ニュースで色んな人の名前が報じられる。
良いことをした人もいれば、悪いことをした人もいる。
芸能人や政治家、スポーツ選手なんかの有名人もいる。
当たり前のことだけど、みんないろんな名前をもっている。
その人が何者なのかを示す名前がある。
名前を付けた誰かがいる。
指名手配犯が捕まった、悪いことした人が捕まった、そんな時にも名前は報じられる。
この名前は悪いことした人の名前。
そんな風に扱われる。
そんなときに思う。
この名前を付けた人、どのような気持ちでこの名前をつけたのか。
どんな名前にも、その名前をつけた誰かの想いがある。
僕らはそんな事には思いも及ばず。
悪いことした人の名前、その名前に簡単にレッテルを貼ってしまう。
映画を見ていてよく思う。
出てきたばかりで、すぐ殺されちゃう人。
大勢の中の一人、何の印象もなく撃ち殺されちゃう人。
最後の最後、ヒーローに殺される悪役の人。
こんな人たちにも名前がある、名前を付けた誰かがいる。
この人たちにも人生がある、幸せがある、幸せを願った誰かがいる。
そんな簡単に、殺したり殺されたりしちゃいけないはず。
テレビゲームでも同じ。
殺さないと自分が殺される、そうかもしれない。
みんな、相手は自分の目に見えている相手だけだと思っている。
その相手の人生にはたくさんの人がいる。
そんな相手を殺すということは、そのたくさんの人を殺すということ。
だから映画でもゲームでも、そんな簡単に人を殺すことを考えてはいけない。
悪人だからって、相手の名前を簡単に扱ってはいけない。
そう思う。
こんな僕はおかしいのだろうか。
きっとおかしくない、ただ弱いだけだと思う。
戦争なんかが起きたら、僕は真っ先に殺されてしまうだろう。
でも、僕を殺すことはできない。
だって、僕には僕を作った、たくさんの人がいるのだから。
僕だけじゃない、相手も同じ。
そんな風にみんなが考えあう、想いあう、そんな世の中になるといい。
本気でそう思う。