「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

損か得かじゃない 〜僕の日常は物欲に支配されている〜

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欲しいものがあったら、無理してでも買うべきだと思う。

 

別に金銭的に余裕があるわけでも、無駄遣いしろってことでもない。こっちのほうが安いから、バーゲンセール中だったから、といった理由で本当に欲しかったもの以外を買っても結局のところ満足感は得られない。

 

僕らが買い物をするのは、その商品を所有することが目的なのかもしれないけど、結局の所はその商品を購入したことによる満足感を買うためなんだよね。だからその満足感が得られないのであれば、もしくは得られたとしても本当に欲しかったものと大きな差があるようなら、なんの意味もない買い物ってことになる。

 

買い物は損得じゃないってこと、それなのに、ついつい、これ今買わないと損なんじゃないか、って変な思いが湧いてきて、タイムセール品なんかを買っちゃうことがある。ダメだよねー、安いだけじゃ、本当に欲しかったものと同じ満足感は得られないってわかってるのにね。修行が足りません、ホント。

 

買い物以外でも普段の生活でついつい損得ばかりを考えてしまう時がある。

 

せっかくの休日、なんか充実した時間を過ごさないと損、

せっかくの旅行、朝から晩まで満喫しないと損、

せっかくの観光地、あそこにも行かないとここにも行かないと損、

せっかくの外食、今が旬の食材を食べないと損、

せっかくの人気店、いまだけの限定品をゲットしないと損、損、損。。。

 

バカですねー、焦ってばかり、常に得をしたいという浅はかな自分がいる。もっと鷹揚と生きたいものです。ホント反省。

 

それでも僕は、お買い物、物欲で生きている、そんなことを思ったりする。なんか欲しいものがないとモチベーションが湧いてこない。先日ノイズキャンセリングのイヤホンを買ったばかりなのにやっぱり完全ワイヤレスのが欲しいなとか、週末ゴルフだけどまだ寒そうだから薄手のアウターを買わなきゃいけないよなとか、スマホじゃ家で使うには小さすぎるから新しいタブレットがほしいなとか、新しい手帳がほしいな、新しいカバンが欲しいな、とかとかとか。

 

ささやかなもんなんだけど、常に欲しいものを探している僕がいることに気づきます。そう、欲しいものを見つけて、それを所有して、そして満足して、それを生きる糧にしている自分に気づくのです。

 

なんだかなあ、と我ながら思いますが、僕は否定しません。いいことだと思います。だって楽しいじゃない、それに選ぶ楽しさというのもある。そこで大事なことはケチらないこと、損か得かで考えないこと、さっきも言った通り、大事なのは満足感ですからね。

 

そして満足感に囲まれていると、そんな自分にも満足感が湧いてくる。自分に満足を与えてくれたものは本当に欲しかった価値あるものだから、価値あるものに囲まれてる僕は、価値あるものを所有して使いこなす僕になっている。

 

これこれこれ、これが大事なんです。

 

逆に言うと満足感のないもの、価値がないけど、使えはするものに囲まれていると価値あるものを使いこなせない自分になってしまう。よくいうけど、価値あるものに囲まれてると、自分も変わってくるんだよね。

 

だから欲しいものがあったらドンドン買いましょう、それも満足感を買いましょう、そして買えるように働きましょう(これが一番大事かも)。そしてそれを使いこなせる自分になりましょう、それでいいじゃない、ね。

 

自分が計画し生産し、自分の目で仕事の結果を見るような仕事

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会社に行っても面白くない。

 

そう思う人、多いんじゃないかな。ここで言ってるのは仕事の中身ではなく会社ね、そうサラリーマンのこと。

 

会社っていうのは、まわりの人からリスペクトされないと面白くない場所なんだよね。リスペクトされるには、もちろん仕事ができたり、面倒見がよかったり、それなりの理由が必要なんだけど、実は一番必要なのは「偉い」ってこと。つまり役職。

 

そんなサザエさん海山商事みたいな会社イマドキないでしょって思うかもしれないけど、実はこんな会社まだまだたくさん、というかほとんどが今でもそう。

 

会社でたいした仕事はしてなくてもリスペクトされている人がいっぱいいる。そんな人にかぎって中身が無いけどしゃべるのはうまい。そして何より偉そうに振る舞うことができる。これは会社でいい役職につくための必須事項。

 

この背景には 命令されて偉い人に褒められたい、いい部下だと思われたい、そんな人達がたくさんいるってこと。なぜたくさんいるかというと皆自分も偉くなりたいから。偉くなりたいから偉い人に尽くす、嫌われないように好かれるように気を利かす。偉くない人にはそんなことする必要はない。

 

なぜこんなシステムが出来上がっているかと言うと偉くなるのは実力も必要だが偉い人に好かれることが重要だから。会社は学校みたいに成績に点数がつくわけではない。正確にはつくのだが、デジタルの部分に比べてアナログな要素が大変多い。で、そのアナログの点数をつけているのが偉い人。

 

つまり会社は偉い人養成所なのである。

 

顧客よりも自分、自分の出世なのである。それをみんながみんな誤魔化している。世のため人のため。そんなの嘘っぱち。正確には嘘ではないかもしれないけど、自分のための世のため人のためなのだ。

 

そんな会社が利益を上げて儲けている。言い方を変えると搾取している、悪い言い方をすると騙している。価値が認められてその対価として利益を上げるのだったら問題ないのかもしれないけど、要はバカしあい。安く仕入れて高く売りたい、高く売るためにブランド化してプライド高い人を騙す、安く売っても素材の安いもので原価を削って利益を出す。相手のためなんて、二の次三の次。

 

でもこんな事を言ってしまっては元も子もないから、たいそうな理屈を作って自分たちの正当性を念じこむ。社訓なんてそんなもん。誤魔化しなんだ、皆自分をごまかしている。だから会社で誤魔化す立場にない人や、誤魔化されて自らを誤魔化すしかない人は会社にいても面白くなくて当然なんだ。

 

じゃあどうすればいいのか?それは自分で考えるしかない。

 

だってよく考えてご覧よ、こんな世のためにも人のためにもなっていなくて、偉い人養成所の会社なんてそのうち市場からなくなるというか、見放されるに決まってるじゃないか。実はこんな会社がとても多くなっている。だから日本の競争力自体も低下している。

 

最初に言ったとおり、会社と仕事はイコールではない。

 

だから僕らは会社ではなく仕事を選ばなければならない、そして仕事をしたから対価をもらうのではなく、人に感謝された(=それが仕事)から対価をもらう、そう考えれば、自ずと自分が何をすべきかわかってくると思う。そんな仕事をしている会社だってもちろんある。基本の基本、とっても大事なこと。よく考えようね。

 

エーリッヒ・フロムは人間には愛と生産的な仕事が必要だと言った。生産的な仕事とはなにか。「自分が計画し生産し、自分の目で仕事の結果を見るような仕事」、そのとおりだよね、そんな仕事をしていきたいし、しなきゃいけない。

 

要は自分で考えるってこと、ホントそう思います。

 

モヤモヤ感が半端ない 〜カルロス・ゴーンと僕らの社会〜

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最近ニュースを見ていて、残念な気持ちというか、なんかモヤモヤした気持ちがずっと残っていた。カルロス・ゴーンさんの事件についてなんだけど、何がモヤモヤするのか考えてみた。

 

まず、犯罪の内容やそれが本当にあったかどうかについては、本人自身の問題だし、悪いこと、法律に触れることがあったのであれば処罰を受けるのは当然、徹底的に調べて明確にすればいいことだと思う。

 

以前もブログに書いたんだけど、あれだけ大きな功績をあげたのに、ゴーンさんも所詮はサラリーマンの経営者、業績残してなんぼの経営者はケチであるべきだから、報酬というかお金に固執して当たり前、自分の理念やら理想を実現しようとする実業家ではなかったということなんだと思う。犯罪が本当なら残念なこと。

 

暇な人たち 〜サラリーマンは忙しい〜 - 「青い日々」

 

僕がモヤモヤしているのはゴーンさん本人に対してではなく、彼を取り巻く関係者の一連の対応について。日産、検察、マスコミに対してです。

 

まず日産なんだけど、被害者面してるけど、これゴーンさんの個人犯罪ではないですよね、組織的な犯罪。だっていくら偉い人でも、その偉い人に言われたから、何億円もの金を販売店に送金できるわけがない。これだけの大会社なんだから決裁に何十人も関わっているはずです。

 

それなのに払う必要性のないお金だったなんて、一体どの面下げて証言しているのでしょう、そもそも遵法意識がない、株主訴訟の対象になる職務怠慢ぶりです。

 

もしもそれが、CIOリザーブとか言って、ゴーンさんの個人的な権限で使えるお金としていたなら、そんなものが存在すること自体が会社としての体をなしていません。それこそ株主をバカにした話、普通の会社なら、経営者が間違った判断、法に触れるようなアクションをしないように支え、サポートするのが会社スタッフの仕事です、それを放棄していたという時点でアウト、つまり本件は日産という会社自体の問題なんだよね。

 

実際、日産自体も起訴されているわけなんだけど、その点について報道でもあまり触れられていないし、責任も追求されていない。会社のコメントも出てこない。司法取引したから良いってもんじゃないですよね。それなのにゴーンさんひとりを悪者にしている時点で、単なるサラリーマンの社内抗争にしか見えない。そんなものに税金使って捜査してもらうんじゃないって感じです。

 

今回の疑惑だって、サラリーマンが会社の金をちょろまかしたかどうかという、ホントレベルの低い話。ホントなら日産の社内でちゃんと調べて問題があれば処罰して、法的に問題があれば、訴えればいいと言うだけの話なんだと思います。

 

続いて検察です。ここは悪事をさばく最前線組織ですので、相手が有名人だろうが政治家だろうが、カリスマ経営者だろうが、関係なく何事にも正面から果敢に取り組んでほしい、それが世のため人のためになるというもんですから頑張って欲しいと思います。

 

でも今回の一連の対応を見ていると、最もモヤモヤ感を強く感じる。まず対応がスマートでない、前時代的に感じます。最も違和感があるのがマスコミへのリーク、これがまた半端ない、それを受けるマスコミもマスコミだけど、世論を誘導しようとしている感がものすごい。

 

これ実は国民をバカにしています。

 

もっと正々堂々とやってほしいんだよなー、それだったら応援しますよ、でも今の対応では正直応援できないというか信用できないと感じてしまう。取り調べで何かひどいことしてるんじゃないか、ってそりゃ思っちゃいます。人質司法と言われているけど、テロリストとか殺人犯ならまだしも、経済犯罪でこんなに長期間、そして何回も勾留するのはやっぱりやりすぎだと思います。

 

極めつけは、今回の四回目の逮捕。朝の6時前ですよ、ゴーンさんまだパジャマ着ていたらしいじゃないですか。なんで指定されたカメラ付きの制限住所で保釈されている人をこんな早朝に勾留しなければならないのか。報道では保釈条件とされたカメラに映らないように捜索したとか(見られて困るような捜索だった?)、公判に向けたゴーンさんの弁護士サイドの資料も持っていったとか(いくらなんでもこんなのあり?フェアじゃない)、奥さんのバスルームにも入ってきたとか、ハッキリ言って異常です。

 

捜査する係官だってかわいそう、6時前に捜索ということは一体何時に起きて何時から準備していたのでしょうか、残業代や手当はちゃんと払われているのでしょうか、働き方改革法案をなんだと思っているのか、今年度から施行されたはずなのに、これではブラック企業です。

 

保釈後の逮捕は異例との指摘に、そもそも保釈自体が異例と「検察関係者」のコメントとして報道されていたけど、これ言っちゃいけないですよね。なんでも思い通りにされちゃう、できちゃうってことじゃない。マスコミもちゃんと指摘してほしいと思います。

 

僕は日本の警察や検察って、本当に優秀で、倫理観や正義感に熱い人達が、骨身を削って働いていると信じているのだけど、今回の対応を見ると、ゴーンさんが裁判で無実にでもなると組織的にまずいから、何が何でもやっつけちゃおうという感を凄い感じる。これが自分だったらと感じるとホント恐ろしい。そう考えると、ゴーンさんって凄いな、と違う意味で感嘆しちゃいますけどね。

 

いずれにしても、このような対応を組織で指示している人たちの思考回路が、犯罪の摘発が目的ではなく、本件の有罪、そして組織の正当性に重きが置かれてしまっているように感じるのです。そしてその思考回路が先に述べた、日産のサラリーマン組織の自分たちが守られればいい、嫌な奴はいなくなれ、という組織優先的な思考回路と一致しているような気がしてモヤモヤするのです。

 

そして最後がマスコミ。これが一番頑張れというところです。もうホント嫌になっちゃう、だって検察のリークばっかり報道して、それだからか内容も検察より。そりゃそうだよね、変な記事書いたら検察から情報もらえなくなっちゃうもんね。

 

でもこれが一番まずい、末期症状だと思います。もっとフェアに、犯罪は犯罪で報じてくれればいいんだけど、前述したような日産や検察の対応についても、きちんと専門家の見解を交えて科学的に報じてくれない。

 

思惑に乗せられて、世論誘導に加担してどうすんだよ、そんなものに反旗を翻す新聞社があってもいいはずなのに、みんな同じような傾向の報道ばかり、これじゃ報道の談合です。ホント思います、頑張れマスコミ!

 

僕は日本っていい国だよなーってずっと思ってる。四季があるし、経済的にも裕福だし、みんな真面目で勤勉だし、何より平和だし。他の国だってその国なりの良さがあるんだろうけど、客観的に見て良い国だと思うんだよね、そこに住む僕らは恵まれてるよなと思っている。

 

でも今回の一連の対応を見ていると、そうかまだ文明国、先進国じゃなかったんだと思っちゃう。欧米に対する劣等感ってみんな少なからず感じていると思うけど、やはり本当に劣っていたんだと再認識せざるをえない。

 

だからマスコミだって、いつも海外でどのように報道されているかばっかり気にしている。自分たちが正しいのかどうか自信がないからなんだよね。

 

やっぱり、僕らはもっと成長しなければならないんだ、大人にならなきゃいけないんだ。今一度、客観的に自分たちのことを見て思って、何を改善しなきゃいけないのか、何をしなきゃいけないのか、本質を考えて取り組んでいかなければいけないんだと思う。

 

欧米に対する劣等感だってあっていい、実際彼らのほうが進んでいることはいっぱいある、だけど卑屈になる必要なんてサラサラない。そしてこれも大事なことだけど謙虚になることが重要、自分たちが全て正しいなんて思っちゃいけない。

 

偉そうなこと言っちゃったけど、僕らだって自分自身に当てはめて考えるべきだと思う。ちっぽけな僕らだって、仕事やら学業やら、自分が担っていることに真剣に謙虚に前向きに取り組んでいくことが大事なんだと思うから。それが社会全体を良くするってことなんだと思う。

 

モヤモヤ感じることは多々あれど、そんなことばかりいっていてもしょうがない、自分でできることは自分で取り組むってことですね、青く青くあの空のように青く色んなことを考え取り組んでいきたいと、そんなふうに感じる、桜も満開の今日このごろなのでした。

 

生きている 〜僕らの役目は子孫を残すことだけなのか〜

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先日、沖縄を訪問し、備瀬のフクギ並木をはじめとした沖縄の樹木たちに大変感銘を受けました。なんか生きてる感がものすごい。

 

実際僕はフラフラと散歩をすることが好きで、そこいら中の木や草花を見ながら、なんか自分も見られてるよな、と感じることが多かったのですが、沖縄の樹木たちを見て確信しました。

 

彼らは僕らと同じように生きている。当たり前のことですみません、でもこれホントなんです。

 

稲垣栄洋さんの「面白くて眠れなくなる植物学」という本を読みました。ホント面白くて眠れなくなりました、僕の知りたかったことがたくさん書いてあった。

 

この本によると動物と植物とでは基本的な生きる仕組みに大きな違いはないとのことです。つまり動物と植物は同じ祖先から進化していった、そして植物が動物と決定的に違うのは光合成ができること、正確に言うと光合成ができる葉緑体をもっていること、これによって生きるために必要な糖分を自ら作り出すことができてしまう。それによって、植物は動物のように食べ物を探す必要がないだけ、だから動く必要がないだけ、ということらしいのです。

 

ちなみにキウィフルーツやいちょうの木はオスの木とメスの木があるそうです。基本、一つの花の中には雄しべと雌しべがあって、自らの花粉を風に飛ばしたり、昆虫を呼び寄せたりして、他の木と交雑するのですが、それだと自家受粉の可能性も会って、その場合は同じような性質の子孫ばかりが残ることになってしまう。だからあえてメスの木とオスの木で分けている植物もあるそうです。

 

うーん、ほんと僕らと一緒で、優先順位の第一位は子孫を残すこと、つまり植物も動物も生きてる目的は同じなんですね。

 

こんな樹木たちですもん、当然ながら生きているわけだし、その生き方が違うだけで、彼らは彼らなりの意識があって、目や鼻や口がないだけで、互いにやり取りをしているんだと思います。

 

僕らも普段は気づかないだけで、何かのきっかけで気づき感じるはず、そして一緒に暮らしていることを知るはずです。だからたまに近所の公園の大きな木に抱きついてみることをオススメします。きっと何かを感じるはず、僕らにはない力をもらえると僕は信じています。

 

この本には続きがあって「怖くて眠れなくなる植物学」といいますが、そこには更に一歩先に進んで、植物は不老不死の生き物だと書かれています。

 

植物は枝を落としても新たな枝を伸ばしてくる、雑草だって耕されて茎がちぎれても再生して再び増えていく、木だってそう、「接ぎ木」「挿し木」何ていうやり方で体の一部を分離して増やすことができる。そろそろ見頃の桜のソメイヨシノ、これはほぼこのやり方で増殖されてきたそうです。つまりクローンですね。

 

となると自分は死んでも自分の分身は生き続ける、さてさて、それでは自分とは何なのか、命とは何なのか、とこの本には書かれています。ホント眠れなくなりますね。それにしても確かなのはみな懸命に生きているということです、そして子孫を残していく、動物だろうが植物だろうが、これが僕らの宿命なのだと気づくことができます。

 

僕自身はそんな立派な宿命を全うできているのかしら、当たり前のようにこどもを育てているつもりですが、親としての役割を果たすことができているのかしらと思います。でもそんな思い高ぶりなのでしょうね、こどもはこどもで何かを感じながら勝手に成長していくのだと思います。

 

だから自分は自分で、生きている価値を見つけないとですよね。

 

備瀬のフクギに力をもらいましたが、もらっているばかりではダメ、僕もなにかの価値をもって、その価値でみんなに力を与えられる存在になりたいものだと強く思った次第です。

 

些細なことでもいいから精一杯頑張っていきたいな、そんなふうに青く感じた沖縄の旅なのでした。

 

こんな引退試合があるのか 〜メジャーリーガーじゃない、最高の野球小僧だ〜

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いつものようにテレビを見ていただけなのに、いつものように応援していただけなのに、いつものようにヒットになりますようにと思っていただけなのに。

 

イチロー選手が引退した。

 

そんなことまったく思っていなかった。だから試合前に、いつまでもこの姿を見ていたいな、なんてお気楽なブログを更新していた。本心だったし、そうなるものだと思っていた。イチロー選手のメジャー開幕戦を単に楽しく見ていただけだった。

 

なんかいつもと違う雰囲気があった、選手たちが緊張していた。菊池雄星選手、メジャー初先発、当然といえば当然かもしれないけど見るからに緊張の面持ちであることがテレビの画面を通じてもよくわかった。

 

彼は知っていたんですね、この試合がイチロー選手の最後の試合であることを、だからこそ変なピッチングはできないと緊張していたのではないでしょうか。

 

そしてイチロー選手、相変わらずカッコいいなと思いましたが、以前のような鋼の身体の上にユニフォームをまとっているような印象は薄まり、なんとなく腰の周りが痩せていてユニフォームがだぶついているように感じました。

 

そして8回の最終打席、内野ゴロ、その球には勢いがまったく感じられなかった。えっ、何この打球、これがイチロー選手の打球なの、そんなふうに思った。でも次の瞬間、全力で一塁ベースを駆け抜けるイチロー選手がいた、アウトにはなってしまったけど、この走る姿に違和感はなかった、だから少しだけ安心した。

 

でも次の回、ライトのポジションについたとき、監督が交代の指示、その瞬間マリナーズの選手たちが一斉にベンチ前に引き上げていった。イチロー選手を迎えるために。

 

うそ、ホントに引退しちゃうの?

 

試合中にもかかわらず、選手たちが慈しむようにイチロー選手との別れを告げる光景がそこにはあった。その時のイチロー選手の仕草、立ち居振る舞い、すべてが完璧、カッコいい、その一言に付きました。

 

テレビの前、僕の心は震えていました。いま、この瞬間、とんでもないものを見ているんだな、そんなことを思いました。

 

試合後のインタビュー、イチロー選手は僕が思っていたことと若干違うことを話していた。

 

「純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということはそれなりに重いこと」

 

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。」

 

ものすごい重い言葉ですが、それは一般の僕たちの日常と何ら変わらないことでもありました。テストでいい点を取りたい、新しい仕事を受注したい、まわりの人の期待に応えたい。僕らの日常と何ら変わりません。

 

僕は勝手にイチロー選手の思考回路は我々とは違って、異星人のような感覚で生きている人かと思っていました。違いました。普通の一般人でした、それもグレイトで突き抜けた一般人。

 

そしてこんな事も言われていました。

 

アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。」

 

イチロー選手は純粋なメジャーリーガーであって、アメリカ人だ、日本人だなんていう感覚はないのかと勝手に思っていましたが、これも違いました。イチロー選手は日本で育った日本人として、長嶋選手や王選手と同じメンタリティを持ち、そしてアメリカに挑戦して、これまで幾多のメジャーリーガーがなし得なかったことを成し遂げた、ひとりの人間、そして日本人だったのです。

 

だから最後の場所に日本を選んだ。最初は違和感がありました、イチロー選手ならメジャーリーガーとして、アメリカで他の選手と同じような場で、意外とさらっと引退するんじゃないのかなと勝手に思っていました。それがあの光景、「日本代表としてアメリカで誰もできなかったことをしてきたぞ」、そんな最後の姿を我々に見せてくれたのではないでしょうか。

 

あの光景を茶番と言った人もいるようですが、それを言うならグレイトセレモニーが正解だと思います。自分の引退試合をするためにメジャーリーガーを大勢連れてきて、しかも真剣勝負の公式戦まで開催させてしまった、それを我々や世界中の人に見せつけた、恐るべしイチロー選手です。

 

なんかこう考えると、失礼な言い方ですけど、とても昭和な感じがする。でも昭和生まれの平成育ちなんだからしょうがない、だけどそれを突き抜けて新しい境地に到達してしまった、それがイチロー選手の本当の凄さだったのかもしれません。平成の最後にそんなすごい人を見てしまったという感じです。

 

休みの日になるといつもBSテレビでイチロー選手の活躍を見る、そんな日常が終わってしまいました。

 

僕はニューヨーク・ヤンキース時代の背番号31のイチロー選手が一番印象に残っています。なんか楽しそうだった、俺はヤンキースで試合をしているんだ、あのジーターやロドリゲスと一緒だぜ、そんな嬉しさが見ていてよくわかった。

 

マリナーズ時代のようにレギュラーでも一番バッターでもなくなってしまったけど、もがきながら、苦しみながら、それでも純粋に野球に取り組んでいる姿がそこにはあった。

 

やっぱりイチロー選手、単なる野球小僧なんだよね、それもサイコーの野球小僧、だから僕らも見ていて心躍ったし、楽しかった。ホント陳腐だけど、ありがとうございました、こんな言葉しか出てこない。あの素晴らしい光景、僕は忘れることはないでしょう。

 

イチロー選手、こんな事も言っていました。

「成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんです。」

 

サイコーだったぜ、イチロー選手!サンキュー!!

 

Take Me Out to the Ball Game 〜素敵なイチロー選手、素敵な観客〜

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メジャーリーグが日本で開幕しました。

 

やっぱりイチロー選手はかっこいいよなー、こんな凄い選手の全盛期を見られたのは幸運なことだと思います。

 

残念ながら選手としての終焉は近づいているのは間違いないと思いますが、野球が好きなんだったらどんなリーグでも自分が満足いくまで続けてほしいな、と勝手ながら思います。前例や一般論にとらわれる必要なんてサラサラ無いんですから、いつまでも好きなことに打ち込む、かっこいいイチロー選手でいてほしいな、単純にそんなことを思います。

 

それにしてもイチロー選手もそうですが、サッカーのカズ選手も、どうしてこうまでプレイヤーにこだわるのでしょう。いままでの文脈だったらとっくに引退してどこかのチームの監督をしていてもおかしくないと思います。

 

やはり彼らはプレイヤーとしても超一流なのだと思いますが、いままでの文脈に従わないというか、そもそもそのような発想がないところが、本質的に凄いところなのだと思います。

 

野球が好きだから、サッカーが好きだから、そりゃ若い頃に比べたら体力は衰えているだろうけれど、やりたいんだから僕の勝手でしょう、見たくなければ見なければいい、採用してくれるチームがあるんだから僕は思う存分楽しみますよ、僕は自分のためにプレーしているのであって、他の誰かのためにプレーしているわけではない、そんな感じじゃないかしら。

 

でもそれだからこそ、みんなをここまで惹きつけるのでしょうね、本人は自覚していないんでしょうけど、まったくすごい人達です。

 

これまでの発想だと、一流のプレイヤーだからこそ引き際を大事にする、プライドを守りたいと思う、そういうところなんでしょうが、そもそもそんなプライド自体が不要なものだという考えなんでしょうね、というかそういう考えがないのだと思います。

 

僕ら一般のサラリーマンでもちっぽけなプライドに固執したりするところがあるっていうのにね、恥ずかしい限りです。

 

彼らは年齢的にはもちろん若くはありませんが、こういう人たちがこれからの時代を作っていくんだと思います。楽しむ、全力で楽しむ、だから全力で頑張る、そういうことなのでしょうね。僕もそんな彼らに少しでも近づけるよう、いろんなことを楽しんでいきたい、そして頑張っていきたい、ホントそう思います。

 

メジャーリーグはテレビで観戦したことしか無いのですが、いつ見てもスタンドに来ている観客たち、楽しそう、そんなふうに思います。おっきなビールやらホットドッグやら食べながら、思い思いに贔屓のチームを応援して楽しむその姿は見ている方も楽しくなる。プレーする方も楽しむ、プレーを見る方も楽しむ、単純で素敵な光景です。

 

7回が終わるとどこの球場でもみんなでTake Me Out to the Ball Gameを歌いだすんだけど、こういうのもいいよね。幼い感じもするけど、いいの、ここはみんながみんな、子供みたいに無邪気になって楽しむ場所なんだからって割り切っている気がする。

 

そういえば、僕の好きなJリーグ横浜F・マリノスは試合が始まる前、スタジアムにレ・ミゼラブルの「民衆の歌」が流れます。なぜこの歌なのかはよくわかりませんが、純粋にこれから始まるんだな、楽しみだなとワクワク感が膨らみます。

 

先日、沖縄旅行の際に見に行ったFC琉球も試合前にみんなで「琉球愛歌」を歌っていました。やっぱりみんなで盛り上がって、この場所で大好きなスポーツを見られる幸せを感じられる、無邪気に楽しんじゃう、このような取り組みは良いんじゃないかなと思います。

 

以前、メジャーリーグレッドソックスの試合を見ていたら、8回くらいにSweet Carolineをみんなで大合唱していた。これほんといい感じ、なんか牧歌的で、みんな幸せそう、youtubeなんかにアップされているからぜひご覧ください。この曲はニール・ダイアモンドさんが駐日大使もされたキャロライン・ケネディさんの幼い頃の姿を見て歌った曲らしいです。

 

やはり、おらがチームごとにいろんな流儀や歴史があるのでしょう、こういうのもスタンドで観戦する楽しみですよね、国内国外問わずスポーツを楽しむ人達、そこに自分たちも参加したい気持ちが、このような歌を歌わせるのでしょう。

 

さて、メジャーリーグも開幕しましたし、日本のプロ野球ももうすぐ、そしてJリーグは早くも盛り上がってるし、楽しみな春が到来しました。

 

イチロー選手もいつまで現役を続けるのか、カズ選手もそうです、でもそんなの本人の勝手ですよね、僕らがとやかくいうことではありません。でもそのかっこいい姿、いつまでも見ていたいなと勝手ながら思ってしまいます。

 

でもいいの、イチロー選手たちも勝手に頑張り楽しむ、僕らもその姿を見て勝手に楽しむ、それでいいんですよね。

 

僕も楽しく、そして一生懸命に頑張る選手たちに負けないよう、何事も一生懸命に楽しく頑張りたいと改めて思い感じた、そんな春うららでした。

 

沖縄の海と山 〜備瀬のフクギ並木には何かがいる〜

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沖縄に来ています。

 

約10年ぶりの沖縄ですが、まず圧倒されたのが外国人観光客の多さ、日本人より多いんじゃないだろうか。

 

調べてみると10年前の外国人観光客は約23万人、それが昨年度はなんと269万人、そりゃ多く感じるはず、観光客誘客キャンペーンや 新国際線ターミナル、大型 クルーズ船寄港の為の 整備などが成果をあげているとのことです。素晴らしい。

 

コストパフォーマンスもいいんだろうね、土曜日に見に行ったJリーグFC琉球の試合、なんと入場料1500円に駐車場無料、いいよね、こういうの。それで一流のエンターテイメントが満喫できるのだから、うらやましったらありゃしない。

 

やはり価格に見合う価値が提供できるかどうかは何事にも重要、そういう意味では沖縄全体が価格以上の高い価値を提供しているということなんでしょう。

 

それでも台湾の方やら中国の方やらで溢れかえっているホテルや観光地の姿は微妙に感じるものです。なんか僕らの大切な場所が軽く扱われているような気がしちゃう。

 

これって了見が狭いのかな。でもそう感じることは事実なので、僕ら日本人が押し寄せる海外の観光地でも現地の人達は同じように思っているのでしょう。何事もリスペクトが必要、そしてそれを相手に感じさせる行動や態度が必要ということなんだと思います。肝に銘じておこっと。

 

そんな沖縄、もちろん海のキレイさは特筆すべきものなのですが、今回大変感銘を受けたのがこの地で育つ樹木たちです。

 

アカギやフクギ、そしてガジュマルといった樹木たち。なんか生きている、そう感じさせる木々、そんな彼らを見て僕もパワーをもらったような気がします。

 

有名な美ら海水族館の近くにある、「備瀬のフクギ並木」というところに行きました。ここにはその名の通り細い道の両脇にフクギが生えた並木道があって1時間くらいでひとまわり、散歩できるようになっています。

 

ここは、なんと表せばいいのか清々しい空気に満ち溢れた空間、静と動、なんかこの世の大切なものがここにあるような気がしてきて、心がきれいになるような感じがします。

 

ホントありがとうございます、とういう感じ、幸せを感じる、きっとここには何かがいるな、そんなふうに思う場所でした。

 

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並木道を抜けるとこれまたきれいな海岸があって、いいなこういうとこ、ずっといたいな、そんな気にさせられます。

 

しかし、そんな生命感に溢れた沖縄ですが、気になることもありました。それは山を切り崩しているシーンを何回も目撃したことです。

 

いま辺野古の海を埋め立てて新しい米軍基地を作るということが問題になっていますが、そこを埋め立てるためには当然ながら土砂が必要なわけです。それを山から切り崩しているのでしょう。その山は美ら海水族館に向かう道にあり、反対する人でしょうかプラカードを掲げている人がいました。他にも新しいホテルがたくさん建築中のようで、道には多くのダンプカーが走っていました。

 

そうなんだよな、なんか10年前に来たときよりも空気に埃っぽさを感じたのです、そして景色に緑が減っているような気がしていたのです。

 

だからなのか、今回きれいなきれいな海よりも山々やそこに生える樹木たちに目がいきました。テレビのニュースでは辺野古のきれいな海を埋め立てる、サンゴ礁が、といった情緒的な報道しかされませんが、その理由や、そのために切り崩される山のことなどあまり触れられません。

 

やはり、来て見て、自分で感じることは大切だと改めて感じた次第です。

 

今回、「ひめゆりの塔」を訪れました。高校の修学旅行以来でした。改めてこの地で戦争が行われたということを理解します。アメリカ軍が上陸して多くの日本人が追い詰められ亡くなったのです。そんなこの地ではありますが、今はアメリカ軍の基地もたくさんあり、結果的に日本人とも共存し、レストランでは米兵さんたちと一緒に食事をしている日常があるわけです。

 

一言で言えば平和ということなんですが、このような歴史は忘れてはいけないことだと痛感します。

 

「道の駅かでな」の屋上からは嘉手納基地を見ることができます。ここは戦争をするための基地だということも改めて認識します。もしも朝鮮半島で有事が発生した場合、ここが再び戦争の場所になる可能性だってあるのです。そういったことも認識した上で、平和である今を認識する必要があるのだなと強く感じた次第です。

 

この「道の駅かでな」の2Fにあるレストランの「ビッグチーズバーガー」、頼んでビックリの大きさ、そして美味しさ、まさに絶品でした。知らずに頼みましたが、このレストランの名物だそうです。

 

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この沖縄のこの場所でアメリカ発祥のこのような食べ物を美味しく食べられるのは先人たちのご苦労のおかげだと思います。

 

そしてこの当たり前のような平和が貴重なものだということを改めて感じます。

 

いろいろな刺激や、気づき、感じることができた10年ぶりの沖縄。

 

備瀬のフクギ並木で感じた何者か、これからもずっとここにいてほしいな、そんなことを感じた旅なのでした。

 

沖縄の風 〜FC琉球と琉球ボンバーズ〜

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沖縄に来ています。

 

もっと温かいのかと思ったけど意外とひんやり、それでも自然あふれる海や島、そして南国の雰囲気を感じさせる空気、なぜかしら心がなごむ、温まるような気がする不思議な場所です。

 

沖縄にもJリーグのクラブがあって、FC琉球といいますが、そこに所属する中川選手、横浜F・マリノスへの移籍が突然発表されました。ちょうど土曜日に徳島との試合があるようなので見に行くことにしました。

 

残念ながら中川選手はすでに移籍が決まってしまったので試合出場はなし、それでもファンに別れの挨拶をするためでしょうか、競技場に来ていました。

 

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なんか普通に競技場の入り口あたりをブラブラしていたのでビックリ。私も思わずサインをもらってしまいましたが、琉球ファンの皆さんもみなサインを貰ったり写真を撮ってもらったり、残念なんでしょうけど、J1に挑戦する中川選手を快く送り出しているようです。中川選手を応援する気持ちのほうが強いように感じました。

 

なんかいいよなこういうの、と思います。

 

なぜかというと僕自身、Jリーグで見られるサポーターさんたちのあの組織だった応援や態度があまり好きになれないからなんです。応援するのはいいんだけど、なんとなく殺伐としたあの感じが嫌なんですよね、ずっと歌を歌ったり飛び跳ねたり、しかも負けたらブーイングしたり、移籍した選手に対してもブーイングしたりしちゃう。

 

選手だって活躍できなければクビになるんだから、自分の意志で活躍の場を変えることは本人の自由なのにね。それにそこら辺はプロ野球よりJリーグの方がずっと選手の側に立った運営がなされていると思います。

 

正直、こういうサッカー場の雰囲気が家族連れを観戦しにくくしているんだと思うんです。よっぽど野球のほうが洗練されているように感じる。もちろん野球だって応援団もいるし、選手に野次ったりする人もいるけど、なんか自由を感じる。みんな野球が好きで、純粋に選手のプレーを楽しんでいる、家族や仲間みんなで楽しんでいる、そんな感じがします。

 

メジャーリーグなんかをテレビで見ていても、観客のみんなが楽しそう、7回が終わると敵も見方も関係なくおきまりの歌を歌ったりしてね。Take Me Out to the Ball Game。幼いっていうかもしれないけど、いいんだよねそれで、老若男女を問わず純粋になれる場所、それがスタジアム、野球で言えばボールパークなんですから。そう、ここはディズニーランドと一緒、特別な場所なんです。

 

で、FC琉球の試合ですが、いつもサッカースタジアムで感じる殺伐とした雰囲気が微塵もありません、なんとなく牧歌的な感じ、そんなことを思わせます。サポーターの応援も必死感がなくて、と言ったら失礼ですが、他のチームのような絶対勝てよ的な感じがありません、がんばれよと応援している。

 

だってね、選手のチャントをコールしたり、歌を歌い続けたり、他のチームと同じように応援しなければならない理由なんてサラサラ無いんだから、FC琉球ならではのオリジナリティを出すほうがよっぽど大事なことだと思います。

 

サポーター以外にも他のチームと同じように琉球ボンバーズというチアガールの方が試合前に踊るんですけど、これがまたちょっと太めの方がいたり、ガリガリの子がいたり、そんなの関係ないでしょ、とにかくみんなで楽しみましょ、応援しましょ、って感じでとても良かった。もちろん、みんなチャーミングで可愛い子ばっかり!それに、試合中でもコーナーキックの時とか突然琉球ボンバーズが出てきて応援してた、こういうの他ではないよね?

 

なんか、いいんよなこういうの(二回目)。

 

いつも思うんだけど、サッカー好きは通じゃなきゃって感じがすごいしちゃうんだよね。ヨーロッパはこうだとかウンチクなんていりません、応援だって自由、好きに楽しくすればいいのです。そしてチームにオリジナリティがあって、見に来ている人みんなが楽しめる空間になると素敵だなと思います。ぜひ行きたくなる。

 

で、試合ですがFC琉球が見事に勝利、J3から昇格したばかりのチームがなんと開幕4連勝、現時点でJ2首位です。こんなチームがJ1に昇格したら面白いな、そしてそういうことが可能になることがJリーグの面白さだよね。

 

だから私達ももっともっと試合を楽しんじゃいましょう。ご贔屓のチームだけでなく、旅行に訪れたらそこで地元チームの試合を見る、これも旅の醍醐味、サッカーだけじゃなく野球でもバスケでも良いと思います。

 

もしもFC琉球が来年J1リーグ昇格なんてことになって、そこで中川選手要するマリノスと戦うことになったら面白いな、もちろんその前に中川選手はマリノスのレギュラーになる必要がありますけどね。

 

そんな試合でも、たぶんFC琉球のサポーターは中川選手にブーイングなんかしないと思います。

 

それでいいと思うんですよね、そして中川選手は自分の成長を琉球サポーターに見せつける、そんな中川選手に負けないよう琉球サポーターはチームを応援する、そして楽しむ、こんな試合が見られれば、Jリーグももっともっと沢山の人が見に来てくれて、そして素晴らしい場所になると思います。

 

ということで、今週末もどこかのスタジアムに応援に行きましょう、そして楽しみましょう。

 

そうだ、そろそろ野球も始まりますしね、そして応援するだけじゃなく僕らも彼らに負けないように自分ができることにがんばりましょうね。

 

感じる、そして考える 〜阿蘇山で宇宙旅行〜

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先日、熊本に出張した帰り、土曜日だったので一日レンタカーを借りて阿蘇山に行ってきました。

 

いやあ凄い、日本にはこんな場所があったのですね。知らなかったな。百聞は一見にしかずといいますが、テレビや雑誌で見るのと実際に見るのとでは大違い。二日酔いではありましたが面倒臭がらずに行ってみたかいがありました。

 

まずはミルクラインを経て大観峰へ、そこで雄大な景色を目撃したあと、阿蘇山頂に向けて車を走らせ、草千里ケ浜という大草原でお散歩、そしてモクモクと噴煙を上げる火口を間近まで見に行きました。

 

火星みたい。

 

それが感想です。行ったことも見たこともないのにそんな感じがしました。きっと火星って、こんなところだと思います。

 

で、火星じゃなくて火口の周りですが歩くことができます、なんというのかな、ホントくどいんだけどどこかの惑星を歩いている感じ、やっぱり地球も宇宙のひとつなんだよな、改めてそんなことを感じた次第です。

 

だってほら、前にも言いましたがどこかの社長さんが何億円も出して月旅行に行くって話題になったじゃないですか、そんなとこにいく暇があったらまず阿蘇山を登ったほうが良いです。そこで空を見上げてください、僕らの見ている空は宇宙なんだから宇宙のとある惑星にいることがわかります。まずはそこで何を感じるか、感じられるかから始めることをおすすめするわけです。

 

で、大変満喫した阿蘇山ドライブだったのですが、この日に借りたレンタカー、朝の8:30から18:00までの料金がなんと3,900円です。チッチャイ車かなと思ったらトヨタC-HRというそれなりの四駆の車でした。こんな安い値段でよくやってられるよなと思いましたが、レンタカー屋がひしめく観光地では特色を出して客を集める必要もあるのでしょう、利用者にとってはありがたい限りです。

 

やっぱり、働く側からするとなんでも一緒なんだけど自分たちだけの価値を見つけるのは難しいよなと思います。コモディティな商品になってしまうとお金だけが価値になってしまう、それでは寂しい限りだ。

 

だからこそ知恵を絞る、そこにイノベーションがあるわけだけど、当然ながら難しい、みんな一生懸命難儀しているわけです。

 

でもこんな状況は利用者からするとWelcome、最大限に活用すべきです。僕は出不精で面倒くさがり屋だからアクティブに活動するタイプではないのだけれど、今はこんな安い費用であちこちに行ける機会を得られるのだから、ドンドン活用すべきだと改めて思います。

 

早く帰って家で寝たい、のんびりしたい、それも大切だと思うけど、もっといろんなものに出会い、いろいろな感動を味わうのは素敵で大切なことです。この格安レンタカーだってそうだけど、そんな機会が今はたくさん用意されている。

 

これからはプチアクティブにどこかに行ける機会があったら積極的に行ってしまおうと思う、とにかく行動する、その心がけが大事なんです。それでこそ、何かを感じる機会が得られるっていうものです、そんな時間はかけがえのないものだといつも思っているのですからね、はい、反省です。

 

そういえば絶景を堪能した大観峰ではなぜだか猿回しの芸が行われていた。結構観光客が取り巻いていましたね。反省ザルも大いに活動してるってわけです。

 

僕らも負けてはいられません、反省すべきは反省して、やっぱり自分にできることをアクティブに取り組む、それでこそ素敵な未来が切り開けるってもんです。

 

そんなことを惑星阿蘇で感じた週末でした。

 

奴隷 〜植松努さんの「どうせ無理と思っている君へ」〜

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植松努さんの「どうせ無理と思っている君へ」という本を読んだ。

 

そこには、こんな一節があった。「他者評価は人生を決定しない。”誰かに評価されたい”と思ったらたちまち評価する人の奴隷になる。」

 

僕はサラリーマンをしているのだけれど、サラリーマンって誰かに評価されないとその会社で偉くなれないんだよね。だから業績を上げることはもちろんなんだけど、”偉くなることが成功するという価値観の人”は、自分が偉くなるために偉い人に評価される必要がある。

 

そこで偉くなりたい人は偉い人に対して、僕はあなたのお役に立ちますよ、あなたの言うことだったら何でもしますよ、だから評価してください、って感じになっちゃう。その結果、忖度したり、頑張ったフリしたり、媚びへつらったりするわけ。

 

それを植松さんは「奴隷」と呼んでいるのです。

 

自分はそんなこと無い、って思うし、思いたいけど、自分より偉い人と話しているときに必要以上に媚びている自分がいることに気づく時がある。この人によく思われたい、嫌われたくない、良い評価を得たいし、人事異動でどっか行きたくない部署に飛ばされたくない、なんて思っちゃう自分がいる。

 

奴隷だよね、ほんと。

 

じゃあ、どうすればいいのだろう、会社を辞めて独立するか、それとも会社の中で誰とも交わらず自分の意見を貫き通し成果を上げ続ける孤高の存在になるか、しかないのだろうか。

 

でも、そんなに大げさに考えなくてもいいのかもしれない。だって”偉くなることが成功するという価値観の人”ってとこが間違っているのだもの。

 

まずはその価値観に毒されちゃダメなんだ。

 

もし、そんな価値観に毒された人達ばかりの会社だったら辞めたほうがいい。というか、遅かれ早かれそんな会社はなくなります。間違いない。だってそんな会社が人様に受け入れられる価値ある商品やサービスを作り出せるわけないんだから。

 

つまり評価する側は、評価される側に認められなければならないってこと。そして一緒になって自分たちがすべきことを考え、その実現に向けて取り組む、組織で取り組まなければならないってこと。それをみんなが価値観として共有する会社が健全な会社なんだと思います。

 

だから、自分自身も戒めなきゃならない。偉い人、目上の人と話すときも、自分は奴隷にならないぞと(もちろん礼儀は必要です)、そして自分たちが担う仕事、なすべきことをするために何が必要なのかを考えていかなければならないと切に思うわけです。

 

植松さんはこう言います。「誰かに褒められたい、認められたいという”褒められプレッシャー”から逃げ出す。自信がある人は自分で自分を褒めるし、自分で自分を認めることができる。自信が傷ついている人は褒められることを求める。”いいね”なんかに頼っちゃいけない。」

 

上司が会社が云々ではなく、まずは自分、自分に自信を持てる自分になるということ、これがサラリーマンであっても自営業であっても大事なんだと思います。

 

そういう自分になりたいな、そしてそんな組織を作れる自分になりたいな、ホントそう思います。

 

植松さんはこうも言います。「君に協調性なんかいらない。同じ意見でなければ仲良くなれないのは本当の友達ではない、同じ行動を取らなければ仲良くできないのは本当の友達ではない。」

 

「リーダーとは自分がやるべきと思ったことを真っ先にやる人、命令する人はカリスマではない、リーダーにカリスマを求める人は自分で考えず、責任と判断を避けたいだけ、楽したいだけ。」

 

まだまだやれることはたくさんありそうだ、頑張ろっと。そして、こんなふうに勇気を与えられる人に僕もなりたいな、ちっぽけでもかまいやしない、僕が僕と思える僕になりたい、ホントそう思います。

 

大歓声はだれのもの 〜スーパースターとちっぽけな僕ら〜

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昨日、先週に続き、日産スタジアムに横浜・Fマリノスの試合を見に行きました。相手は去年のチャンピオンチーム川崎フロンターレ

 

今年のマリノスは今のところ好調で、彼らが目指すアタッキング・フットボールをチーム一丸となって体現してくれています。一言で言うと見ていて楽しい、面白い、ワクワクする。なので花粉症で鼻をすすりながらもスタンドで観戦してきました。

 

先週の仙台とはちがい(すみません)、相手はさすがのチャンピオンチーム、素人目に見ても一筋縄でいかなさ加減が伝わります。逆に言うとスリリングでとても面白い試合。お互いが放つパスの精度、当たり負けしない体幹の良さ、そして走る走るどこまでも走るその速さと持久力、そんな両者が持つ全ての力をぶつけ合う姿は魅力的です。

 

さらに両チームとも攻める攻める、というか自分たちのチームのスタイルを貫き通します。相手に合わせて策を講じるのではなく、自分たちの目指すべきスタイルで相手をねじ伏せようと戦うその姿、清々しささえ感じます。ホントいい試合。

 

試合の結果はというと、これまた凄い、終了直前に川崎に勝ち越されたものの、なんと後半ロスタイム最後のプレーでマリノスが劇的な同点弾。途中出場の扇原選手が天野選手のコーナーキックから放たれたボールを頭で叩き込みました。

 

その瞬間のスタンドの雰囲気。マリノスサイドからは驚きと興奮にみちた大歓声が、そして川崎サイドからはずっと続いていた応援の声が一瞬にして止み沈黙に。

 

いやー、私もひとりで観戦していたのですが、思わず声が出ちゃいました。しかも発した声は「すげー」だけ、まったく恥ずかしい。人間、本当に感動するとこんな言葉しか出てこないんですかね、それとも単にボキャブラリーがないからなのか。そんなことどうでもいいのですが、とにかく体が心が震えるような瞬間を得ることができました。

 

しかもですよ、こんな至福の90分間が3,600円(バック指定席)ポッキリです。それでこんな極上のエンターテイメントが見られるんだから、すごいコストパフォーマンスです。

 

ビバ・サッカー、ビバ・マリノス、こんな試合を見せてくれた両チームの選手に感謝です。

 

ここで思うのは、すべての働くひとは、自分たちが作り出す製品やらサービスにどれだけの価値を見出し、それを提供しているのか、もっと一人ひとりが自問自答しなきゃいけなということです。

 

僕ら自身はどんなコストパフォーマンスが発揮できているのかと。

 

誰しももっと儲けたい、もっと給料がほしい、もっと成功したいと思うのでしょうが、それに見合う価値があるのか、それを作り出すために努力しているのか、とうことです。やっぱり楽して金儲けなんて邪道だし、素晴らしいものを効率的に作り出すことは大事だけど、手を抜いちゃいけない、ズルしちゃいけない。

 

自分が何かしらを得るためには、それに見合うものを提供しなければならない、そんなあたり前のことだけど、みんながこのような思考回路で努力しあって、素晴らしいものをドンドン生みだしていけば、きっとお互いがお互いをリスペクトしていく、そんな世の中になるんじゃないかと思います。

 

これだけの身震いする瞬間を披露してくれた両チーム、そして選手たち、それに負けないような仕事を僕らもしていかなきゃってことですね、スーパースターの彼らにしてみればちっぽけな僕らですけど。

 

試合が終わって、サポーター席に向かう扇原選手。そしてそこには大歓声の扇原コール、うれしいだろうなあ、どんな気持ちなのかな。ちっぽけな僕らにはこんな瞬間を得られることは一生ないだろうな。

 

そんなこと思いましたが、考えてみれば扇原選手、今シーズンリーグ戦初出場、要はレギュラーから外されていたんですよね。やっぱり努力か、何事も腐らず頑張ることだよな、ちっぽけな僕らも一緒、スーパースターも一緒。

 

そんな青臭いことを思い感じた日産スタジアムの一日でありました。

 

「We Trust Our Boss」〜今年の横浜F・マリノスはひょっとしたら〜

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Jリーグ横浜F・マリノス、昨日、ホーム開幕戦を見てきましたが、いやー素晴らしい試合、いつからマリノスはこんなチームになったのでしょう。

 

なんかサッカーというスポーツが違うものに見えました、ほんといい試合、というより面白い試合。詳しいことは言えないのだけど、まず一人ひとりが上手(プロだから当たり前なんだろうけど高い技術力を持つからこそできる戦略を実践している)、そして連動して攻め続けるその攻撃スタイルは見ていて痛快です。

 

走る走る走る、アジアカップのときも思いましたが、選手たちが一生懸命走るその姿は美しいと改めて感じました。結果、昨日は完勝、相手は何もすることができず、マリノスがほとんど攻め続けていた印象があります。

 

マリノスといえば堅守が代名詞でしたが、一体こんなチームに誰がしたのでしょう。

 

それは前オーストラリア代表監督のアンジェ・ポステコグルー監督その人です。昨年の就任以来、攻撃サッカーを志向、一貫してボールを保持し、時にはキーパーさえ中央付近まであがって攻め続ける戦略を貫き通しました。

 

その結果、うまくいくときは大変面白いサッカーをするのですが、相手に研究されたりしてうまくいかないときは徹底してうまくいかない、その繰り返し、結果、なんと一度も降格したことのないチームは降格寸前にまで陥ってしまいました。それでもこの監督はチームの戦略を変えようとしません、一貫してこのスタイルを取り続け、選手たちに同じサッカーに取り組ませます。なんとか降格は免れましたが成績は散々なシーズンとなりました。

 

そんな降格争いの中、印象的なシーンがありました。スタンドに掲げられたサポーターの横断幕、スプレーで殴り書きされたようなものでしたが、そこにはこう書かれていました「We Trust Our Boss」、俺らは監督を信じる、これは珍しいなと感じました。

 

スポーツに求められるものは所詮は結果、だからどんなに魅力的なサッカーをしていたとしてもうまくいかなければ首になるのは当たり前、それが降格寸前の状況だったらなおさらのこと、どこのチームも毎年そんな感じで、任期途中でクビになる監督が何人も出ています。

 

それがこの横断幕、つまりそれだけ、この監督の採用した戦術が魅力的で可能性を感じさせるものだったのでしょう。

 

そして迎えた今シーズン、まだ二戦を終えたばかりですが、昨年から築き上げてきたサッカーの完成形をいよいよ見せてやろうじゃないか、そんな意気込みが伝わるような試合を見せてくれています。

 

それを現実のものとするための選手補強、そして何より徹底した練習が行われてきた結果であることは言うまでもありません。期待せずにはいられない今年のF・マリノスです。みんなで応援しちゃいましょう。

 

それから「We Trust Our Boss」ですが、ここにあるBossは「Bossの目指すサッカー、実践するサッカー」であって「Boss」自身ではないとうことです。

 

究極のことを言えば、Bossの人柄や性格が素晴らしくて俺らはBossを信じるなんてことはまったくないわけです。非常識なことを言えば、性格の悪い陰湿なやつだったとしてもかまわない(もちろんそんなことはありません)。

 

これってビジネスの世界でも一緒、ビジネスも大事なのは戦略や施策です。それをみんなが納得して共有して一緒になって取り組む、そして成果を出して一緒に成長していく。この場合も「We Trust Our Boss」のBossは上司のことではなくて、上司が(一緒になって)実行しようとする戦略や施策なのです。

 

それなのに上司がいい人かそうでないか、信用できそうかどうか、その人柄に対してついていく/いかないなんて大正時代みたいな職場がいまでも散見されています。そんなこと関係ないのにね。

 

ビジネスマンの皆さん、今年の横浜F・マリノスの試合を見に行きましょう。

 

そして自分たちも何をしなければいけないかを学びましょう。面白い仕事をして結果を残しましょう。そのための戦略や施策を上司と部下で徹底して練り上げましょう。そしてその行動に責任を持つ上司と一緒に最高のプレーを実践しましょう。

 

マリノスがサッカーを変えようとしているように僕らも仕事のやり方を変えようじゃありませんか。

 

応援するだけじゃあダメなのです、僕らも頑張るのです。「We Trust Our Boss」と言えるように、そして言われるようにね。

 

世代 〜自分のことは自分で考える〜

 

先日、大前研一さんの本を読んでいたら、いまの20代30代の人間は物欲がない、と書いてあった。

 

バブル崩壊後の「失われた20年」に育った低成長デフレ時代の申し子は、低欲望で内向き下向きで出不精な価値観やライフスタイルを持っており、彼らにこれからの日本経済を切り盛りしていくことは難しいのではないかとのこと。

 

大きなお世話だよね、彼らには彼らなりの秘めたる野心やパワーがあると思うんだ、それこそある年代を一括りにして考える発想がイマドキではないと思う。団塊の世代とかってね。

 

しかもここでのご指摘には続きがあって、だからこそ40代50代のバブルを経験したイケイケ世代が60代、70代になっても仕事をして、社会を牽引していくことが必要なんだと。

 

なんか違うよな、もしかしたらこれは40代、50代に対して自己啓発を促す言葉なのかもしれない、社会保障に頼らず、自分のことは自分で養っていかなければならないよと、それなら意味がぜんぜん違うじゃんね。コワイコワイ。

 

いずれにしても世代でその年代の人間を一括りに捉えてしまうのは雑すぎる、ゆとり世代やら、バブル世代やら、ポスト団塊の世代、何がなんやらよくわからん。

 

20代であっても70代であっても人それぞれ、物欲がある人もいれば低い人もいる、優れたスキルを有している人もいれば、そうでない人もいる、皆それぞれ価値観や大切にしているものが異なります。だからこそ自分の特色を打ち出して、活躍しようと思えば活躍できる環境が作られていることが大事なんだと思います、あとは全て自分次第。

 

なんか政策の失敗や自分と異なる価値観の人間を、理由づけするために使われているような気がしてしょうがないんだよな。一種の差別。一体誰が名前なんてつけ始めたのだろうね。

 

僕は本屋さんで30代の〇〇とか、50代からの△△とか言う本を見るたび信用できないなって思います。だってその作者の価値観を押し売りされるいわれはまったくないんだから。もっと自分のことは自分で考えましょうね、ホントそう思います。

 

自動運転 〜目的地に着くことは目的ではない〜

 

新幹線って昔から好きだった。

 

乗っている間、好きな本に没頭したり、音楽聞いたり、夜は夜でビールを飲んだり、退屈だなと思うこともなく、暇な時間を満喫できる空間。自分の部屋というより、自宅のトイレみたいな感じ。

 

だけどまわりを見るとつまらなそうな人だらけ。寝ている人がほとんど、速く目的地に着きたいって感じの人ばかり、ぼーっと車窓から外を見ているだけでも楽しいのに、もったいない。

 

だけどそんな人が大半なんでしょう、みんな忙しさんなのよね。

 

この間、車が大大大好きって言ったんだけど、これから自動運転なんかが普及してくると自分で運転することなんて減ってきて、車でのドライブ自体も目的地につくための退屈な時間って感じになっちゃうんでしょうね。もったいない。

 

やはり自分が操縦して、どこかに向かうというそのプロセスはかけがえのないものだと思うんですよね。

 

将来、自家用飛行機なんかで自分が操縦してあちこち行けるようになったら最高だよね。そのためにはもちろんコストの問題もあるけど、道路に変わる空路や駐機場といった社会インフラの大改革、小型飛行機のイノベーションなど様々な改革が必要ですけど、そんなことができたなら本当の大発明だ。

 

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考えるだけで楽しみ!地図やカーナビも一新されなきゃね、空路地図、そこから見えるものは何なのか、観光のあり方自体も変わっちゃう。

 

でもこれって手塚治虫とか映画のメトロポリスとかで描かれていた未来の姿と一緒か、みんな昔から夢見ていたことなんですね。

 

僕が思うのは、やはり旅行にしても出張にしても移動は単に目的地につくことが目的ではなくて、そのプロセスがかけがえのないものだということです。

 

そしてそこで何を考え何を思うか、自分が自分の所有物であるお気に入りマシンを操縦しながら、そんな時間を過ごせたらと思うとサイコーです。

 

だからこそ、その大切な瞬間、自分の大大大好きな人といっしょにいられたらサイサイサイコーと思わけです。

 

結局、人生と一緒だよね。

 

目的地なんてわからない、そこについたら何があるのかもわからない、僕らはそこに進むプロセスを生きている。

 

大切な人と一緒に生きていけたらサイコーだ。そんなサイコーな人生を歩みましょうね!

 

発明 〜ドライブするって素晴らしい〜

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車を発明した人って天才だよね、世の中が変わっちゃった。

 

ほんのちょっとのガソリンで何十キロも移動できる、しかもひとりじゃない、何人もの人を載せて同じ時間を共有できる。同じ景色を見て、同じ空気を吸って、同じ感動を味わえる。ホント素晴らしい。

 

僕はそんな車が大好き、別にスピードを出すわけでも何でもない、改造するわけでもない、ただただ車に乗って行ったことのない、見たことのない場所に行くこと、そのプロセスが大好き。

 

もちろん車へのこだわりもある。

 

若い頃は高級車に乗りたかった、それもちょっとマニアックな車に。audiであればオールアルミのA8、BMWであればおしりが変わった形の7シリーズ。

 

そんな中、ルノーアヴァンタイムという車があった。形はオデッセイ見たいなんだけど2ドアで窓やサンルーフがガパッっと開く一言でいうと変な車、誰がどう見ても変な車。だけどこれがかっこいいんだよね、ほんと欲しかったけど確か500万円以上もする車でとても手が出なかった。

 

そのあとグランセニックっていう一回りちいさなルノーのミニバンを買ったんだけど、やはりアヴァンタイムと比べてしまう自分がいた。無理してでも買っておけばよかったのかな、今でもそんなことを思ったりする(これはこれでいい車でしたけどね、屋根もガバッと開いたし、なんたって街なかで見かけることがほとんどなかった)。

 

 今もマニアックでかっこいい車、あまりないような色の車が好きなんだけど、どちらかというと適度なサイズで乗りやすい車が好きになった。やはり都会では適度なサイズ感が重要ですよね。

 

僕は車であちこち走り回るんだけど、走り屋ではないので山道で飛ばしたり、高速道路をものすごいスピードで走ったりという欲望はありません、むしろ怖いくらい。

 

ゆったりと車を走らせながら周りのの景色をみたり、いろんな考え事をしたり、コーヒー飲んだり、好きな音楽を聞いたり、大きな声で(下手くそな)歌を歌ってみたり、そんなことが大大大好き。

 

今はなかなか難しいのだけれど、以前は一ヶ月に一回くらい平日に休暇をとってドライブに行くのが常だった。お気に入りは富士五湖のあたり、鳴沢氷穴から西湖に抜けるみち、そして湖沿いに走るのが大大大好き。ホント気持ちいい。

 

近場であれば僕のおすすめは玉堤通り。要は多摩川沿いの土手ですね。休日、ここをちんたら走るのがとても好き。

 

都会なんだけどのんびり感があって、夕焼けもキレイ、人もたくさんいるんだけど、みんな思い思いの休日を過ごしている感があってなんか平和な感じ、幸せを感じます。

 

こんな便利で快適で楽しい乗り物、発明した人は大天才です。

 

ぼくもそんな大発明はできなくても、些細なことでもいいから人の感性を変えられるような発明ができたらいいな。

 

今度ドライブしながら考えてみよう、ホントそう思います。