「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

ワニが死んじゃった ~僕らは奇跡の中を生きている~

f:id:Blue-J:20200321170750j:plain


100日後に死ぬワニが昨日死んじゃった。twitterで話題になっていたらしいけど、目のつけどころが素晴らしいよね。ワニの日常を描いた四コマ漫画の最後に死ぬまで〇〇日と付け加えただけ。それだけでワニの日常が、ドラマチックというか、センチメンタルというか、ロマンチックなものになってしまった。

 

 

なるほどなー、まだこういう表現の仕方もあったんだね。世の漫画家さんやイラストレーターさんはビックリしたかもしれない、こういのうのを発明というんだろうね。面白いもんです。

 

 

そう考えると似たような話ってほかにもある。例えば末期がんにかかって余命が何か月みたいな話がある。これも基本は一緒だよね。生きられる時間がわかっているからこそ、その主人公の送る日常が劇的になるし、いつの間にかそれを応援している僕らがいる。今回のワニの日常は、ワニ本人がそれに気づいていない、だからこそ、なにげない日常の切なさ、それを受け止める僕らの感じ方が跳ね上がったというわけだ。

 

 

僕も毎日見ていたわけではないけど、時々見るワニのことが段々好きになっていったし、四コマだからこそ、自分が思い感じる余地がたくさん残されていて、いろいろと考えさせられることが多かった。

 

 

昨日の最終話もしばらくの間、じっと見てしまった。ワニが最後に見た風景はサクラ舞い散るいつもの街の景色だったんだろうな、その瞬間何を考えたんだろうな、なんてことを咲き始めた桜を見ながら思ってしまう。

 

 

最初にも言ったけど、主人公のワニがあと○○日で死ぬことがわかっているから、ワニの日常がドラマチックでセンチメンタルでロマンチックなものに見えた。でも、そうだとしたら、あと○○日で死ななかったとしてもワニの日常は本来、ドラマチックでセンチメンタルでロマンチックなものだったんじゃないだろうか。実は僕らの日常も一緒なんだと思う。

 

 

何だか知らないけど、僕らは僕らの日常を一生懸命過ごさなければいけない、頑張らなければいけない、悔いのないよう取り組まなければいけない、そして何かを成しえなければい、そんな風に勝手に思いこんじゃってる。僕自身がそうだ、だからいつも充実した時間を送らなければいけないと焦ってばかりの日々を送っている。そして充実した時間とは何なのかと、禅問答みたいな問いを繰り返し続けている。

 

 

こんなふうに思い悩みながら日々歩き続けるのが人生なんだろう、そんなことを思っていたけど、もしかしたら違うのかもしれない、そんなことをワニを見て思った。以前、何かしなきゃと休日に焦ってばかりの僕をどうにかしたくて、逆に何もしない休日にしてみた。そしたら色んなことが考えられて、なんか知らないけど充実感というか納得感を感じることができた。

 

 

もしかしたら、そういうことなのかもしれない。僕らは生きていること自体が奇跡であって、その奇跡の日常はすべてがドラマチックで、センチメンタルで、ロマンチックなんじゃないだろうか。だから焦る必要なんてまったくなくて、あるがまま、成すがままの自分になるというか、そんな自分でいることが大事なんじゃないだろうか。

 

 

そんな自分であることが大事だから、色んなことを気づき感じて取り組む必要があるんだよね。そんなことを今回ワニから教えてもらったような気がします、ホントありとうございました。アデューワニ!楽しい人生だったね、また会いましょう。最後に見た桜はどんなサクラだったのかな、今度教えてねー。