「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

戦争

 

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自分が幸せにならないと人を幸せにできない。
 


先日、そんなことを書いた。

 

 
アフガニスタンからアメリカ軍が撤退する。
タリバンが国を占拠して、反タリバン勢を鎮圧する。
20年前の姿に戻る、またテロ組織の巣窟となる。
そんなことが言われている。

 

 
アメリカはもう世界の警察ではない、そんなことも言われる。
なぜアメリカは世界の警察としての役割を担ってきたのか。

 

 
世界中をアメリカの指揮下に置きたいから。
平等で平和な、より良い世界を作りたいから。
アメリカの価値観を世界に広めたいから。
いろんな考えがあるだろう。

 

 
単純にアメリカが幸せだったから。
そう思う。
アメリカという国が成功して、経済的にも発展して、他者をいたわれる余裕があったから、そういうことではないだろうか。

 

 
それが、状況が少し変わってきた。
他国を思いやる余裕がなくなってきた、他国の幸せより自分たちの幸せが先。
そういうことではないだろうか。

 

 
もしかしたら、最初からそうなのかもしれない。
自分の国が発展することが第一。

 

 
それでもそんな人たちばかりではないと思う。
純粋に自分が幸せだから、相手も幸せにしたい。
そのためにできることをしたい。
そんな人たちもいたに違いない。

 

 
世界中の人たちがそのように思う世の中になってほしい。
そのために何ができるか考えるようになってほしい。
それ以上に良いことなんてないと思うから。

 

 
中国やロシア、いろんな国が色んなことを言うけど。
いったい目的は何なのだろう。
自分たちが幸せになること。
そうだろう。
でも、そのために、相手が不幸せになることを求めているように感じる。

 

 
相手を幸せにできるように自分が幸せになる。
そう思えばいいのに。

 

 
早くエイリアンがやってこないかな。
その時にみんな気づくのじゃないだろうか。
一致団結してエイリアンに立ち向かうのではないだろうか。

 

 
結局、僕らは敵がいないと生きていけない生き物なのか。
争うことが宿命の生き物なのだろうか。
悲しいね。