祝・成人(50歳)
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今日は成人の日。
晴れ着やスーツに身を纏った新成人の姿がニュースに映し出される。
そんな姿を見て、自分にもそんな頃があったことを思い出す。
なんてことはない。
僕は成人式に行かなかった。
特段の理由があったわけではない。
行っても良かったし、行かなくても良かった。
誰からも誘われなかったから行かなかった、ただそれだけのことだ。
友人がいない?
まあそれは正しいのだけど、僕に取っての成人式は、それくらいのものだった。
式に行って、たいして仲が良かったわけでもない友人と会ってもしょうがない。
面倒くさいだけ、同じ理由で同窓会の類にも出席したことはない。
昔から人とつるむのは苦手だ。
それでも仕方なく、友人たちと一緒にいた。
自分から進んで一人になることはできなかった。
一人ぼっちの寂しい奴、そう思われたくなかった。
我ながら矛盾している。
人と一緒に居たくないのに一人でいるのは嫌。
だから、いつも自分を装ってきた。
いつも誰かの目を気にしてきた。
そんな僕も、最近、ようやくそんな自分から卒業できた。
ひとりで何でもできるようになった。
食事だって、旅行だってひとりで行ける。
いや、ひとりの方がいい、気兼ねなく何でも楽しめる。
ようやく僕は大人になれたのかもしれない。
祝・成人50歳、そんなところだ。
いったい成人の日から何年経っているのだろう。
でもいい、とにかく僕は大人になれたのだ。
みんなが行くから行く、誘われたから行く。
決まりごとだから行く、お祝いだから行く。
喜ばなきゃいけない、楽しまなきゃいけない。
そんな慣習に囚われてはいけない。
自分のことは自分で決める。
それが大人だ。
それでこそ成人だ。
これからの時代は、そんな自分が求められる。
今日、成人を迎えたすべての人に言いたい。
成人とは与えられるものではない、自分自身でなるものだ。
だから時間をかけてでも、自分の意思で成人になるべきだ。
そうじゃないとこれからの時代は生きられない。
さあ、僕も成人になった祝杯をあげようじゃないか。
今日はスパークリングワインにしようか。
ひとりで飲む時間は楽しい。
誰にも気兼ねなく過ごせる至福の時間。
これは友人がいない自分への言い訳ではない。
決してない。
事実だけど、それでもいいじゃないか、僕は大人になったのだ。
おめでとう、祝・成人。