「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

大腸がんでガ~ン 〜その⑨「入院生活、母を思う」〜

 

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無事に手術を終えたもののそれから4~5日のあいだは、ずっと熱が続いていました。それほど高熱というわけではなく37~8度くらい、だけど僕の平熱は35度台なので、体も重くずっと氷枕をする日々です。心配だったのは、腸をつなぎ合わせた部分から便が漏れてしまう縫合不全が起きないかということ。何人かにひとりは起きてしまうらしく、その場合、再手術の可能性もあるらしいのです。手術のあと、お腹が痛かった時もそれがずっと心配でした。お腹から出ている管から汚れた液体が出てくるのでわかるらしいのですが、幸いその兆候はないとのことで安心しました。

 

手術を終えて三日目の朝、痛み止めが切れてしまいました。これは背中に入れた管から注入する薬で、痛い時は自分の手元にあるスイッチを押すと痛み止めが多く出る様になっていたらしいのです。僕は手術当日の夜から、このスイッチを押さないと痛み止めが出ないのだと思い、頻繁に押していました、なので早々と切れてしまったようです。

 

それにしても、その痛いことったらありません、もう脂汗が出るくらい。そりゃあ切腹したんだから当たり前。看護師さんに泣きを入れ、先生に来てもらって痛み止めを追加してもらうことになりました。するとどういうことでしょう、すっかり痛みが消え、体が楽になってしまいました、気分もスッキリ。まったく現金なものです。

 

それにしても相変わらず夜は眠れない。点滴もあるし、管があるので寝返りもできない。よく考えたら普段からあおむきで寝ていない、常に横向き、そんなことも影響しているんでしょう、我ながら繊細だなー。10時に消灯になって、さんざん寝たつもりで時計を見るとまだ0:18、もう愕然としちゃいます。また寝てしばらくして時計を見ると2:30、いったい何時になったら朝が来るんかい、って感じです。

 

こんな状況だから夜が来るのが嫌になる、夕方、日が暮れてくると、あーまた夜が来るのかといつも思う。8年前、母が亡くなるときもこんな思いをして入院していたのかなと思い、もっとしてあげられる事があったよな、とそんなことも思います。自分では一生懸命色んなことしたつもりだったけど、本当の苦しさ、辛さはまったくわかっていなかったのだと痛感しました。

 

母は亡くなる前に1ヶ月半くらい入院していました。その間なにを考えていたのかなと思います。たぶん、よくなったら何をしよう、退院したらどこに行こう、そんなことを考えていたはずです。まさに今の自分がそうだからです。いつかはガンになる、そう思っていたので、今回も全く動揺することはなく、もしかしたらこれで僕の役目は終わったのかな、もう悔いもないよな、そんなことを思っていたくらいなのですが、手術を終えて痛みや熱に耐えている中で考えることは、やっぱり良くなりたい、元気になりたいということでした。

 

僕は何もわかっていなかった、気がつかなかった、浅はかだった、本当にそう思います。母がたんの吸引をしてもらいたくて看護師さんを呼ぶのですが、なかなか来てくれません、僕もナースコールで何回か呼ぶのですが、看護師さんも忙しいのだろうな、そう思って待ちます。やっと来た看護師さんに「遅かったじゃないか」懇願するように母は言いました。僕はやっぱりどこか他人事だったのだと思います。本当の母の辛さ、寂しさがわかっていなかった。それどころか僕は、対面を慮り、看護師さんや時には医師の都合を優先してしまったのです。

 

自分が経験してわかります。看護師さんの対応や医師の対応だって、もっとできることがあったたはず、実際、母が入院していた病院と今僕がいる病院の対応を比べてそう思います。もっと医師にお願いすること、きちんと要求することができたはず。そうすれば、もしかしたら母はもっと生きることができたのではないのか、そんなことばかりが頭をよぎります。

 

亡くなる数日前、医師が回診に来た時、母は先生に聞きました「私死んじゃうんですか」、そんな母の言葉に医師は何も応えずに部屋を出ていきました。母は、医師が何も言わなかったことに驚き、僕に何回も聞いてきました「何も応えなかった、何も応えなかったよね」。そして諦めるようにベッドに横たわったのでした。僕は、母はすでに覚悟を決めていたのではないかと勝手に思っていました。でも違ったのです、生きたい、きっと治る、よくなる、ずっとそう思っていたのです。僕は何もしてあげることができませんでした。

 

亡くなる前日、僕の息子に母は言いました、「ばあばの死に様をちゃんと見ておくんだよ」。この数日のあいだ、母は色んなことを思い、感じ、考えたことでしょう、そして最後にこういうことが言えた時、いったいどのような心境だったのでしょう。何回もいうのだけど、僕は何もわかっていなかった、わかろうともしていなかった、自分のことしか考えていなかった。そんなことを今、自分が入院して初めて気づくとともに、イタイイタイと泣き言ばっかり言ってる自分が恥ずかしくなります。お前は相変わらずだね、きっとそんなふうに母は僕を見て笑っているのではないでしょうか。

 

窓の外を見ると日が暮れてきます。不安や寂しさ、そしてどこか怖さといった感情がムクムクと沸き上がっててくるのを感じます。そんな時に思うのは、夜が明けたら、朝になったら何をしよう、元気になったら何をしよう、そんなことばかりです。

 

退院したら、あんなことしたい、こんなことしたい、こういうことをしよう、持ち込んだノートには、いつの間にか、そんなことばかり書き込んでいました。もしかしたら、僕にはまだやることが残ってる、だから生かされるチャンスを貰ったのかもしれない、それをくれたのは母じゃないのか、都合よくそんなことを考える僕がいました。そして僕の頭の中には「希望」という言葉が満たされていきました。