「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

こんな引退試合があるのか 〜メジャーリーガーじゃない、最高の野球小僧だ〜

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いつものようにテレビを見ていただけなのに、いつものように応援していただけなのに、いつものようにヒットになりますようにと思っていただけなのに。

 

イチロー選手が引退した。

 

そんなことまったく思っていなかった。だから試合前に、いつまでもこの姿を見ていたいな、なんてお気楽なブログを更新していた。本心だったし、そうなるものだと思っていた。イチロー選手のメジャー開幕戦を単に楽しく見ていただけだった。

 

なんかいつもと違う雰囲気があった、選手たちが緊張していた。菊池雄星選手、メジャー初先発、当然といえば当然かもしれないけど見るからに緊張の面持ちであることがテレビの画面を通じてもよくわかった。

 

彼は知っていたんですね、この試合がイチロー選手の最後の試合であることを、だからこそ変なピッチングはできないと緊張していたのではないでしょうか。

 

そしてイチロー選手、相変わらずカッコいいなと思いましたが、以前のような鋼の身体の上にユニフォームをまとっているような印象は薄まり、なんとなく腰の周りが痩せていてユニフォームがだぶついているように感じました。

 

そして8回の最終打席、内野ゴロ、その球には勢いがまったく感じられなかった。えっ、何この打球、これがイチロー選手の打球なの、そんなふうに思った。でも次の瞬間、全力で一塁ベースを駆け抜けるイチロー選手がいた、アウトにはなってしまったけど、この走る姿に違和感はなかった、だから少しだけ安心した。

 

でも次の回、ライトのポジションについたとき、監督が交代の指示、その瞬間マリナーズの選手たちが一斉にベンチ前に引き上げていった。イチロー選手を迎えるために。

 

うそ、ホントに引退しちゃうの?

 

試合中にもかかわらず、選手たちが慈しむようにイチロー選手との別れを告げる光景がそこにはあった。その時のイチロー選手の仕草、立ち居振る舞い、すべてが完璧、カッコいい、その一言に付きました。

 

テレビの前、僕の心は震えていました。いま、この瞬間、とんでもないものを見ているんだな、そんなことを思いました。

 

試合後のインタビュー、イチロー選手は僕が思っていたことと若干違うことを話していた。

 

「純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということはそれなりに重いこと」

 

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。」

 

ものすごい重い言葉ですが、それは一般の僕たちの日常と何ら変わらないことでもありました。テストでいい点を取りたい、新しい仕事を受注したい、まわりの人の期待に応えたい。僕らの日常と何ら変わりません。

 

僕は勝手にイチロー選手の思考回路は我々とは違って、異星人のような感覚で生きている人かと思っていました。違いました。普通の一般人でした、それもグレイトで突き抜けた一般人。

 

そしてこんな事も言われていました。

 

アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。」

 

イチロー選手は純粋なメジャーリーガーであって、アメリカ人だ、日本人だなんていう感覚はないのかと勝手に思っていましたが、これも違いました。イチロー選手は日本で育った日本人として、長嶋選手や王選手と同じメンタリティを持ち、そしてアメリカに挑戦して、これまで幾多のメジャーリーガーがなし得なかったことを成し遂げた、ひとりの人間、そして日本人だったのです。

 

だから最後の場所に日本を選んだ。最初は違和感がありました、イチロー選手ならメジャーリーガーとして、アメリカで他の選手と同じような場で、意外とさらっと引退するんじゃないのかなと勝手に思っていました。それがあの光景、「日本代表としてアメリカで誰もできなかったことをしてきたぞ」、そんな最後の姿を我々に見せてくれたのではないでしょうか。

 

あの光景を茶番と言った人もいるようですが、それを言うならグレイトセレモニーが正解だと思います。自分の引退試合をするためにメジャーリーガーを大勢連れてきて、しかも真剣勝負の公式戦まで開催させてしまった、それを我々や世界中の人に見せつけた、恐るべしイチロー選手です。

 

なんかこう考えると、失礼な言い方ですけど、とても昭和な感じがする。でも昭和生まれの平成育ちなんだからしょうがない、だけどそれを突き抜けて新しい境地に到達してしまった、それがイチロー選手の本当の凄さだったのかもしれません。平成の最後にそんなすごい人を見てしまったという感じです。

 

休みの日になるといつもBSテレビでイチロー選手の活躍を見る、そんな日常が終わってしまいました。

 

僕はニューヨーク・ヤンキース時代の背番号31のイチロー選手が一番印象に残っています。なんか楽しそうだった、俺はヤンキースで試合をしているんだ、あのジーターやロドリゲスと一緒だぜ、そんな嬉しさが見ていてよくわかった。

 

マリナーズ時代のようにレギュラーでも一番バッターでもなくなってしまったけど、もがきながら、苦しみながら、それでも純粋に野球に取り組んでいる姿がそこにはあった。

 

やっぱりイチロー選手、単なる野球小僧なんだよね、それもサイコーの野球小僧、だから僕らも見ていて心躍ったし、楽しかった。ホント陳腐だけど、ありがとうございました、こんな言葉しか出てこない。あの素晴らしい光景、僕は忘れることはないでしょう。

 

イチロー選手、こんな事も言っていました。

「成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんです。」

 

サイコーだったぜ、イチロー選手!サンキュー!!

 

 

 「僕のアイドル」

 

  僕には好きな歌手がいた

  コンサートにも行ったし

  レコードも買ったし

  ラジオも聞いたし

  歌も歌った

 

  彼はおじさんだったけど

  ピアノが上手で

  踊りは下手だけど

  パフォーマンスも苦手だけど

  いつも一生懸命

 

  僕は彼が何を歌っているのか

  知りたくて

  知りたくて

  辞書を引きながら

  ノートに書き出した

 

  僕は彼になりたかったから

  彼のサインのマネしたり

  彼の歌い方を真似したり

  彼と同じシューズを買ったり

  彼が好きな飲物を飲んだり

 

  ある時

  新聞に彼の記事が乗っていた

  珍しいな

  そう思ったら

  彼は遠くに行ってしまったらしい

 

  僕は

  僕の心は彼の心で作られていたから

  僕は

  どうしたらいいのだろう

  そう思ったけど

 

  僕の心は

  僕の心でしかなくて

  彼の心だけでなくて

  色んな人達の心で作られていたから

  僕は僕なんだ

 

  だから

  僕は歌うんだ

  僕は描くんだ

  僕は書くんだ

  僕の心を

 

  誰かに伝えたいから

  彼がしてくれたように

  僕も

  誰かに

  伝えたいから