「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

StayHomeな旅に出る ~晴れ渡った日曜日の青い空~

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久しぶりにすごい雨風だったなー、まるで台風みたい。これで汚れたきった社会、ウイルスに侵された世の中がキレイに洗い流されればいいのにな、昨日の豪雨が嘘だったかのように晴れ渡った空を見て、そう思います。こんなにすがすがしい空気が充満してるのに、人から人にウイルス感染が拡大してるってのは不思議だよなー、僕らが雨では流せないくらい汚れちゃってるってことなんですかね。そんな乙女なことを考える日曜日の朝です。

 

それにしても今朝は素晴らしく晴れ渡った空が広がっています。そういえば昨日の夕方、雨上がりの青空と幾重にも重なった空に夕日が差し込む姿も圧巻でした。虹でも架かるんじゃないかしら、そんな風にも感じさえた素晴らしい光景です。

 

こんな景色を見た時や、旅行で訪れた土地で見た絶景などに遭遇する度に思います。家族にこの素晴らしい景色を見せたいな、共有したいな、そして色んな人たちに自慢したいな。そう思って写真を撮るのだけど、映し出されたその光景は、生で見た景色とは相当に異なります。なぜなんでしょう。

 

ひとつは僕らが見ている光景これは視野角が上下に左右にかなり広いということがあると思います。だけどピントが合っているのはその中のほんの一点だけ、でもその一点が次から次へと移り変わっていく。それによって見ている景色がそこにいなければ味わえない景色になるのだと思います。

 

対して写真は、パノラマ写真とかもあるけど、視野角は限定されるわけです。そして一番異なるのが、そこに映し出された景色すべてにピントが合っていることではないでしょうか。要は現実的に僕らが見ている景色ではないんですね、カメラという機械が実現した、再構成された景色ということなんだと思います。

 

それに加えて大事なのが、僕らは目の前のものを目だけで見ているわけではないってことだと思います。何かを見ているとき、同時に鳥の音や子供の歓声を聴いたり、静かな風の温かさや感触をカラダ全体で感じたり、清らかな雨上がりのアスファルトの匂いを感じたり、カラダ全体の五感で感じているのだと思います。

 

それが目で見た光景と合わせあって脳みそで再構成される。それが自分が見た景色として認識されるのだと思います。そりゃあ、写真と違うよね、当たり前ですよね。

 

でも、こうも思います。写真を見るときにもその時の五感で感じながら、その写真を感じることができるんじゃないかって。だから写真を見て感動すること、写真だからこそ感動させられるものっていうのもあるんですよね。面白いもんです。

 

そう考えると、僕らが接するものすべてに意味があって、僕らが表現するものすべてに無限の可能性があるんじゃないかといまさらながらに思います。これってとっても素敵なことだと思いませんか、そう思うと僕らが生きている意味が分かるような気がします。

 

僕らが旅に出る理由もわかるし、僕らが何かを作り上げる理由もわかる。僕らは感じたい、そして感じさせたい、そういう生き物なんだと思います。

 

だから今日も感じましょう、そして気づきましょう、きっと素晴らしい日曜日になると思います。外に出なくても、家の中にいても、素敵な機会は無限に広がってます。僕らの可能性は無限大なんだ、そんなことを思い感じる青い日々なのでした。StayHome。