「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

寝ているときも起きているときも 〜どっちも僕の人生なんだぜ!〜

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新聞を見ていたらこんな数字が出ていた。日本人の平均睡眠時間は7時間22分、対して他の国の平均睡眠時間は8時間27分。日本人は諸外国に比べて睡眠時間が圧倒的に少ないという記事だった。ん?7時間22分?8時間27分?みんなそんなに寝てるの?僕の感想です。

 

僕の会社までの通勤時間は1時間20分くらい、朝は座っていきたいので5時に起きて5時46分に家を出る。寝るのは11時くらいなので、睡眠時間は6時間ちょっと。けっこう睡眠をとっているほうだと思う。そりゃ若いころは1時過ぎてから寝て、6時過ぎに起きる生活だった。そのときの睡眠時間は4〜5時間。

 

最近になって、睡眠ってとても大事だと思うようになった(いまさらですみません)。それと土日にたくさん寝てしまうことがもったいないと思うようになった、実際、平日と睡眠時間に差がありすぎるのもよくないらしい。なので土日は12時くらいに寝て7時くらいには起きるようにしている。最近は健康を意識して、朝30分くらい散歩までしてるんだけど、これが気持ちいいんだなー、知らなかったよ。そして新聞を読みながらお茶を飲み、しっかり朝食を食べる。こんな時間の使い方がすごく贅沢だと思うし、自分の時間がたくさん増えたような気がする。

 

若いころは昼まで寝てしまうこともよくあった。泥のように眠るってやつね、いま考えるとうらやましくも思うけど、これだけ寝れるのは体力があるから可能らしい。歳を取ると体力がなくなる、要は眠るのも体力が必要なので朝早く目が覚めるようになる。若いときは、徹夜してでも大丈夫、夜中まで起きていても仮眠すれば何とかなる、という考えもあった。でも、次の日のパフォーマンスは絶対に落ちる。ある程度歳を取ったら、自分のコンデイション、パフォーマンスは自分で意識して調整しなければならないと思う。

 

僕らに与えられている時間は有限だ、貴重で大切な僕だけのものだ。こんな時間を大切にできるか、有効に使えるか、そしてこれが大事なんだけど、自分のためだけに使えるか、これが一番大事なことなんだと思う。そりゃ仕事も大事だけど、それで自分の時間がなくなっちゃったら意味がないと思う、もちろん仕事が生きがいっていう人がいてもいいし否定するつもりは全くない、僕はそうじゃないということ。僕は仕事の時間も自分の時間もどちらも大事だから、どちらも大切にしたい、だからメリハリをつけて、最高のパフォーマンスが発揮できるようコンディションを整えたい、もちろん自分のためにだ。

 

最初の話に戻るんだけど、理想の睡眠時間は8時間くらいと聞くけど、それってなかなか難しいよね。朝6時に起きたとしても10時には寝る必要がある。でも平均睡眠時間を見ると、みんな実現してるのかなあ、なんてことも思う。

 

そんな生活を送るためには、それを実現する仕事のスタイルも必要だ。そのためには家の近くで仕事ができるといいんだけど、サラリーマンは難しいよね。でもいつか、そんな生活を実現したいな、それが僕の目標の一つでもあります。自分のために仕事を変えるということね。お多幸な人生を送るためには必要なことだと思うから。

 

でも、平均睡眠時間って4時間の人もいれば9時間の人もいるってことだからね。日本人の平均寿命だってそうだ、女性は87歳、男性は81歳っていうけど、長生きする人もいれば、もっと短命の人だっている。それに平均寿命=健康寿命ではないってことも最近はよく言われている。90歳まで生きても10年寝たきりだったら悲しいよね。こういう数字も見て驚くだけでなく、その数字の意味や本質をしっかり自分で考えることが大事なんだと思います。

 

自分のことは自分で考えるってことですね。体のコンディションも、時間の使い方も、ワークライフバランスってやつも、人から与えられる、示されるものではないってことです。自分の頭でしっかり考えましょう、そのためにも睡眠をしっかりとらないとね。なにより寒い季節、布団にくるまれて眠る瞬間って、サイコーにお多幸な瞬間ですもんね。寝ている間も起きてる間も両方含めてお多幸な人生を歩みたいものです、さあ、今日はどんな夢が見れるかな、そう考えると楽しみでしょうがないね!おやすみー。

 

頭がいいってどういうこと? 〜自分に自信を持てる自分になるには〜

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頭が良くなりますように、テストでいい点が取れますように。子供のころ、神社やお寺にお参りに行くと決まって、こう願っていた。でも、そもそも頭がいいって、どういうことだろう?テストでいい点がとれることなのだろうか。

 

そうかも知れないけど、子供や学生に限っての話だし、大人の生活の中で頭がいいって、どういうことなんだろう。仕事ができるとか、聞かれたことに理路整然と応えられるとか、何ごともテキパキとこなすことができるとか、人が思いもしないことを考えつくとか、そんなことだろうか。

 

テストやなんかと違って、点数がつくことはないから、何を持って頭がいいということになるかと言うと、他人から見てそう思われる、自分でそう思う、そしてなにかの結果で表現されるということだと思う。例えば、人が思いもしなかった方法でお金儲けをしたとかね。

 

そう考えると、頭が良いって、他人に評価されるってことなのかな。でも植松さんが言ってた。人に評価されたいと思ったらその人の奴隷になるって。

 

僕も頭が良くなりたいなーとよく思うことがある。どんな時に思うかと言うと、仕事や打ち合わせの場で、相手に言い返せなかったり、自分の思いを上手く伝えられなかったとき、あとになっていつも悔やむ、悔やんで悔やんで悔やんでばっかり。なんであの時、こう言えなかったのだろう、なんであんなこと言われて、言い返せなかったのだろう。バシンと言えなかったのだろう。そんな自分が情けなくて悔やむ。会社の帰り道や、家に帰って寝るまでのあいだ、ずっとそんなこと考えてる。もっと頭脳明晰になりたいな、そしたら、もっと的確に言い返すことができたんじゃないかと思っちゃう。どうしたら頭がよくなれるんだろうねってね。

 

でもこうも思う、自分が頭が良くなりたいと思うのは、そんな些細なことに対してだけなのかと。もっと頭が良くなることによってできること、したいこと、しなければならないことがあるんじゃないのかって。確かにそうだよな。自分で言いながら自分に納得する、やっぱり僕はバカなのか、まあいいか。

 

頭がいいというのはどういうことだろうか。それは自分がしたいことが明確で、そのために何をしなければならないかが自分でわかっている、自分で行動できていることをいうんじゃないだろうか。要は自分のために自分の能力のすべてを注ぎ込むことができる人のことだ。

 

そこには他人にどう思われるかなんて関係ない、だからさっき僕がいつも悔やんでばかりと言った事項なんて屁のかっぱとうこと。まったく意味がない、相手がどう思おうが、どう思われようが関係ない、自分は自分のしたいこと、やるべきことをするだけで、それがやれてるかどうか。

 

それができていれば、相手が自分をどう思うかも、自然と自分が思っていることと同じになる、相手もついてくる。それでも、何も思わない相手であれば、自分にとって必要のない人だということ。ただそれだけだ。そう考えると、おのずとこれから自分が何をしなければいけないのかがわかってくる、そう、お多幸な生活をおくることに全精力を注ぎ込む、そこに必要なのはまず自分、人にどう思われるかは関係ないというか二の次ということだ。

 

だからね、自分の能力すべてを自分に注ぎ込むこと、これを徹底していきたいと思うんだ。それが頭がいいということだと思うし、頭が良くなるということだと思うから。まずは自分、自分で自分に誇りを持てる自分になりましょう、そのために頭のいい自分になりましょう、自分の力を自分自身にすべて注入する。それでこそ自分に褒められる自分になるのだと思うのです。結果として、他人にどう思われるかですが、それはどうでもいいことだよね。僕らは絶対お多幸な人生を送ることができるんだ、そう思って何ごとにも全力で取り組みましょうね!幸せな人生を!!

 

お洒落さんは誰のため? 〜外見には内面が現れる〜

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12日間の入院生活で体重が6キロも減っちゃった、その後も節制した食生活を送っているせいか1ヶ月たった今でも体重が戻らない。結果、会社に着ていくスーツもダブダブ感が増して、着心地も悪いし、それ以上にみっともない感じがしてしょうがない。久しぶりに会社に行くと、何やら新しい施策が始まっている、世にいうオフィスカジュアルってやつだ。

 

そこで、この際、スーツを新調するくらいなら、オフィスカジュアルにモデルチャンジしちゃおうということにしました。自分にも約束したはずです、自分を変える、何ごとにもチャレンジする、大変レベルは低いのかもしれませんが、まずは見かけ、格好から変えてみることにしました。

 

ということで、妻を連れてお買い物にでかけます。考えてみれば、スーツも4~5年新しいの買ってません。身だしなみには気をつけているつもりだけど、こうなるとスーツも単なるユニフォーム扱い、お洒落さんには程遠い。昔、休日に打ち合わせをする必要があって、地方から来てもらった人がいたんだけど、その人なぜかスーツを着てきた。休みの日だし、社内の会議なんだから普段着で来てくれればいいのに、そう伝えるとこの人はこう言いました。「飛行機に乗ってくる普段着なんてない」・・・、けっこう驚いたことを覚えています。でも、とにかくスーツを着てれば間違いない、安心っていう価値観なんでしょうね。だから、こういう人達にオフィスカジュアルに変身してくださいっていうと大変なことになります。

 

そもそも、スーツじゃなくてもいいっていうのは、働き方自体を見直しましょうってことなんだよね、9時5時の働き方を変え、仕事の結果、アウトプットを優先させるためにテレワークやら時間にとらわれない、効率的で効果的な働き方をしましょうってこと、その一環として服装にもとらわれないでいいですよってことなんです。

 

なんだけど、成果主義も浸透していない昭和な会社で、こんな施策だけコンサルや何やらにそそのかされて実践しちゃうとどうなるか、悲しいことにこの施策自体が目的化されちゃうんですね。自由な働き方だから朝遅く来てもいいんだ、服装も何だっていいんだって、福利厚生じゃないんだぞってことがわかってない、というか勘違いされちゃう。でも、もしかしたら過渡期なのかもしれないね、このままだと昭和な会社はユデガエルさんになっちゃうから、強制的に変えていっちゃおうと、そして、それで成果を残せない人は退場していってもらおうということなのかもしれません。だからけっこう怖い施策なんですよね、みんな気づいてないけど。

 

ということで、決して会社に踊らされてるわけではありませんが、僕自身もスーツ脱却をすべく、それでも社外の人とあっても失礼にならない、清潔なお洒落さんを目指して変身することにしたわけです。結果、アンパイなお店を選択し、TOMORROWLANDSHIPSで、ネイビーのジャケット2つ、グレーのジャケット1つ、グレーのパンツ2本、ブルーのシャツ3枚を大人買いしました。あー気持ちいい。

 

なんか、買い物って楽しー、久ぶりにそんな感じがしました。もちろん、お洒落に自信がないので店員さんに聞きまくりです、そして最終的には妻に見てもらって決定します。安全でしょ、でもこういうのがいいのですよ、カジュアルなものと違うので個性的であり過ぎても良くないし、値段も張るので失敗もあまりしたくない。ジャケットの袖とズボンの裾の直しをお願いして、数日後、受け取りに行ったら、僕が買ったのと同じセットが、そんのままディスプレイされていて恥ずかしくなっちゃったけどね、まっいいでしょ。

 

果たして結果は大満足、何か自分がとてもオシャレさんになったような気がします。そしてなんか、いつもより自分に自身が持てるような気がするのです。人って内面が大事だし、外見で内面はわからないけど、実は外見には内面が表れるんだよね。だから、ちゃんとした格好をするっていうことは、自分の価値を最大限に高めるってことなんだ。

 

いいものに囲まれていると毎日が楽しいでしょ、自分もそのいいものに負けないよう頑張る、ちゃんとした格好をすることで、それに見合う自分になる。だから妥協しちゃダメなんだよね、妥協したものに囲まれてると、自分もその妥協したものに見合った自分になっちゃう。何も背伸びしろってことじゃないんです、自分が気にいったもの、満足感を得られるものをしっかり選び、そして使い倒すんです。そんなものに囲まれて送る人生、それがお多幸な人生というものだと思います。

 

いい服を買ってもなかなか着ないでとっておくことってありません?一張羅だからとっておきの時に着ようってね。でもこういう服こそ、普段遣いすることが大事なんだよね、それでこそ、普段の自分いつもの自分が一歩引き上げられるってことだから。

 

もちろん外見に見合うよう、内面も変化しなければなりません。というか、こっちが大事だからね。ということで、さー、外見に負けないよう、色んなことに取り組みましょー。なんか楽しくなってきちゃったもんね。本日の教訓、形から入るって、とても大事なこと!です。それによって、ココロも充実していくからね、自分のモチベーションは自分自身で上げるんです、色んなことに前向きに取り組んでいきましょー、これからも頑張って青い日々を送っていきたいと思います!

 

大腸がんでガ~ン 〜その⑬「病理検査の結果、そしてこれから」〜

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退院してから3週間、会社にも普通に行きはじめ、通常の生活にすっかり戻っていました。気になっていたのはこれからの治療のこと。抗癌剤治療をすることになると様々な副作用もあるというし、いろんな準備が必要になる、そんなことを思っていました。

 

退院してはじめての診察日が来ました。手術で取り出した大腸を病理検査した結果がわかります、がんのステージや、今後の治療についても話があるはずです。

 

時間になり、診察室のドアを開けると、そこには教授先生が。「おーどうだい、調子は」、明るく声をかけてきてくれます、「はい、おかげさまで絶好調です」そんな軽口を叩いて応えます。「シャバの空気はどうだい、ふだん感じない、色んなことに気づくでしょ」どうやら、この教授先生はすべてお見通しのようです。たいしたもんだな、そんなこと思ってると、先生は病理検査の結果を示しながら説明を始めます。

 

結果は、リンパ節への転移はなし、血液に一個がん細胞が見られたけど、このくらいであれば大丈夫、ステージは2で抗癌剤治療の必要はないと思われる、それを聞いた瞬間、あーよかったな、という安堵の気持ちと、でもそれでも抗癌剤治療をしたほうが、万全を期す意味でいいんじゃないのかな、そんなことを思い先生に聞いてみます。

 

先生は理路整然と応えてくれます。海外ではステージ2で抗癌剤治療をした場合、保険適用ではなくなるくらい厳格に対応している。それにステージ2でも抗癌剤治療をしたほうが良いと判断される場合もあるが、切り取ったがんが大腸に浸潤(深さ)している状況などを見てもその必要はないと判断する。でもステージ2でも再発する可能性は15%はある、それは経過観察をしていく中でしっかり見ていくこと、そしてもし再発してしまっても、そこで適切な治療をすればいい、そのような説明でした。

 

わかりました。僕は先生にそう伝えると、もう一つしたかった質問をしました。「このがんはいつごろできたものでしょうか」。大腸がんは進行が遅く、正確にはわかないが、4~5年じゃないかな、そう言われました。僕はあーそうか、そう思いました。5年前、突然の異動でしばらく単身赴任生活を送っていたのです。会社生活、人生でこれまで感じたことのない理不尽で苦悩の日々を送らなければなりませんでした。やはりその時の状況は体にも影響を与えていたのだな、そんなことを思いました。

 

そのあとは、病院で皆が真剣に僕のことを思って対応してくれたことが、とても嬉しかったなど、入院で感じたことを伝えました。そして、毎日病室に様子を見に来てくれた先生に「先生休んでるんですか?」そう聞いてみました。すると先生は「先月は29日間出勤で人事から怒られちゃったよ」とひょうひょうと悪戯な笑みを浮かべて応えてくれます。

 

先生はこう言いました。「僕らの仕事は、その時々の状況をきちんと確認しないといけない、それを怠って後で大変なことになったら、治療の意味もなくなるし、余計な負担がかかる、人事にもそう言ってやったんだよ」そしてこんな事も言われました。

 

「若いやつにも言うんだよ、僕らの仕事は誰かに頼まれてやってるわけではない、自分で志願して医者になってやっているんだ、だからやりきらなきゃいけないってね」。僕はそれを聞いてちょっと恥ずかしくなりました。自分の仕事に取り組む姿勢や、何ごとにもそんなに真剣に向き合っていない自分を感じたからです。

 

先生はにこやかに、そして楽しそうに、次は6ヶ月後に来てください、そして「よかったね」そういって僕を送り出してくれました。

 

こうして僕の大腸がんの手術、入院、診察の日々がいったん終わりました。今後どうなるかはわかりません。でも、病気と向き合い、そしてココロとカラダの声を聞きながら、人生を歩んでいきたいと思います。今回感じたこと、気づいたことは僕の大きな財産になりました。この事を忘れないように、そして退院したら、したい、やりたいと思ったことに積極的に取り組んでいきたい、それが僕の、生かされた僕の役目なんだろうな、そんなことを感じました。すべてのことに感謝しながら、お多幸に、そして青い日々を送っていきたいと思うのでした。

 

大腸がんでガ~ン 〜その⑫「家に帰る」〜

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退院してまず最初にしたこと、それは「お風呂」に入ること、シャワーですけどね。退院2日前くらいには管も抜けたので、病院のシャワをー浴びてもいいということでしたが、ここまで来たのだからと家に帰ってからゆっくりお風呂に入ることにしました。

 

温かいお湯、湯気にくるまれたお風呂場、何やらいい匂い、そして自分だけの気ままな空間、あったか~い、もうサイコーです。手術の傷あとをおっかなビックリ、優しく石鹸で洗います。いやーもう12日ぶりですよ、どんだけ垢がこびりついていたのやら。病院では毎朝、毎晩、蒸しタオルで顔を拭いていたので、そんなに汚いこともなかったと思いますが、久しぶりのお湯にくるまれ、もう幸せ、ハービバノンノって感じです。

 

なんかね、たった12日ですよ、実際、何も変わってないですよ。でもね、家のソファーに座ったり、テレビを見たり、気ままにトイレに行ったり、のどが渇いたら冷蔵庫から水を出して飲んだり、そして腹6文目にしてねとは言われているものの温かいごはんを食べたり、その何気ないすべてが、貴重なものだと実感しちゃいます。大切なことですよね。

 

夕方、近くのケーキ屋さんまでひとりで行きました。退院のお礼じゃないけど、家族で食べようと買いに行ったのですが、やっぱり体力落ちてるんですよねー、帰りがしんどいこと。このまま帰れなかったらどうしよう、なんて思っちゃいましたが、ゆっくり、そしておっかなびっくり歩いて帰ります。

 

やっぱりどうしても体力が落ちちゃってる、そりゃそうで、入院している12日間で体重が6キロも落ちてしまった。何も運動していないだけでなく、ろくに食事していないんだからそりゃそうです。なんかこう考えると、ダイエットなんて簡単なんじゃないかと思っちゃった。

 

それからお酒を飲んでないせいか、甘いものが食べたくなる。僕は甘いものあんまり好きじゃなくて、普段からお菓子やケーキはほとんど食べないんだけど、なぜかしらクリーム系が食べたくなる。だから自分の退院祝いに自分でケーキを買いに行った次第です。

 

次の日からはなるべく近所を散歩、ホント気持ちいい。なんか色んなことが新鮮です。歩く分にはまったく問題なく、これだったらいつでも会社に行けそうだなと思ったけど、せっかくだからと1週間はゆっくり家で養生することにしました。なんか、こんなにのんびりするのも久しぶり、幸せだなー、でもこの幸せは健康であることが大前提なんだよな、あたりまえのことだけど、普段は感じないこと、生きていく上での大切さなことを知ったような気がします。

 

それでも、うんちがなかなか出なかったり、逆に突然したくなったり、ちょっとした違和感があります。そりゃそうで、腸の機能が完全に回復するのは2~3ヶ月かかるらしいのです。しばらくは食べるものにも気をつけて、お酒も控えて体力回復に努めて行く必要があるようです。

 

その次の週、フルタイムではなく会社に行ってみることにしました。なんとスーツがダボダボ、こりゃかっこ悪い、でも仕方がない。会社に行くと、みんなが僕を好機の目で見ます、やっぱりガンだと言うと、みんなあの人はもう死んじゃうんだと思うんでしょうか。思いのほか元気そうな僕に明るく声をかけてきてくれます。僕もチョー元気になりましたと声を返します。実際、健康的な生活を送っているせいか、以前よりも調子がよく感じます。

 

その日は2~3時間会社にいただけでしたが、やっぱり疲れます、家に帰るとドーンと疲れが一気に出て、なんか少し頭も痛くて、早々に寝てしまいました。やっぱりね、カラダは正直なんだと思います。僕はいままでそんなカラダの声をまったく無視していました、気にしていたのはココロの声だけ。これからは自分のココロに向き合うだけでなくカラダとも向き合い、しかり生きていくことが大事なんだな。それが今回、生かしてもらったことに対する責任だよな、そんなことを思いました。

大腸がんでガ~ン 〜その⑪「退院」〜

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点滴の針も抜け、8日目にはようやくお腹の管も抜けました。スッキリすることこの上なしです。しかし管もただ引っ張るだけで抜けていきます。けっこう太い管だったので、抜けた穴はどうするのかと思ったのですが、なんとそのままです。穴どうするんですか?そのままで大丈夫なんですか?と先生に聞くと、真面目な顔でそんな大きな穴じゃないから大丈夫とシラッと言われてしまいました。そういうものなんですね、人間の体ってスゴイ。

 

その日の夜は久しぶりに熟睡できました。体が開放された感じ、横になって眠るのがこんなに気持ちいいとは思いませんでした。10日目の日に退院が決まったことも精神的に大きかったのかもしれません。

 

看護師さんは昼の担当と夜勤の担当で交代で対応してくれます。夜勤明けは休日となるようですが、大変な仕事です。8日目の朝だったかな、看護師さんが採血に来てくれました。その看護師さんは手術室まで連れて行ってくれた新人のあの子でした。「手術の時はありがとう」そう伝えると「えー、覚えていてくれたんですか!」とまだ朝の7時に大きな声で喜んでくれました。

 

しかしなにやら緊張の面持ち。病室の治療用ライトを付け(これまで付けたことがなかった)、横になってくださいと言われます。あきらかに手慣れた感がありません。こわごわと採血の儀式が執り行われます。実は僕、血管が薄くて採血されにくいっていつも言われるんですよね、案の定、一生懸命、針を指す場所を探してます。

 

「では、いきます」そう言ってブスッと針を刺しました、まったく血が出ている雰囲気がありません。「このままいきます」そいいうと更に針を深く差し込みます。それでも血は出ていないようです。あきらめて、やり直すことになりました、違う腕でもう一回です。

 

「では、いきます」2回目のブスッです。「このままいきます」更に針を進めます。「やりました、血が出てきました」そう言って看護師さんは血液を貯める容器を見せてくれましたが、まるで点滴のようにポタッ、ポタッと血液がゆっくり垂れています。こりゃいつまでかかるんだろ、そう思いながらも我慢してましたが、途中で血が止まってしまったようです、諦めてまたもややり直し。でここで、看護師さん交代となりました。新人さんは深々と頭を下げて先輩を呼びに行きます。思わず笑わずにいられません。

 

結局その後、先輩看護師さんも2回失敗し、計5回の採血で完了となりました。もう両腕が青あざになっちゃいました。そのあと、廊下で新人さんに会うたびに僕に最敬礼してくれます。まあ、こうやって経験積んでうまくなっていくんだもんね、新人さんの一生懸命さでまったく嫌な思いはしませんでしたので、最敬礼にはVサインで応えるようにしていました。

 

さあ、そんなこんなで待ちに待った退院の日です。朝から荷物をまとめ、いつでも準備万端、そんな感じで家族が迎えに来るのを待ちます。その日は日曜日でしたが、朝早くに教授先生も来てくれました。この先生、実は僕が入院している間、定期回診とは別に、毎日様子を見に来てくれたのです。ある時は手術を終えたばかりのようで、手術着を着て頭にはキャップを付けたままでしたので、思わず笑ってしまいました。先生は、「おめでとう」、そう言って僕とガッチリ握手をしてくれました。思わずジーンときます。

 

11時頃に家族がやってきて、重い荷物を息子に持ってもらい病室を出ます。看護師さんが何人かいましたので挨拶、みんな笑顔で送り出してくれました。ホントいい子たち、なんか名残惜しくなっちゃったけど、これだけ一生懸命看護してもらったんだもの、元気にならなくちゃね、そう思いながらバイバイと手を降って病棟を出ます。

 

こうして僕の12日間の入院生活は終わりました。

大腸がんでガ~ン 〜その⑩「続・入院生活」〜

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4日目の朝、ヨーグルトが一個、登場しました。ガガーン!チョーうれしいっす。味を噛みしめるように食べます。回診に来た先生にどうですかと聞かれ、ヨーグルトが出たんですよ、と訳のわからないことを言ってしまったくらい嬉しかった。でもその日の朝・昼・晩、すべてがヨーグルト一個。せめて味くらい変えてくれないかな、いい気なもんです。

 

昼間はなるべく歩くようにします。歩くと行っても、もちろん院内、基本は同じ病棟の階をグルグル歩きます。お供するのは点滴やら何やらがぶら下がった台車付きの棒。体から出た管と繋がっているので、一心同体の相棒です。院内にはそんな人達が沢山さまよっています。尿道から管が出ているので、おしっこがたまった袋も一緒です。そんな人ばっかだから恥ずかしいもクソもありません、どちらかというと、そういう患者さんが普通なので、何も持たずにブラブラしている患者さんを見ると違和感があります。慣れって不思議なものだよな、当たり前ってなんだろう、改めてそんなことを感じます。

 

5日目になって熱も下がり、痛み止めも必要なくなりました。大したもんだよな、切腹して数日で痛みがなくなるんだから、人間の体ってスゴイもんだ、ホントそう思います。痛み止めが繋がっていた背中の管も抜いてもらうことになりました、しかし一体どうやって刺さっているんだか、不思議ですが、なんか引っ張るだけで簡単に抜けてしまったようです。一体カラダのどこまで入っていたのだろう。

 

午後になると、おちんちんに刺さっていた管も抜いてもらうことができました。実はずっと気になっていたんです、だって、どう考えても痛そうじゃないですか、おちんちんに膀胱までつながる管が入ってるんですよ、それを抜くなんて、どうやってやるんだろうと。そう思っていたら看護師さんがやってきて、力任せに管を引っ張り抜くではありませんか、オーマイゴッド!看護師さんも目を背けながら引っ張ります。思いのほか痛みはなかったのですが、尿と一緒にひねり出されるような感じでひどく気持ち悪かったです。

 

しかしこの管が外れたことで、大変快適になりました、これまで体を動かすたびにおちんちんに違和感があったので、とてもスッキリです。しかし看護師さんは偉いよな、と本当に思います、管が入っている間、僕の下半身も洗ってくれるのですが、まあ、恥ずかしいったらありません。お風呂も入れないのでお尻の穴まで洗われちゃいました。ほんと申し訳ございません、って感じです。

 

7日目には看護師さんが髪の毛を洗ってくれました。ホントこんなことさせていいのかなって思います。なんで見ず知らずの僕にここまでしてくれるんだろう、不思議に思ってしまいます。看護師さんが何かする時は必ず僕ら患者に同意を求めてきます。そして共感して、その上で処置をしてくれます。介護や看護の仕事はAIに置き換わらないと言いますが、この共感力が大事なのだなと思いました。

 

それからもう一つ思ったのは、やはり看護師さんは看護の仕事、人を助けるというその仕事に「志」を持って望んでいるのだろうと思います。単なる仕事ではないのです、その意義を理解し、自分が担いたいと思い行動しているんだと思います。思わず僕自身の仕事や会社の若い子たちの仕事ぶりを振り返り、こんな仕事ができているのかな、できていないよな、と思ってしまいました。

 

日がたつと看護師さんとも顔見知りになっていきます。他愛もない雑談がとても楽しい、みんな忙しいだろうにありがたいな、そんなことを思います。この頃、同じ病室に入院してきたおじさんがいたのですが、以前、何ヶ月か入院していたらしく、ほとんどの看護師さんと顔見知りです。「久しぶり」おじさんが言うと、看護師さんも楽しそうに「お久しぶりですね」と声を返します。おじさんは、なんと掃除のおばさんとも顔見知り、なんか羨ましいなーと思うんだけど、よく考えると、それだけ病気が続いているということだもんね、僕の感覚も麻痺してるのかなと思いながら、そう思わせる場にしてくれている看護師さんは偉いもんだよなーと改めて思うのでした。

大腸がんでガ~ン 〜その⑨「入院生活、母を思う」〜

 

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無事に手術を終えたもののそれから4~5日のあいだは、ずっと熱が続いていました。それほど高熱というわけではなく37~8度くらい、だけど僕の平熱は35度台なので、体も重くずっと氷枕をする日々です。心配だったのは、腸をつなぎ合わせた部分から便が漏れてしまう縫合不全が起きないかということ。何人かにひとりは起きてしまうらしく、その場合、再手術の可能性もあるらしいのです。手術のあと、お腹が痛かった時もそれがずっと心配でした。お腹から出ている管から汚れた液体が出てくるのでわかるらしいのですが、幸いその兆候はないとのことで安心しました。

 

手術を終えて三日目の朝、痛み止めが切れてしまいました。これは背中に入れた管から注入する薬で、痛い時は自分の手元にあるスイッチを押すと痛み止めが多く出る様になっていたらしいのです。僕は手術当日の夜から、このスイッチを押さないと痛み止めが出ないのだと思い、頻繁に押していました、なので早々と切れてしまったようです。

 

それにしても、その痛いことったらありません、もう脂汗が出るくらい。そりゃあ切腹したんだから当たり前。看護師さんに泣きを入れ、先生に来てもらって痛み止めを追加してもらうことになりました。するとどういうことでしょう、すっかり痛みが消え、体が楽になってしまいました、気分もスッキリ。まったく現金なものです。

 

それにしても相変わらず夜は眠れない。点滴もあるし、管があるので寝返りもできない。よく考えたら普段からあおむきで寝ていない、常に横向き、そんなことも影響しているんでしょう、我ながら繊細だなー。10時に消灯になって、さんざん寝たつもりで時計を見るとまだ0:18、もう愕然としちゃいます。また寝てしばらくして時計を見ると2:30、いったい何時になったら朝が来るんかい、って感じです。

 

こんな状況だから夜が来るのが嫌になる、夕方、日が暮れてくると、あーまた夜が来るのかといつも思う。8年前、母が亡くなるときもこんな思いをして入院していたのかなと思い、もっとしてあげられる事があったよな、とそんなことも思います。自分では一生懸命色んなことしたつもりだったけど、本当の苦しさ、辛さはまったくわかっていなかったのだと痛感しました。

 

母は亡くなる前に1ヶ月半くらい入院していました。その間なにを考えていたのかなと思います。たぶん、よくなったら何をしよう、退院したらどこに行こう、そんなことを考えていたはずです。まさに今の自分がそうだからです。いつかはガンになる、そう思っていたので、今回も全く動揺することはなく、もしかしたらこれで僕の役目は終わったのかな、もう悔いもないよな、そんなことを思っていたくらいなのですが、手術を終えて痛みや熱に耐えている中で考えることは、やっぱり良くなりたい、元気になりたいということでした。

 

僕は何もわかっていなかった、気がつかなかった、浅はかだった、本当にそう思います。母がたんの吸引をしてもらいたくて看護師さんを呼ぶのですが、なかなか来てくれません、僕もナースコールで何回か呼ぶのですが、看護師さんも忙しいのだろうな、そう思って待ちます。やっと来た看護師さんに「遅かったじゃないか」懇願するように母は言いました。僕はやっぱりどこか他人事だったのだと思います。本当の母の辛さ、寂しさがわかっていなかった。それどころか僕は、対面を慮り、看護師さんや時には医師の都合を優先してしまったのです。

 

自分が経験してわかります。看護師さんの対応や医師の対応だって、もっとできることがあったたはず、実際、母が入院していた病院と今僕がいる病院の対応を比べてそう思います。もっと医師にお願いすること、きちんと要求することができたはず。そうすれば、もしかしたら母はもっと生きることができたのではないのか、そんなことばかりが頭をよぎります。

 

亡くなる数日前、医師が回診に来た時、母は先生に聞きました「私死んじゃうんですか」、そんな母の言葉に医師は何も応えずに部屋を出ていきました。母は、医師が何も言わなかったことに驚き、僕に何回も聞いてきました「何も応えなかった、何も応えなかったよね」。そして諦めるようにベッドに横たわったのでした。僕は、母はすでに覚悟を決めていたのではないかと勝手に思っていました。でも違ったのです、生きたい、きっと治る、よくなる、ずっとそう思っていたのです。僕は何もしてあげることができませんでした。

 

亡くなる前日、僕の息子に母は言いました、「ばあばの死に様をちゃんと見ておくんだよ」。この数日のあいだ、母は色んなことを思い、感じ、考えたことでしょう、そして最後にこういうことが言えた時、いったいどのような心境だったのでしょう。何回もいうのだけど、僕は何もわかっていなかった、わかろうともしていなかった、自分のことしか考えていなかった。そんなことを今、自分が入院して初めて気づくとともに、イタイイタイと泣き言ばっかり言ってる自分が恥ずかしくなります。お前は相変わらずだね、きっとそんなふうに母は僕を見て笑っているのではないでしょうか。

 

窓の外を見ると日が暮れてきます。不安や寂しさ、そしてどこか怖さといった感情がムクムクと沸き上がっててくるのを感じます。そんな時に思うのは、夜が明けたら、朝になったら何をしよう、元気になったら何をしよう、そんなことばかりです。

 

退院したら、あんなことしたい、こんなことしたい、こういうことをしよう、持ち込んだノートには、いつの間にか、そんなことばかり書き込んでいました。もしかしたら、僕にはまだやることが残ってる、だから生かされるチャンスを貰ったのかもしれない、それをくれたのは母じゃないのか、都合よくそんなことを考える僕がいました。そして僕の頭の中には「希望」という言葉が満たされていきました。

大腸がんでガ~ン 〜その⑧「手術」〜

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6:30に起床、さあ、いよいよ手術です。もう矢でも鉄砲でも持ってこいって感じ。8時には教授先生とクールビューティな女医さんが来てくれました。手術室に呼ばれるのは11:30くらいとのこと。10時位に家族がやってきて、手術室に持っていくものなどを確認します。ちなみに手術室に持っていくものにはすべて名前の書かれたシールを貼ります。くつやメガネケースなどすべて、歯ブラシも。なんか遠足以来だなー、お気楽にもそんなことを考えていました。

 

手術用の下着、Tパンツに着替え、足にスパッツを履きます。スパッツはエコノミー症候群防止のためだそうです、手術中とその後は、足をモミモミしてくれる機械に入れておくそうです。至れり尽くせりだよな、そんなこと思います。

 

そんなこんなしていると、看護師さんが来て、「呼ばれました!」ちょっと緊張気味に声をかけて来ます。後でわかったことですが、このときの看護師さん今年の新人さんだそうで、まだ勤めて半年だったそうです、本人もこのシチュエーションに緊張していたんでしょうね。

 

家族と一緒に手術室のある階に向かいます。手術室の前で、ご家族はここまでと言われ、そこから先は僕と看護師さんだけで入ることになります。家族とは、じゃあ行ってきまーす、と多分ぎこちないと思われるだろう笑顔で別れます。みんなも笑顔で見送ってくれました。

 

中に入ると、まず受付などのあるスペース、その先に手術室が何部屋か別れています。僕の手術室はここですと案内され、なかに入るとそこには広大なスペースが、テレビのドラマと違うんだなーそんなことを思いました。すでにたくさんの人がいろんな準備を進めてくれています。クールビューティーの女医さんもゴーグルに手術着、なんか戦闘服みたいな格好をしています。

 

手術着に着替え、台の上に乗るように促されます。そのあとは皆さんチョーテキパキ、ドンドン準備が進みます。まず麻酔医の先生が背中にマーキングし、麻酔を打ち始めます。体を丸めて僕はなすがまま、目線の先に先程の看護師さんが僕の方に会釈をして手術室から出ていく姿が見えました、あー、ひとりになっちゃったな、そんなことを思います。

 

その時、僕の手をトントンと叩くひとが、あの教授先生が来てくれたのです。教授先生を見て麻酔医師さんが、「今日は先生がいるなら百人力ですね」そんな事を言ってくれました、何かすごく安心します。「さあ、じゃあ麻酔入れますよ」との掛け声に応え、「はい、よろしくお願いします!」と返します。たぶん、その2,3秒後、あっという間に夢の中(スゴイもんです、ほんとスゴイと思います)。

 

次の瞬間、「起きて下さーい」という声でからだを揺さぶられ、目を覚まします。お腹が突っ張るような感じがして先程までなかった違和感を感じます。そのままベッドで手術室を出ると、目の端に家族が見えました、自分としては笑ったつもりです。結局手術は5時間近く行われていたようですが、僕的には眠ったと思ったら、すぐ起こされた、そんな一瞬の出来事でした。なんか夢を見ていたのですが覚えていません、起こされた時、なぜだか「やっぱプライオリティが大事」そんなことを思っていて、近くにいた人に言ってしまったのですが、まったく意味不明だったと思います。

 

手術が終わった患者が集められる病室に入ります。すると、なぜだか急激に下腹部が痛くなり、うんちがしたくなります。普段でもたまにありますよね、キューってお腹が痛くなること、あれとおんなじです。お腹の中身は下剤で全部出したはずなのにおかしいよなーそう思いながら看護師さんに訴えると、このままうんちしていいですと、お尻の下にお皿みたいなものを入れられます。

 

えー、そんなこと言ったって、手術で切ったところに力が入らなくて踏ん張ることもできません、もっとなんか手があるんじゃないのと看護師さんにお願いしていると、隣のベッドの患者さんの家族が入ってきました。お父さん頑張ったね、これ大丈夫だよ、とか言う声が聞こえてきます。ますます、この状態でうんちなんてできるわけ無いじゃん、そう思ってると、妻が入ってきました。この状況を訴え、看護師さんにも伝えてもらうのですが、手術後なので薬で便を出すわけにも行かず、様子を見るしかないとのこと。痛みは背中に管を入れており、そこから痛み止めが入れられるので、我慢出来ない場合は、手元のスイッチを押してくださいとのことでした。なので、もうこれしかないと妻と一緒にスイッチを連打しました。

 

痛み止めが聞いたのか、なんとなく落ち着いてきます。妻も家に帰ってもらうことにしました、ちょっと不安だけど家には子供がいるのでしょうがない。そこからはただただ耐える時間。痛み止めのせいでしょう頭もボーとしており、お腹にも違和感がある、狭いベットの上、体には何やら色んな管が入っているから、横を向くこともできません。ただただ仰向けの状態まま時間がすぎるのを待ちます。一体いま何時なんだろう、そんなことを思いながらとにかく朝が来るのを待ちます。朝が来ればきっと良くなってるはず、そんな思いで時間が経つのをずっと待っていました。

 

こういう時は本当に時間が立たないものです。まだか、まだか、と思いながら本当に本当に長い時間をを過ごします。何度、朝が来たと思ったかわかりません。そんな時間を何度も繰り返し、へとへとになって、そんなこんなで、ようやく朝が来ました。うんちがしたい状況はなくなりましたが、全体的に気分はよくありません、お腹も変な痛みが続いています。唇を触るとカサカサを通り越し、皮膚がフニャフニャになっていました。看護師さんにお願いして口をゆすがせてもらい、少しだけ生き返った気がします。

 

しばらくして、少し歩いてみようということになりました。それどころじゃないよというのが正直なところですが、部屋の外まで出てみることにします。背中から痛み止めの管、お腹から太めの管、そしておちんちんからも管が出ています。まったく尿意は感じませんが、尿は出ています。不思議なもんだとおもいながらも、おちんちんから管が出ている感じがとても気持ち悪いです。その管たちを優しく束ねながら、少し歩きます。意外にもそれなりに歩けます、大したもんだよなー、そんなことを我ながら思います。

 

看護師さんが体を拭いてくれ、着替えさせてくれました。その際、おちんちんまで、拭かれ消毒ゼリーみたいなものまで塗られます。管が入ってるのでバイキンが入らないよう消毒するらしいのですが、恥ずかしいったらありゃしない、看護師さんも大変な仕事です。

 

そんなこんなで10時くらいに元の病室に戻ることができました。夕方、教授先生が病室に来て、いま一番つらいことはなんですか、と聞いてくれます。寝れないこと、と伝えましたが、自分ではそう思っているだろうが、少しづつ眠れているから大丈夫と言ってくれます。そして「病気とは辛いこと、それを治すのだから、すこしの辛抱は必要だと思ってください」とはっきり言われ、イタイイタイばっかり言ってる僕は少し恥ずかしくなりました。

 

こうして僕の大腸がんの手術は終わったのです。

大腸がんでガ~ン 〜その⑦「入院」〜

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手術2日前に入院となります。まずは看護師さんから、腕に自分の名前やバーコードが付いた輪っかをはめられます、退院するまでずっと外せません、これを外す時はどんな気持ちなのかなー、そんなことを思います。その後、ひと通り、院内の生活についての説明があります。部屋はちょっとだけ贅沢して4人部屋にしました。4人部屋になると窓に向かって螺旋状にベットが配置されるため、すべてのベッドが窓際になります。ちょっとしたことですが、外が見えるというのは精神衛生上とてもよいと思います。10日位の入院ですし、保険もでるので少しくらいのわがままは良いかなと思った次第です。

 

入院初日は特にすることがありません、家族が来てくれたので、みなで談話室でお茶したりしてのんびり過ごします。その日の夕食は、タラの甘酢あんかけ、う~ん、味がとても薄い、明日から暫く絶食、最後の晩餐(大げさ)なのに、寂しい限りです。。。売店で買ってきたヨーグルトを食べて慰めます。

 

しかし、入院部屋では同室の皆さんに挨拶したりするのかなと思っていたのですが、カーテンはずっと閉ざされたまま。いまどきはプライバシー重視なんでしょうね。結局、退院するまで同室の人と話をすることも顔を見ることもほとんどありませんでした。小学生の時に盲腸で入院した際は、まわりの大人達がいろいろ遊んでくれた(僕を笑わせて傷口をいたがることを面白がっていた)ことを思い出し、ま、こんもんか、と気い使いな僕としてはありがたいなと思いました。さあ、明日は朝から下剤だ。

 

入院2日目、今日は朝から下剤です。内視鏡検査をしたときの苦行がまたもややってきました。とはいえ、3週間前にやったばかりなので、もう慣れたもん。ピーピーうんちを出して、終了です。その後、看護師さんが来ておへその掃除をしてくれました。おへそが汚いと失礼かなと思い、事前に自分なりに掃除していたので、バッチリキレイです、とお褒めの言葉をいただきました。そして看護婦さんから驚愕の言葉、「明日はおへそ切りますから、キレイにしておかないとね」。ン?おへそキル?、「おへそ切るんですか?」、そうですよ、聞いてませんか、とさも当たり前という感じのご回答。おへそって切っても大丈夫なんだ、ちょっとビビります。

 

そのあと、これからしばらく点滴生活となるので、そのための針をさしてくれます。1,2,3,エイッ、その瞬間「あれ?」思わず声がでました。けっこう痛かったのです。それを見た看護師さん、「痛かったですよね」、実はこの針、輸血なんかもできるように通常より3倍くらい太い針なんだそうです。看護師さんも事前に言うか言わないか迷ったそうなのですが、言わないでくれたそうです。僕は怖がりやさんで緊張さんなので、ありがたいと思いました。

 

その後、シャワーを浴びて先生の説明、直接の担当は教授先生ではなく若い女性の先生です。クールビューティなその先生は淡々と説明され、淡々と同意書にサインを求めます。エコー検査で腎臓に水?が少し溜まってるかもしれないということでMRIを受けることになりました。結果は特に問題なく、明日、予定通り手術となりました。

 

夕食の時間ですが、当然、僕だけは何もありません。カーテンの向こうからは夕食を食べる音が盛大に聞こえてきます。みな、デリカシーが無いよなー、とくに隣のベッドの人はムチャクチャ箸の音を立てたり、すすったりするので、ちょっとムッときました。けどしょうがないもんね、そのあと麻酔医が来て説明受け、またまた同意書。教授先生も来てくれました、明日頑張りましょうね、そう声をかけてくれます。何気ないことですが、こういうの嬉しいし、安心します。

 

おへそ切るのかー、そんなこと思いながら、明日に向けてぐっすり就寝です。お腹へったなー。

大腸がんでガ~ン 〜その⑥「入院準備」〜

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自分を変えなきゃ、変わらなきゃ、そんな機会にするんだ、今回の入院をそんなふうに思っていました。手術までの二週間、入院のための準備を進めます、とてもお気楽にね。

 

まずリストアップしたのは以下。

・本

・ノート、ボールペン

・くつ

タブレット(映画、Kindledazn

・モバイルバッテリ(コンセント)、ケーブル、wifiプリペイドsim)

・イヤホン、歯ブラシ、歯磨き粉、コップ、ひげ剃り、爪切り、タオル、下着

 

何はともあれまずは本、本屋さんを何件かまわり、最終的に以下の本を選びました。

旅をする木星野道夫

「人生について」小林秀雄

イチローの功と罪」野村克也

「敗者の生命史」稲垣栄洋

「人生は攻略できる」橘玲

「マンガでわかる地政学

入院中は暇とはいえ、気楽に読めるものが良いなと思ったのと、この機会に何らかの知見を広げたいと思いチョイスしました。この中で一番感銘を受けたのは、以前ブログでも書いた星野道夫さんの「旅をする木」です、いつかこんな文章をかけるようになりたいな、そんな風に思いますし、星野さんの自然を見る目、感じる力に感動しました。

 

それからタブレット、これはiPadではなく7インチのNEC製のタブレットを持っていくことにしました。僕はサッカー、横浜F・マリノスが好きなのでdaznで試合を見ることが目的です。そのためにはwifi環境も必要です。むかし使っていたソフトバンクのモバイルwifi(501HW)、契約が切れてハードだけ転がっていたのですが、simフリーの手続きをしていたので、プリペイドsimを購入して使うことにしました。

 

プリペイドsimは、ソフトバンクの回線が使えて10GB、180日間2,980 円という怪しげな製品をアマゾンから購入、ちゃんと使えるか不安でしたが、結論から言うと素晴らしい。ふだんiPhoneでは格安simのマイネオを利用しているのだけど、それと比べてぜんぜんスピードが早くて快適です。それに180日間というと約半年、今後、iPadなんかもsimモデルを買って、このプリペイドsimをさしておくと、ちょっとしたときに外で気軽に使えてとても便利そう、よいもの見つけちゃいました。タブレットにはアマゾン・プライムからいくつか映画をダウンロードしておきました。

 

あとはモバイルバッテリですね。これもアマゾンでタイムセールになっていたAnkerのコンセント(usbポート☓2)とバッテリが一緒になったタイプを購入しました。その他、コップや歯磨き入れを100均で買ったり、タオル類を無印良品で買ったり、病院では履くくつ(踵あり指定)をCROCCSで買ったりして、ひと通りの準備が完了です。

 

病気のことは会社にも伝え、有給もたくさん余っているので問題なく休ませてもらうことになりました。やはりみんな、がんというと引きますよね。とても心配してくれました、ありがたいことです。

 

問題は親や兄弟です、やはり何かあった時は肉親、助けを求めたい気持ちもありますが、心配させてしまうのもなーとも思い悩みます。ありがたいことではあるけど、それなりにショックも与えちゃうだろうし、いろいろと考えた結果、言わないでおこうということに決めました。近くに住んでいるのですが、入院自体も2週間位だし、家族と口裏を合わることにしました。

 

そんなこんなで入院準備も楽しく(?)終了、準備万端、いつでもまな板の上に上がれます。入院前の土日には母のお墓参りをし、父とはうなぎを食べに行き、妻の実家にも行ってお墓参りをすませました。一応、何があってもいいように、ひと通りのことはすませておきたいと思ったのです。いよいよ入院、手術です。

 

大腸がんでガ~ン 〜その⑤「大腸がんになって思うこと」〜

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通常、がんが見つかると相当なショックを受け、どうしたらいいのか、いつまで生きていられるのかなど、色んなことが思い浮かび、ひどく落ち込むと言います。僕はどうだったかと言うと、まったくそんな事はありませんでした。他の臓器への転移がなかったから言えるのかもしれませんが、こうなることを想定していた自分がいたのです。

 

うちはガン家系で、幼い頃から叔父や叔母が40代、50代でなくなる姿を見てきました。うちの母も8年前に60代で亡くなりました。だから、いつかは自分もがんになるのだろうな、そんなことを漠然と思っていたのです。

 

それと最近は、なんていうのかな色んなことをやり尽くしたとは言わないけど、自分の限界みたいなことをいろんな局面で感じることが多くて、もう僕の役割は終わったのかな、なんてことを思っていたのです。

 

だからなのか最近読む本も、生き物の不思議的な本が多くて、中でも稲垣栄洋さんの「面白くて眠れなくなる植物学」や最近のだと「生き物の死にざま」なんかを読んで、やっぱり生きることの目的は子孫を残すことなんだよな、植物や動物の生きざまを知って、そういう意味では僕の役目はもう終わってるんじゃないかな、なんて思ったり、空を見て、宇宙を見て、なんで自分はここにいるんだろうとか、たまたま、この時代のここに奇跡的にいるだけで、死んだら跡形もなく存在自体もなくなるだけなんだよな、とか考えたりして、なんかいつでもいなくなってもいいや、みたいなことをよく考えるようになっていました。

 

もちろん、そんな事を考えながらも、いま生かされてるってことは、何らかの僕の使命がまだあるってことだよなとも思ったりして、惰性で生きている今を変えなきゃ、変わらなきゃ、ということも強く思っていました。そして、そう思いながらも変えられない自分に葛藤していたのです。

 

そんなことだったから、ガンが見つかったと聞かされたときも、「ああ、そういうことか」やっぱりだな、その時が来たんだな、そんな風に感じたんです。だからなんだか知らないけど冷静にいられた。

 

でもね、これは手術が終わったあとに感じたことなんだけど、どう思ったかと言うと、自分でも不思議なんだけど、もっと生きたいって思っちゃった。病院を出てあんなことしたい、こんなことしたい、色んなことしたい、そんなことを考える自分がいた。笑っちゃうでしょ、自分勝手極まりないよね。

 

それでも、これは何らかの機会なんだ、この機会を逃すと、この先は何もない、間違いなく何もない。自分を変える変わるラストチャンスなんだ、そんなことを思うようになった。だから僕はこれまで惰性で生きてきた自分を変えようと思う、何のために嫌な思いして毎日仕事をしているのか考える、自分が何をしたいのか、何をすべきなのかを考える。僕はお多幸な日々を送りたいんじゃないのか、そのためには何をしなければいけないのか、それを追求する人生を送りたい、送ろうじゃないか、行動しようじゃないか、そう強く思うようになったんです。

 

このブログもそんなこと思って書いてます。自分自身に向けて書いてる。変えるんだ、変われるんだ、こんなことしたい、こんなことできるんだ、そんなこと思って書いてる。僕は何でも良いから、些細なことでも、ちょっとしたことでも、つまらないことでもいいから、行動して、それによって、お多幸な新しい人生を送ろうと思う。その機会を今回与えられた、まさしくセカンドチャンスを頂いた、そう感じていたんです。

 

大腸がんでガ~ン 〜その④「診断」〜

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内視鏡検査で4センチの大腸がんが見つかった。その一週間後に今後の手術や治療について診察を受けるため、妻と一緒に病院に向かいます。ちなみに妻も極めて冷静です、切っちゃえば治るんでしょ、こんな感じ。正直、そんなリアクションで助かりました、あんまり深刻になってもらっても困る、自分ではどうすることもできないわけなので、余計なこと考えないですみます。当然、妻はそんなこと思っていないですけどね。

 

主治医の先生は50過ぎと思われる教授でした。ずいぶん偉い人が担当してくれるんだな、それだけ悪いということなのかなと思いましたが、先生は僕の目を見ながら笑顔で説明をはじめました。

 

病名は「上行結腸がん」腸の上の方だそうです。約4センチ、深さありとの判断で内視鏡ではなく開腹手術が必要、ただCTの結果、肝臓や肺などの他の臓器への転移はないとのこと。その説明を聞いて少し安心しました。先生は紙に図を書きながら丁寧に説明してくれます。

 

僕も知りませんでしたが、早期がん、進行がんというのは、がん臓器に侵食している深さ(浸潤というそうです)によるもので、進みやすいガンかどうかの意味ではないそうです。浸潤度が浅いガンを早期がん、深さがあるものを進行がんと呼ぶようです。「がん保険には入ってますか?」そう聞かれたので入っていますと答えると、腸の表面、浅い部分にできたガンは、がん保険の対象にならないとのこと。そんなこと知らないでしょ、契約書よく読むとかいてあるんだよ、とイタズラな笑みを浮かべて僕に説明します。

 

ガンは「ステージ」でその状況が判断されます。ステージは4段界に分かれており、他の臓器に転移があるものがステージ4、リンパ節に転移があるものがステージ3、転移はないが腸への浸潤度が深いものがステージ2、浅いものがステージ1とのことでした。僕の場合は、他の臓器への転移はないのでステージ1~3のどれか、手術で部位を切り取って病理検査をして決まるそうです。

 

リンパ節転移がある場合は、ステージ3で「抗がん剤」による補助化学治療を約半年間おこなうそうです。ただ、ステージがいくつであっても再発の可能性はあるらしいので、科学治療を行うか否かは、手術をした結果しだいとのことでした。

 

既に2週間後に手術の予定が決まっていました。エライ段取りが良いです。その日であれば教授先生も執刀に立ち会うことが可能とのことで、なんとなく安心しました。

 

手術は腹腔鏡で可能とのこと、穴を3ヶ所くらい開け、お腹の中にカメラを入れ、穴から器具を差し込み施術する方法です。この施術だと術後の治りが早いらしい、入院は8日~10日、会社をどんだけ休むかは自分しだい、それに合わせて診断書書くから大丈夫だよと、ひょうひょうとおっしゃいます。

 

その後も先生は色んな話をしてくれました。血便で大腸がんが見つかる場合、通常はもっと進んでいることが多く、今回見つかったのは幸運だったと捉えても良いとか、手術の後はICU に入るんだけど、君のような元気な人は通常の病室で良いねとか、うちの病院の内視鏡オリンパスと共同開発で500倍に拡大可能なんだとか、僕のがんの画像を拡大した縮小したりしながら説明してくれました。なんか楽しそう。。。

 

なんか先生の説明を聞いていると、大丈夫そうな気がしてきて、不思議と気分が落ち着きました。最後に先生は「一緒に頑張ろうね」と力強くいってくれました。家に帰り、先生から言われた、大腸がんの治療ガイドラインという本をアマゾンで注文しました、先生は一緒に頑張るんだから、病気のことも勉強してねと、この本の購入を進めてくれたのです。

さあ、手術の日も決まり、まさしくまな板の上の鯉です。明日から、手術、そして会社を休む準備を進めなければなりません。何が必要かなー、病院は暇だから何の本を持っていこうかなー。タブレットもいるよなー、お気楽なことに、この時は入院前のお買い物に考えを巡らす楽しい自分がいるのでした。我ながらまったくです。。。

大腸がんでガ~ン 〜その③「検査結果」〜

 

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内視鏡のモニターに見えたドス黒い画像、この瞬間にガンだな、そう思いました。検査が終わると先生は、「大きいポリープが見つかりました、あとでちゃんと説明しますから」そう言って部屋を出ていきました。検査が終わっても麻酔の針は外してもらえず、そのまま腕にテープで貼られます。その状態のまま、麻酔が覚めるのを待つ部屋に運ばれました。検査を終わった人達がそこで1時間位安静にしている部屋です。僕にはなんか色のついた紙が貼られてます、なんかの印なんでしょうね。

 

出口の方を見ると、2リットルの苦行で一緒だったおじいさんがいました。先に終わったようで、着替えを終え、僕がいることに気づきこちらを見ています。ダメでした、僕はおじいさんにそう言いたかったんだけど離れていて話をすることはできません、僕はおじいさんに軽く手を振りました。すると、おじいさんもなぜだか嬉しそうに手を振り返してくれました、何回も会釈をしておじいさんは先に帰っていきました。

 

1時間ほどたつと、苦行の説明をしてくれた看護師さんがやって来て、先生の説明の準備ができました、私も同席します、と何やら神妙な顔で言われてしまいました。もう決定ですね、そう思いました。診察室に入ると先生が検査結果の画像をモニターに表示していました。先ほどのドス黒い画像が映し出されています。あらためて見るとポリープみたいなコブではなく、なんか泥が溜まったような感じです。

 

先生は「病気が見つかりました、4センチ位あります」そう言いました。「ガンですよね」、そう聞くと先生は「間違いないと思います」はっきりそう言いました。そのあと、先生は一方的に説明をはじめ、手術が必要なこと、ステージはわからないが、見た感じではこの部位を取ってしまえば根治可能と思われること、今は動揺していると思うので、後日、奥さんと一緒に検査結果と今後の治療について話を聞きにきてほしいこと等を告げられました。僕はそんな可能性もあると思っていたので、極めて冷静に話を聞いていたのですが、先生の熱心に話す様子や、食い入るようにメモを取る看護師さんの姿を見ていたら、いつのまにか、涙が出ていました。

 

先生の話が終わると、そのままCTを撮りに行くように言われます。刺したままだった点滴の針から、造影剤を投入されます、この検査をするために針をそのままにしていたようです。単なるCTかと思ったのですが、腸に空気を入れてCTを撮るらしく、再度内視鏡をブスッと差し込まれました。今回は不意をつかれたこともあり、若干きつかったです。空気を入れられるのも気持ち悪く、お腹が破裂してしまうんではないか、そんなことを思っていると、「いい写真が取れましたよー」先生のそんな声で、本日の検査は終了となりました。時間はもう夕方の5時をまわっています。

 

苦行で一緒だったおばさんに報告したいな、そんなことを思いました。おばさんのひとりは半年前に乳がんがわかり、抗癌剤治療を受けていると苦行の最中に言っていました。いろいろと副作用があって大変だという話をしてくれました。髪の毛も抜けてしまったのでしょう、おばさんは大きな帽子をかぶっていました。他に転移しているところがないか調べるために今日は内視鏡検査をしていたようです。

 

その時、僕はおばさんに何を言って良いのかわからず、曖昧な回答ばかりしてしまいました、でも今なら言えます、「僕も大腸がんが見つかりました、おばさんはガンの先輩ですね、これからいろいろ教えてくださいね」、そんな事を言って少しでも勇気づけられたら良かったのにな、なぜだか、そんなことを思っていました。

 

会計を待っている間に妻にLINE、「残念ながら大腸がんが見つかりました、手術すれば大丈夫とのことです」。その後、途中、何回もトイレに寄りながら、ヘトヘトになって家に帰りました。

 

家に帰ると妻はまだLINE を見ていなかったようです。なんとなく直接話すのもためらわれたし、疲れていたこともあり9時位に先に寝てしまいました。その後、LINE を見たであろう妻が寝室に入ってきた気配がありましたが、とにかく疲れていたので、そのままその日は寝てしまいました。こんな感じで、僕のガン初日は終わったのです。

大腸がんでガ~ン 〜その②「内視鏡検査」〜

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内視鏡検査を朝の9:00に予約、受付に行くとすでにかなりの人がいます。待ってる間に検査の段取りが書かれた資料を読んでおくようにとの指示、下剤が入った液体2リットルを2時間かけて飲むらしい、うーむ。。。しばらくすると番号を呼ばれ、部屋の中へ。

 

同じテーブルに4人一組で座り、看護師さんから説明を受けます。2リットルの水を250ccずつ2時間かけて飲み、その間に数回便をしてお腹の中を空っぽにしていくようです。まず最初に最近の便の状況、それから今朝はどのくらいの大きさの便が出たかをうんちの模型を用いながらヒアリングされます。。。うーん、シュール。

 

僕の組は70歳過ぎと思われるおじいさんと60歳くらいのおばさん二人。みんなの前で一人ずつのヒアリング、さすがにおばさん二人は恥ずかしそうですが、ヒアリングの結果、この2~3日うんちが出ていないことが判明、まず浣腸しますということで連れて行かれてしまいました。うーん、ハード!

 

しかし、この2リットルの下剤入り液体、薄いスポーツドリンクみたいな感じで、とてもゴクゴク飲めるようなものではありません、けっこうな苦行です。しかもこの容器がペットボトルとかではなく、点滴でつる下げられたビニール袋を大きくしたような容器に入っておりグニャグニャしていてたいそう持ちにくい。なので、おじいさんの分も僕がコップに注いであげました。そんなことしてると二人のおばさんも浣腸から帰ってきたので、「ま、どうぞ」みたいな感じで同じように下剤を注いであげます。なんでこんなとこで気を使ってるんだろね、と思いながらも、おばさんたちも「悪いわね」とまんざらでもなさそう、2時間ご一緒するわけですから、一番若い僕がお注ぎ係となりました。

 

そんなこんなしているうちに4~50分が経ち、あまり便意は感じませんが、一応行っとくかとトイレに座ると、ビャーって感じで出ましたでました。なるほどこういうもんか、そんなこんなを7~8回繰り返していきます。おじいさんも僕と同じペースで進むのですが、おばさん二人はなかなか出ないようです、歩いたりお腹をさすったりしています。それにしても初対面の4人ですが、同じ苦行をしている仲間、トイレから帰ると「出ましたか?」「ええちょっと」「いいわね、ぜんぜんダメだわ」みたいな感じで聞き合います。よく考えるととても非日常的な時間です。

 

便が進むとだんだん薄い黄色の水だけになり、その状態になると看護師さんを呼んで見せます。看護師さんは薄黄色の水を見ると「いいですね、オッケーです。ご苦労様でした」満面の笑みで答えてくれました、なんかテストで合格したようで嬉しい。それにしても看護師さんも大変な仕事だよな、いったい一日何人の便を見るのでしょう。

 

テーブルに帰り、3人に合格をもらえたことを告げると、「いいわね、おめでとう」と祝福?の言葉をいただき、晴れて内視鏡検査の順番待ちの資格を得ることとなります。皆さんも頑張ってくださいね、そんな言葉を残しながら、少しばかりの優越感を持って着替えに向かいます。着替えるのは浴衣みたいな検査着、下着はお尻に穴というかスリットの入った紙パンツ、いよいよ準備万端です。

 

この内視鏡検査、慣れている人は自宅でこの2リットルの苦行を行い、準備完了してから病院に来るようです。なのでその人達も混じってけっこうな順番待ち、1時間以上待つこととなります。

 

そうこうしてるうちにやっと順番がやってきました、若い看護師さんが僕を検査室に連れて行ってくれます。検査室に着くと横を向いて寝るように指示されました。若い看護師さんはおっきなエプロンして、目を守るゴーグルのようなものを装着しています。こんな若い子が検査するのかな、恥ずかしいな、そう思ったけど違いました、しばらくすると若い男の先生がやってきました、テキパキと麻酔を注射していよいよ検査開始です。

 

当然ですが、先生は手慣れた様子、「それじゃ始めまーす」といって、躊躇することもなく肛門にゼリーを塗り、いきなりブスッ。おっ、入った、そんな感じで特段痛みはありません、ドンドン内視鏡が入っていきます。

 

先生はモニターを見ながら検査を進めるのですが、そのモニターは寝ている僕の頭上にあるので、一緒に見ることができます。内視鏡検査のライブ中継ですね。ピンクのキレイな腸が映し出されています。大丈夫そうだな、そう思った次の瞬間、モニターに見えたのは先程のキレイなピンクとは異なる、ドス黒い画像。この瞬間、ピンときました、これ多分ガンだな、先生と看護師さんの動きが慌ただしくなりました。