「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

教えてもらう

 

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母が亡くなって10年が過ぎた。
早いもの。
あの頃のことを思い出すとメソメソしてくる。
いい大人が情けない。
そんなこと言うけど、いい大人だってメソメソする。
するに決まってる。
それが人間、そう思う。

 

 
毎朝、母の遺影に挨拶する。
母さんは幸せだった、これからも幸せでいてください、そんなことを願う。
同時にこんなことも思う。
僕はダメだ、うだつの上がらない情けない僕だ、ごめん。
そんなことを思ってしまう。

 

 
今日もいつもと同じように朝起きて母の遺影に向かう。
これからも幸せでいてください。
同時にダメな僕でゴメン、そう思ったときに何か聞こえた。

 

 
あんたが幸せでなきゃ、あたしが幸せになれるわけがないだろ。

 

 
実際に聞こえたわけではない、そう感じた。
なぜだか、金目鯛の煮つけを思い出した。

 

 
僕の母はガンだったから、段々体の自由が利かなくなっていったのだけれど、ある日、朝からずっと金目鯛の煮つけを作って台所に立っている母がいた。
あくを取ったり、味を調整したりずっとしていた。
僕は大変だから、もっと簡単な料理でいいのに、そんなことを言った。
すると、母は強い口調で言った。
お前に食べさせたいから作ってんだ、そう言われた。
なぜだか、そんなことを思い出した。

 

 
そうなんだ。
僕は確かに情けない僕かもしれないけど、僕だけの僕ではない。
これは僕だけのことではなく、この世に生を受けたすべての人に共通すること。

 

 
僕の幸せを願ってくれる人がいる。
その人を幸せにするために僕がいる。
そして。
自分が幸せにならなきゃ、他の人を幸せにすることはできない。
そういうこと。

 

 
僕は決して不幸せではない。
こうして生きることができているし、毎日ビールだって飲むことができている。
だから。
もっと、幸せな自分を意識してみることが大事なのかもしれない。
そして、人に対して何ができるのかを考えてみる。

 

 
母の10年目の命日、そんなことを思う。
人生は勉強だ。