「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

「謎の彼女X」で知る新しい青春 ~知らないより知ること~

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12.9インチのiPadを購入してから、マンガをよく読むようになった。電子書籍のサイトではお試し無料みたいなマンガがたくさん掲載されている。立ち読みみたいなもんですね、それで面白かったら買ってもらうというビジネスモデル、わかりやすいね。

 

日替わりで3巻くらいまで無料で読めるマンガもあったりして、僕なんか飽きっぽいから結構それで満足してしまう。

 

先日、同じように3巻まで無料のマンガがあったので何気なく見ていたら、すっかり魅了されてしまった。僕はサバイバルものが好きで、よく見るのだけど、この漫画は何とナントの恋愛もの、しかも17歳、キスもしたことのない同級生の二人がつきあい始めるという青春マンガだった。

 

そのマンガの名は「謎の彼女X」。いい大人がこんな可愛らしいマンガを読んでていいのだろうか、家族に見つからないようにコソコソ読むわけですが、これがいいんだよなー。全巻大人買いしちゃおっと、わかりやすいビジネスモデルにスッカリやられてしまった私です。

 

でもね、このマンガ、ただの青春ラブストーリーではないのですよ。主人公の椿と卜部、この二人の日課はなんと椿くんが彼女Xたる卜部さんのよだれを舐めることなんです。卜部さんが自分のよだれを人差し指につけて、椿くんの口に差し入れるのです。

 

なんともエロい描写でしょ。これがそんなこと全くないのです、なんともいいシーンなんです、清々しささえ感じる美しい描写なんですよね。最近のマンガを見ていて思うのですが、不必要にエッチというかお下品なシーンが多すぎます。

 

さきほどの彼女Xのよだれをなめるシーンは違うんです、エロイようでエロさを感じさせず、それでいて何か心の奥の感情を刺激するような描写、直接的な描写より何百倍も刺激的で、どちらかというとマンガというより小説的で不思議なマンガなんです。

 

このマンガを見ると、エッチな描写だけで僕らを刺激しようとしている他のマンガが、エラく低俗なものに感じます。やっぱり、どんな世界でもそうですが、同じマンガであっても自分なりの表現の花を咲かせること、つまり表現の発明をしていくことが大事なんだと思い感じる次第です。

 

このマンガの二人ですが、相手のよだれをなめることで互いの感情を相手に伝えることができるんです。なんか、ステキでしょ。こんなマンガもあったんだね、いい大人だって17歳の青春物を読んだっていいじゃない、色んなことを知るのは面白いし幸せだ、そんなことを思う今日一日なのでした。

 

雨の日は傘もささずに ~幸せな時間は自分が知っている~

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今日も雨降りの一日、朝起きてカーテンを開けるとシトシト雨が降っている。こんな日に傘をさして外に出るのは不快極まりない。なんかね、雨に直接あたっているのでははないのに、どこかが濡れている。そんな雨降り。

 

まっすぐに落ちてくる雨、風に乗って斜めに降ってくる雨、傘を傾けて何とか雨に濡れる範囲を狭めようと格闘する。だけど、こんな日は空気全体に雨が浮遊している感じで、いつの間にやらジトっと湿ってくる。

 

まあ、梅雨ってこんなもんだよね、と言えばそうかもしれない。

 

実はこんなシトシト雨にも最良の方法がある。それは傘をささずに歩くこと、正確に言うと傘をささずに緑の中を歩くこと。もう気持ちいいったらありゃしない。

 

でも普通の緑道でそんなことしてたら通報されちゃうかもしれません。合法的な方法としてはトレッキングとかゴルフでしょう。僕がおすすめするのはゴルフです。

 

美しく広がった緑の中で雨に包まれながら歩く、しかもボールを思いっきり打ちながら、考えながら、楽しみながら、前に進む。マイナスイオンに浸りながら、新鮮な酸素を思いっきり吸い込みながら、カラダを動かし、全身と全心で自然と一体となる。なんとも言えない気持ちよさがそこにはあります。

 

そう考えるとね、天気のいい日であっても、良くない日であってもも、どう過ごすかは自分次第ってことなんだと思います。これって天気だけじゃなくて、いつもの生活の中でも一緒なんです。

 

運が悪いなーって思う日も、実際によくないことがあった日も、それをどう捉えるかは自分次第、それを乗り越える中で新しい何かを見つけることができる。

 

そう思えればしめたもの、楽しさは自分で見つける。最近何にも面白いことがないなー、口癖になってやしませんか?やっぱり面白いことは自分で見つけに行かなきゃねー。

 

簡単そうで難しい、わかっちゃいるけどできない、そうかもしれないし、もしかしたら難しそうで簡単なんことなのかもしれません、まずはやってみようってことですね。

 

さてさて何をしようかな、まずはやってみたい面白そうなことを100個書き出してみるなんてどうでしょう。さて、まずはやってみましょうかね。

雨に思う ~クルマは僕の一部~

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関東地方も梅雨入りしたらしい。

 

雨の日って好き、正確に言うと雨の休日が好き、どこにも行く必要がない、それでいてヒンヤリとした空気を肌で感じられる、雨が降り続く外を見て過ごすのが好き。

 

ずっと家にいるのが好きだけど、雨の日にドライブに出かけるのも好き。そんな時は、雨できるだけたくさん降ってほしい。だって雨の中、クルマに乗って、あちこち行けるのはとっても気持ちがいいから、普段見れないものが見れる、傘をさしていては見れない景色がある。

 

水の中を進む僕のマシン、いつものクルマが船になったような、潜水艇になったような不思議な感覚。土砂降りの雨の中、何事もなく淡々と前に進む僕とクルマ。

 

そう考えるとクルマってスゴイと思う、完全防水でも何でもない、よく台風で冠水してしまったクルマの映像をテレビで見る。それなのにどんな土砂振りでも、僕を守りながらどこまでも行くことができる。

 

やっぱりクルマは世界一の発明だと思う。こんなスゴイマシンを一般の人が自分のものにできるってこと自体がスゴイ、かつ自分が自由自在に操ることができることも奇跡だ。飛行機だって宇宙船だって、UFOだってかないやしない、たぶん。

 

それに雨に濡れたクルマはカッコいい。ネオンサインに濡れた道路、その上を怪しげな輝きを放ちながら進む僕のクルマ、ステキすぎます。あー、こんな素晴らしい乗り物が僕のものになったなら、そう、僕のものなんです。

 

クルマは裏切らない。どこまでも僕と一緒。ひとり地方に単身赴任した時も、つらく寂しいことがあった時も、信頼してた人に騙された時も、いつも一緒。色んな場所に一緒に出かけてくれた。もしかしたら僕の人生はクルマとともにあるのじゃないか、本気でそう思う。

 

クルマは僕の一部。誰よりも何よりも大切な存在。雨に濡れたアジサイを見ながらそんなこと思う。そんな一日。

 

「当たり前」を疑え! ~ココロに刻むこれからの当たり前~

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昨日、久しぶりに会社に行った。4/7以来だから約2か月ぶり。会社に着いてエレベーターのボタン、何階を押せばいいのか、瞬間わからなかった。思わず自宅のマンションの階を教てしまった。うーん重症かも、もしかしたらボケの始まりかもしれません。

 

久しぶりの会社だったけど、4月にできなかった、人事異動に伴う席替えの準備をしただけ。なので、すぐに帰ってきた、その往復に要した時間、約3時間。はー、疲れたびー。

 

なんかねー、とってもバカらしく思っちゃった。電車に乗ってる時間が長くて長くて。今までこんな毎日をよく送っていたもんだ、我ながら頑張りました、よくやりました、自分で自分を褒めてあげたくなりました。定年を迎えたサラリーマンのようです。

 

それにしても、この時間が本当に無駄で無駄でしょうがなく感じてしまったのです。この時間、家ににいれば、もっと他の仕事ができたのに、そんな風に思ってしまったのです。

 

いやー、今までとは考えられない思考の変化です。会社行かなきゃ、雨が降ろうが、風が吹こうが、台風が来ても、地震が来ても、とにかく会社に向かう、そんな日常を送っていたわけですが、幻想だったんですね。もう戻れません。

 

「当たり前」って怖いな、そんな風に思います。これまで「当たり前」と考えていたことが、実は当たり前じゃなかったんです。なんで気づかなかったんだろう、いや、気づいてたけど、実行できなかった。世間体やら慣習やら、これまでの文脈が邪魔していたんだと思います。「当たり前でしょ」ってことで。

 

常に本質を考えて行動していきたい、そんな風に考えていたのに、基本の「キ」すら実践できていなかったってことです。

 

たぶん、こんなこと他にもいっぱいあるんだろうな。「当たり前を疑え!」これって大事なことだと思います。間違っても「そんなの当たり前でしょ」なんて言葉で、話を終わらせてはいけない、そんなことをココロに刻み付けた今日の一日なのでありました。

 

油断大敵 ~緊張感を持つのも自分次第~

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クルマぶつけちゃったの。。。

 

フロントのバンパーを少しこすっただけですけどね。でも今のクルマになってから、ぶつけた(こすった)のって初めて。しかも、これまで何百回と停めている実家の車止めスペース。

 

なんでだろ、なんでだろ、ずっとクヨクヨ考えちゃいました。過去はいくら振り返っても返ってこないってのにね。隣の家の人が立っていたんで、気になったのはあると思うんだけど、それにしても何でだろう、今ここでこするんだったら、もっと前にこすっているのではないか、そんなこと思う。

 

これってやっぱり「油断」ってやつなんだと思う。普段大丈夫だから、今日も大丈夫ってことはないんだよ、気を付けるべきは気をつけないと、ケガしちゃうんだよ、失敗しちゃうんだよって警告を受けたんだと思います。

 

確かにね、なんかボーっとしちゃう時ってあるじゃないですか、これって緊張感がない時、慣れちゃってる時なんだよね。仕事でもそう、テレワーク生活にすっかり慣れちゃって、最初は緊張感持ってカメラ写りなんかも気にしちゃっていたけど、今は慣れたもん。打ち合わせ中でも、カメラ切ってトイレに行ったりなんかもできちゃう。

 

そう考えると、今の日常に刺激が足りない、メリハリが足りない、それが緊張感の低下につながっているのではないだろうか、そんなことを思い感じてしまいます。

 

そうだよな、やっぱ身だしなみを整えて、まわりの人の視線に気を使いながら会社に行き、いろーんなシガラミやいろーんな人とのやり取りに気を使いながら立ち回る、そんな気苦労が減っているのは事実と思います。

 

なるほどなー、でもだからといって、そんな気苦労が必要だなんて絶対に思いません。もう以前の日常に戻る必要はないのです。新しい生活様式の中で、自分なりの緊張感を高めて生きていくべきだと思うのです。

 

危ない危ない、つい以前の生活スタイルありきで考えちゃいそうになりますが、そうではないのですよね、これから新しい暮らしを始めるのですから、緊張感もって素晴らしい生活にしていきましょー、そうできるか、できないかは自分次第ってことですもんね。

 

こすったところはバンパーの目立たないところ、さあ、もう忘れて新たな日常を送りましょう、でもクヨクヨする自分。。。困ったもんだ。

 

大きいことはいいことだ ~10年ぶりにipadを買う~

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僕のipadは第二世代、購入したのが2011年だからもう10年近く使ってる、既に骨董品。だから最近はトイレに常備、お手洗い中のweb閲覧マシンとして必要最低限の使い方をしている。

 

なので、新しいのを買うことにした。SerfesGOをタブレットとしても使えばいい、そんな風に思っていたけど、やはり使い勝手が悪い。

 

さてさて、それじゃどれにしましょうかね。楽しいお買い物タイムの始まり。Pro、mini、お値段重視で普通のやつ?なんかどれも代わり映えしないね。デザインだって使い勝手だって、性能だって早さ以外は大きく変わってない。

 

それだけ完成されたものなのかしら、そう思い選んでみたのがipadPro12.9インチ。こんなデッカイipad誰が買うんだろう、そう思ってたけど、家の中で使うんだからデカいのにしてみよう、そう思ってこれにした(お安い旧モデルの再整備品)。

 

これがねー意外といいのですよ。いま、こいつで絵画を見ることにハマってます。僕の好きなマチスにしてもピカソにしても迫力があるし、筆の奇跡とかじっくり見ることができて面白い。写真集なんかを見るのにもいいし、マンガなんかも見開きで見れます。

 

何気によかったのが、自分の取った写真、なんかこれで見ると新しい気づきがある。人の表情や景色、スマホで見たときには感じられなかったモノがここにはある。ただデカく表示されるだけなのにね。

 

大きいものはいいことだ、誰かが言ってましたよね。古くてすみませんが、発見です。小さな一歩は大きな一歩、そんなことを感じた今日一日でした。

 

新たな日常が始まる ~空前絶後のチャンス到来~

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緊急事態宣言が解除された。いつもの日常が戻ってくる、のではなく、新たな日常が始まる、というか、新たな日常を始めなければならない。

 

みんな気づいちゃった、一般のサラリーマン、これまでの仕事のほとんど、リモートで賄えるってことに。苦労して会社に行く必要もない、そんなことに何の価値も見いだせないってことがわかっちゃった。

 

会社だって気づいちゃった、高い賃料を出してオフィスビルを用意する必要もない、従業員に通勤費を支給する必要もないってことに。

 

何で今ごろわかったのだろう。もちろん今回のコロナ騒動で、半強制的にこのような環境になったからということもあるだろう。でも本当はみんなわかってたんだ、なんとなくわかっていたけど、出来なかった、それだけだと思う。

 

昭和な雰囲気、会社に行かなきゃ、上司に会わなきゃ、みんながしているから自分もしなきゃ、お天道さまが見てるから真面目に働かなきゃ、そういう幻想、妄想。

 

ベンチャーなんかの新興企業はこんな慣習からとっくに卒業していた、というか、そもそもそういう発想がない。ロジカルに効率性を追求しながら仕事の質を高め、結果につなげ、成長してきた。他の会社がやっていないから、大きなアドバンテージを得ていた。

 

今回、他の企業、特に昭和の大企業たちが、結果的に働き方の大改革を実現してしまった。だから、これまでアドバンテージを持っていた新興企業は一気にそのアドバンテージを失う。

 

働き方を変えなければいけないのは彼らなのだ。リモートワークは働き方改革なんかじゃない。その次、その一歩先を目指さなければならない、それを実現した企業が、勝ち組となる。

 

これまでと同じ仕事をリモートワークしたって、多少の効率が上がるだけ。本当の働き方改革は、仕事の「やり方」を変えること、もっと言えば「仕事自体」を変えることだ。

 

これはチャンス、大チャンスだ。これを活かせるかどうかで、今後の人生が変わる。真剣に考えよう。

 

カバンを買って旅に出る ~いつもの一日を新しい一日にする~

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カバンを買った、もちろんネット。しかし、便利な世の中だね、なんとなーくWebを見ていて、気に入ったカバンがあったので思い切って買ってしまった。外出自粛中だっていうのにおかしなもんだ。

 

と言ってたら、どうやら緊急事態宣言も解除された模様。まさにこいつを買ったタイミングとドンピシャ、さてさて、これを持ってどこに出かけようかしら。

 

購入したのはBRIEFINGのベージュ色のにくいやつ。ちょっと若者風だけど、まっいいでしょ、これをもって背筋伸ばして颯爽と歩くんです。僕は身長181センチの猫背なんでね、新しいカバンで、新しい日常を胸を張って送るのです。意識しないとすぐに背中が丸まっちゃうのでね。

 

なんかね、カバンもそうだけど、新しいものを身に着けると、なんでこんなにワクワクするんだろう。いつもの一日が新しい一日になる。そう、その通り、だから僕らは買い物をする、モノであってモノではない、お多幸を買うんですよね。

 

やっぱりカバンを買ったからには旅に出ないとね。ニ泊分くらいの荷物を入れて、車の助手席に置く、もちろん中にはカメラにパソコン、どこに行っても何でもできるよう準備万端で出かける。だって旅に出るということは幸せな瞬間に出会いに行くわけだからね、何でもできる自分でありたいから、ちゃんと武器も持って出かける。

 

そうそう、出かける前には熱いコーヒーをポットに注ぎクルマに持ち込む。好きな音楽やラジオを聞いて、新しい風景と出会う。僕が操るクルマと一緒に、どこまでも走り続ける。美味しいコーヒーを飲みながらね、サイコーだ。

 

宿に着いたら、おニューのカバンを持ってさっそうと降りる、そしてホテルの一室に向かい、このカバンをマジマジと見返す。かっちょイイじゃん、そんなこと思いながら一人にニヤつきベッドに横たわる。

 

さて風呂に入るか、そして近所の居酒屋、もしくはホテルのレストランで一人でビールにワイン、至高の瞬間。

 

次の朝、窓の外の景色を見て深呼吸。シャワーを浴びて、支度をすませたら、このカバンをひょいともって宿を出る。見知らぬ土地で新しい一日が始まるんだ。

 

新しいカバンと一緒に新しい一日を送る。そんな幸せな日々が、これから始まるぜ、楽しみで仕方がない。これが人生ってもんだな、単純だー。

 

シンメトリーの美しさ ~絶対美と機能美は両立するはず~

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シンメトリー、左右対称ってやつね。なんか落ち着きます、逆にそうでないもの、とても違和感あります。

 

僕の大好きなクルマも、左右非対称のクルマなんて一度もお目にかかったことないもんね。もちろん、ハンドルの位置とかは違うけど、クルマ全体のデザインがシンメトリーじゃないなんて、性能的にもあり得ないと思う。

 

優れたデザインは必ずシンメトリーありき、これは別に保守的かそうじゃないかという問題ではなく、シックリくるかこないか、絶対美の問題だと思う。

 

そんな僕が最近、見るたびに気になって仕方がないものがあります、新国立競技場なんですね。あの屋根にデザインされている模様、あれが左右対称ではないのですよ。左右非対称にこだわりがあるとも思えないのに、左右非対称、気持ち悪いったらありゃしない。どうも日照を意識しているらしい、あれが機能美だっていうのかね。

 

そもそも僕はザハ・ハディドさんがデザインした最初の新国立競技場案を実現してほしかった。あの未来を感じる、これからの街を作り出すんだっていう、意欲的なデザイン、それに期待していたんだけど、キールアーチの値段が高いとか何とか、いちゃもんつけられて廃案になっちゃった。

 

ホントもったいないことをしたと思います。東京がTOKIOに生まれ変われるチャンスだったのにね、残念極まりない。

 

それでも、新しい新国立競技場、期待してたんですよ、なにか木材を使って和を感じさせるデザインらしいじゃないですか、目新しくもないけど、それでも素敵な街づくりの模範になるような新国立競技場であってほしいと思ってました。

 

それなのに・・・。百歩譲って、全体造形はいいですよ、人畜無害ですからね。それなのに何ですか、あの屋根の模様は、非対称・・・。そんなとここだわってどうすんだーいって感じ。もっとこだわるところがあるでしょうよ。

 

いまのままだと、東京オリンピックは中止なんだろうね。中途半端に開催するより、そのほうがいいと思います。中途半端、、、ホントそんな言葉がしっくりくる新国立競技場、まったく、どうして、どこの誰も表現の花を咲かそうとしなかったんだろうか。

 

もっと攻めようぜ、日本。アフターコロナにニューノーマル、おりこうさんでいちゃダメなんだ、そんなことを本気で思います。

 

食べる、本を読む、眠る ~大切にしている時間~

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出口治明さんの「還暦からの底力」って本を読んでいる。還暦なんて遠い未来の事、そう思っていたら、いつの間にやら近未来。目次を見て、いろいろ気になったので買ってみた。

 

このお方は60歳になってインターネット生命保険であるライフネット生命を立ち上げ、今は立命館アジア太平洋大学の学長さんをしているらしいです。

 

まあ言われていることは至極ごもっともで、ものすごいバイタリティと見識を持たれている方なんだと思います。生涯働くべき、仕事がつまんないなら他にも仕事はいっぱいあるんだからすぐに転職すべき、そんなことも言われております。

 

いやー、でもこういうお方の言われていることは、まったくもってその通りだし尊敬もするんだけど、真似ようとしては絶対だめだよね。こういう本を読んで影響を受けることはあっても、自分もできると勘違いして、真似てしまうのは一番してはいけないことだと思ってます。

 

自分は自分、人は人、結局自分がなにをするか、したいのか、できることは自分で考えるしかないんです。その参考にさせてもらう、そういうことだと思います。

 

そのバイタリティMAXの出口さんですが、こんなことを書かれていました、「自分が好きな時間は、食べる、本を読む、眠るの3つだ」。この人、単なる仕事大好き人間じゃないんですね。

 

でも、こうも言ってます。「飯、風呂、寝る」だけの毎日にしてはいけない。要は仕事から帰って、何も考えず食事して風呂入って眠って、翌日また仕事に行くだけの生活を送ってはいけないと仰ってます。

 

なるほどね、同じようで全然違うんだよね。意識して楽しむか、その時間をただただ過ごすかってことなんだと思います。みんなに与えられている時間は一緒、そうであればその時間は自分だけのモノなんだから、意思を持って楽しみましょうってことだと思います。

 

自分が大切なものをきちんと意識して、取り組む。その上で、仕事だって意識して取り組む、それでいいんんじゃないかなと思います。

 

出口さんとは仕事に対するスタンスとか、バイタリティとか、価値観とか、僕とは全然違いますが、基本的なこと、大切にしていること、要は根っこは一緒なんだな、そんなこと勝手に思い、ちょっと勇気が湧いてきた単純な私なのでありました。

 

特別な存在 ~必要なのはリスペクト~

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最近は何かにつけてリモート対応が主流だ。テレビの番組もほとんどそうなってしまった。おなじみの俳優や芸人さんたちが自宅からリモート出演している。垣間見える、有名人たちのお宅や日常、生活感が新鮮で、なんか親近感をもってしまうこともある。

 

でも忘れちゃいけないんだよね、あのテレビに出ている人たちっていうのは一握りの天才、エリートさんなんだってことを。

 

もちろん、出ている側はそんなことは微塵も感じさせない、どちらかというと庶民的な対応を売りにして好感度を上げようとしている。騙されちゃいけないよね。

 

最近は歌手なんかもバラエティに出演するケースが多い、だから同じように親近感を感じてしまう、歌のうまい人は世の中にたくさんいるから、そんな歌手をテレビやコンサートで見ると、自分もああなりたい、なれるんじゃないか、そんなこと思ってしまう。

 

でも、これも大間違いだ。歌手、それもシンガーソングライターってやつは大天才だと思う。この世の奇跡っていうくらいの存在だと思う。歌がうまいだけでもすごいのに、曲まで作り、素敵な歌詞まで表現してしまう。

 

昔で言えば、ベートーベンとトルストイがアイドルになってデビューするようなもんだ。作曲家と文豪が合体して、それを素晴らしい歌声で歌い上げる、ハイレベルなパフォーマンスで表現して、みんなを虜にしてしまう人達なんだ。

 

フツーに考えてこんな人になれるわけがない。だって、そもそも存在が奇跡なんだもん。そう思って僕らは、そのパフォーマンスを純粋に堪能すべきだと思う。

 

そう、純粋にリスペクトするってことだと思う。なんでもそうだけど、最近それが欠けてる。みんな批評してばっかり。そうじゃなくてね、純粋に楽しみましょうよ、天才さんたちの個性を、それができてこそ、客観的に物事を感じることができる。

 

そして、自分はどうするのか、自分は何者なのか、何ができるのかって考えることができる。自分は自分、人にどう思われるかなんて関係ない、だから人をうらやむ必要もないし、人をまねる必要もないんです。

 

純粋にリスペクトすべきはリスペクトし、自分がすべきことを行う、これが大事なんだよなーと心から思います。純粋で単純な自分でありたい、そんなことを改めて感じる今日この頃です。

 

窓を全開にして走る ~自然な光景、自然な社会~

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マスク着けてランニングしている人、苦しくないのかな。そんなこと思うけど、たまにマスクを着けないで走って来る人がいると意識的に避けてしまう、なんか非常識だよなと感じてしまう自分がいる。

 

いままでは自分だって、マスクをつけるという習慣はなかった。実は4月に緊急事態宣言が出るまで、ほぼ着けずに外出していた。

 

それが今はどうだろう、ウイルス感染防止(させることも)のためはモチロンなんだけど、それより、マスクしていないと社会的に許されない雰囲気を感じていまう。

 

マスクをつける習慣がなかった欧米諸国でも、既にマスクは常識になっているらしい。こうして新しい習慣、新しい常識、あたらしい社会通念が生まれてくるのだろうか。(それにしてもアベノマスクというやつは、まだ届かないけど、どうなっちゃってるのかな)

 

でもなー、マスクって嫌いなんだよな。特に最近気候がよくなってきて、これを夏場に着けることを想像すると恐ろしい。夏用マスクのイノベーションが生まれたりするのだろうか。

 

最近は、マスクをつけたくないから外出したくない、そんな感じさえしてしまう。だからクルマで外出するときは多少気楽だ。車内ではマスクを外していられるから。でも、他のクルマに乗ってる人を見てみると、みんなマスクを着けてる、うーん、そういうものなのかな。それとも単に面倒くさいだけなのか。

 

そんな街の光景をみながら、思わず車の窓を前も後ろも全開にしてみた。そしてマスクを外し、小沢健二さんのアルペジオを流す。なんか、一気に気持ちが切り替わる、爽快になる、新しい未来を感じる。我ながら単純ではありますが、やっぱりこれが自然な姿なんだよね。

 

早く、そんな自然な姿で街を闊歩できる日が来るといいな。

 

最近、湘南海岸の海がエメラルドグリーンになっているらしい。どうやらプランクトンの影響のようだ。見に行きたいなー、クルマに乗ってる分には問題ないだろうな、そうは思うけど、また湘南で渋滞が起きているなんて言われても困る。ドライブだけなら問題ないと思うのだけど、新しい社会通念が、そんな理屈をどっかに吹き飛ばしてしまう。

 

必要以上に、人の目を気にしたり、社会の一員になることを強制されてしますような、そんな世の中になると嫌だなーと思う。自分自身、ひとり一人が気をつけるしかない、そして感じるしかない、いい時代になるとといいな。そう思います。

そこにある、目に見えないもの ~テレポーテーションは実現するか~

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5G、何かものすごいスピードでデータ通信ができるらしい。今まで通りの使い方であれば、動画のダウンロードやWebサイトの閲覧が超快適にできるくらいのことだけど、それじゃあモッタイナイ。

 

新しい使い方としては、自動運転や遠隔手術などのリモート操作への活用が考えられる。要は速度を生かして大量のデータをタイムラグをなくやり取りしちゃおうってこと。でもなんかイマイチ新鮮味がない、生活が変わる感覚がない。

 

新しい時代がやって来た、5Gの時代だ、なんつってもスピードが速くなるだけ。たいしたことない。ウオークマンの小型化競争と根っこは一緒だ。

 

それよりも気になるのは、この5Gが何者かってこと。電波なの?だって、目に見えない怪しげな代物、そこに大量のデータが乗っかって、あっち行ったり、こっち行ったりしているわけだ。これって相当に不思議なことだと思います。

 

2時間の映画だって一瞬でやり取りできる。ちょっと前までは考えれなかった。テレビ電話なるモノだってカクカクしかじかって感じで、遅延も激しく、使い物にならない。そんな時代が懐かしい、というか、もうそんなこと忘れちゃった。今は小学生でもZOOMを使って友達と一緒に勉強する時代。

 

それにしても、僕らの目には見えていないだけで、色んなものがこの空間を行ったり来たりしていると考えると恐ろしい。つい数百年前の江戸時代には全くなかったものがこの世界を飛び交っているわけだ。

 

こんなことができるのなら、いつかテレポーテーションだってできるに違いない。7Gとか8Gのころかしら、超大量のデータが一瞬にして移動できるというのなら、物質だって移動できるはず。

 

そんな時代が楽しみでもあり、恐ろしい。本当の未来は、これからやって来るのかもしれない。どこでもドアがやってくる。今から練習しておこう、そう思って洗面所の扉をピンクに塗ってみた。

 

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空を見るためのチェア ~その名はインフィニティチェア~

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アウトドアチェアを購入してみた。アウトドアで使うわけではない、家の中で使うことが主目的だけど、立派な椅子を置くのもどうかと思い、お財布にも優しい、折り畳みのできるアウトドアチェアにしてみた。

 

購入したのはコールマンの「インフィニティチェア」なるもの。「雲の上の座り心地」とか「人間をダメにする椅子」とか口コミで絶賛されている。

 

「インフィニティ」って無限とが無限大っていう意味があるらしい。そういえば、日産の高級車ブランド名がこれだったな(トヨタでいうレクサス)、そういう意味なんだ。わからないことは何でもすぐ調べる癖をつけることはいいことです。

 

それにしても、この椅子、素晴らしい。座って背もたれに体を預けると、そのままグワッと倒れるの。あんよも含めて体が宙に浮く感じ、「人間をダメにする椅子」とはよく言ったもんだ。

 

なんか足がものすごく楽なんですよね、単純に足を上にあげる、血行が良くなる、そんな効果があるんじゃないかしら。ちょっとしたイノベーションです。

 

それにね、なんといっても素晴らしいのが、これに横たわっていると、窓の外にお空が見えるのですよ。これがなんとも素晴らしい。ずーーーっと、ぼーーーっと、お空を見続けてしまいます。

 

そう、この椅子は、テレビを見るためでも、本を読むためでも、誰かと会話をするためでも、ひとりでお酒を飲むためのでもないのです。お空を見るための椅子なのです。

 

そう考えると、アウトドアチェアではありますが、家の中にいながら窓辺にこの椅子を置いて空を見る、そんな使い方があっているのではないかと思います。

 

こういうのちょっとした発明だよね、素敵だと思います。僕も些細なことでもいいから何かを発明したいもんだ、そんなことを思いながら、曇り空もいいもんだな、なんて窓辺でくつろぐ今日一日なのでした。

 

お題「#おうち時間

お多幸なクルマ選び ~ハイテクは情感を超えるか~

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クルマのガラスに貼る遮光フィルム、あれ嫌い。遮光というよりも中を覗かれないように張る人も多いかもしれない。なんであんなことするんだろう。

 

だって、外の景色、本当の色が見えない、そんなの嫌だしモッタイナイ。せっかくクルマで見知らぬ場所に出かけるのだから、その場所の景色をそのままの色でみてみたい、そう思う。だから同じ理由でサングラスも嫌い。

 

最近のクルマ、いつの間にやら速度計なんかのインパネが液晶パネルになってる。ベンツのEクラスなんかもそうだ、一枚の横長の液晶パネルがハンドルの前にある、ナビと一緒に速度計やらタコメーターやらが浮かび上がる。

 

なんかねー、違和感ありまくり、それに情感に乏しいのよね。でも気がつくと他のクルマもそうなっている。デジタル化ってやつです。なんかデジタルを簡単に考えすぎてない?

 

クルマに最新のテクノロジーを取り入れる、それ自体は大賛成、でもね、やっぱりカッコよく、センス良く、こだわりを持って取り入れてほしい。なんかね、ワクワクするような武器を僕らに与えてほしい。

 

やっぱりクルマは所有物、そして最高の趣向品であり続けてほしい。そうじゃないとせっかくのテクノロジーが自動運転みたいなことにばっか使われて、いつの間にかクルマがクルマじゃなくなっちゃう。

 

遮光フィルムだって今の時代、もっとうまくできないのかしら。日差しがきつくて、光を閉ざしたいなって時だけ、ガラスの色が変わる、テクノロジーを使えばできるんじゃないだろうか。カッコよくさりげなく、お肌に優しい、女性にも優しい、そんな男らしさを演出してほしい。

 

昔からよく言われる、ワイパーのイノベーション、それが実現できたらノーベル賞ものだって。いい加減、そろそろ実現されるんじゃないだろうか。カッコよく、さりげなく、所有欲をくすぐるような装置が現れてほしいな。そろそろ傘だってイノベーションされてもいいころだ。

 

雨に濡れた光り輝くクルマの肢体、傘をとじてクルマに乗り込む、どのように変わるか見ものだね。サイコーにカッコいい映画のワンシーンになるようなイノベーションが実現するといいな。便利なだけの世の中なんて寂しいもんね。