「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

信じるか信じないか ~Jリーグ再開の幸せ~

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Jリーグが再開した。

 

それにしてもリモートマッチって変な名前だよね。どうして、小池百合子さんといいい、みんなキャッチーな名前をつけたがるんだろう。なんか本質から離れて、誤魔化しや隠してる感をすごく感じちゃう。こういうのは気をつけなきゃね。

 

そんなこと言ってもJリーグのある日常はいいものです、しかも週二回も見れる。スケジュールが圧縮されてしまったので、選手は大変だろうけど、見てるほうは単純に楽しみが増えて嬉しい、やっぱりスポーツはイイもんねー。

 

そんなJリーグ、変則スケジュールとなった影響で、ルールにも変更があります。今年から始まる予定だったVARが延期されたり、選手交代が3人から5人になったりなんだけど、一番大きいのはなんてったって降格がないこと。

 

これってスゴイことです。どんなに成績が悪くても降格することがないっていう安心感、これをそんな保険的な意味合いで感じるか、それともポジティブに使おうと感じるか、それによってチームの今後が大きく変わってくると思います。

 

我らが横浜F・マリノスは二年前、アンジェポステコグルー監督を招聘し、それまでの堅守から攻撃主体のアタッキングフットボールに大転換を図りました。見ていて面白い、ワクワクするサッカーなんですけど、最初の年は戦術がハマらず、チームは創設以来いちども降格したことがないのに低迷を続け、なんとか残留するようなホントすれすれの状況でした。

 

そんな中でも、監督も選手もサポーターも、このサッカーの可能性を信じて、貫き通した結果が昨年の優勝なんですよね。これは、このブログでも何回も書いてきました、うーん、いま思い出しても泣けてきます。

 

blue-jk.hatenablog.com

 

でもね、もし初年度に降格してしまっていたらどうなっていたでしょう、そのまま監督に任せ続けることができたのか、主力選手が移籍してしまったのではないか、あのアタッキングフットボールを続けることはできなかったのではないか、もちろん昨年の優勝だってないわけですからね、そんなことを思います。

 

そう考えると、今年は降格がないのですから、チームは色んな可能性にチャレンジできるわけなんです。さてさて、そんな未来に向けて舵を切り直すチームはどこなのか、そんな観点でJリーグを見ると、さらに面白いと思います。

 

開幕三連敗のチームが3つあります。清水、湘南、そして鹿島です。この辺のチームが怪しいね、今後の展開、そしてチームの方向性をサポーター含めた関係者が信じられるのか、試合だけじゃない、そんな戦いも見ものです。ビバJリーグ!ビバF・マリノス

 

お題「#応援しているチーム

稲垣栄洋さんに感服する ~シンガーソング・ライター・ダンサー~

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新聞を読んでいたら、僕の敬愛する稲垣栄洋さんのインタビュー記事が出ていた。なるほど、こういうお顔なのか、なんか自分のやりたいこと一筋で生きてきた感を感じる、失礼ながら褒めてます。

 

「面白くて眠れなくなる植物学」「生き物の死にざま」特に後者はベストセラーになっているようなので、読んだ方も多いんじゃないでしょうか。ちょっと切ない物語調で生き物の生きざま、死にざまを表現している素敵な読み物です。

 

それにしてもこの人、植物だろうが動物だろうが、生きているものすべて、というか生命そのものが好きなんだろうね、その研究を貫き通している姿に感服します。

 

この人のすごいところが、文章力ですよね。難しいこともわかりやすく、面白く伝えることができる能力が大変高いと思います。加えて、先の「生き物の死にざま」です。物語も書ける表現力をお持ちになられたとは驚くばかりです。

 

自分で曲を書いて、詩も書き、自ら歌い踊る、シンガーソング・ライター・ダンサー(コピーライトby岡村ちゃん)ばりの表現者だと思います。

 

こういう方の書物を読むたびに、難しいことを難しく書くなんてたいしたことじゃなくて、難しいことを優しくわかりやすく楽しく読ませることが優れた仕事なんだと思いいたる次第です。

 

そんな文章が書けたらいいな、そう思いながら今日もパチパチ雑文を書いてる私なのでありました。失礼しました。

 

何のために生きるのか ~自分のために生きるのです~

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「音楽なんて人と比べるもんじゃない、どう楽しむかは君の自由だ」

 

何のとりえもないと思い悩む主人公がギターに興味を持ち、たまたま教室にいた音楽の先生に教えてもらうことになる、でも、主人公はこれまでの人生を振り返り、「どーせ俺なんかたいしてうまくなれないし」そんなことを言ってやめようとする。それに対して先生が言ったのが冒頭の言葉だ。

 

これは「今際の国のアリス」というマンガの1シーンなんだけど、なんかねー、とっても同意しちゃった。

 

そうなんだよね。音楽でも絵でも小説でもスポーツでもこのブログなんかでもそう、別にプロになれるわけでもない、人に褒められるわけでもない、何かの賞が取れるわけでもない、だから手を抜いちゃう、こんなもんだと諦めちゃう、そういったことが僕の人生で何度も繰り返されてきた。

 

なんかね、どこかで期待してるんだ、人から称賛されたい、僕だけにしかできないものを見つけたい、それを仕事にして生きていきたいってね。

 

でもその前提にあるのは人と比べて優れた自分であるっていうこと。なんて厚かましいんだろうね、夢を見るならひとりで見ればいいのに、常に相手のことを考えてる、だから僕はそんな自分をいつも誤魔化しながら生きてきた。

 

この言葉でそんなことを再認識した。楽しいからやる、自分がやりたいからやる、それでいいじゃないのよね。何で一番になる必要があるのっていうか、何で人と比べて優れた自分であろうとするのさ。

 

アザトイヨネ、そんなこと思った。でもこんな時、いっつもこう思う、思うことにしてる、良くそれに気がついた、自分で気がついた、偉いぞって自分を褒めてあげる。

 

生きることってそうじゃないかな、楽しいから生きる。人よりいい生活を送りたいから生きるんじゃない。だから楽しく生きたい、それでいいよね、ホントそう思います。

 

保守と革新 ~「夜の街」と「東京アラート」~

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「夜の街」ってなんだ?

 

接待を伴う飲食店、ライブハウス、ナイトクラブのことを言うらしい。うーん、いまひとつピンとこない。一般的に使われている用語を使えばいいのに、ナイトクラブってどういう店のことを言うのだろう?接待ってお店の人が接待?接客と何が違うのさ。

 

コロナウイルス感染防止のための指針が示されたそうだけど、うーん、これもどうなんだろ。カラオケ歌う時はマスクしてとか、店に連絡先を伝えるとか、普通しないでしょ、そんなこと、そう思います。

 

やっぱり政治家さんが使う言葉って特殊だよね。そういう意味では世間ずれしてるってことなのかな。確かにキャバクラだって、ホストクラブだって、行ったことない人がほとんどでしょうからね。知らずに言葉を使うから、世間ずれした表現になっちゃう。

 

そういう意味では、たまにそういうお店に通っていて、スキャンダルになる政治家や閣僚は世間ずれしてないってことかもしれません。この際、もっとアピールしちゃえばいいのにね。

 

改めて見ると、「夜の街」「ナイトクラブ」って昭和感のある言葉だと思う。演歌的と言ってもいいかもしれない。

 

だから、小池百合子さんなんかは敢えて使っている。そういうお店を知ってるくせに、敢えてそういう言葉を使うことで、昭和で演歌を愛する人への見られ方を意識している。スナックのママ的な立ち振る舞いですね、支持者の期待は裏切りません。

 

この人は、加えて珍しい洋風言葉を使ったりしてる。ワイズスペンディングとか、ロックアウトとか、東京アラームとかね。これはこれで、若者や革新的な人に受けようとする魂胆が見え隠れする。カイロ大卒なんてのも、他の人と違う感を醸す大事な要素だと思います。

 

そう考えると、この人は常に自分が人からどう見られているか、どう見せたいかを意識して行動している人なんだろうね。日常のすべてが選挙活動、そんなところでしょう。たいしたものだと思います。

 

都知事選も公示されたようですが、なんか目新しさに欠けますね。ドクターも出馬しないようですし。都道府県って市町村と違って住民向けの実務が少ないから、その首長たる知事もお飾りが多いんだよね。僕らは雰囲気に流されちゃいけない、そう強く思います。

 

しっかり選びましょうね。一緒に新しい社会をつくる人ですからね。

 

演歌とロックとあいみょん ~いいものはいい、それだけ~

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王様のブランチを見ていたら、サザンオールスターズの無観客ライブ配信のニュースをやっていた。佐藤しおりさんをはじめとした出演者たちが、サザンの映像、ヒット曲を見てホント嬉しそうに楽しそうに盛り上がっていた。

 

桑田佳祐っていくつなんだろ、もう60歳近いんじゃないかな、調べてみたら64歳だった。64歳の歌う歌を20歳の子たちが大喜びで聞いている、これってすごいことだと思っちゃう。

 

僕らの子供のころ、親が聞いていた音楽は演歌だった。五木ひろし細川たかし八代亜紀などヒット曲も満載だった。4~50歳の聞く音楽は演歌と決まっていた。

 

いまの4~50歳はたぶん演歌なんか聞かない。サザンも聞くし、あいみょんも聞く。そして今の若者も同じ、Official髭男dismも好きだし、王様のブランチの出演者たちと同じようにサザンだって大好きだ。

 

なんか時代って変わるんだね、個人の趣味趣向は別にして、文化ってこういう風に時代とともに移り変わっていくんだな、あらためてそう思う。

 

考えてみれば、ローリングストーンズのミックジャガーは76歳だし、エアロスミスのスチーブンタイラーだって72歳で、既に完全なおじいさん。海外では30年前から4~50歳の人も若者も同じ音楽を聴いていたわけだ。

 

イイモノはいい、単純にそういうことだと思う。そう思い、あらためて演歌を聴いてみると、これがいい。前川清なんて歌い方も含め最高だ。まだまだ知らない、気がつかないこといっぱいあるんじゃないか、そんなこと思う。

 

そうそう、八代亜紀さんのっていくつなんだろ、調べたら69歳だって。ん?桑田佳祐と大して変わらないんだな。僕らは先入観とか思い込みで物事を判断しがちだ。モッタイナイことしてるんだな、そんなことに気がついた。

 

想像力をゆだねる楽しさ ~可能性の宝庫~

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高校生のころ先生に言われたことを覚えている。「本を読みなさい」、それだけじゃなくこう言われた、「マンガではなく本を読みなさい」。

 

この先生が言うには、マンガはページを開いた瞬間その先の場面まで絵が描かれているので、想像力が働かない、だから本を読む、ただ本を読むのではなく、自分自身で想像力を働かせる必要があるから本を読む。そう言っていた。

 

なぜか印象に残っていて、ずっと記憶に残っていた。だからと言って本ばかりを読んでいたわけでもないのだけど、あまりマンガっていいもんじゃないんだな、そんな風に思っていた。

 

そんな僕だけど最近、マンガをよく見るようになって、マンガに対する考え方が変わった。これは本とは違う表現の一手段だと思うようになった。

 

マンガには想像力をゆだねる楽しさがある。だから低俗なものはとっても低俗なものにもなってしまう。逆にその想像力を最大限に使い倒している素晴らしいマンガもある。見事に表現の花を咲かしているマンガがあるということを知った。

 

マンガってどちらかというと若い人向け、頭を使わないで読みたい人向けのものと思ってしまっていた。実際、世間一般ではそういうイメージを持ってる人が多いのではないだろうか。

 

それはさっきも言った通り。マンガの持つ想像力のゆだねやすさ、伝えやすさが、単なる刺激的な描写によって、読者の感情を煽ることに使われてしまっていることに起因する。

 

単純に言えば不必要にエッチなシーンが多すぎるってことです。低俗なわかりやすさをビジネスにしてしまっている人達が多いということ、それが問題だと思います。

 

なんか、モッタイナイね。マンガってもっともっと可能性があるような気がする。想像力をゆだねるという意味では映画だって同じだ。映画はアカデミーやカンヌなんかがあって芸術作品として認められている。

 

マンガを同じような文化にするためには、業界としての取り組みが重要だと思う。それには残念だけど、低俗を売りにすることをやめる、そういう出版社の見識が求められるのではないだろうか。

 

多くの可能性がマンガにはあるのは間違いないと思う、出来ることはたくさんあるんじゃないかな、そんなことを思います。

 

免疫力を高める ~みんな一緒、相手も一緒~

 

「急に触らないでくれる、すぐ好きになっちゃうから」

 

テレビのバラエティ、ダレノガレ明美さんに腕をつかまれた芸人のせいやさんが、こんなこと言っていた。うーん、何かわかるなー。もしかしたら、モテない人にしかわからないかもしれない、でも実によくわかる、そういうことだ。

 

こういうのも免疫なんだろうな。モテた経験の多い人や、女の子と付き合った経験の多い人にとっては何でもないこと。経験によって免疫を持っているから。でもそうでない人にとっては、電気が走る、手を触れられただけでウイルスに侵されてしまう感じ、残念ながら僕にはよくわかります。

 

こう考えると免疫ってとっても大事なことかもしれない。だから免疫を得るためには経験を得る必要がある、それによって自分が変わる、より強い自分になる。経験なしに免疫だけをつけるなんて本来無理なこと。

 

猛威を振るう新型コロナウイルス、未知のウイルスだから誰も免疫を持っていない。僕らはウイルスに対抗できる免疫力を持たなければならない、そのために経験を積まなければならない。でも免疫をつける前に死んでしまっては元も子もない、だからワクチンを求める。

 

もちろん、モテるモテないと感染症とを一緒に考えてはいけない、だけど共通していることもある、免疫をつけることが自分を救う方法だってこと。

 

感染症だってワクチンに頼ってばかりではいけない。僕らは僕らの免疫力を高める必要がある、未知の攻撃にも備えられるように鍛えなければならない。

 

僕らは免疫力を高めるために色んな経験をしなければならない、でも全てができるわけではないから、本を読む、映画を見る、色んな人と色んな会話をする。そういうことだ。

 

僕らはモガキナガラ生きている、みんなで協力し合いながら生きている、もしかしたら新型コロナウイルス、奴らも同じかもしれない。

 

withコロナって、そういうことなんだろう。そう理解できるとできないとでは大きく違う。自分のことも相手のことも、僕らはもっともっと知らなければならない、そういうことなんじゃないかと思う。

 

芸人のせいやさん、単にモテ免疫を持っていない人だと思っていたら、オンラインでわいせつ行為してたとかなんとか。彼なりの免疫力を高める手段だったのかもしれないけど、手段と経験は選ばなきゃね、そう思う。

 

迂闊な人たち ~選挙違反に賭けマージャン~

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現役国会議員の河合夫婦が逮捕された。公職選挙法違反容疑、要は買収ですね。

 

しかしねー、この人、昨年まで一時ではありましたが法務大臣ですよ、この国の司法を司るトップ、その上、議員の一番の専門分野である選挙での犯罪ってどういうことなんでしょう。わかっててやったのか、わからなくてやったのか、どちらにしても、はてなマークが無限大です。

 

賭けマージャンで辞職した黒川検事長しかり、その道のトップ、専門家のあまりに迂闊な行動です、これってこの人たちだけなんですかねと思ってしまいます。

 

実はこれらのことって、日常茶飯のことであって、検挙されるかされないかは、告げ口されたかされないか、人徳があったか無かったかだけなんではないか、そんなことを思ってしまいます。

 

河合夫妻も県議や首長に選挙支援を目的に現金を渡してたっていうことですが、「領収書」をもらってれば「寄付」扱いで選挙違反にはならないそうです。これっておかしいよね。

 

「寄付」扱いであれば、いくらだってお金をばらまける、実質的に買収できるってことですもんね。アメリカの大統領選挙なんかも一緒なのかな、選挙は金がかかるってこういうことなんですね。

 

だから、本人にとってみれば、こんな当たり前のことでなぜ逮捕されるのかってことなんでしょう。自分の立ち位置とか、世間や人にどう見られているかっていう客観性が無いんですね。

 

でも逆の見方をすれば、うまくやっている人が大多数ってことでもあります。河合夫妻や黒川さんは、よく言えば不器用で小細工をしない人だった、そういうことなのかもしれません。人間的にはこういう人の方が信頼できるような気もします。

 

それでも新聞なんかを見ると、ご本人たちの人間性を否定するような記事で埋め尽くされています。本当なのかね、不倫で自粛に追い込まれた芸人の渡部さんも、イタシタことは別にしてひどい書き方されてますけど、魅力があるからこれだけテレビに出演していたんでしょうにね。

 

ミスを犯した人を集中して叩く、正論だから叩いておけば自分が正しく見えるし安心、そんな意識が垣間見えてキライです。少なくとも犯罪(ミス)と人間性とは切り分けて報道してほしい、そう思います。

 

僕らも一部の意見や報道を鵜呑みにしないで、自分で判断しなきゃね、そんなことを改めて思い感じる今日なのでした。

 

地震はいつかやって来る ~野性を磨きましょう~

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おっきな地震が来るかもしれない、そんなことがあちこちで言われてます。確かに最近多い、なんか日本中のあちこちで震度4くらいの地震が起きているような気がする。

 

なんか三浦半島で広範囲に異臭騒ぎがあったなんてニュースもあった。地中がうごめいていて、それが土や泥を動かして異臭を発生させている、阪神淡路の前にも関東大震災の前にもそんなことがあったなんて言われている。

 

思い起こせば子供のころから、近いうちに東海地震がやって来ると言われていたけど、まだ来てない。それどころかいつの間にか、東海地震という名前すら聞かなくなった、南海トラフとか、首都直下型とか、そんな風に言われている。

 

いつも地震が来た時に思うことがある、揺れ始めたとき、とうとう来た、来てしまったんだ、これは大地震に違いないってね、でもそう思ってる中で揺れは段々収まり、違った、よかった、そんなことを思う。そんなことの繰り返しだ。

 

でもいつかやって来るんだろうね。それが今日なのか、明日なのか、わからない。でも僕らだって昨日までの僕らではない。関東大震災のころの僕らではない。だから油断しちゃだめだけど、必要以上に恐れることなく準備しておくことが大事、それに尽きるんだろう。

 

6月のはじめ、駅から緑道を歩いて帰る途中、なにやら足もとに黒光りするものが。。。何かと思ってよく見ると、それはそれは美しいノコギリクワガタちゃんでした。

 

何でこの時期にノコギリクワガタちゃんがココにいるのでしょう。しかもなんか弱弱しい動き。季節間違えて、土の中から出てきちゃったのかしら。道の端っこの草場に逃がしてあげましたが、不思議だよね、この時期に。やっぱり地中で何か起きているのかも。

 

もしかしたら、僕らも耳を澄まして集中してみると何かに気づくかも知れません。よく大地震の前には動物がいつもと違った行動をするなんて言うものね。僕らもこの地球に住む一員なのだから、きっと何か感じ取れることがあるのでしょう。

 

気づき感じる、いつも思ってることだけど、何のために気づき感じるのか、一番大切なのは生きるため、そんな野性がまだ残っているのか、そんなこと思う今日この頃なのでした。

 

居間の主役をイノベート ~テレビの次はテーブル~

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12.9インチのiPadで見開きのマンガを読むのは思いのほか快適だ。このiPadはマンガを読むためにあるのかもしれないと思っていたら、もう一つ適したものがあった。それは雑誌。

 

NTTドコモが提供するdマガジンという雑誌読み放題サービスに加入したの。なんと月400円で雑誌が読み放題になるサービス。

 

以前使ってたフツーのiPadでお試しサービスを使ってみたことがあったけど、10インチくらいのタブレットで雑誌を読むのは厳しいのですよね、拡大しながら読むのが面倒くさいと感じました。

 

それがなんとなんと12.9インチのiPad様では、フツーに紙の雑誌を見るように読むことができるではないですか。しかもクルマ雑誌やファッション雑誌、週刊誌、ビジネス誌と一通りのものが揃っております。

 

これで月400円というのはどういったビジネスモデルなんざんしょ。もしかしてこういったデカいタブレットで見る人を想定していないんじゃないでしょうか。だからあくまで紙の雑誌を購入する人が一定数いる前提で、それを補足する立ち位置で提供しているサービスなんではなかろうかと想像します。

 

このサービス自体で儲けるのではなく、ドコモとか楽天とか、自分たちの経済圏に誘い込むためのツールなんでしょうね。これから12.9インチiPadで雑誌読む人が増えてきたら、間違いなくこのサービスなくなると思う。そんな気がします。

 

やっぱりデッカイことはいいことだな、改めてそんなことを思います。もしかしたら、そいうのって他にもあるかもしれない。タブレットだってもっと大ききれば新聞だって見やすいかもしれない。

 

こんなのどうでしょう、居間のテーブルの上が全面タブレット。テーブルの前に座った人が自分の好きな大きさで好きなコンテンツを表示させる。小説でも、マンガでも、雑誌でもそれこそ新聞でも動画でも構いません。

 

家族の伝言版にしてもいいし、テレビ電話にしてもいい、使っていない時にはお洒落なデザインを表示させて、お部屋のインテリアにしたっていい。もしかしたら、家族四人で人生ゲームもできるかもしれない。麻雀だってできるし、ピアノにだってなる。

 

なんか単純だけどいいでしょ。AppleTable、もうこんなの考えてたりしてね、次は家具の革命だ、こんな未来がもうすぐ来るかもしれない。

 

「謎の彼女X」で知る新しい青春 ~知らないより知ること~

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12.9インチのiPadを購入してから、マンガをよく読むようになった。電子書籍のサイトではお試し無料みたいなマンガがたくさん掲載されている。立ち読みみたいなもんですね、それで面白かったら買ってもらうというビジネスモデル、わかりやすいね。

 

日替わりで3巻くらいまで無料で読めるマンガもあったりして、僕なんか飽きっぽいから結構それで満足してしまう。

 

先日、同じように3巻まで無料のマンガがあったので何気なく見ていたら、すっかり魅了されてしまった。僕はサバイバルものが好きで、よく見るのだけど、この漫画は何とナントの恋愛もの、しかも17歳、キスもしたことのない同級生の二人がつきあい始めるという青春マンガだった。

 

そのマンガの名は「謎の彼女X」。いい大人がこんな可愛らしいマンガを読んでていいのだろうか、家族に見つからないようにコソコソ読むわけですが、これがいいんだよなー。全巻大人買いしちゃおっと、わかりやすいビジネスモデルにスッカリやられてしまった私です。

 

でもね、このマンガ、ただの青春ラブストーリーではないのですよ。主人公の椿と卜部、この二人の日課はなんと椿くんが彼女Xたる卜部さんのよだれを舐めることなんです。卜部さんが自分のよだれを人差し指につけて、椿くんの口に差し入れるのです。

 

なんともエロい描写でしょ。これがそんなこと全くないのです、なんともいいシーンなんです、清々しささえ感じる美しい描写なんですよね。最近のマンガを見ていて思うのですが、不必要にエッチというかお下品なシーンが多すぎます。

 

さきほどの彼女Xのよだれをなめるシーンは違うんです、エロイようでエロさを感じさせず、それでいて何か心の奥の感情を刺激するような描写、直接的な描写より何百倍も刺激的で、どちらかというとマンガというより小説的で不思議なマンガなんです。

 

このマンガを見ると、エッチな描写だけで僕らを刺激しようとしている他のマンガが、エラく低俗なものに感じます。やっぱり、どんな世界でもそうですが、同じマンガであっても自分なりの表現の花を咲かせること、つまり表現の発明をしていくことが大事なんだと思い感じる次第です。

 

このマンガの二人ですが、相手のよだれをなめることで互いの感情を相手に伝えることができるんです。なんか、ステキでしょ。こんなマンガもあったんだね、いい大人だって17歳の青春物を読んだっていいじゃない、色んなことを知るのは面白いし幸せだ、そんなことを思う今日一日なのでした。

 

雨の日は傘もささずに ~幸せな時間は自分が知っている~

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今日も雨降りの一日、朝起きてカーテンを開けるとシトシト雨が降っている。こんな日に傘をさして外に出るのは不快極まりない。なんかね、雨に直接あたっているのでははないのに、どこかが濡れている。そんな雨降り。

 

まっすぐに落ちてくる雨、風に乗って斜めに降ってくる雨、傘を傾けて何とか雨に濡れる範囲を狭めようと格闘する。だけど、こんな日は空気全体に雨が浮遊している感じで、いつの間にやらジトっと湿ってくる。

 

まあ、梅雨ってこんなもんだよね、と言えばそうかもしれない。

 

実はこんなシトシト雨にも最良の方法がある。それは傘をささずに歩くこと、正確に言うと傘をささずに緑の中を歩くこと。もう気持ちいいったらありゃしない。

 

でも普通の緑道でそんなことしてたら通報されちゃうかもしれません。合法的な方法としてはトレッキングとかゴルフでしょう。僕がおすすめするのはゴルフです。

 

美しく広がった緑の中で雨に包まれながら歩く、しかもボールを思いっきり打ちながら、考えながら、楽しみながら、前に進む。マイナスイオンに浸りながら、新鮮な酸素を思いっきり吸い込みながら、カラダを動かし、全身と全心で自然と一体となる。なんとも言えない気持ちよさがそこにはあります。

 

そう考えるとね、天気のいい日であっても、良くない日であってもも、どう過ごすかは自分次第ってことなんだと思います。これって天気だけじゃなくて、いつもの生活の中でも一緒なんです。

 

運が悪いなーって思う日も、実際によくないことがあった日も、それをどう捉えるかは自分次第、それを乗り越える中で新しい何かを見つけることができる。

 

そう思えればしめたもの、楽しさは自分で見つける。最近何にも面白いことがないなー、口癖になってやしませんか?やっぱり面白いことは自分で見つけに行かなきゃねー。

 

簡単そうで難しい、わかっちゃいるけどできない、そうかもしれないし、もしかしたら難しそうで簡単なんことなのかもしれません、まずはやってみようってことですね。

 

さてさて何をしようかな、まずはやってみたい面白そうなことを100個書き出してみるなんてどうでしょう。さて、まずはやってみましょうかね。

雨に思う ~クルマは僕の一部~

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関東地方も梅雨入りしたらしい。

 

雨の日って好き、正確に言うと雨の休日が好き、どこにも行く必要がない、それでいてヒンヤリとした空気を肌で感じられる、雨が降り続く外を見て過ごすのが好き。

 

ずっと家にいるのが好きだけど、雨の日にドライブに出かけるのも好き。そんな時は、雨できるだけたくさん降ってほしい。だって雨の中、クルマに乗って、あちこち行けるのはとっても気持ちがいいから、普段見れないものが見れる、傘をさしていては見れない景色がある。

 

水の中を進む僕のマシン、いつものクルマが船になったような、潜水艇になったような不思議な感覚。土砂降りの雨の中、何事もなく淡々と前に進む僕とクルマ。

 

そう考えるとクルマってスゴイと思う、完全防水でも何でもない、よく台風で冠水してしまったクルマの映像をテレビで見る。それなのにどんな土砂振りでも、僕を守りながらどこまでも行くことができる。

 

やっぱりクルマは世界一の発明だと思う。こんなスゴイマシンを一般の人が自分のものにできるってこと自体がスゴイ、かつ自分が自由自在に操ることができることも奇跡だ。飛行機だって宇宙船だって、UFOだってかないやしない、たぶん。

 

それに雨に濡れたクルマはカッコいい。ネオンサインに濡れた道路、その上を怪しげな輝きを放ちながら進む僕のクルマ、ステキすぎます。あー、こんな素晴らしい乗り物が僕のものになったなら、そう、僕のものなんです。

 

クルマは裏切らない。どこまでも僕と一緒。ひとり地方に単身赴任した時も、つらく寂しいことがあった時も、信頼してた人に騙された時も、いつも一緒。色んな場所に一緒に出かけてくれた。もしかしたら僕の人生はクルマとともにあるのじゃないか、本気でそう思う。

 

クルマは僕の一部。誰よりも何よりも大切な存在。雨に濡れたアジサイを見ながらそんなこと思う。そんな一日。

 

「当たり前」を疑え! ~ココロに刻むこれからの当たり前~

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昨日、久しぶりに会社に行った。4/7以来だから約2か月ぶり。会社に着いてエレベーターのボタン、何階を押せばいいのか、瞬間わからなかった。思わず自宅のマンションの階を教てしまった。うーん重症かも、もしかしたらボケの始まりかもしれません。

 

久しぶりの会社だったけど、4月にできなかった、人事異動に伴う席替えの準備をしただけ。なので、すぐに帰ってきた、その往復に要した時間、約3時間。はー、疲れたびー。

 

なんかねー、とってもバカらしく思っちゃった。電車に乗ってる時間が長くて長くて。今までこんな毎日をよく送っていたもんだ、我ながら頑張りました、よくやりました、自分で自分を褒めてあげたくなりました。定年を迎えたサラリーマンのようです。

 

それにしても、この時間が本当に無駄で無駄でしょうがなく感じてしまったのです。この時間、家ににいれば、もっと他の仕事ができたのに、そんな風に思ってしまったのです。

 

いやー、今までとは考えられない思考の変化です。会社行かなきゃ、雨が降ろうが、風が吹こうが、台風が来ても、地震が来ても、とにかく会社に向かう、そんな日常を送っていたわけですが、幻想だったんですね。もう戻れません。

 

「当たり前」って怖いな、そんな風に思います。これまで「当たり前」と考えていたことが、実は当たり前じゃなかったんです。なんで気づかなかったんだろう、いや、気づいてたけど、実行できなかった。世間体やら慣習やら、これまでの文脈が邪魔していたんだと思います。「当たり前でしょ」ってことで。

 

常に本質を考えて行動していきたい、そんな風に考えていたのに、基本の「キ」すら実践できていなかったってことです。

 

たぶん、こんなこと他にもいっぱいあるんだろうな。「当たり前を疑え!」これって大事なことだと思います。間違っても「そんなの当たり前でしょ」なんて言葉で、話を終わらせてはいけない、そんなことをココロに刻み付けた今日の一日なのでありました。

 

油断大敵 ~緊張感を持つのも自分次第~

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クルマぶつけちゃったの。。。

 

フロントのバンパーを少しこすっただけですけどね。でも今のクルマになってから、ぶつけた(こすった)のって初めて。しかも、これまで何百回と停めている実家の車止めスペース。

 

なんでだろ、なんでだろ、ずっとクヨクヨ考えちゃいました。過去はいくら振り返っても返ってこないってのにね。隣の家の人が立っていたんで、気になったのはあると思うんだけど、それにしても何でだろう、今ここでこするんだったら、もっと前にこすっているのではないか、そんなこと思う。

 

これってやっぱり「油断」ってやつなんだと思う。普段大丈夫だから、今日も大丈夫ってことはないんだよ、気を付けるべきは気をつけないと、ケガしちゃうんだよ、失敗しちゃうんだよって警告を受けたんだと思います。

 

確かにね、なんかボーっとしちゃう時ってあるじゃないですか、これって緊張感がない時、慣れちゃってる時なんだよね。仕事でもそう、テレワーク生活にすっかり慣れちゃって、最初は緊張感持ってカメラ写りなんかも気にしちゃっていたけど、今は慣れたもん。打ち合わせ中でも、カメラ切ってトイレに行ったりなんかもできちゃう。

 

そう考えると、今の日常に刺激が足りない、メリハリが足りない、それが緊張感の低下につながっているのではないだろうか、そんなことを思い感じてしまいます。

 

そうだよな、やっぱ身だしなみを整えて、まわりの人の視線に気を使いながら会社に行き、いろーんなシガラミやいろーんな人とのやり取りに気を使いながら立ち回る、そんな気苦労が減っているのは事実と思います。

 

なるほどなー、でもだからといって、そんな気苦労が必要だなんて絶対に思いません。もう以前の日常に戻る必要はないのです。新しい生活様式の中で、自分なりの緊張感を高めて生きていくべきだと思うのです。

 

危ない危ない、つい以前の生活スタイルありきで考えちゃいそうになりますが、そうではないのですよね、これから新しい暮らしを始めるのですから、緊張感もって素晴らしい生活にしていきましょー、そうできるか、できないかは自分次第ってことですもんね。

 

こすったところはバンパーの目立たないところ、さあ、もう忘れて新たな日常を送りましょう、でもクヨクヨする自分。。。困ったもんだ。