先週の木曜日だったかな、ものすごい三日月でした。絵に描いたようというか、映画に出てきそうな、それはそれはキレイな細長い三日月が夜空に輝いていたのでした。
この三日月、昔の人はどんな風に思ってみていたんでしょうね?
いま僕らは、太陽と月の間にある地球の影で、月がこのように欠けて見えることを知っていますが、昔々の人たちは、どういう思いで、この三日月を見ていたのでしょう。
僕ら日本人が月と地球と太陽の位置関係でこのように見えると知ったのはいつ頃なんでしょう。知らなかった時の人たちは、ただただキレイだなー、不思議だなー、そう思ってみていたんでしょうか。
きっと、そんなことないと思うんだよねー。
月ってそういうもの、ただただ、そこにあるもの。それ以上でも以下でもなかったんじゃないかと思います。
それより大事なこと、なんたって自分たちは生きることが大事、そんなところだったのではないでしょうか。月をはじめとした自然はそこにあるもの、自分たちと一緒に存在するもの、だから、敬いながら接するもの、そんな存在だったんだと思います。
これが、代々紡がれてきた暮らしの中での自然と僕らの光景だったんじゃないのかなーと思います。
そう考えると、宇宙とか科学とかって、一生懸命解明を図ることに何の意味があるんだろ?なんてことを思ってしまいました。
頑張ったところで、この世が存在している理由や僕らが何者なのかは誰にもわからないはずなのにね。
うーん、僕らは日々思い悩み、仕事や家庭や恋愛なんかのことで、あーだこーだと四苦八苦しているわけですが、もっと大事なことがあるんじゃなかろうか。
今の暮らし、今の時間をもっと楽しみ、感謝する、それだけでいいんじゃないかしらん。まずはそんなことをもっともっと普段から感じ考えてなきゃいけなんだと思います。
みんながそんなことを感じ考え、その上で何かに取り組むことができたなら、ステキな世の中になるんだろうな。
まずは僕だけでも、そんな生活を送れるように取り組んでみようかな、今日も飽きずに青いことを考える青い青い私なのでございました。