「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

僕らは幻想の中で生きている ~愛とロマンの大相撲~

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大相撲ってスポーツなのだろうか興行なのだろうか。相撲と大相撲って違うのだろうか。なんかそんなこと思っちゃった。だって15日間真剣勝負って正直無理なんじゃないだろうか、すると相撲ってプロレスと同じ興行ってことなんだろうか、相撲って国技だよね、国技がそんなことでいいのだろうか、なんてね。

 

コロナウイルスの影響で無観客の取組がテレビで放送されている。なんか違和感があるというか、正直、相撲それも大相撲ってスポーツじゃないのかもしれない、そんなことを感じてしまった。

 

だって、お酒を飲んだりお弁当食べたり、それで不甲斐ない取り組みがあったら座布団投げたり、そんな観客がいなくなった瞬間にとんでもなく嘘くさい空間になってしまったんだもの。こんなこと言うと怒られちゃいますよね、でもそう感じちゃったのだから仕方ない。やっぱり興行だったんだなって。

 

いつもと違う風景がある、それを見て気づくことがある。ということは、いつもの風景のままだと気づかない、ずっと気づかない、気づかれないということなのだろうか。そんなの寂しい、それに騙したい人はずっと騙し通す、そういうことなんだろうか。大相撲がそうだと言っているわけではないけど、少なくとも純粋なスポーツではない、そう思うし、そうであることの良さ、興行であることの良さがあるにも関わらず、純粋なスポーツと騙し通そうとしている人がいる、このことのほうが問題だと思う。

 

こういったことが一連の貴乃花親方の騒動の根源なんだろうな。確かにあの武蔵丸との一戦、当時の小泉首相が感動したって言った取り組みは間違いなくスポーツだった。でもそれを追求したら大相撲は大相撲じゃなくなっちゃうもんね、だから大相撲は興行でいいと思うんです、代々培った夢をずっと見させてくれればいいと思う。伝統芸能ってやつですよね、歌舞伎と一緒です。

 

そう考えると幻想の中で生きているというか成立している出来事ってたくさんあるんだと思う。バレンタインデーやらの色恋沙汰や、お葬式とか結婚式とか、お祭りとかね、でもそれはそうでいいんだよね、それが僕らをロマンチックにさせるのだし、それをわかっていながらその中で生きる僕らを演じていたり、感じあっていたり、それが文化で文明なのかもしれないって思います。

 

だから僕らはもっと夢を見ていいんですよ、おとぎ話の中に入り込んでいいんですよ、だってそれがあるから現実の生活があるのだもん、現実だけじゃ生きていけないんだよ僕らは。僕らには幻想が必要なんです。

 

なんかしっくりきませんか、僕らの日常と非日常を作り出しているもの、それはすべて僕ら自身が生きるために存在しているんだよね。うまくできているよな僕らの世界って。だから宗教だって会社だって、もしかしたら家族だって僕らが生きていくために編み出した知恵なのかもしれない。そんなことを思ってしましました。

 

だったらさ、思いっきりローマンチックになっていいんじゃない?、もっともっと幻想を見てもいいじゃない、夢の中に生きてもいいんじゃない、そんなんことを思います。現実をもっと見ろよ、理屈で生きろよ、そんな堅苦しい生き方から脱却することが本当の幸せを追求することではないのかしらん、そんなことを思い感じた青い日々です。

 

だからおっきな声で応援しましょうよ、はっけよーい、のこったのこったってね、思いっきり座布団投げたっていいんですよ、それが今を生きてる、幻想の中で精いっぱい生きてる僕らの役割なのですから。