「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

大腸がんでガ~ン 〜その⑤「大腸がんになって思うこと」〜

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通常、がんが見つかると相当なショックを受け、どうしたらいいのか、いつまで生きていられるのかなど、色んなことが思い浮かび、ひどく落ち込むと言います。僕はどうだったかと言うと、まったくそんな事はありませんでした。他の臓器への転移がなかったから言えるのかもしれませんが、こうなることを想定していた自分がいたのです。

 

うちはガン家系で、幼い頃から叔父や叔母が40代、50代でなくなる姿を見てきました。うちの母も8年前に60代で亡くなりました。だから、いつかは自分もがんになるのだろうな、そんなことを漠然と思っていたのです。

 

それと最近は、なんていうのかな色んなことをやり尽くしたとは言わないけど、自分の限界みたいなことをいろんな局面で感じることが多くて、もう僕の役割は終わったのかな、なんてことを思っていたのです。

 

だからなのか最近読む本も、生き物の不思議的な本が多くて、中でも稲垣栄洋さんの「面白くて眠れなくなる植物学」や最近のだと「生き物の死にざま」なんかを読んで、やっぱり生きることの目的は子孫を残すことなんだよな、植物や動物の生きざまを知って、そういう意味では僕の役目はもう終わってるんじゃないかな、なんて思ったり、空を見て、宇宙を見て、なんで自分はここにいるんだろうとか、たまたま、この時代のここに奇跡的にいるだけで、死んだら跡形もなく存在自体もなくなるだけなんだよな、とか考えたりして、なんかいつでもいなくなってもいいや、みたいなことをよく考えるようになっていました。

 

もちろん、そんな事を考えながらも、いま生かされてるってことは、何らかの僕の使命がまだあるってことだよなとも思ったりして、惰性で生きている今を変えなきゃ、変わらなきゃ、ということも強く思っていました。そして、そう思いながらも変えられない自分に葛藤していたのです。

 

そんなことだったから、ガンが見つかったと聞かされたときも、「ああ、そういうことか」やっぱりだな、その時が来たんだな、そんな風に感じたんです。だからなんだか知らないけど冷静にいられた。

 

でもね、これは手術が終わったあとに感じたことなんだけど、どう思ったかと言うと、自分でも不思議なんだけど、もっと生きたいって思っちゃった。病院を出てあんなことしたい、こんなことしたい、色んなことしたい、そんなことを考える自分がいた。笑っちゃうでしょ、自分勝手極まりないよね。

 

それでも、これは何らかの機会なんだ、この機会を逃すと、この先は何もない、間違いなく何もない。自分を変える変わるラストチャンスなんだ、そんなことを思うようになった。だから僕はこれまで惰性で生きてきた自分を変えようと思う、何のために嫌な思いして毎日仕事をしているのか考える、自分が何をしたいのか、何をすべきなのかを考える。僕はお多幸な日々を送りたいんじゃないのか、そのためには何をしなければいけないのか、それを追求する人生を送りたい、送ろうじゃないか、行動しようじゃないか、そう強く思うようになったんです。

 

このブログもそんなこと思って書いてます。自分自身に向けて書いてる。変えるんだ、変われるんだ、こんなことしたい、こんなことできるんだ、そんなこと思って書いてる。僕は何でも良いから、些細なことでも、ちょっとしたことでも、つまらないことでもいいから、行動して、それによって、お多幸な新しい人生を送ろうと思う。その機会を今回与えられた、まさしくセカンドチャンスを頂いた、そう感じていたんです。