「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

生きている 〜僕らの役目は子孫を残すことだけなのか〜

f:id:Blue-J:20190331182100j:plain


先日、沖縄を訪問し、備瀬のフクギ並木をはじめとした沖縄の樹木たちに大変感銘を受けました。なんか生きてる感がものすごい。

 

実際僕はフラフラと散歩をすることが好きで、そこいら中の木や草花を見ながら、なんか自分も見られてるよな、と感じることが多かったのですが、沖縄の樹木たちを見て確信しました。

 

彼らは僕らと同じように生きている。当たり前のことですみません、でもこれホントなんです。

 

稲垣栄洋さんの「面白くて眠れなくなる植物学」という本を読みました。ホント面白くて眠れなくなりました、僕の知りたかったことがたくさん書いてあった。

 

この本によると動物と植物とでは基本的な生きる仕組みに大きな違いはないとのことです。つまり動物と植物は同じ祖先から進化していった、そして植物が動物と決定的に違うのは光合成ができること、正確に言うと光合成ができる葉緑体をもっていること、これによって生きるために必要な糖分を自ら作り出すことができてしまう。それによって、植物は動物のように食べ物を探す必要がないだけ、だから動く必要がないだけ、ということらしいのです。

 

ちなみにキウィフルーツやいちょうの木はオスの木とメスの木があるそうです。基本、一つの花の中には雄しべと雌しべがあって、自らの花粉を風に飛ばしたり、昆虫を呼び寄せたりして、他の木と交雑するのですが、それだと自家受粉の可能性も会って、その場合は同じような性質の子孫ばかりが残ることになってしまう。だからあえてメスの木とオスの木で分けている植物もあるそうです。

 

うーん、ほんと僕らと一緒で、優先順位の第一位は子孫を残すこと、つまり植物も動物も生きてる目的は同じなんですね。

 

こんな樹木たちですもん、当然ながら生きているわけだし、その生き方が違うだけで、彼らは彼らなりの意識があって、目や鼻や口がないだけで、互いにやり取りをしているんだと思います。

 

僕らも普段は気づかないだけで、何かのきっかけで気づき感じるはず、そして一緒に暮らしていることを知るはずです。だからたまに近所の公園の大きな木に抱きついてみることをオススメします。きっと何かを感じるはず、僕らにはない力をもらえると僕は信じています。

 

この本には続きがあって「怖くて眠れなくなる植物学」といいますが、そこには更に一歩先に進んで、植物は不老不死の生き物だと書かれています。

 

植物は枝を落としても新たな枝を伸ばしてくる、雑草だって耕されて茎がちぎれても再生して再び増えていく、木だってそう、「接ぎ木」「挿し木」何ていうやり方で体の一部を分離して増やすことができる。そろそろ見頃の桜のソメイヨシノ、これはほぼこのやり方で増殖されてきたそうです。つまりクローンですね。

 

となると自分は死んでも自分の分身は生き続ける、さてさて、それでは自分とは何なのか、命とは何なのか、とこの本には書かれています。ホント眠れなくなりますね。それにしても確かなのはみな懸命に生きているということです、そして子孫を残していく、動物だろうが植物だろうが、これが僕らの宿命なのだと気づくことができます。

 

僕自身はそんな立派な宿命を全うできているのかしら、当たり前のようにこどもを育てているつもりですが、親としての役割を果たすことができているのかしらと思います。でもそんな思い高ぶりなのでしょうね、こどもはこどもで何かを感じながら勝手に成長していくのだと思います。

 

だから自分は自分で、生きている価値を見つけないとですよね。

 

備瀬のフクギに力をもらいましたが、もらっているばかりではダメ、僕もなにかの価値をもって、その価値でみんなに力を与えられる存在になりたいものだと強く思った次第です。

 

些細なことでもいいから精一杯頑張っていきたいな、そんなふうに青く感じた沖縄の旅なのでした。