「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

自分で決める

 

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会社で成功事例の発表イベントがあった。
僕はその内容を聞いて絶望した。

 

 
とある自動車ディーラー、そこの社長はまるで天皇
役員や部長に24時間メールで指示、自分の指示が最優先のワンマン体制。
そんな社長に取り入るためにあの手この手で接待攻勢。
担当営業はそのディーラーから自分のクルマを自腹で購入。
料亭で会社の役員と一緒に写った写真、そこには全身エルメスの社長の姿。
朝駆け夜駆けの営業攻勢、努力の甲斐あり、数千万の受注を獲得。

 

 
そんな内容だった。
この時代にこんな会社があるのか、そしてこんな営業がいるのか。
それより、こんな営業活動が称えられる、そんな会社の評価に絶望した。

 

 
世間知らず。
営業の鏡じゃないか。
営業とはこういうもの。
そんな声が聞こえてくる。
その通りだと思う。

 

 
自分は出来ない。
単にそういう甘ったれた話。
人間関係は営業活動の基本。
その通りだと思う。

 

 
でもそれだからこそ、そうではない売り方をしていきたい。
色んな技術や手段を活用していきたい。
そう思っていた。
それなのに、そんな手段が一切講じられていない事例が表彰されていた。
悲しかったけど、それ以上に怖かった。

 

 
全身エルメスの社長、会社の全権を握り天皇と呼ばれている。
人を見かけで判断しちゃいけないけど、こんな会社が社員を幸せにしているとは思えない。
扱っている商品が僕の大好きなクルマ。
クルマをただの商品としかとみていない、何台売れるか売ったか、営業成績だけが社員の評価。

 

 
世の中が、世界が変わろうとしている。
ガソリンエンジンを積んだクルマが無くなろうとしている、もしかしたらクルマという乗り物自体が不要な未来がやってくるのかもしれない。
今の事業は今のままでは続かない。

 

 
変わらなければならないのは事業だけではない、価値観だと思う。
僕の勤める会社だけの問題なのだろうか。

 

 
大げさだけど、僕らの生き方の問題だと思う。
価値観を他の誰かや会社に合わせる生き方は止めなければと強く思う。
自分の価値観を持ち、自分を信じて生きていく。
それがこれから生きていく上で必要なことになる。
大切なことになる

 

 
だから、自分を信じて自分で決めなければならない。
人に合わせて生きてはいけない。
そう思います。
 

戦争

 

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自分が幸せにならないと人を幸せにできない。
 


先日、そんなことを書いた。

 

 
アフガニスタンからアメリカ軍が撤退する。
タリバンが国を占拠して、反タリバン勢を鎮圧する。
20年前の姿に戻る、またテロ組織の巣窟となる。
そんなことが言われている。

 

 
アメリカはもう世界の警察ではない、そんなことも言われる。
なぜアメリカは世界の警察としての役割を担ってきたのか。

 

 
世界中をアメリカの指揮下に置きたいから。
平等で平和な、より良い世界を作りたいから。
アメリカの価値観を世界に広めたいから。
いろんな考えがあるだろう。

 

 
単純にアメリカが幸せだったから。
そう思う。
アメリカという国が成功して、経済的にも発展して、他者をいたわれる余裕があったから、そういうことではないだろうか。

 

 
それが、状況が少し変わってきた。
他国を思いやる余裕がなくなってきた、他国の幸せより自分たちの幸せが先。
そういうことではないだろうか。

 

 
もしかしたら、最初からそうなのかもしれない。
自分の国が発展することが第一。

 

 
それでもそんな人たちばかりではないと思う。
純粋に自分が幸せだから、相手も幸せにしたい。
そのためにできることをしたい。
そんな人たちもいたに違いない。

 

 
世界中の人たちがそのように思う世の中になってほしい。
そのために何ができるか考えるようになってほしい。
それ以上に良いことなんてないと思うから。

 

 
中国やロシア、いろんな国が色んなことを言うけど。
いったい目的は何なのだろう。
自分たちが幸せになること。
そうだろう。
でも、そのために、相手が不幸せになることを求めているように感じる。

 

 
相手を幸せにできるように自分が幸せになる。
そう思えばいいのに。

 

 
早くエイリアンがやってこないかな。
その時にみんな気づくのじゃないだろうか。
一致団結してエイリアンに立ち向かうのではないだろうか。

 

 
結局、僕らは敵がいないと生きていけない生き物なのか。
争うことが宿命の生き物なのだろうか。
悲しいね。
 

正体

 

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みょうがを食べるとバカになる。
 

子供の頃、そんなことを聞いた。
夏になると、母や親戚の人たちがみんな美味しそうに食べていた。
自宅の庭でみょうがが取れた、そんなお裾分けをいただき喜ぶ母の顔が忘れられない。

 
こんな苦くて、食べごたえのないもの、何がいいのだろう?
ずっと、そんな風に思っていた。
それなのに。

 
旨いじゃん。
そうめんに乗せて。
豚肉で巻いて。
冷ややっこに乗せて。
ごはんに乗せてお醤油をかけるだけでもいいくらい。

 
大人になると味覚が変わるのだろうか?
子供の頃はわからなかった味がわかるようになるのだろうか。
不思議だ。

 
思い返すと、子供の頃は刺身が苦手だった。
なんだか生臭い、そう思っていた。
もしかしたら、いまより新鮮ではなく、本当にそうだったのかもしれない。

 
でも。
もしかしたら、大人になって味覚が鋭敏になったのではなく、鈍感になったのではないだろうか。
みょうがが美味しく感じるのも、苦みやえぐみに鈍感になり、香りや瑞々しい触感が引き立つようになっただけなのではないだろうか。
子供はニンジンがキライ、僕もそうだった、強烈なにおいと変な味。
いま、そんな味はしない。

 
子供は味覚が単純、そうではなくて鋭敏なのだ。
だからハンバーグやらチャーハンやらカレーやら。
本当に美味しいものが好きなだけなのだ。

成長するにつれ、味覚が鈍感になり、僕らはワサビや山椒や激辛などの刺激を求め始める。
蕎麦に薬味があるのだって、途中で味に飽きるから。
子供は蕎麦だけを食べ続ける。

 
蕎麦にうどん、時にはもっとシンプルに食べてみたほうがいい。
僕らはいまの世界を生き抜く中で、鈍感さを手に入れて体とココロを維持している。
きっとそういうこと。
逆に言うと鈍感にならないと生きていけない。
ほんとに僕らは良くできた生き物だと思う。

 
たまには素を感じてみることが必要なんだと思う。
白いご飯を一善そのまま食べてみる。
ごはんってこういう味、不思議だけどそんなことを感じる。

 
食べ物だけじゃない。
そのものが持っている、本来の姿。
知ってみたい、感じてみたい。

 
だから僕も素になってみる。
そうすれば、知らない自分に気づくかもしれない。
気づいてもらえるかもしれない

 
Just the Way You Are
きっと、そういうこと。

みょうがを食べるとバカになる。
大人になるとバカになる。
そうならないようにしないとね。
きっとそういうこと。


 

教えてもらう

 

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母が亡くなって10年が過ぎた。
早いもの。
あの頃のことを思い出すとメソメソしてくる。
いい大人が情けない。
そんなこと言うけど、いい大人だってメソメソする。
するに決まってる。
それが人間、そう思う。

 

 
毎朝、母の遺影に挨拶する。
母さんは幸せだった、これからも幸せでいてください、そんなことを願う。
同時にこんなことも思う。
僕はダメだ、うだつの上がらない情けない僕だ、ごめん。
そんなことを思ってしまう。

 

 
今日もいつもと同じように朝起きて母の遺影に向かう。
これからも幸せでいてください。
同時にダメな僕でゴメン、そう思ったときに何か聞こえた。

 

 
あんたが幸せでなきゃ、あたしが幸せになれるわけがないだろ。

 

 
実際に聞こえたわけではない、そう感じた。
なぜだか、金目鯛の煮つけを思い出した。

 

 
僕の母はガンだったから、段々体の自由が利かなくなっていったのだけれど、ある日、朝からずっと金目鯛の煮つけを作って台所に立っている母がいた。
あくを取ったり、味を調整したりずっとしていた。
僕は大変だから、もっと簡単な料理でいいのに、そんなことを言った。
すると、母は強い口調で言った。
お前に食べさせたいから作ってんだ、そう言われた。
なぜだか、そんなことを思い出した。

 

 
そうなんだ。
僕は確かに情けない僕かもしれないけど、僕だけの僕ではない。
これは僕だけのことではなく、この世に生を受けたすべての人に共通すること。

 

 
僕の幸せを願ってくれる人がいる。
その人を幸せにするために僕がいる。
そして。
自分が幸せにならなきゃ、他の人を幸せにすることはできない。
そういうこと。

 

 
僕は決して不幸せではない。
こうして生きることができているし、毎日ビールだって飲むことができている。
だから。
もっと、幸せな自分を意識してみることが大事なのかもしれない。
そして、人に対して何ができるのかを考えてみる。

 

 
母の10年目の命日、そんなことを思う。
人生は勉強だ。
 

ドーピング

 

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電車が会社に近づくと、イヤホンを耳にはめる。
AppleのAirPodsPro。
一瞬の静寂が訪れたあと、お気に入りの音楽を鳴らす。

 

 
最近のお気に入りはA夏目、「東京の冬」という曲を選択する。
この人、どんな人なのかさっぱり知らないけど曲は最高だ。
この曲を聞くとココロが浮足立つ、気持ちが軽やかになる。
自分の体とココロにドーピングして会社に向かう。

 

 
こうして景気をつけて、嫌いな仕事、会社での一日をやり過ごす。
会社が終わると一目散に家へと帰り、冷蔵庫の扉を開ける。
キンキンに冷えたビールを取り出し、のどに注ぎ込む。
ピハー。
こうやって、体とココロにご褒美を与える。
そんな毎日を送っている。

 

 
休日になると、何か買うものを探している自分がいる。
何やら欲しいものを見つけては悦に入り、買う理由を探し始める。
手に入れると体とココロが満足感で満たされる。

 

 
あれっ?
僕の毎日、こんな毎日だけどいいのかな?

 

 
なんか不安になってきたので、部屋にあるBoseのSoundLink Revolve+ IIで、変態紳士クラブの「すきにやる」という曲をかける。
今日は休日。
こんな日にもドーピングが必要になっているようだ。

 

 
「歩幅を人に合わせたくない」
「お前の人生好きにやれ」
そんな歌詞が流れて来る。

 

 
最近のAppleMusicは便利だ、カラオケみたいにスマホに歌詞が表示される。
こうやって世の中はドンドン便利になる。
いや違う、便利にしている人たちがいる、努力して実現している人たちがいる。

 

 
「歩幅を人に合わせたくない」
僕なんて歩幅だけでなく、歩くスピードや自分の立ち位置まで、人に合わせてばかり。
「お前の人生好きにやれ」

 

 
スニーカーを履いて外に出る。
まずは自分の歩幅で好き勝手に歩いてみる。
まずはやってみる、そして練習。

 

 
小さな一歩は大きな一歩。
ここは月ではなくて地球、それもありふれたいつもの道。
それでも僕にとっては大きな一歩かもしれない。

 

 
「お前の人生好きにやれ」
はい!
 

楽しい一日

 

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今日も飽きずにビールを飲んでいる。

 

 
しかし不思議なもの、どうしてこうも飽きず毎日飲み続けるのか?
僕は飽きっぽいし、物事に執着心がない。
このブログだって、数か月の間、まったく更新していなかった。
最近また気が向いて、書いているだけのことだ。

 

 
夕方になるのを待ち、ビールを飲むことが日課になっている。
以前も書いたが、ビールを飲む時間になるまで日中は暇つぶしをしている。
それが僕の人生だと言っても過言ではない。

 

 
普段はキリンの一番搾りを飲んでいる。
たまに銘柄を変えてみたりする、いつもの日常に対するちょっとした抵抗。

 

 
ギネスの黒ビール。
最近出たキリンのクラフトビール(赤い缶でエビスビールより値段は高い)
緑の瓶に入ったハートランドビール

 

 
こうしてみると僕はキリン党なんだな。
なかでもハートランドビールを飲むと何やら特別感がある。
瓶ビールをグラスに注ぐ、その所作が楽しい。
なんか大人になった気分だ。
もちろん大人どころか十分に歳をとったオッサンだけど。

 

 
僕は何でビールを飲むのだろう。
美味しいから?
でもそれだったら、コーラでもいいはず、美味しい飲み物なんてたくさんある。

 

 
アルコール?
まあ、きっとそうなのだろう。
美味しくて、かつ気持ちよくなる飲み物。
日本酒やワインと違って、一気にぐびぐびと飲める、これがビールなのだろう。

 

 
美味しい食べ物や、飲み物はたくさんあれど。
気持ちの良くなる食べ物や、飲み物なんてない。
素晴らしきやビール。

 

 
今日は何ビールにしよう。
最近は外で飲めないから、ジョッキに入った生ビールが恋しい。
でも僕にはベランダとそこに置かれたチェアがある。

 

 
今日はちょっと早めに飲み始めてみようか。
今日も暑くなるらしい。
最高じゃないか。

 

 
人生、なかなか捨てたものじゃない。
そう思う。
 

言葉

 

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まだ若いから。
ずっと昔からこんな言い方をされてきた。

 


テストでいい点が取れなかったとき。
希望した会社に入れなかったとき。
彼女に振られたとき。
お金が無くて欲しいクルマが買えなかったとき。
病気になった時。

 

 
いったい、僕はいつまで若いのだろう。

 

 
まだ若いから。
これって慰めの言葉。
僕は単純だから、そう思わなかった。

 

 
まだ若くていいね。
年長者から言われることがある。
他に褒めることがないから。
僕は単純だから、そう思わなかった。

 

 
落ち着いている。
そんなふうにもよく言われる。
見かけが若々しくない、そういうことを言っている。
僕は単純だから、そう思わかった。

 

 
人から言われたことを真に受ける。
人を無条件で信用する。
まあ、そういうこと。

 

 
僕はもう若くはない、それは自分自身が知っている。
実際に若くない。

 

 
まだ若いから。
僕は、この言葉を人に対して使わない。
歳をとれば解決する。
そんなことばかりではない。
そんなことはあり得ない。
若さは永遠ではない。

 

 
相手のためを思う言葉はしっかり選んで伝えたい。
いい加減な言葉で、誤魔化すようなことはしたくない。
相手を誤魔化す言葉は、自分を誤魔化すことと同じ。
そう思う。

 

言い訳

 

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夏休みになって、何もすることがないことに気づいた。
だから、あえて何もしない一日を過ごしたら、最高だった。
先日、そんなことを書いた。
 


夏休みが終わり、いつもの日常に戻った。
いつものように嫌いな仕事に精を出す。

 

 
そこで思った。
僕は何もすることがないのではなく、仕事しかすることがないのだ。
この哀しい事実を発見した。

 

 
しょうがない。
だから僕は一生懸命、仕事をしている。
我ながら変な話。

 

 
だったら仕事以外、何でも一生懸命に取り組んでみたらどうなのだろう。
散歩でもいい、掃除でもいい、新しいことじゃなくて、いつもしていること。
そうしたら。
何か変わるんじゃないだろうか。
何か変えていけるんじゃないだろうか。

 

 
面倒だから嫌い、そんな理由で嫌々行っているいつもの日常。
一生懸命取り組んでみたら、何かが変わるかもしれない。

 

 
何事にも頑張っている人はステキだ。
そんなことに今さらながら気づく。

 

 
僕は言い訳しているだけ。
面倒だからしたくない。
でも他にすることがない。
だったら、一生懸命やればいい。

 

 
よく考えたら、それが人生。
みんなしていること。
一生懸命、頑張っている人が活き活きしているのには理由がある。

 

 
そういうこと。
暑さで飽和状態の脳みそでこんなことを考える。

 

 

まずはビールで頭を冷やしてからに取り組むことにする。
頑張った後のビールも格別だろうな。
そんなことを考えてワクワクした。

 


 

出会い

 

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写真家の星野道夫さん。
僕にとっては作家のイメージの方が強い。
この人の書く文章は素敵だ。
自然を愛した人、その自然の息吹がそのまま文章となって表れているよう。
旅をする木」この本にはそんな星野さんの言葉というか感性が凝縮されている。
 


以前、星野さんが旅したアラスカを息子さんが訪れる番組を見た。
その中で、こんな星野さんの言葉が紹介されていた。
「短い一生で心惹かれることに多くは出会わない、もし見つけたら大切に、大切に。」

 

 
よく自分探しなんていうけど、探して見つかるものと見つからないものがあるのだと思う。
出会うか出会わないか、出会ったものに気づくかどうかではないだろうか。

 

 
たぶん、自分自身も様々なものに出会って今があるのだろう。
仕方なくやってきたものもあれば、ココロ躍らせて取り組んだものもあるはずだ。
後者の取り組みを大切にしてきたかと言えば自信がない。
まだ出会ってない、そんなことを思う自分もいる。

 

 
探しても見つからないのであれば、出会う時を大切にしたい。
ココロ躍る自分に気づくこと。
それが大事なことだと思う。

 

 
自分が何をしたいのかはわからなくてもいい。
自分が何をしているかに気づいていればいい。
そう思う。

 

 
人がしているから、あの人がそう言ったから、それが当たり前だから。
考えることを放棄してはいけないと思う。
感じることに敏感であらねばならないと思う。

 

 
いつでも気づける自分でいたい。
幾つになっても大事なことだと思う。

 

 
たまたま知った星野さんの著作、たまたま見た星野さんの番組。
これだって出会いだ。
こんな出会いが自分に何かを与えている。
そう考えると面白い。

 

 
ドラマチックでなくてもいい。
些細なことでもいい。
これからどんな出会いがあるのだろう。
楽しみでしょうがない。
 

贅沢な時間

 

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スパークリングワインが好き。
あのシュワシュワとした泡、透き通った色、そしてキンと冷たいあの触感。
まだ陽のあるうちにグラスをかかげ、空に透かしてみたりする。
あー幸せ、この特別な時間(といっても普通の休日)に飲む、特別な酒。
それを飲む自分も、なんだか贅沢になった気分がしてきて、ココロが躍りだす。
 


ビールとは違う透明感、それでいて、あの喉元を突き刺すような爽快感。
加えて、あの細いシャンパングラスの特別感。
単なる飲ん兵衛さんの時間を優雅なひと時に変えてくれる悪魔の飲み物。
だからなのか、翌日はひどい二日酔い。

 

 
最近、少し芸を覚えた。
ハーフボトルで飲むようになった
スパークリングワインは残すとモッタイナイ、炭酸が抜けて味も落ちちゃうから。
飲み干そうとするから、つい飲みすぎる、その繰り返し。
だからハーフボトル、これが何とも適量でいい感じ。
ちょっとコスパは悪いけどね。

 

 
そこで見つけたのが僕らの味方トップバリュー、byイオン。
なんとスパークリングワインもプライベートブランドで出している。
これが意外といいのですよ、癖がないし飲みやすい、お値段580円(税込み)。
フルボトルだと1本800円だから間違いなくこちらの方がお得ではある。
でも一本飲むと二日酔い、残したら炭酸の抜けたコーラと同じで美味しくない。
僕は大人だからハーフボトルを選ぶ。

 

 
いつもの普段飲みには最適だ。
たまに本物のシャンパンで贅沢すれば、それはそれでいいじゃない。
何ごともメリハリ、そして適量。
ココロの贅沢はココロの余裕がもたらすのです、お得かどうかに縛られてはいけません。

 

 
さて、今日も暑くなりそうだ。
小さなクーラーボックスに氷とスパークリングを入れて、近所の公園にお出かけしよう。
こんな時間は簡単に作れるのだからね。
実は贅沢とは、案外こんなものかもしれない。
ココロの余裕を持ちましょう、自分に言い聞かせる毎日です。
 

寝る、忘れる、考える

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毎年思います。
夏ってこんなに暑かったっけ?

 

 
単に忘れているだけなのだろうけど、夏が来るたびにまた思い出す。
アチーって言いながら、僕らはいつもの夏を繰り返す。

 

 
それにしても毎年忘れ、毎年思い出すとはどういうことか。
よく人間は忘れることができるから生きていける、そんなこと言うけど、本当だよね。
僕も嫌なことがあると、とにかく寝る、早く寝る、現実から目を背ける。
すると不思議なことに本当に忘れられる、忘れちゃいけないことかもしれないけど、都合よく忘れることができる。

 

 
中には忘れられないことだってある。
それでも次第に薄れていく、やわらいでいく、そして次のことに取り組むことができる。
まったく僕らはよく出来た生き物だと思います。

 

 
たぶん僕らは失敗する前提で存在しているのだと思う。
イチローだって、今をトキメク大谷選手だって、十回中三回しかヒットを打てない。
つまり十回中七回が失敗(あの野村監督が言っていました)。
それでも次に向かっていく、次に向かうことができることによって、成功に近づく。

 

 
だから一回失敗しようが百回失敗しようが同じ。
僕らには次があるということです。

 

 
失敗を繰り返すなとか言うけど、好きで失敗しているわけじゃない。
失敗しないために対処を講じて努力することも大事。
でも、それでも失敗しちゃうことだってある。
その時は忘れる。
次に向かうために忘れる。

 

 
この時、次への向かい方が重要だ。
同じチャレンジに繰り返し挑戦すべきなのか、それとも違うことにチャレンジを変えるべきなのか。
豪速球を投げる投手になることに固執するのか、それとも変化球も織り交ぜながら技巧派の投手に方向転換するのか。はたまた、投手はあきらめバッターに転向するのか。

 

 
それを決めるのは自分の意思と戦略。
これを冷静に考えられるかどうかで、これからの自分が決まる。
失敗を活かすことができるかどうかは自分次第。

 

 
そのために失敗に固執しないで、忘れる、そして何をすべきかしっかり考える。
しっかり考えられるよう寝る、たくさん寝る。
そういうことだと思います。

 

 
仕事や勉強も一緒。
何かに固執している自分に気づいたら、なぜ固執しているのか考えてみる。
同じようにしている人を見かけたら、なぜ固執しているのか聞いてあげる。
それが互いに寄りそうということ。

 

 
今日も失敗しちゃったな、そう思ったら早く寝てしまいましょう。
間違っても失敗した自分を肯定してはいけません。
お酒で忘れようとするとそんなことになりがちです(経験談)。

 

 
とか言いながら僕は寝てばかり。忘れてばかり。
つまり失敗してばかり。
ちゃんと次に向けて考えないとね、そのためにしっかり寝たのだから。

 

 
昨日夜9時に寝た、起きたら朝の8時だった。
だからこんなことを考える。。。
 

頭が濁っていく

 

 

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最近、頭が濁っている。
クリアじゃない気がする。

 

 
休みの日に何かしようとする。
何か考えてみる、その考えを文に記してみようとする、でもそんな気にならない。
本でも読もうか映画でも見ようかと考える、でも、やっぱり面倒だ。
じゃあマンガでもと思ったが、それすら億劫に感じる。
なんか頭が濁っている感じがする。
何も考えが浮かばない、考えられない、そんな感じ。

 

 
疲れているのかな、そう思って昼寝をすると平気で二時間くらい眠ってしまう。
そうやって夕刻を迎え、ベランダの椅子に座りながらビールを飲む。
夕焼けがキレイだ。
幾層にも織りなした雲に夕日が写り込んでいる、まるでオーロラみたいじゃないか。
見たことないけど。

 

 
こんな感じで大事な休日の時間が過ぎていく。
こんなことでいいのだろうか、いいわけがない。
何も成し得ず、何も生み出さず、貴重な自分だけの時間が終わってしまうのだ。

 

 
こんな状態でよく平日は仕事ができているものだ。
もしかしたら、仕事をしているふりだけなのかもしれない。
それか、頭が濁っていてもできるレベルの仕事しかしていないかだ。
実際にそうなのかもしれない。

 

 
そう考えたら、僕の頭は本を読むことも映画を見ることも雑文を書くことすらできなくて、仕事しかできないレベルの脳みそに成り下がっているということなのかもしれない。
たぶん、僕にとって仕事はこの程度の扱いだ。

 

 
そう考えると、何も生み出すことはなかったけど、何もしない休日は僕にとっては至福の瞬間なのだろう。
オーロラじゃなかった、夕日を見ながら飲むビールだって最高だ。
ビールを飲む、その瞬間のために生きていると言っても過言ではない。

 

 
頭がクリアじゃない、濁っている。
そう言ったけど、それが僕の頭なのだ。
だからその濁った頭で考えていること、それこそがまさに僕自身なのだと思う。

 

 
今日も灼熱の一日だった。
こんな日は何も考えずに冷たいビールやスパークリングを飲むに限る。
すると不思議なことに頭が冴えわたってくる。
色んなことを考え始める。

 

 
お酒とは偉大なり。
これって、もしかしたらアル中?
やっいてることがクスリやドーピングの類と変わらないような気がする。

 

 
でも、僕はそのまま何もせずに寝てしまうだけから誰にも迷惑かけることも無い。
やっぱり、ただのアル中だ。
そう、僕は夕方、ビールを飲むために、ただひたすら時間つぶしをしているのだ。
仕事も生活も、僕にとってはお酒を飲むための時間つぶし。
人生こそがビール。

 

 
ああ、いったいこのビールってやつを誰が発明したのだろう。
ノーベル賞か金メダルを授与したい。
ああ、今日も頭が濁っていく。

 

名前

 

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ニュースで色んな人の名前が報じられる。
良いことをした人もいれば、悪いことをした人もいる。
芸能人や政治家、スポーツ選手なんかの有名人もいる。
 


当たり前のことだけど、みんないろんな名前をもっている。
その人が何者なのかを示す名前がある。
名前を付けた誰かがいる。
 


指名手配犯が捕まった、悪いことした人が捕まった、そんな時にも名前は報じられる。
この名前は悪いことした人の名前。
そんな風に扱われる。
 


そんなときに思う。
この名前を付けた人、どのような気持ちでこの名前をつけたのか。
どんな名前にも、その名前をつけた誰かの想いがある。
 


僕らはそんな事には思いも及ばず。
悪いことした人の名前、その名前に簡単にレッテルを貼ってしまう。
 


映画を見ていてよく思う。
出てきたばかりで、すぐ殺されちゃう人。
大勢の中の一人、何の印象もなく撃ち殺されちゃう人。
最後の最後、ヒーローに殺される悪役の人。
こんな人たちにも名前がある、名前を付けた誰かがいる。

 

 
この人たちにも人生がある、幸せがある、幸せを願った誰かがいる。
そんな簡単に、殺したり殺されたりしちゃいけないはず。
テレビゲームでも同じ。
 


殺さないと自分が殺される、そうかもしれない。
みんな、相手は自分の目に見えている相手だけだと思っている。
その相手の人生にはたくさんの人がいる。
そんな相手を殺すということは、そのたくさんの人を殺すということ。
 


だから映画でもゲームでも、そんな簡単に人を殺すことを考えてはいけない。
悪人だからって、相手の名前を簡単に扱ってはいけない。
そう思う。
 


こんな僕はおかしいのだろうか。
きっとおかしくない、ただ弱いだけだと思う。
戦争なんかが起きたら、僕は真っ先に殺されてしまうだろう。
 


でも、僕を殺すことはできない。
だって、僕には僕を作った、たくさんの人がいるのだから。
僕だけじゃない、相手も同じ。
 


そんな風にみんなが考えあう、想いあう、そんな世の中になるといい。
本気でそう思う。
 

夕日のあたる家

 

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アウトドアチェアとテーブルを買った。
コンパクトな奴だ、Amazonのタイムセールで安く売っていた。
 


昔はひと通りキャンプグッズを揃えた、チェアも家族分揃えたしテントも買った。
週末、公園に椅子をもって遊びに行ったりもした。
その頃に買ったチェアと比べると凄くコンパクト、小さいが座り心地はなかなかだ。
主にベランダで使っている。
 


これが意外といい。
夕方、洗濯ものを取り込んだ後は、この椅子に座りビールを飲む。
暑ければクーラーの効いた室内に逃げ込めばいいし、お代りもすぐに冷蔵庫に取りに行ける。
なにしろ、出かける必要がないからお気楽だ。
 


この椅子に座っていると、風がの心地よさを肌で感じることができる。
人目を気にする必要もない。
鳥のさえずりや草木が風で揺れる音が聞こえる。
眼下のプレイロットでは子供たちが遊んでいる。
 


夕方になると親子だろうか、高齢の母親を手助けしながら散歩する
ふたりを見かける、いつも同じ時間だ。
 


自然や人々の営みを感じることができる。
自分自身もそうだ。
テレワークで会社に行かない日は18時ごろにはこうして椅子に座る。
日没の19時までの一時間、まさにゴールデンタイムだ。
 


良くアメリカの映画で、自宅の玄関に置かれた椅子に座る老人の姿を見かける。
まさにあんな感じだ。
でも、理由があってこうやって座っていることが分かった。
感じてるのだ、人々や自然の息遣い、そして自分が生きていること。
そうやって感じることで自分の存在を確認しているのだと思う。

 

 
今日も一日無事暮らすことができた。
地球も、自然も一緒に過ごすことができた。
それを感じながら一日を終え、また新たな明日を迎える準備をする。

 
ただの暇な老人、そう思っていた自分が恥ずかしい。
でもはたから見ると自分もそう思われているのだろう。
まあいいじゃないか、こうして成長(?)するのだ。
 


朝から晩まで忙しくすることばかりが、充実した生活ではないのだ。
そんなことを感じる一日。
あー、ビールが旨い。
 

トリセツ

 

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先日の台風、BS放送の映像が乱れて写らなくなった。
その後も映りが悪い。
うちはマンションだからアンテナが壊れたわけでもないだろう。
管理人さんにも聞いてみたが、他の部屋から同じような問い合わせはないらしい。

 
そのうち特定のチャンネルが写らないようになってしまった。
地上波のNHKや4chもだ。
おかしい、アンテナの線が外れてしまったのかと思い締め直す。
それでも直らない。
録画予約した番組もとれていない、娘が文句を言っている。

 
アンテナ線を何回か触っていると画面がチラついたり良くなったりする。
一部のアンテナ線を変えてみた、それでもよくならない。
どうしたものか。

 
もしかしたらと思い、すべてのアンテナ線を触ってみた。
すると同じように画面がチラついたり良くなったりする。
つまり、一部のアンテナ線が悪いのではなく、すべてのアンテナ線がダメなのだ。

 
よく考えたら、引っ越したり、テレビを買い替えたりはしてきたけれど、アンテナ線は同じものをずっと使っている。
一体このアンテナ線は何年くらい使い続けているのだろうか。
20年以上であることは間違いない。

 
Amazonでアンテナ線を注文し、すべて取り換えた。
するとどうだろう、もと通りきれいに映るようになった。
なるほどそういうことか、ケーブルも年数がたつと劣化するのだな。
思いもよらなかった。

 
そう考えると、僕のこの体、この世に生を受けてうん十年。
外見からはわからない、あちらこちらが相当傷んでいるのではないだろうか。
断線したりショートしたり、それなのにテレビが悪い、アンテナが悪いと、見栄えの良いところばかりを交換して、肝心な部分はおざなりのまま。
叩いてみたり、気のせいだよの一言で済ましてしまっているのではないかしら。
もっと根本を見直さなきゃいけないのかもしれない。

 
体はケーブルのように取り換えることはできない。
ジョギングやジムに行ったり、身体によいという食事をとってみたり、もっと根本的な何かに気がつかなきゃいけないのかもしれません。

 
身体のメンテナンス、ココロのメンテナンス、そして暮らしのメンテナンス。
誰か僕の取扱説明書を見せてくれないかしら?
西野カナじゃないからね。