「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

眠りの森はどこにある ~そこにサクラは咲くのだろうか~

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眠るの好きなんだよね、なんであんなに気持ちいいんだろう。眠りにつく瞬間、あれやこれや思ったり、想像したり、思い描いたりしながらいつの間にやら眠りにつく。そうかと思ったら、眠りの中では夢が待っている。荒唐無稽なものもあれば、怖い夢もある。たまにだけど、とても幸せな夢もある、そんな夢は起きた瞬間に忘れてしまうことが多いんだけどね。

 

目が覚めると、起きなきゃいけない自分との葛藤が始まる、そんなときに休日だということに気づく、その瞬間の安堵感ったらない。このまま、もう少し、それこそいつまでだってぬくぬくしていたい、そんなことを感じながら布団にくるまれている時間は至高の時間だ。

 

 こう考えると、昼間の僕、要は起きているときの僕と眠っているときの僕はどちらが幸せなんだろう、そんなことを思い感じる僕がいる。もしかしたら、僕は眠るために生きているのではないだろうか。

 

 たしかに僕はちゃんと眠らないと翌日のパフォーマンスがとても悪くなる、そんなことを最近知ったというか気づいた。若いうちは勢いで駆け抜けられたけど、今は寝不足だと集中力不足な自分を常に感じてしまう。だからなのか、普段から翌日のために早く寝なきゃと焦ってる。毎朝5時に起きるから、10時半には床に就きたい、寝不足の日は9時過ぎに寝てしまうこともある。コドモかおじいさん級だ、我ながらそう思う。

 

世の中の多くの大人は9時頃からが自分の時間なんじゃないだろうか、テレビドラマ見たり、映画見たり、こうしてブログ書いたり、趣味に費やしたり、もちろん家事や子供の世話でそれどころじゃない人も多いだろう、こんな僕は単にぐうたらで怠け者なだけかもしれない。きっとそうなんだろう。こんな僕は幸せだ。

 

 だからなのか、こんななことを考える。僕は眠るために生きているのか、それとも日中目覚めてる時のために生きているのか。きっとどちらもなんだろう、だけど僕は人より眠る時間が好きなのかもしれない。もしかしたら、眠る時間も惜しんで取り組む何かがないだけなのかもしれない。

 

 眠っている時間が好きなんだったら、死んじゃっても同じなんじゃないか。もしかしたら人間って、歳をとると段々眠る時間が長くなって、それが続くようになるのが死ぬってことなんじゃないだろうか。そういう生き物なのかもしれない。桜も咲き始めたっていうのにこんなことをノンキに考える。

 

桜だって1週間やそこらの短い間、花を咲かすためだけに生きているのかもしれない。それ以外の時間は眠って力を蓄えているのかもしれない。だとしたら僕は何のために眠るのだろう。どんな花を咲かすために眠るのだろう。

 

 眠り続けることが死ぬことなら、花を咲かすことも、その必要もなくなったということなのだろうか。それが枯れるということなのだろうか。僕は今どのような状態なのだろうか。もう花は咲いたのだろうか、それともこれから咲くのだろうか。

 

 わからない、僕にはわからない、わからないから僕は僕らは毎年桜を見るのかもしれない。こんなこと思いながら桜の花を見上げてみる。ああそうか、そんなことを思いながらその花の先にある青い空に気づく。幸せだな、そんなことを感じながら横になって眠りにつく。それいいんじゃないかな、そんなこと思う青い日々でした。