「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

自分勝手

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先月、久しぶりに雪が降った。
やはり東京で降る雪は珍しい。
しばらくの間、窓の外を見続けてしまった。
まあ、僕が暇なだけのこと。

 

雪だけじゃなくて、雨の日もずっと外を見続けてしまう。
何が面白いのかって?
いやいや、こんな面白いことないと思う。
空から水が降ってくる。
しかも、ドバっとじゃなくてサラサラとシトシトと。
よく出来たもの。
こんな不思議な光景、見逃しちゃいけない。
僕はいつもそんなことを考えている。

 

だからなのだろう、いつも大事なことに気がつかない。
自分のことばかり考えている、そんなことを人から言われる。
僕は自分が思ったこと、感じたことを考えているだけ。
それなのにみんなは僕のことを「自分勝手」と呼ぶ。

 

でもその通り、僕は「自分勝手」な人間。
だって自分は自分でしかないのだもの。
生きているのも自分でしかない。
ある意味「自分勝手」であることは当たり前。
自然な人間の姿だと思う。

 

かといって、みんながみんな、自分勝手では生きていけない。
だから、人を思いやり、みんなが一緒に生きていく社会が必要になる。
その中で、同じ価値観を持ち、社会の一員となることが求められる。
「自分勝手」ではいけない、子供の頃からそう教え込まれる。

 

いつしか人は、自分を思いやることより他人を思いやることを優先してしまう。
そして、自分がそうであるように、相手も自分に対してそうであって欲しいと思ってしまう。
そんな自分は、自分が他人にどう思われているか、常に考えるようになる。
いつの間にか、自分の評価を相手に求めてしまう。
そんな自分は、そんな誰かの奴隷となってしまう。

 

まったく困ったもの。
「自分勝手」で自然な自分でいたい自分。
それじゃ生きられないから、相手を思いやる自分。
いつしか、自分も思いやられることを求める自分。
自分が大切だから、自分が一番でありたいと思う自分。
そんな自分の評価を求め、自分が自分でなくなる自分。

 

面白いね。
でもよくわかった。
結局すべて、「自分勝手」な自分が原因だということ。

 

僕らは「自分勝手」な生き物。
だから「自分勝手」でいればいい。
自分を思いやるのも、相手を思いやるのも、結局は自分のため。
全ては「自分勝手」な自分のため。
幸いなことにそれでも生きていける世の中に僕らはいる。
恵まれた世の中。
だったら、「自分勝手」な自分でいたいじゃないか。
誰にも属さない、誰のものでもない自分。

 

そのためにすべきこと。
自分で自分のことを考えること。
自分で自分を制御できること。
だから僕はこんな雑文を書いているのかもしれない。
そうしないと「自分勝手」な自分を忘れてしまいそうだから。

 

ああ、今日も楽しい一日だった。
青い空でも見ながら、ビールでも飲もう。
明日も楽しい一日がやってくるに違いない。
「自分勝手」な自分でいられることに乾杯だ。