「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

嫌われたっていいじゃない ~誤魔化しの日々からの卒業~

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人と話をしていて、こんなこと思う自分がいる。相手によく思われたいな、嫌われたくないな。そんなこと思って、相手と本気で議論することもなく、最初から落としどころを見つけようとしている。

 

別に嫌われたっていいじゃない、そんなことも思うけど、嫌われるよりは好かれたほうがいい、それに一緒に仕事してる相手だったりすると、単純に面倒くさい。でもそれは後付けの理由であって、本当は誰からも嫌われたくない、いい人だと思われたい自分がいる。まったく自分がないよねー、とよく思います。まったく情けない限り。

 

こんなことを思うのには理由がある。自分にこうすべき、こうしなければいけないという芯が通っていないから。だったら、何か貫き通すことを貫けばいい、そう思うけどできない、それはいったいなぜなのか?まったく弱い、弱っちい、そうではなく、貫き通すべきことを考えていないから、面倒くさいから、億劫だから、だからだから単に端折ってるだけだから。そんなことを思い気づいていやになる。

 

それが根本にあって、その上で誰からも嫌われたくない自分がいる。だから相手の言うことに相槌を打ったり、笑って答えたり、気づくといっつもそんな感じ。そんなに人に良く思われてどうしようってんだろうね。だったらもっと自分に厳しく、自分を鍛えればいいのにってこともよく思う。まったくこれを誤魔化しの日々というのだろう。

 

でもその誤魔化しの結果、僕に何かいいことがあるのだろうか。何もないよね。そんなことにいまさらながら気づいてしまう青い日々。だからもうやめよう、誤魔化すのはもうやめよう、そう思います。気づき感じてるだけじゃダメなんだぞと、先日気づいたばかりじゃないか。何か行動に移さなければ、気づき感じた意味もありません。

 

現在、日本中、というか全世界で大騒ぎのコロナウイルス。こんな状況なのに会社を休めずというか在宅勤務できるのにしないで満員電車に揺られて会社に向かう人がたくさんいます。これって会社の相手が気になっているだけ、責任という名のもとの自分のなさ、これが根本原因だと思います。そう情けない僕は僕だけではないのです。コロナウイルス以上にそこいら辺に蔓延している情けない僕らがいるのです。

 

だからね、必要以上に自分の至らなさを感じてもしょうがない、自分でできること、すべきって思ったことを一つひとつやっていけばいいんじゃないかと思います。そう、そうなんです、思ったこと、感じたこと、気づいたことを一つひとつ何かの行動に移してみればいいんです。そんだけ。そしてその繰り返しで、一つひとつがひとつ二つ三つになっていくんだと思います。

 

なんかそう考えたら気が楽になっちゃいました。まずは、何でもいいけど今日一日、自分がすべきことは何か、そこで自分が貫き通すものは何かを毎朝考えてみようかしらん、そんなことから取り組んでいけばいいんじゃないかしらんと思い始めた次第です。

 

ローマは一日にして成らず、三歩歩いて二歩下がる、そんな感じでちょっとづつ歩いていければ、いつかどこかに到着しているのではないでしょうか。そんなお気楽なことを考える青い日々です。今度、相槌を打つのやめてみようかな、その時、僕はどんな僕になっているのでしょう、面白いじゃん、こんな感じで新しい春を迎えてみるのもいいかもね、楽しいお多幸な人生を送りましょう、気づき感じ、そして何か行動してみましょう、そんな青い青い、青い日々なのでした。