「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

寝ても覚めても 〜大切なのは、もう一人の自分〜

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最近、ふと気がついた。寝ても覚めても会社のことばかり考えてることに。うまくいかないなーということや嫌なこと、いろいろなことが起きる毎日、そのほとんどは会社で起きることなのだからしょうがないのだけど、我ながら不思議に思ってる。

 

なんでかっていうと、僕は仕事が好きじゃない、会社も好きじゃない、だから会社のために自分の時間や感性なんかを費やすのはまっぴらゴメンだと思っている。それなのに寝ても覚めても会社のこと、仕事のことばかり考えてるのはおかしいんじゃないかって。あんなこと言われちゃったとか、どうしてもっとうまくできなかったのかとか、なんであんな怒り方をしてしまったのかとか、思い出しては悔やみ、憤り、至らない自分に情けない思いでいっぱいになる。

 

こう思うのには訳がある、なんかうすうす思ってた。仕事ができる人、偉くなる人ってっていうのは、私生活でも成功している人なんじゃないかってことに。逆に言うと、そうじゃない人は私生活もうまくいってない人、ダメな人間なんじゃないかって。だから充実した生活、お多幸な生活を送るためには、仕事ができなきゃいけない、出世できなきゃいけないんじゃないかって。こんなことを思い感じてしまう自分がいた。

 

たぶん、半分正しくて、半分間違っているのだと思う。仕事ができる人は大概要領がいいし、人付き合いもうまいから、私生活でもいろんな面でうまくやれると思う。でもだからといって、そんな人たちの私生活や、日常が充実しているかっていうとそんなことはない。逆にそんな人たちは仕事ができる自分=成功している自分と勘違いして、勘違いな人生を送ってしまうことだってある。よくある話だ。

 

でも、やっぱりこんなことも思う。会社も一生懸命、私生活も一生懸命、会社で成功して出世して、私生活でも充実したお多幸な生活を送る、それが最高に素敵な人生ではないのかと。だから会社で嫌なことや、うまくいかないことがあると、そんな最高の人生から遠ざかることになってしまうんじゃないかって思っちゃう、やっぱり両方成しえないと充実した人生とは言えないんじゃないかって思ってしまう僕がいる。

 

うーん、どうなんでしょう。両方できることに越したことはないけど、実は問題はそこじゃないこともわかっている。会社云々の前に僕は仕事以外に優先してやるべきことがない、優先して時間や感性を注ぎ込む何かがない、実はココが一番の問題だと知っている。だからずっとしっくりこないんだ。まったくカッコ悪い僕、こんなことにも改めて気づく。

 

さてさて、それではこんな僕はどうしたらいいんでしょう。まあ、そんなに仕事が気になるんだったら、まずは仕事を一生懸命やってみることではないのかしらん、自分のことながらそんなこと思います。そんで、そんな仕事よりもっと大事なことを見つけるしかありません。まったく小学生みたいな回答で申し訳ない。

 

でもそうなんだと思う。仕事や会社にとらわれたくないって思う自分がいるのは確か、でもそこから逃げ出さずにやるべきことをやり遂げることが大切なこと。そして、それだけに没頭しない自分を客観的に認識する、これが大事、これを続けていくしかなんだと思います。

 

一番やりたいことを仕事にできている人は、とっても幸せな人、でもそうでない人が世の中の大半、僕も含めてね。だから、何でもやること、一生懸命にやって、それを常に客観的に見れる自分であり続ける、これしかなんだろうなと思います。

 

我らが横浜F・マリノスのアンジェポステコグルー監督は言いました、今のマリノスのサッカーはハードワークが求められるが、自動車整備工場や道路整備を朝から晩までやっている人のほうが間違いなくハードワークだ、だから自分の好きなこと、サッカーを仕事にできている君たちは、そんな人たちに負けないようなハードワークをしなければならない。まさしくこういうことですよね。

 

一生懸命と、客観性、そういうことだと思います。主観と客観とに置き換えてもいい。まずは自分が何をやるか、何ができるか、そしてそれを空の上からもう一人の自分が見つめ問い続ければいい。これが最高の人生なんではないかと思います。それができれば自然と納得の行く人生が送れると僕は信じています。納得は自分で得るもの、人の評価を求める自分になってはいけない、そう心に刻みながら今日という日を七転八倒しながら過ごす、そんな青い日々なのでした。