくれる、だから、誰かのせいにしておけば大丈夫。。。揚げ足取りして、正論さえ言っておけば。。。なんてね。

 

欧米に比べて、大規模感染していない状況を客観的に見極めて、いま何をすべきか、科学的根拠に基づいて考えることができれば、ホントに大チャンスになると思うんだけどなー。

 

やっぱり、自分自身が、感じ、考え、ひとり一人が意識して取り組むことしかないよね、結局は、それが揚げ足取りの社会を変えていくことにもなるんだと思います。

 

僕らの未来は、僕ら自身がつくるんだからね。人のせいにしちゃいけないってことなんだと思います。他人のふり見て我がふり直せ、いま必要なのはこれだよね。間違いないよー。

 

いつもの何かを変えてみる、継続が新たな日常を作るのだ

 

今年の手帳、どうしようかな。

 

いま使ってるのは、モレスキンのウイークリータイプで、サイズは特大のXL、ソフトタイプです。ここ3年くらい同じものを使っている。

 

結構お高いんだけど、一年間使うものだし、満足感があった方がいいよね、そんなこんなで、これに落ち着いているところです。

 

さてさて、今年はどうしようかな、新鮮な気持ちになるためにも新しい手帳選びは重要です。何ごとも形から入ることが大事なんです、中身はその次!これは私のしがないポリシーでもございます。

 

ということであれやこれや思い悩んだ結果ですが、紙の手帳、止めることにしました。

 

そうそうなんです、思い切ってiPad、こいつを使い倒してみたいと思います。そう、会社から支給されたiPadでございやす。

 

何でそう至ったかというと、仕事のスタイルが変わってしまったんですよね。なんでもかんでもリモート、そんなスタイルにこの一年で仕事の仕方が一変してしまったんです。

 

スケジュール管理も、会社で使っているOutlookに登録、あとは他の人のスケジュールも見ながら、基本空き日程を勝手にスケジュール調整して登録しちゃう、そんな感じになってしまっていたのです。

 

なので、いつもその登録されたスケジュールを見ながら紙の手帳に書き写す、つまり、以前と逆になっちゃったんですよね。

 

でハタと気づいたんです、これって無駄じゃね?って。

 

ということで、もうスケジュールはiPadで会社のOutlook見ればいいや、ということでシンプル一本化を図ることに致しました。それでも何かの期日や、締め切りとかメモなんかを書き込みたいことあるよな、そう思い、色々考えた結果、PDFのカレンダーをiPadのメモに取り込んで、そこにApplePencilで書き込むことにしたんです。

 

おあつらえ向きに、カレンダーをシステム手帳的にPDF化したものって、ネットのあちこちから提供されています。僕はSONYさんが提供されているものに致しました。

 

ということで、メモももちろんApplePencil、ハイテクでござんすなー。

 

しかし意外と使えそうですよ、これ。しかも会社のPCやiPhoneとも同期とれちゃうし便利便利。できれば私用のスマホなんかとも同期できればいいんだけど、それは許されてないんですが、まあ、仕方ない。

 

それにしてもね、こんな時代になると手帳屋さんとか大丈夫なんかな、大変なのははんこ屋さんだけじゃないよね、そんなこと勝手に思っちゃいます。さーこのまま使いこなせていけるのかどうか、それは私次第、まー、やってみましょー。

 

なんでもそうだけど、いつもの何かを「変えてみる」ってのは大事だし、楽しいよね。続くかなー。。。

 

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「真っ赤」な色には、きっと意味がある

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最近寝る時間が早くなったせいか、6時には自然と目が覚めます。今は6時半ごろかな、カーテンを開けるとそれはそれは美しい、朝日がお出ましになる瞬間を見ることができます。

 

今日は、元旦、初日の出なのですが、もちろん昨夜は夜更かししましたので、お目にかかることはできませんでした。本当は今日という日のとっておきの朝日を見るべき、なんてこと言わないでね。このステキな日の出は毎朝、必ず訪れるのですから(当たり前)。

 

それにしても、朝日って、なんでこんなにも神々しいのでしょう。それになぜにこんなにも真っ赤なのか?

 

どうやら、朝や夕方は、太陽の高度が低いため、光が大気の中を通る距離が長くなり、波長の短い青い光は私たちの目に届く前に消えてしまい、波長の長い赤や橙の光だけが届くらしいっす。

 

いやー何ごとにも理由があるのですね、素晴らしい。

 

でもあれですよねー、朝日を見るとなんか得した気になるのはなぜでしょう?朝日に当たると、なんかすごいパワーを得られるような、自分が違う何者かに変身してしまうような錯覚に陥ります。

 

でもね、たぶんこれって錯覚なんかじゃないんだと思います。間違いなく、なんかもらってるんだと思います。

 

だって朝は波長の長い赤い光だけが届くってことは、昼間には得られない、その光ならではの何かしらを得られるってことですよね。

 

赤い光線が僕らに何かを与えてくれている、なんかそう思うだけでワクワクしてきちゃう。

 

なんかねー、やっぱり赤ってのは、意味ある色なんではないかと思うのです。燃える色、そもそも「火」ってなんなのか、とっても不思議なものだと思います。この真っ赤に燃える「火」の色、それが赤、それはエネルギーの色なんだと思うわけです。

 

だって、ぼくらのカラダにもそのエネルギーは流れているんだもの。はい、「血」ですね血液、真っ赤な血。

 

そうなんですよ、僕らは真っ赤なエネルギーによって生きている、生き物なんでございます。だからね、きっと真っ赤な朝日ともリンクして、赤が赤を呼んで呼応して、エネルギーが拡充されて、満ち溢れているってことなんだと思います。

 

まったく科学的な根拠はございませんが、そう思います。ということで、今年も真っ赤に燃え上がり、エネルギー満ち溢れる一年にしていこうではありませんか。

 

太陽やら自然やら、あの人やら、僕にエネルギーをくれるたくさんの皆さんにお世話になりたいと思います。そして、もらうだけでなく、少しでもそんな皆さんをお世話できる、お世話しあえる自分になりたいなー、そんなことを思い感じるお正月なのでございました。

 

火, 炎, 炭素, 燃やす, 熱, ホット