最近は、働き方改革やらなんやらで会社の制度もずいぶんと変わってきた。今どきの会社は今どきの施策をとらないと若者はドンドン離職してしまう。そんな若者に媚びるわけではないが、今までの当たり前や常識から離れて、アウトプット至上主義、そのための科学的プロセスの実践へと会社も変わり始めている。もちろん、それは望ましいし、そうしないと会社も生き残れないとようやく悟ったんだと思う。
だけど、昭和の時代から続く封建的な会社制度、一朝一夕には変わりません。というか変わろうとしているのだけど、ピントがずれることもしばしば。せっかくの施策が目的化してしまってる姿もよく見かける。
僕の務める会社でも、ドレスコードフリーが始まった。堅苦しいスーツじゃなくてもいいですよ、自由な格好で自由なイノベーションを生み出してくださいってやつ。この施策自体はいいですよ、大賛成、こんなちょっとしたことでも、慣習に縛られない働き方を促すことはいいことだと思う。でも、このような施策を優先するあまり、お客さんのことをないがしろにしちゃうケースもある。お客さんがスーツにネクタイなのに、自分は会社の施策ですからとラフな格好、これってどうなのって思っちゃうでしょ。でもいるんですよね、そういう人、客観性が著しく低い人。
この辺は学校の延長線でしか物事を考えられない昭和の会社にありがちです。仕事の本質より、自社の制度や決まりを先に考えちゃう。そもそもその時点で、お客様のことを考えていないということが明らかになっちゃうから、市場からの退場に向けて一直線ということになんだけどね。そんなこともわからないから、ゆでガエルになっちゃうんだ。
それからね、ドレスコードフリーって、けっこう見てて痛々しいんですよ。お硬い会社でこんな施策を始めると、もうそこら中に痛々しい人がいっぱい。ジャッケットの下に丸首のTシャツ、それはいいんだけどこのTシャツが下着みたいに薄手だったり、その下に着ているランニングシャツが透けて見えたりで、ズッコケそうになる(これまた昭和な表現)。
やっぱ、センスが無いと仕事だってうまくいかないんだと思う、経営だっていちばん重要なのはセンスだと思う。着ている服だって、自分に似合うがどうか、他人から見てどう思われるか、自分をどう演出できるか、そういったセンスが大事。そういうことができている人は、会社にとって一番大事なことはなにか、市場で求められていることはなにか、いつどのタイミングで実行すべきか、みたいな経営センスも長けている、そう思います。
さてさて、色んな事言っちゃったけど、全体的には変わろう、変えようと取り組み始めた日本の企業、とてもいいことだと思います。何ごとも勉強、そして修行が大事ですからね。
それにおしゃれ自体は楽しいもんね、たしかにスーツもカッコいいし、楽だけど、ちょっとカジュアルにオシャレするのだってもっと楽しい。そんな中にも清潔でビジネスの現場でも信頼されるような格好をどうつくるか。それがセンスだよね。人生はセンスが大事なんだ、仕事も、プライベートも、もちろん着ている洋服も。お洒落すると自分に自信が持てるってこともあるもんね。単純でしょ。
こんな些細なことでも楽しむ人生がお多幸な人生なんだと思います、面白いよね。ニッポンも変わる、会社も変わる、そしてそれより先に自分が変わらなきゃ、センスの良い自分を作るってことは、センスの良い世の中を作るってことだ。本当は政治にもセンスが必要なんだよね、まだまだ僕らにできることはいっぱいだ、楽しんじゃいましょうねー。
「キレイ」
街がキレイだな
緑道も
公園も
一体誰が掃除してるんだろう
不思議不思議
本当に不思議
みんな清潔づきなんだな
一生懸命
働いて
街やそこらじゅうをピッカピカにして
僕らを気持よくしてくれる
そんな彼らは誰なのだろう
不思議に思って聞いてみた
なんでこんなにキレイにできるんですか
そしたらこう言われちゃった
もともとキレイなんだ
君たちが汚いだけ
自分が汚いことに気がつかないだけ
僕は恥ずかしくなって
家に帰ってゴシゴシ
顔を洗ってみたのだけど
なんかちっとも変わらなくて
変わった気がしなくて
さっきのところに戻ってまた聞いてみたんだ
どうしたらキレイになれますか
そしたらこう言われちゃった
無理だね
だって
キレイ
それが何かを知らないんだから
そうか
僕がキレイだと思っていたのは
キレイではなくて
キレイを知ることだったんだ
それを教えてもらったから
僕はキレイになろう
そう思って
生きている
キレイになるために