「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

変われる 〜自分で判断する、決める、未来への希望〜

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サッカーアジアカップの日本代表、印象的なシーンが有りました。

 

準決勝のイラン戦、南野選手が倒されてファールと思いきや、すぐに自ら立ち上がりボールを取りに行ったシーンです。

 

あのとき彼は何を思ったのでしょう、今までの発想だとファールをアピールというのが経験則だと思います、それをすぐさま立ち上がり一心不乱にボールに追いつき決勝点につながるボールをゴール前に蹴り入れる、それに大迫選手が反応する。

 

なんか彼らの発想が、これまでのサッカーの経験則や文脈に従わず、勝ちたい、点を取りたい、その一点で行動していたように見えました。

 

なんか日本人って先生に言いつけるぞ、みたいな感じで育ってきたせいか、誰かに決めてもらう、誰かに従う、みたいな考えが強いように思います。

 

だから北朝鮮との問題にしても最近の韓国とのいざこざにしても、我々は正しいんです、あいつらが悪いんですというばかり、アメリカをはじめとした世界の皆さん、そう思うでしょ、だから彼らに裁きを与えてください、みたいな他人任せ感がとっても強い。

 

よくニュースなんかでも、世界はどう伝えたか、みたいな文脈の報道がとても多いけど、そんなこと気にしている暇があるなら、自分たち自身で問題解決することを一生懸命に考えたほうが良いと思うんだよね。自分のことは自分で決めるんです。

 

アジアカップのあのシーンでも、今までだったら審判にアピールしてファールが認められなくて、最後は誤審だとかなんだとかで負けた理由の一つになるとこでしょう。彼らは自分自身の力、そして判断力でそれを変えたんです。

 

他人任せにしない、自分の事は自分で決める、そしてやるべきことを一生懸命にやる、簡単そうですが、これまでできてこなかったことです。

 

彼らのような若い世代が増えてくれば、これから変わるな、なんか未来への希望を感じたそんな試合でした。

 

変わらなきゃ 〜大坂なおみの世界一と頑張れマスコミ〜

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大坂なおみさんが全豪オープンテニスで優勝した。

 

テレビで見ていましたけど、すごく面白かった。テニスの試合をまるまる見たことなんてなかったけど、なんか引き込まれて見てしまった。

 

四回戦の台湾選手との試合、それと決勝戦チェコの選手との試合を見ましたが、どちらも途中でダメかなと思ってしまったけれど、最終的に逆転勝ち。

 

勝手にダメかなあなんて思ってしまった自分が恥ずかしい。やはり純粋に一生懸命なんだよな、ああいう人は強い、そして羨ましい。

 

で、翌日の新聞ですが、想像していたとおり1面で「日本人初」の世界一、そして社会面で「なおみちゃんの人柄」を知人なんかへのインタビューで褒め立てる記事。

 

ほんと昭和の文脈のまんまだよね。

 

こういうの誰か止める人が新聞社の中にいないのでしょうか。いつのまにか「日本人」を讃え、そしてその美徳としての「謙虚さ」につなげる、一番食べたい日本食なんて関係ないし、カツ丼=庶民的に誘導する必要だってないのにさ、ほんと頑張った人に対して失礼極まりないと思います。

 

やはりマスコミって楽してると思うんですよね。

 

今までと同じ書き方すれば叩かれないし、読者からも喜ばれる。それに「表現の自由」という言葉のもと立場が守られすぎている。実際、競争も少ないし給料も高い。

 

本来はマスコミが率先して今の時代を「表現」して記事にしなければいけない、「挑戦」しなければいけないのにそれができていないしするつもりもないみたい。だからさっきも言ったとおり昭和の文脈から抜け出せない。

 

読む方もその心地よさや、懐かさからをそれを受け入れてしまう、もう時代は変わってるっていうのに。

 

で結果、未熟なマスコミ、成熟できない国民と言う図式が成立して国際的な競争力から落ちこぼれていく。身内だけで仲良しごっこをしているのと同じだよ。

 

実際、経済だってそうなってる。スマホや通信機器に半導体、テレビや家電だってみんな競争から脱落してるし、自動車や金融だってこれからそうなる。電気自動車やfintechに代表される金融のグルーバル化についていけなくなる。すべて昭和の芸風から抜け出せていないのだもの。

 

だって「日本初」なんて関係ないし、大坂なおみさんが「いい人」で「謙虚」である必要なんてまったくないのだから(大坂さんがそうでないということではもちろんない)。そこが変わらないと、世界で競争して勝ち抜けるわけがない、今はたまたま日本国内だけで経済が成り立っているだけだと思います。

 

大坂なおみさんは純粋に勝ちたくて頑張っているだけ、それも死に物狂いで頑張っているだけ、そして世界一になっただけ、それ以外の修飾語は何もいらない。

 

修飾語を求めているのは日本人だけだということに早く気づくべきだと思います。そしてそれをマスコミが実践するべきです。

 

事実は事実だけを伝える、そしてそれを僕ら自信が受け止め考える、それを支援(誘導でなく解説)するマスコミの役割を徹底するべきだと思います。

 

今の若い人たちは新聞なんかみない、ネットで事実を知る、だから遅かれ早かれ今のマスコミは衰退して新しい時代が来る、なんていう人もいますが、ネットの記事をよく見てごらんよ、その多くは低品質、それこそフェイクニュースが盛沢山、ちゃんと意識していないと知らない間に洗脳されちゃいます。

 

だからこそマスコミの力が必要なんです、大坂なおみさんに負けちゃいられません、頑張れマスコミ!

 

走れ 〜一生懸命であることの美しさ〜

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サッカーアジアカップの日本代表。やはり国と国との真剣勝負の戦いは見ごたえがありましたね。優勝はできませんでしたが、彼らの走る姿は印象的でした。

 

それにしても走る走る走る、ほんと良く走る人たち。戦術とかいろいろな人たちがいろいろなことを言いますが、単純に彼らの走る姿は「美しい」と思いました。

 

あの一生懸命さや、がむしゃらさはかけがえのないものだとも思います。当然本人たちはそんなこと思っていないのでしょうが、こんなにも一生懸命になれるものを見つけ、そこでトップに立っているということは、たいへん幸せなことなんだと思います。

 

なんでもそうですが、一生懸命な人たちは応援したくなります。

 

頑張れ、僕らも応援してるよと伝えることで、その頑張りの一つのエネルギーにしほしい、そんなことを感じ考えます。

 

でも同時にこうも思います、自分はどうなんだ、自分は何に頑張っているのか、自分も頑張れよ、と。

 

そう、自分は何を頑張っているのか、何に対して一生懸命なのか。

 

何も同じように国の代表になれということではありません、自分もみんなに応援してもらえる自分になりなさいよ、ということを強く思います。

 

応援して応援される、切磋琢磨、やはりこれですよね。

 

少しずつでもちょっとしたことでもいいから、何かを変えていける僕らでありたい。 相手が国を代表するスーパースターだって構わない。自分が何を頑張るか、どんなに些細なことでもいいし、全然大したことなくったっていい。

 

一生懸命になることが大事なんだから、あのスーパースターだってきっとそう、ただただ頑張っているだけ。 だから僕らだってどんなにちっぽけなことであっても彼らに応援してもらえる僕になりたいよね。

 

彼らもそう思っているかもしれない、自分の姿を見て自分も頑張ろうと思ってくれている人がいるといいな、その人のためにも頑張ろうってね。それが彼らの力にもなるはずです。

 

応援すること、応援しあうことは大事、その内容はなんだっていい、全部同じ、自分のすることに頑張れる自分になることが大事なんだよね。

 

ホントそう思います。

 

暇な人たち 〜サラリーマンは忙しい〜

 

逮捕されちゃった日産自動車のゴーンさん。

 

収入を虚偽記載したことが逮捕の理由らしいけど、そんなにひどいことなのかな、なんか不思議な感じ。そう思ったら、そのあと会社のお金を使い込んだ疑いで再逮捕。事実はどうなのかわかりませんけど、これってどうみても日産自動車のクーデターですよね。

 

かつて倒産寸前に陥った日産はルノー資本提携で助けてもらったわけだけど、現在はその立場が逆転。自動車の出荷台数も売上規模も日産のほうが上、それなのにルノーに従わなきゃいけない現在の関係は見直したい、なのにそれどころか経営統合させられちゃうかもしれない。

 

こりゃマズイ、今なんとかするしかないでしょ、ということで今回の謀反につながったんでしょう。もうフランス人の言いなりにはならないぞと。

 

これって気持ちはわかりますけど、日産自動車の奢りだと思います。今は立ち直ったのかもしれないけど、立ち直らせたのはルノーでありゴーンさんだったのは紛れもない事実。

 

日本人だけの日本の会社であった日産自動車では生まれ変わることができなかった。だから私は思います、日産自動車ルノーから独立したら、また近いうちに経営危機に陥るだろうなと。

 

なので、もしも私がルノーだったら、今回の件をきっかけに日産自動車の株を全部売却するかもしれません。

 

だって今回の事件もゴーンさんがすべて悪いことになっていますが、同じように罪を犯したのは日産自動車自身なのですから。

 

役員報酬の虚偽記載も中東の会社への不要な資金供与などももし本当であれば、会社の体をなしていると言えません。こんなやばい会社とは即刻手を切るべきです。

 

これまでずいぶん儲けさせてもらったのだから十分だと。そして新しい提携先を見つけるべきだと考えるのではないでしょうか。もしかしたらそれはトヨタやホンダかもしれないし、中国のメーカーかもしれません。日産自動車ルノーがそのように考えるかもしれない、というかそれが一般的に見られる見方だという客観的な危機感を持つべきなんじゃないかなと思います。

 

それとやっぱりガッカリしたのはゴーンさん。

 

個人的にはあれだけの成果を成し遂げたのなら100億もらったって別にいいんじゃないかと思う。もっと堂々としてれば良かったのにね。

 

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そんなゴーンさんも所詮はサラリーマンってことなんでしょう。100億も数百万も一緒、人よりたくさんもらいたい、でもお金の使い方がわからない。

 

やはり事業を起こした人じゃないから、自分のすることに哲学がない、結局は雇われ経営者なんでしょうね。

 

世のため人のためにこの事業を起こす、と一念発起した人であれば、こんなせこいことはしないでしょう。寄付したという話も聞かないしね。まあ、やはり事業家ではなく経営者なんでしょう。経営者はケチであるべきですからね。

 

それにしても、やはり物事は目的が大切なのだと思います。人より多く稼ぐことや、嫌いなアイツを追い出すこと、そんなことが目的になってしまうことはとても寂しいこと。

 

そんなことに労力をつぎ込むってことは、もしかしたらみんな暇なのかもしれない、仕事しているようで本来の仕事じゃないことをしている、暇な人たち。そりゃそんな会社ダメになりますよね。

 

それに暇な時間はもっとかけがえのないものです。大切にしなくちゃいけません。空を見て、空の向こうには何があるのかな、なんて考えている方がよっぽどマシなんじゃない。

 

ホントそう思います。

 

宇宙旅行 〜君の上にある空はすでに宇宙なのに〜

 

成功した実業家の社長さんが商用宇宙旅行に申し込んだらしい。

 

そのお値段うん億円。アーチストを連れて行くんだって。いいご身分ですね。

 

お正月にはツイッターをフォローした人に100万円プレゼントというのもやってたみたい、何がしたいんだろ、よくわからん。

 

でも僕からするとそもそもロケットで宇宙にいく意味がわからない。あんなもんジェットコースターと一緒。だって僕らはすでに宇宙の中にいるのだから。

 

空を見てご覧よ。

 

空を見てあー空だなーと思うか、それともあの向こうは何があるのかなーと思うか。いいかい、あの空の向こうには宇宙がある、ということは僕が今見ている空は宇宙そのものじゃん。そんなこと思うか思わないかだけの違いでしかない。

 

つまり僕らが毎日見ている空は宇宙なのであって、わざわざそこに行かなきゃ見えないものがあるはずがない。地球だって飛行機に乗れば丸いことくらいわかる。

 

そんなことも創造できなアーチストって一体何だい?って感じです。

 

宇宙(空の延長線)に行くまえに広島あたりの山奥に言ってご覧よ。道歩いていても前から来る人がわからないくらい真っ暗。これほんと。

 

そして空を見上げると満天の星空。銀河だって見える。まずそこで感じることから始めてみればいい。

 

絶対オススメします。

 

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 「僕らは宇宙」

 

  空の青はなぜ青い

  漂う雲はなぜ白い

  僕らの血はなぜ赤い

 

  僕らの血管

  つなぎ合わせると

  どのくらいの長さか知ってる?

 

  この間テレビでやってた

  地球二周半

  信じられるかい

 

  空の青はなぜ青い

  きっと青くない

  僕らが見ている空は宇宙だから

 

  僕らは僕らのことを人間だと思っているけど

  僕らの中には地球を二周半も旅する

  すごい僕らがいる

 

  そんな僕らで僕らは出来上がっている

  僕だけじゃない

  君も彼も彼女もだ

 

  だからこう思う

  僕らは宇宙

  やっとわかった

 

  だから自信を持って生きることができる

  僕らは宇宙なんだから

  何者をも生み出せる

 

  僕らは宇宙

  誰のものでもない

  僕だけの宇宙

 

 

ノイズキャンセリング 〜BoseQuietComfort20〜

 

電車の中、みんながみんなイヤホンしてる、「この瞬間の世界の音から自分自身を遮断してもいいものか。だっていろんな音が聞こえることはとても貴重なこと、普段気が付かないことに気づくことだってある、その機会を逃してしまう怖さのほうが僕には気になる。」なんてことを前回言ったけど・・・。

 

先日あるものを購入してしまった。それはノイズキャンセリングイヤホン、Boseの「QuietComfort20」。

 

言ってることとやっていることが違う?でもすごいよこれ、「シーン」、ホント世界が僕一人だけになったかのよう、ある意味、究極のひとりぼっちの時間創出マシーン。

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僕はI Want Be 暇人だから、僕だけの時間をとてもとても愛している。このマシーンがあればどんなに騒がしい場所でもひとりになれる、自分の部屋を持ち運びできるようなもの。

 

常に世界の音や物事に敏感になりたい自分がいる反面、どんなに騒がしい中でも自分だけの時間を作りたい自分もいる。

 

これは後者のためのマシーンだ。買ってよかった、久しぶりにそんなこと思った買い物だった。高いんだけどね、なんと29000円もする、今どきのワイヤレスではなくて有線にもかかわらず。

 

でも今回、あえて有線のイヤホンタイプを選んでみた。このマシーンを選んだ経緯をちょっと紹介します。

 

まずノイズキャンセリングといえば一般的にBoseSonyということになっているらしい。そしてイヤホンタイプとヘッドホンタイプがあるんだけれど、ヘッドホンタイプは持ち運ぶのもかさばるし、家の中だけの使用になりそうだったので、まずはイヤホンタイプに決定。

 

僕は耳が大きいのでヘッドホンしているとなんか疲れる、汗もかく、髪型が乱れるのも好ましくありません。次にイヤホンなんだけど今どきのものは耳にギュッと押し込むカナルタイプと耳にふたをするような昔からのイヤホンタイプの2つが存在する。たぶん前者のほうが今時は圧倒的に多いと思うんだけど、僕は耳にずっと異物を押し込んでいるような感覚が嫌で音楽を聞くときはこれまでも後者のタイプを愛用してきた。

 

で、SONYは前者のタイプ、BOSEは後者のタイプということでイヤホンタイプのBOSEに決定、もちろんデザインもBOSEのほうがかっちょいいと私は思った。

 

あとは有線かワイヤレスかなんだけど、もちろんBOSEの最新タイプはワイヤレスで「QuietComfort30」という製品。やっぱりワイヤレスだよね、と思ったけど、このタイプのものはノイズキャンセリングを利かすためにコード上にある程度の筐体つまり装置が必要になってしまうらしい。

 

「QuietComfort20」もコードの末端に長方形のチョコレートみたいな箱がついている(これはこれで邪魔ではあります)。で、ワイヤレスの「QuietComfort30」なんだけど、首に巻くちょっと太いネックレスみたいなものに装置を内蔵して、そこからイヤホンをつける形にした模様。SONYのも同じような形なので、ワイヤレスにするにはこのような形で装置を収めるのが最善ということなのでしょう。

 

で、やっぱり邪魔、ワイヤレスと入っても首に巻くのは嫌だなー来ている洋服にも左右されそうだし、正直あまりかっこいいもんではない、ということで古い有線タイプではありますが「QuietComfort20」に決定した次第。

 

結果は前述の通り大満足。

 

しかもノイズキャンセリングだけ使いたいときはこのイヤホンだけで事足りる。私のように音楽をあまり重要視していない人には最適です(なので音質も二の次です)。

 

よーしこれで、ぼっち時間を満喫するぞッと思い、まずはテレビが常についている家の居間で使ってみた。

 

感動です。

 

いままで読書していてもテレビの音声やらなにやらで集中できなかった。かといって自分の部屋でひとり本を読むのも寂しい。これなら、家族のみんながいる賑やかな場所でもぼっち時間を満喫できる。

 

ひとりになりたいけど一人は嫌、という我儘さんというか、たんなる寂しがり屋さんにはサイコーのマシーン、オススメです!

 

雑音 〜みんなイヤホンで何を聞いてるの〜

 

昔からこんなだったかな。電車に乗るたびに思うことがある。何って、みんながみんなイヤホンをしていること。若い子だけでなく、いいおっさんも含めてみんながイヤホンをしている。

 

一体何を聞いているのだろう。

 

僕も外出中に音楽を聞くことはあるけど、その時はいつもためらう。この瞬間の世界の音から自分自身を遮断してもいいものかって。音楽やらラジオやら好きなもの聞くのはその人の勝手だけど、街の音すべてが雑音、不要なものだと思われているのではないかと思ってしまう。

 

 だっていろんな音が聞こえるということは時としてとても貴重なこと、普段気が付かないことに気づくことだってある、その機会を逃してしまう怖さのほうが僕には気になる。

 

雑音は単なる雑音ではない。

 

その中に街や人や世界の生きている音が詰まっている、そこで何かを感じたり気づいたりすることがあるかもしれない。

 

電車に乗ってたら草刈り機の音が聞こえてきた。何気なく外を見ると土手で草を刈っている人たちがいる、その瞬間、青い草の匂いがしてきた。なんで、こんなに離れている電車の中なのにって、それ自体に驚いたんだけど、草の匂いを感じるのはいつ以来だろうってことに気づいた。どうして最近はそういう機会がないのだろうって考えた、もしかしたら機会があっても気づかないだけなのかもしれない。

 

青臭くて懐かしい生き物の匂い、からだは敏感に反応する。 僕はそんな出会に気づきたい、感じたい、どんなにささいなことだってかまわない。

 

そんなの暇人だけが思うことなのかもしれないけど、みんな忙しいから、いつの間にか忙しさにかまけて、暇になることを怖がってるんじゃないだろうか。忙しくないと自分が求められなくなったたような、自分が駄目な人間になったような脅迫感を感じているんじゃないだろうか。

 

だから暇な時間は暇つぶしをしていないともったいないと感じてしまう。イヤホンをつけて音楽を聞いたりラジオを聞いたり、英会話の勉強に励んだり、なにかしてなきゃ気がすまない。

 

結局、人それぞれなんだけど僕はこの瞬間瞬間の出会い求めてる。そしてそんな機会をもたらしてくれる暇な時間を愛してる。

 

I Want Be 暇人。

 

 だって暇な時こそが自分だけの時間なんだもん。愛おしいくらいの貴重な時間。そんな時間を好きな音楽を聞いて過ごすのもいいけど、たまには何もしないで世界の音に耳を澄ましてみる、そんな過ごし方もいいと思う。

 

なんか凄いこと発見しちゃったりするかもしれない、そう思うと楽しみでしょうがない。僕はそんな青い日々をこれから楽しんでいきたい。ホントそう思います。

 

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