「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

ひとりでできたもん 〜客観性のある鈍感力とは〜

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3年間くらい単身赴任をしていたことがある。それまでの僕は独り暮らしの経験がなく、洗濯も料理もしたことがない、まったくの社会不適合者だった。単身赴任生活で洗濯はいとも簡単にできるようになったけど(というかボタン押すだけなのね、知らなかったー)、料理はまったくする気にならなかった。新築で入ったマンションのガスコンロ、一回も火をつけなかったくらい。出るとき不動産屋の人にビックリされちゃった、そりゃそうだよね。

 

それでいてほぼ外食ですましてきたかというと、そんなこともなかった。僕は独りでする外食がとても苦手で、だいたい外で買ってきたものを家で食べてた。今時そんな大人がいるのかと思うかもしれないがここにいるのです。夕食は、つまみにビール、そしてワインとパンで締め、そんな生活を送っていた。つまみはチーズとかスーパーで買ってきたお惣菜。

 

夏なんかの休日、外で生ビールでも飲みたいなーとは思うのだけれど、独りで店に入り、つまみにビールなんてありえない、それなら家に帰ってお気楽にテレビでも見ながら独りで飲んだほうがよっぽどましっていうのが僕の考え。居酒屋で、カウンターのおやじに話しかけながらひとで呑んでる世のお父さんたちってすごいよなー、大人だよなーと尊敬するわけです。吉田類さん尊敬します。

 

夜だけじゃなくて、ランチも苦手、なんか手持無沙汰だし。入るにしても中華屋か蕎麦屋、常連さんがいるような店はとにかく苦手、かかわりにならないようにしてしまう。それに良く行く店であったとしても、常連さん面するのはまっぴらごめん、一人で気まま、これに尽きると僕は思ってしまいます。コドモでしょ、価値観の問題かもしれないからしょうがないけどね。

 

そんな僕なんだけど、ここにきて、ひとりで食事をすることが億劫じゃなくなった。さすがに一人で飲みに行くことはないけど、旅先の夜なんかはそんなこともできるようになった。ひとりでできたもんってやつです。

 

そこで思うのは、なぜできるようになったのかということ。自分に問いかけて分かった答えがこれ、僕は他人の目を気にしすぎていたってことなんですね。お店の人にどう思われるか、まわりの人にどう思われるか、そんなことばっか考えている自分がいたんです。おかしいと思われるかもしれないけど本当なんだからしょうがない、自意識過剰も甚だしいってやつです。それがどうして平気になっちゃたのかというと、面倒くさくなったから。自分が自意識過剰なのがわかって、そんなことに気を使っている自分がばからしくなったから。だから鈍感になった。そういうことなんだと思います。

 

たぶんこんなこと考える人って皆無に近いと思うんだけど、こういう人もいるってことなんです、それが僕なわけだけど、改めて思うとつまんないことに労力をかけているよなーと感じます、バカみたい。こういうタイプの人って精神疾患にかかりやすいんだよね。僕もちょっとその気がありました、極端な閉所恐怖症みたいなやつ、飛行機にもずーっと乗れなかった。でもそれも平気になっちゃった。鈍感力万歳です、不思議なもん。

 

なんか些細なことに労力を使うのがバカらしくなっちゃったんですよね、そう思ったら、あれだけ苦手だった飛行機だって、どうでもいいやって思っちゃった。もっと早く気が付けばよかったなー、でもね、これは成長したわけじゃなくて、さっきから言ってるように鈍感になっただけなんだよね、人って歳をとると鈍感になるのです。

 

だからいるでしょ、傍若無人な大人、頑固一徹な大人、口うるさい大人、言うこと聞かない大人、みんな鈍感になってるんですよ。でもある意味、幸せなことでもあります、自分の行動や発言に自信を持ってるってことでもありますからね。そう考えると鈍感力を高めるってことは一種の成長でもあるのかもしれません。

 

でも僕はこうも思います。客観性のある鈍感力を持った大人になりたいなと。たとえ鈍感であったとしても、少しでも他の人たちの共感を得られる鈍感でありたいなということです、それが客観性のある鈍感力です。

 

ただただ、鈍感な大人にはならないぞっていう誓いでもあります。ひとりでできたもんを、少しでも増やしていくことで、立派な大人になりたいもんです。僕はまだまだ成長するんだ、そんな中二病のような僕を少しかわいらしくも思うバカな僕なのでした。鈍感でしょ。だから青い日々なのです。