「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

なんで緊張するんだろう 〜立派な大人ってどんな大人〜

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緊張するって、意識するようになったのはいつからだろう。人前で話すとき、失敗できない、かっこいい自分に見せたい、できるやつって思われたい、いいこと言うって思われたい、いろんな思いが交錯し、それが緊張に変わっていく。そんなこと意識するようになったのは大人になってからのことだ。

 

会社に入って数年立ってから、なぜだか急に緊張するようになった。それまでは人前で喋るのもあまり苦にならなかった、それなのにおかしいなって感じるようになった。なんかカラダが小刻みに震えるのを意識するようになった、震えてるのを誰にも見られないようにしようと思えば思うほど、緊張は高まり、カラダのあちこちが強ばりだす。

 

人前で話すときだけじゃない、若い頃おしゃれな美容院で髪を切られているとき。なんか椅子に縛り付けられたようで動けないと思った瞬間にカラダが強ばりはじめる。小刻みに体が震えだす、震えているのを悟られないようにしようと思えば思うほど緊張は増して行く。かっこ悪い自分がここにいいると思えば思うほど、どうしようもない思いが増していく。

 

自意識過剰と言われればそのとおりかもしれない。でも今ならわかる、僕は自分に自信がなかった。人前で話す時、かっこいい自分と思われたい、髪を切ってもらう時、おしゃれな美容院に似合う自分でありたい、そんな思いが心の中にあった。そんなこと気にしなきゃいいのに、自分を自分以上の自分に見せたいといつも思ってた。

 

つまり、自分を装ってたんだね。自分の意見がないから、自分に力がないから、自分の容姿や振舞いに自信がないから、自分を装うしかなくて、それがバレないように緊張する。自分の体は自分の心をよくわかっている。心が嘘をついてる時、体は敏感に反応する。ただそれだけのことだと思う。

 

自分は自分でしかない、いまの自分以上の自分になりたいから努力をする、それでもまだ足りなければもっと努力をするしかない。だから人前で話すときだって、いまの自分が思っていることや考えていることを話せばいい、その内容が物足りないのであれば努力不足、準備不足、自分の力不足、それを受け入れるだけ、だってそれがその時の自分自身なんだから。

 

要はね、必要以上の自分になる必要なんてサラサラないってこと。そのときに必要とされる自分は自分以上でも以下でもないってことだから、そこにいる僕がスゴイ僕かダメな僕かは、もうその時の事実でしかない。もちろんスゴイ僕になりたいから努力するんだろうけど、大事なのはそれを判断するのは他人ではなく自分ってこと。それを理解すれば、緊張すること自体がちゃんちゃらおかしいことだってわかる。

 

これは鈍感になるということでも、諦めるということでもない。今の自分自身を受け入れるということ。でも、これって実はなかなかできなんだよね。最初に言ったとおり、すこしでも良く見せようとしちゃうから。そうではなくて、今の自分は自分でしかないのだから、その自分であり続ける事が大事。これができるのが「大人」だと僕は思う。鷹揚な大人、そういう人になりたいね。

 

実はこのことに気づいてる人ってあまりいない。だから世の中には、常に急いでいたり、焦っていたり、緊張していたりする人がたくさんいる、はい僕です。だからね、まずは何ごともゆっくり動くこと、喋ることをおすすめします。時間はたくさんあるんだから。そうすれば見えてくる、何がって、自分自身が。

 

思い出してごらん、子供の頃、まわりにいいた大人は、みんなそういう大人だったでしょ。ようやく、ぼくらの番がやってきたんです。ただそれだけだよ。みんなそのプロセスを歩いてきてるんです、そして早かれ遅かれ大人になるんです。なんかそう考えると楽しいね、立派な大人になると新しい何かが見えるかもしれない。それって、ようやく自分に気づくってことだからね、楽しみでしょうがないね、立派なおとなになりましょーね!