「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

祝・成人(50歳)

f:id:Blue-J:20220110173228p:plain



今日は成人の日。
晴れ着やスーツに身を纏った新成人の姿がニュースに映し出される。
そんな姿を見て、自分にもそんな頃があったことを思い出す。
なんてことはない。

 

僕は成人式に行かなかった。
特段の理由があったわけではない。
行っても良かったし、行かなくても良かった。
誰からも誘われなかったから行かなかった、ただそれだけのことだ。

 

友人がいない?
まあそれは正しいのだけど、僕に取っての成人式は、それくらいのものだった。
式に行って、たいして仲が良かったわけでもない友人と会ってもしょうがない。
面倒くさいだけ、同じ理由で同窓会の類にも出席したことはない。

 

昔から人とつるむのは苦手だ。
それでも仕方なく、友人たちと一緒にいた。
自分から進んで一人になることはできなかった。
一人ぼっちの寂しい奴、そう思われたくなかった。

 

我ながら矛盾している。
人と一緒に居たくないのに一人でいるのは嫌。
だから、いつも自分を装ってきた。
いつも誰かの目を気にしてきた。

 

そんな僕も、最近、ようやくそんな自分から卒業できた。
ひとりで何でもできるようになった。
食事だって、旅行だってひとりで行ける。
いや、ひとりの方がいい、気兼ねなく何でも楽しめる。

 

ようやく僕は大人になれたのかもしれない。
祝・成人50歳、そんなところだ。
いったい成人の日から何年経っているのだろう。
でもいい、とにかく僕は大人になれたのだ。

 

みんなが行くから行く、誘われたから行く。
決まりごとだから行く、お祝いだから行く。
喜ばなきゃいけない、楽しまなきゃいけない。
そんな慣習に囚われてはいけない。

 

自分のことは自分で決める。
それが大人だ。
それでこそ成人だ。
これからの時代は、そんな自分が求められる。

 

今日、成人を迎えたすべての人に言いたい。
成人とは与えられるものではない、自分自身でなるものだ。
だから時間をかけてでも、自分の意思で成人になるべきだ。
そうじゃないとこれからの時代は生きられない。

 

さあ、僕も成人になった祝杯をあげようじゃないか。
今日はスパークリングワインにしようか。
ひとりで飲む時間は楽しい。
誰にも気兼ねなく過ごせる至福の時間。

 

これは友人がいない自分への言い訳ではない。
決してない。
事実だけど、それでもいいじゃないか、僕は大人になったのだ。
おめでとう、祝・成人。