「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

ひな祭りには蛤食べて ~リスペクトがつくる僕らの時代~

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ひな祭りには蛤を食べるそうだ。蛤の貝はきっちりつがいになっていて、同じ貝じゃないとぴったり重なりあわないらしい、それが生涯一緒というか、一緒に暮らす伴侶を象徴するらしい。そんな相手と一緒になれますように、いい旦那様とめぐり合うことができますようにと願いを込める、なんか一つひとつに意味が込められていて、こういう風習は素直に素敵だなと思います、代々受け継いでいければいいですよね。

 

でも、こんな風習を知ってる人はすでに限られちゃってるとも思う。先日のひな祭りの日にスーパーに行くと普段売っていない蛤が売られていたけど、それがなぜなのか意識してる人なんてほとんどいないんじゃないだろうか。僕が知らないだけなのかもしれないけど、このような風習、いつまでも続かないんじゃないかと思っちゃう。

 

逆に節分の日に食べる恵方巻のように、いきなり風習化してしまったものもある。関東にそんな習慣はないってのにね。スーパーでもデパートでもコンビニでもいたるところで売られまくっていた。今年はどっちの方角を向いて食べるなんてことも、すっかり世間一般に受け入れられている。この辺はやっぱりビジネスなんだろうね、仕掛けた人は偉いもんだ。でもよく考えると、バレンタインデーだってホワイトデーだってそうなんだから、商魂たくましいというか、その時々のビジネスが新たな文化を生み出していることは間違いないんでしょう。

 

そう考えると、ひな祭りだって最初に蛤を食べようって言いだした人がいるわけだし、どんな風習にも始まりはあるわけです。もしかしたら蛤漁師が始めたのかもしれない。そんなこと考えると、色んな風習の起源っていうのは、ロマンチックなものじゃなくて、意外と現実的なものなのかもしれない、そんなことも思います。

 

やっぱり時代に合わせて、文化も僕らの生き方も変わっていくんだと思います。当たり前のことだけど、それでいいんだと思うし、大事なのはこれまで培われてきた風習をリスペクトすることじゃないかと思います。

 

実はこれって風習だけじゃなくてすべての面でそうだと思う。僕の会社でもコロナウイルス騒動のせいでテレワークが当たり前になりつつあるけど、テレワークが適した仕事、適さない仕事って本来はある、それに自由な働き方の成果を出すための手段がテレワークであれば、アウトプット至上の成果主義に改める必要もあるし、それを使う一人一人のモラルも大事になってくる。

 

まだ入社して一年にも満たない新人がテレワークって、ひとりでどんな仕事するのさって違和感あるけど、本人は楽しそうだし、一概に否定してはいけない。ここで大事なのは、こういう施策を当たり前のことのにして、効果を最大化することだから。これまでのやり方とは違うってことだけで否定したりしないで、とにかく使ってみることが大事だと思う。そしてもうひとつが、これまでの働き方、仕事の進め方に対するリスペクトも必要ってこと、今までの働き方に負けない働き方を実現していく、そんな心意気が大事なんだと思う。

 

だからね、すべてはリスペクト、そういうことなのかもしれないと思うんです。世の中にあるものに無駄なんてない、だからリスペクトする、リスペクトしあう。それでこそ素敵な風習は素敵な風習として輝き続けるし、時代に合わせて新たな風習へと変化していくことができるんだと思います。

 

ということは、やっぱり時代は僕らがつくるってことですよね。素敵な世の中、そしてお多幸な生活ができるように僕らが時代をつくっていくことなんだと思います。世の中のすべてのことは、その一つひとつに意味がある、そんなことをココロに刻みながら青い日々を送っていきたいと思います。