「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

夕日のあたる家

 

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アウトドアチェアとテーブルを買った。
コンパクトな奴だ、Amazonのタイムセールで安く売っていた。
 


昔はひと通りキャンプグッズを揃えた、チェアも家族分揃えたしテントも買った。
週末、公園に椅子をもって遊びに行ったりもした。
その頃に買ったチェアと比べると凄くコンパクト、小さいが座り心地はなかなかだ。
主にベランダで使っている。
 


これが意外といい。
夕方、洗濯ものを取り込んだ後は、この椅子に座りビールを飲む。
暑ければクーラーの効いた室内に逃げ込めばいいし、お代りもすぐに冷蔵庫に取りに行ける。
なにしろ、出かける必要がないからお気楽だ。
 


この椅子に座っていると、風がの心地よさを肌で感じることができる。
人目を気にする必要もない。
鳥のさえずりや草木が風で揺れる音が聞こえる。
眼下のプレイロットでは子供たちが遊んでいる。
 


夕方になると親子だろうか、高齢の母親を手助けしながら散歩する
ふたりを見かける、いつも同じ時間だ。
 


自然や人々の営みを感じることができる。
自分自身もそうだ。
テレワークで会社に行かない日は18時ごろにはこうして椅子に座る。
日没の19時までの一時間、まさにゴールデンタイムだ。
 


良くアメリカの映画で、自宅の玄関に置かれた椅子に座る老人の姿を見かける。
まさにあんな感じだ。
でも、理由があってこうやって座っていることが分かった。
感じてるのだ、人々や自然の息遣い、そして自分が生きていること。
そうやって感じることで自分の存在を確認しているのだと思う。

 

 
今日も一日無事暮らすことができた。
地球も、自然も一緒に過ごすことができた。
それを感じながら一日を終え、また新たな明日を迎える準備をする。

 
ただの暇な老人、そう思っていた自分が恥ずかしい。
でもはたから見ると自分もそう思われているのだろう。
まあいいじゃないか、こうして成長(?)するのだ。
 


朝から晩まで忙しくすることばかりが、充実した生活ではないのだ。
そんなことを感じる一日。
あー、ビールが旨い。