「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

寝る子は育つ

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最近、良く寝る。
寝ることが楽しい。

 


夕方、ビールを飲み始めると瞬く間に眠くなる。
だから夜の9時には寝てしまう、起きるのは朝の6時だから9時間睡眠だ。
これも他にすることがないからだ。

 


以前にも書いたが、僕は何もすることがない。
最近、そんなことを発見した。
だから、遅くまで起きていても何もすることがない、したくもない。
だから寝る。
寝ることは楽しい。特に眠りにつく瞬間は最高だ。

 


それに毎日夢を見る。
夢の世界は楽しい。
いつも見る夢がある、いつも出掛ける場所がある、夢の続きを見ることもある。
今はいないあの人にも当然のように会うことができる。
不思議なものだ。

 


昨日の夢ではあることを発見した。
何かのきっかけに足し算をしようとしたのだが、まったくできないのだ。
いくつかの単純な数字を足すだけなのにまったくできない。
やっぱり夢は夢なのだろう。
したいことや、感じたことをしているだけ。

 


あれ?
なんか夢の中の方が楽しそうだ。
時々そんなことも思う。

 


もしかしたら僕は夢を見るために生きているのかも。
夕方ビールを飲むために日中は暇つぶしをしている、それと同じ論理。

 


そう思ったら、ますます寝るのが楽しくなってきた。
ビールを飲むことの次に楽しいかも。

 


こんなことでいいのかな?
いいわけないような。

 


それでも僕らの人生の半分は寝ている時間。
だったら、寝ている時間も楽しんだ方がいいに決まっている。

 


寝るために生きているのか。
生きるために寝ているのか。
難しいようだけど単純だ。

 


どっちも楽しんじゃえばいいのだよ。
ビールに寝ること、大正解。
難しく考える必要なんてないのだね。

 

人生のご褒美

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セミが最後の力を振り絞って鳴いている。
少しおセンチな秋の始まり。

 


セミは6~7年もの間、幼虫として地中で暮らす。
成虫となり、僕らが普段見かけるセミの姿になって夏を謳歌する。
その間、わずか一週間。

 


最近では一か月くらい生きるのではといわれているそうだけど、それにしても一瞬だ。
この一瞬のためにセミは長い期間を地中で過ごす。

 


ということはセミ本来の姿は、僕らが知っているあのセミの姿ではないということだ。
よく見かける抜け殻、あれに本体が入っていた頃が本来のセミの姿。

 


成虫のセミ、わずか一週間の命。
これって人生最後のご褒美なのかしら。
ずっと土の中で耐えてきたんだ、最後くらい自由に空を飛び回っておいで。
そんな神様の思し召し。

 


実際は、交尾して子孫を残すための手段、だから相手を求めてセミは鳴く。
ただ気持ちよく鳴いているわけではない。
それでも土の中で一生を終わらす生き物だっている。
なぜセミは、最後の最後に大空を飛び回る権利を得たのだろうか。
やっぱりご褒美なのかな?

 


僕ら人間も死ぬ直前にご褒美を与えてくれるとしたらどうするだろう。
背中から羽が出てきて空を飛ぶことができたり。
おじいさんの殻を破って、スーパーサイヤ人みたいな新しい自分に生まれ変わったり。
3つだけ望みをかなえてもらえる権利をもらえたり。
その期間は一週間。

 


あー、うちのじいちゃん、成人になっちゃったよ。願い事、叶えてもらわなきゃ。
なんてことが小学生の当り前の会話になったりして。
きっとその一週間は、盛大なパーティーが繰り広げられるのだろう。
葬式に代わる本当の成人式だ。

 


人生最後のご褒美。
自分だったら何を望むだろう。

 


バカなこと考えてんじゃないよ、こっちは一生懸命生き抜いてるんだ。
お前の人生は暇つぶしかい?
セミの声が聞こえてくる。

 


まずはビールでも飲もうか。

 

自然と生きる

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蝉の声が日増しに小さくなっていく

 


暑い暑いと文句ばかり言ってた夏も、もうすぐ終わり。
寒い寒い冬に向けて季節は舵を切る。
思い返すと夏を迎える前に感じたあの高揚感が懐かしい。
不思議なことに冬に同じような感覚を得ることはできない。

 


なんでだろ?
やっぱり冬は耐える季節なのだろうか。
植物も葉を落とすし、冬眠してしまう動物だっている。
僕らだって、同じように家に閉じこもってじっとしていればいいのだ。
春になり再び温かさが訪れるまで、じっと体を休める。
そんな時期があってもいい、それが冬なのではないだろうか。

 


それなのに僕らは年がら年中、同じことを繰り返している。
年がら年中、忙しい忙しいと言っている。

 


そんなにせわしなく、いったい何をしてるっていうのだろう。
まるで忙しいこと自体に価値があるよう。
スケジュールが埋まっていないと気が休まらない。
会社に行くことが自分の責任、そんな人が今でもいる。

 


もっとおおらかに、もっと柔軟に考えられやしませんかね。
そのために必要なこと。
それは自然に寄り添うこと。
もっと自然を感じてみることだと思います。

 


僕らは季節や自然を無視し過ぎている。
もっと、地球の鼓動に耳を傾けてみたほうがいい。
自然に合わせて、季節を感じながら休む時は休む、活動するときは活動する。
それが本来の生き物の姿。

 


そんなことを感じて見たほうがいい。
自然にしっぺ返しされる前に気づいた方がいい。
もうされているかもしれないけど。
そう思います。

 


自然というのは僕らも含めて自然なのだと思います。

 

枝豆デビュー

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料理ができない。

 


出来ないどころか、リンゴの皮をむくこともできない。
何もしない、ただ食べるだけ。
今どき、こんな奴はいつ三下り半を突き付けられてもおかしくない。
そう思う。

 


先日、スーパーで買った枝豆を自分で茹でて見た。
初めての経験。
バカにしていただいて大いに結構。
僕にしてみれば大きな一歩。
それくらいの出来事。

 


袋から取り出した枝豆を水で洗い流し、ボールにいれる。
枝豆の端をカットすると、味が染みて美味しくなるらしいが面倒なのでしない。
枝豆にたっぷりの塩をかけて揉む、何かおかしい。

 


どうやら塩と砂糖を間違えたらしい。
自分の迂闊さに唖然としながら、もう一度、水で洗い流す。
気がついてよかった、自分で自分を褒める。

 


沸騰した鍋のお湯に大量の塩を入れる。今度は間違えない。
そこに枝豆を投入して5分、完成だ。
ざるにあけて、湯切りをして、塩をかける。今度も間違えない。

 


茹でたての枝豆を皿に盛り、ベランダに持ち運ぶ。
アウトドアチェアに座り、キンキンに冷えたビールを開ける。
出来立ての枝豆を口に入れる。
クゥー、旨い・・・。最高じゃないか。
グラスに注いだビール、一気に飲み干す。
幸せだ。

 


こんな簡単なんこと、なぜ今までしてこなかったのだろう。
セブンイレブンの枝豆や、イオンで売っている冷凍の枝豆をレンジでチンして食べていた。
それはそれでいいのだが、茹でたてにはかなわない。

 


今日も暑い一日だった、ご苦労様。
そんなことを言いながらビールを飲む。

 


二年間単身赴任をしたことがあった。
新築で入ったマンションには、当たり前だが新品のガスレンジがセットされていた。
僕は一度も火をつけることなく、新品のまま、その部屋を退去した。

 


失われた時間は帰ってこない。
何ごとも経験。
これからの時間だけを考えればいい。
幸せな時間が待っている。
小さな一歩は大きな一歩、小さすぎる一歩で申し訳ない。

 

次の目標は次の一勝

 

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7月の大相撲名古屋場所横綱白鵬が復活優勝した。

 

 
張り手やエルボータックル(かちあげというらしい)、そしてガッツポーズ、横綱としての品格がないと問題視されていたけど、そもそも大相撲ってスポーツなの?
スポーツであれば、ルールの中で勝つために何をしたっていいはず。
それなのに横綱の品格って・・・?
大相撲はスポーツではなく、興行ですと認めているようなものだと思う。

 

 
白鵬には、そんな相撲興行をスポーツに変えようとしている潔さを感じる。
千秋楽、照ノ富士との一戦に勝利した白鵬のガッツポーズ。
その後ろで同じようにガッツポーズをしている一門の姿がテレビに写っていた。
その光景は真剣勝負のスポーツそのもの。
いいじゃんね。

 

 

優勝決定後のインタビュー、次の目標を聞かれた白鵬はこう答えている。
「次の一勝です。」

 


引退するんじゃないかと言っていた解説者がバカみたい。
横綱の品格=引き際の美学みたいな幻想を勝手に抱いているのだね。

 

 
6場所連続休場を続け、進退をかけた復帰の場所。
その場所で勝ちにこだわったスポーツ相撲を見せて全勝優勝。
カッコいいよね。

 

 
これを品格云々で、批判している人は一体何を求めているのだろう。
興行としての相撲を見続けたいのであればそれでいい。
でも、そのままでは長くは続かない。

 

 
これまでは大相撲という幻想を見てきたのだと思う。
格式や歴史といった、しきたりを意識した中での真剣勝負。

 

 
これがこのまま続くのか。
何やらイノベーションが起こるのか。
見る側の意識も変わる必要がある。

 

 
これは大相撲だけの問題ではない。
これまで成り立ってきた社会や生活、そして価値観が変わろうとしている。
というより、変わらなければならない。

 

 
大相撲がどのように変わっていくのか、変えていけるのか。
それを見る側の僕らがどう受け入れていけるのか。
日本の社会がどう変わっていくのか。
そんな話だと思う。

 

自分で決める

 

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会社で成功事例の発表イベントがあった。
僕はその内容を聞いて絶望した。

 

 
とある自動車ディーラー、そこの社長はまるで天皇
役員や部長に24時間メールで指示、自分の指示が最優先のワンマン体制。
そんな社長に取り入るためにあの手この手で接待攻勢。
担当営業はそのディーラーから自分のクルマを自腹で購入。
料亭で会社の役員と一緒に写った写真、そこには全身エルメスの社長の姿。
朝駆け夜駆けの営業攻勢、努力の甲斐あり、数千万の受注を獲得。

 

 
そんな内容だった。
この時代にこんな会社があるのか、そしてこんな営業がいるのか。
それより、こんな営業活動が称えられる、そんな会社の評価に絶望した。

 

 
世間知らず。
営業の鏡じゃないか。
営業とはこういうもの。
そんな声が聞こえてくる。
その通りだと思う。

 

 
自分は出来ない。
単にそういう甘ったれた話。
人間関係は営業活動の基本。
その通りだと思う。

 

 
でもそれだからこそ、そうではない売り方をしていきたい。
色んな技術や手段を活用していきたい。
そう思っていた。
それなのに、そんな手段が一切講じられていない事例が表彰されていた。
悲しかったけど、それ以上に怖かった。

 

 
全身エルメスの社長、会社の全権を握り天皇と呼ばれている。
人を見かけで判断しちゃいけないけど、こんな会社が社員を幸せにしているとは思えない。
扱っている商品が僕の大好きなクルマ。
クルマをただの商品としかとみていない、何台売れるか売ったか、営業成績だけが社員の評価。

 

 
世の中が、世界が変わろうとしている。
ガソリンエンジンを積んだクルマが無くなろうとしている、もしかしたらクルマという乗り物自体が不要な未来がやってくるのかもしれない。
今の事業は今のままでは続かない。

 

 
変わらなければならないのは事業だけではない、価値観だと思う。
僕の勤める会社だけの問題なのだろうか。

 

 
大げさだけど、僕らの生き方の問題だと思う。
価値観を他の誰かや会社に合わせる生き方は止めなければと強く思う。
自分の価値観を持ち、自分を信じて生きていく。
それがこれから生きていく上で必要なことになる。
大切なことになる

 

 
だから、自分を信じて自分で決めなければならない。
人に合わせて生きてはいけない。
そう思います。
 

戦争

 

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自分が幸せにならないと人を幸せにできない。
 


先日、そんなことを書いた。

 

 
アフガニスタンからアメリカ軍が撤退する。
タリバンが国を占拠して、反タリバン勢を鎮圧する。
20年前の姿に戻る、またテロ組織の巣窟となる。
そんなことが言われている。

 

 
アメリカはもう世界の警察ではない、そんなことも言われる。
なぜアメリカは世界の警察としての役割を担ってきたのか。

 

 
世界中をアメリカの指揮下に置きたいから。
平等で平和な、より良い世界を作りたいから。
アメリカの価値観を世界に広めたいから。
いろんな考えがあるだろう。

 

 
単純にアメリカが幸せだったから。
そう思う。
アメリカという国が成功して、経済的にも発展して、他者をいたわれる余裕があったから、そういうことではないだろうか。

 

 
それが、状況が少し変わってきた。
他国を思いやる余裕がなくなってきた、他国の幸せより自分たちの幸せが先。
そういうことではないだろうか。

 

 
もしかしたら、最初からそうなのかもしれない。
自分の国が発展することが第一。

 

 
それでもそんな人たちばかりではないと思う。
純粋に自分が幸せだから、相手も幸せにしたい。
そのためにできることをしたい。
そんな人たちもいたに違いない。

 

 
世界中の人たちがそのように思う世の中になってほしい。
そのために何ができるか考えるようになってほしい。
それ以上に良いことなんてないと思うから。

 

 
中国やロシア、いろんな国が色んなことを言うけど。
いったい目的は何なのだろう。
自分たちが幸せになること。
そうだろう。
でも、そのために、相手が不幸せになることを求めているように感じる。

 

 
相手を幸せにできるように自分が幸せになる。
そう思えばいいのに。

 

 
早くエイリアンがやってこないかな。
その時にみんな気づくのじゃないだろうか。
一致団結してエイリアンに立ち向かうのではないだろうか。

 

 
結局、僕らは敵がいないと生きていけない生き物なのか。
争うことが宿命の生き物なのだろうか。
悲しいね。
 

正体

 

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みょうがを食べるとバカになる。
 

子供の頃、そんなことを聞いた。
夏になると、母や親戚の人たちがみんな美味しそうに食べていた。
自宅の庭でみょうがが取れた、そんなお裾分けをいただき喜ぶ母の顔が忘れられない。

 
こんな苦くて、食べごたえのないもの、何がいいのだろう?
ずっと、そんな風に思っていた。
それなのに。

 
旨いじゃん。
そうめんに乗せて。
豚肉で巻いて。
冷ややっこに乗せて。
ごはんに乗せてお醤油をかけるだけでもいいくらい。

 
大人になると味覚が変わるのだろうか?
子供の頃はわからなかった味がわかるようになるのだろうか。
不思議だ。

 
思い返すと、子供の頃は刺身が苦手だった。
なんだか生臭い、そう思っていた。
もしかしたら、いまより新鮮ではなく、本当にそうだったのかもしれない。

 
でも。
もしかしたら、大人になって味覚が鋭敏になったのではなく、鈍感になったのではないだろうか。
みょうがが美味しく感じるのも、苦みやえぐみに鈍感になり、香りや瑞々しい触感が引き立つようになっただけなのではないだろうか。
子供はニンジンがキライ、僕もそうだった、強烈なにおいと変な味。
いま、そんな味はしない。

 
子供は味覚が単純、そうではなくて鋭敏なのだ。
だからハンバーグやらチャーハンやらカレーやら。
本当に美味しいものが好きなだけなのだ。

成長するにつれ、味覚が鈍感になり、僕らはワサビや山椒や激辛などの刺激を求め始める。
蕎麦に薬味があるのだって、途中で味に飽きるから。
子供は蕎麦だけを食べ続ける。

 
蕎麦にうどん、時にはもっとシンプルに食べてみたほうがいい。
僕らはいまの世界を生き抜く中で、鈍感さを手に入れて体とココロを維持している。
きっとそういうこと。
逆に言うと鈍感にならないと生きていけない。
ほんとに僕らは良くできた生き物だと思う。

 
たまには素を感じてみることが必要なんだと思う。
白いご飯を一善そのまま食べてみる。
ごはんってこういう味、不思議だけどそんなことを感じる。

 
食べ物だけじゃない。
そのものが持っている、本来の姿。
知ってみたい、感じてみたい。

 
だから僕も素になってみる。
そうすれば、知らない自分に気づくかもしれない。
気づいてもらえるかもしれない

 
Just the Way You Are
きっと、そういうこと。

みょうがを食べるとバカになる。
大人になるとバカになる。
そうならないようにしないとね。
きっとそういうこと。


 

教えてもらう

 

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母が亡くなって10年が過ぎた。
早いもの。
あの頃のことを思い出すとメソメソしてくる。
いい大人が情けない。
そんなこと言うけど、いい大人だってメソメソする。
するに決まってる。
それが人間、そう思う。

 

 
毎朝、母の遺影に挨拶する。
母さんは幸せだった、これからも幸せでいてください、そんなことを願う。
同時にこんなことも思う。
僕はダメだ、うだつの上がらない情けない僕だ、ごめん。
そんなことを思ってしまう。

 

 
今日もいつもと同じように朝起きて母の遺影に向かう。
これからも幸せでいてください。
同時にダメな僕でゴメン、そう思ったときに何か聞こえた。

 

 
あんたが幸せでなきゃ、あたしが幸せになれるわけがないだろ。

 

 
実際に聞こえたわけではない、そう感じた。
なぜだか、金目鯛の煮つけを思い出した。

 

 
僕の母はガンだったから、段々体の自由が利かなくなっていったのだけれど、ある日、朝からずっと金目鯛の煮つけを作って台所に立っている母がいた。
あくを取ったり、味を調整したりずっとしていた。
僕は大変だから、もっと簡単な料理でいいのに、そんなことを言った。
すると、母は強い口調で言った。
お前に食べさせたいから作ってんだ、そう言われた。
なぜだか、そんなことを思い出した。

 

 
そうなんだ。
僕は確かに情けない僕かもしれないけど、僕だけの僕ではない。
これは僕だけのことではなく、この世に生を受けたすべての人に共通すること。

 

 
僕の幸せを願ってくれる人がいる。
その人を幸せにするために僕がいる。
そして。
自分が幸せにならなきゃ、他の人を幸せにすることはできない。
そういうこと。

 

 
僕は決して不幸せではない。
こうして生きることができているし、毎日ビールだって飲むことができている。
だから。
もっと、幸せな自分を意識してみることが大事なのかもしれない。
そして、人に対して何ができるのかを考えてみる。

 

 
母の10年目の命日、そんなことを思う。
人生は勉強だ。
 

ドーピング

 

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電車が会社に近づくと、イヤホンを耳にはめる。
AppleのAirPodsPro。
一瞬の静寂が訪れたあと、お気に入りの音楽を鳴らす。

 

 
最近のお気に入りはA夏目、「東京の冬」という曲を選択する。
この人、どんな人なのかさっぱり知らないけど曲は最高だ。
この曲を聞くとココロが浮足立つ、気持ちが軽やかになる。
自分の体とココロにドーピングして会社に向かう。

 

 
こうして景気をつけて、嫌いな仕事、会社での一日をやり過ごす。
会社が終わると一目散に家へと帰り、冷蔵庫の扉を開ける。
キンキンに冷えたビールを取り出し、のどに注ぎ込む。
ピハー。
こうやって、体とココロにご褒美を与える。
そんな毎日を送っている。

 

 
休日になると、何か買うものを探している自分がいる。
何やら欲しいものを見つけては悦に入り、買う理由を探し始める。
手に入れると体とココロが満足感で満たされる。

 

 
あれっ?
僕の毎日、こんな毎日だけどいいのかな?

 

 
なんか不安になってきたので、部屋にあるBoseのSoundLink Revolve+ IIで、変態紳士クラブの「すきにやる」という曲をかける。
今日は休日。
こんな日にもドーピングが必要になっているようだ。

 

 
「歩幅を人に合わせたくない」
「お前の人生好きにやれ」
そんな歌詞が流れて来る。

 

 
最近のAppleMusicは便利だ、カラオケみたいにスマホに歌詞が表示される。
こうやって世の中はドンドン便利になる。
いや違う、便利にしている人たちがいる、努力して実現している人たちがいる。

 

 
「歩幅を人に合わせたくない」
僕なんて歩幅だけでなく、歩くスピードや自分の立ち位置まで、人に合わせてばかり。
「お前の人生好きにやれ」

 

 
スニーカーを履いて外に出る。
まずは自分の歩幅で好き勝手に歩いてみる。
まずはやってみる、そして練習。

 

 
小さな一歩は大きな一歩。
ここは月ではなくて地球、それもありふれたいつもの道。
それでも僕にとっては大きな一歩かもしれない。

 

 
「お前の人生好きにやれ」
はい!
 

楽しい一日

 

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今日も飽きずにビールを飲んでいる。

 

 
しかし不思議なもの、どうしてこうも飽きず毎日飲み続けるのか?
僕は飽きっぽいし、物事に執着心がない。
このブログだって、数か月の間、まったく更新していなかった。
最近また気が向いて、書いているだけのことだ。

 

 
夕方になるのを待ち、ビールを飲むことが日課になっている。
以前も書いたが、ビールを飲む時間になるまで日中は暇つぶしをしている。
それが僕の人生だと言っても過言ではない。

 

 
普段はキリンの一番搾りを飲んでいる。
たまに銘柄を変えてみたりする、いつもの日常に対するちょっとした抵抗。

 

 
ギネスの黒ビール。
最近出たキリンのクラフトビール(赤い缶でエビスビールより値段は高い)
緑の瓶に入ったハートランドビール

 

 
こうしてみると僕はキリン党なんだな。
なかでもハートランドビールを飲むと何やら特別感がある。
瓶ビールをグラスに注ぐ、その所作が楽しい。
なんか大人になった気分だ。
もちろん大人どころか十分に歳をとったオッサンだけど。

 

 
僕は何でビールを飲むのだろう。
美味しいから?
でもそれだったら、コーラでもいいはず、美味しい飲み物なんてたくさんある。

 

 
アルコール?
まあ、きっとそうなのだろう。
美味しくて、かつ気持ちよくなる飲み物。
日本酒やワインと違って、一気にぐびぐびと飲める、これがビールなのだろう。

 

 
美味しい食べ物や、飲み物はたくさんあれど。
気持ちの良くなる食べ物や、飲み物なんてない。
素晴らしきやビール。

 

 
今日は何ビールにしよう。
最近は外で飲めないから、ジョッキに入った生ビールが恋しい。
でも僕にはベランダとそこに置かれたチェアがある。

 

 
今日はちょっと早めに飲み始めてみようか。
今日も暑くなるらしい。
最高じゃないか。

 

 
人生、なかなか捨てたものじゃない。
そう思う。
 

言葉

 

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まだ若いから。
ずっと昔からこんな言い方をされてきた。

 


テストでいい点が取れなかったとき。
希望した会社に入れなかったとき。
彼女に振られたとき。
お金が無くて欲しいクルマが買えなかったとき。
病気になった時。

 

 
いったい、僕はいつまで若いのだろう。

 

 
まだ若いから。
これって慰めの言葉。
僕は単純だから、そう思わなかった。

 

 
まだ若くていいね。
年長者から言われることがある。
他に褒めることがないから。
僕は単純だから、そう思わなかった。

 

 
落ち着いている。
そんなふうにもよく言われる。
見かけが若々しくない、そういうことを言っている。
僕は単純だから、そう思わかった。

 

 
人から言われたことを真に受ける。
人を無条件で信用する。
まあ、そういうこと。

 

 
僕はもう若くはない、それは自分自身が知っている。
実際に若くない。

 

 
まだ若いから。
僕は、この言葉を人に対して使わない。
歳をとれば解決する。
そんなことばかりではない。
そんなことはあり得ない。
若さは永遠ではない。

 

 
相手のためを思う言葉はしっかり選んで伝えたい。
いい加減な言葉で、誤魔化すようなことはしたくない。
相手を誤魔化す言葉は、自分を誤魔化すことと同じ。
そう思う。

 

言い訳

 

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夏休みになって、何もすることがないことに気づいた。
だから、あえて何もしない一日を過ごしたら、最高だった。
先日、そんなことを書いた。
 


夏休みが終わり、いつもの日常に戻った。
いつものように嫌いな仕事に精を出す。

 

 
そこで思った。
僕は何もすることがないのではなく、仕事しかすることがないのだ。
この哀しい事実を発見した。

 

 
しょうがない。
だから僕は一生懸命、仕事をしている。
我ながら変な話。

 

 
だったら仕事以外、何でも一生懸命に取り組んでみたらどうなのだろう。
散歩でもいい、掃除でもいい、新しいことじゃなくて、いつもしていること。
そうしたら。
何か変わるんじゃないだろうか。
何か変えていけるんじゃないだろうか。

 

 
面倒だから嫌い、そんな理由で嫌々行っているいつもの日常。
一生懸命取り組んでみたら、何かが変わるかもしれない。

 

 
何事にも頑張っている人はステキだ。
そんなことに今さらながら気づく。

 

 
僕は言い訳しているだけ。
面倒だからしたくない。
でも他にすることがない。
だったら、一生懸命やればいい。

 

 
よく考えたら、それが人生。
みんなしていること。
一生懸命、頑張っている人が活き活きしているのには理由がある。

 

 
そういうこと。
暑さで飽和状態の脳みそでこんなことを考える。

 

 

まずはビールで頭を冷やしてからに取り組むことにする。
頑張った後のビールも格別だろうな。
そんなことを考えてワクワクした。

 


 

出会い

 

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写真家の星野道夫さん。
僕にとっては作家のイメージの方が強い。
この人の書く文章は素敵だ。
自然を愛した人、その自然の息吹がそのまま文章となって表れているよう。
旅をする木」この本にはそんな星野さんの言葉というか感性が凝縮されている。
 


以前、星野さんが旅したアラスカを息子さんが訪れる番組を見た。
その中で、こんな星野さんの言葉が紹介されていた。
「短い一生で心惹かれることに多くは出会わない、もし見つけたら大切に、大切に。」

 

 
よく自分探しなんていうけど、探して見つかるものと見つからないものがあるのだと思う。
出会うか出会わないか、出会ったものに気づくかどうかではないだろうか。

 

 
たぶん、自分自身も様々なものに出会って今があるのだろう。
仕方なくやってきたものもあれば、ココロ躍らせて取り組んだものもあるはずだ。
後者の取り組みを大切にしてきたかと言えば自信がない。
まだ出会ってない、そんなことを思う自分もいる。

 

 
探しても見つからないのであれば、出会う時を大切にしたい。
ココロ躍る自分に気づくこと。
それが大事なことだと思う。

 

 
自分が何をしたいのかはわからなくてもいい。
自分が何をしているかに気づいていればいい。
そう思う。

 

 
人がしているから、あの人がそう言ったから、それが当たり前だから。
考えることを放棄してはいけないと思う。
感じることに敏感であらねばならないと思う。

 

 
いつでも気づける自分でいたい。
幾つになっても大事なことだと思う。

 

 
たまたま知った星野さんの著作、たまたま見た星野さんの番組。
これだって出会いだ。
こんな出会いが自分に何かを与えている。
そう考えると面白い。

 

 
ドラマチックでなくてもいい。
些細なことでもいい。
これからどんな出会いがあるのだろう。
楽しみでしょうがない。
 

贅沢な時間

 

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スパークリングワインが好き。
あのシュワシュワとした泡、透き通った色、そしてキンと冷たいあの触感。
まだ陽のあるうちにグラスをかかげ、空に透かしてみたりする。
あー幸せ、この特別な時間(といっても普通の休日)に飲む、特別な酒。
それを飲む自分も、なんだか贅沢になった気分がしてきて、ココロが躍りだす。
 


ビールとは違う透明感、それでいて、あの喉元を突き刺すような爽快感。
加えて、あの細いシャンパングラスの特別感。
単なる飲ん兵衛さんの時間を優雅なひと時に変えてくれる悪魔の飲み物。
だからなのか、翌日はひどい二日酔い。

 

 
最近、少し芸を覚えた。
ハーフボトルで飲むようになった
スパークリングワインは残すとモッタイナイ、炭酸が抜けて味も落ちちゃうから。
飲み干そうとするから、つい飲みすぎる、その繰り返し。
だからハーフボトル、これが何とも適量でいい感じ。
ちょっとコスパは悪いけどね。

 

 
そこで見つけたのが僕らの味方トップバリュー、byイオン。
なんとスパークリングワインもプライベートブランドで出している。
これが意外といいのですよ、癖がないし飲みやすい、お値段580円(税込み)。
フルボトルだと1本800円だから間違いなくこちらの方がお得ではある。
でも一本飲むと二日酔い、残したら炭酸の抜けたコーラと同じで美味しくない。
僕は大人だからハーフボトルを選ぶ。

 

 
いつもの普段飲みには最適だ。
たまに本物のシャンパンで贅沢すれば、それはそれでいいじゃない。
何ごともメリハリ、そして適量。
ココロの贅沢はココロの余裕がもたらすのです、お得かどうかに縛られてはいけません。

 

 
さて、今日も暑くなりそうだ。
小さなクーラーボックスに氷とスパークリングを入れて、近所の公園にお出かけしよう。
こんな時間は簡単に作れるのだからね。
実は贅沢とは、案外こんなものかもしれない。
ココロの余裕を持ちましょう、自分に言い聞かせる毎日です。