「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

散歩の効能 〜ドラえもんのしっぽ〜

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散歩をすると、色んなことを忘れることができる、色んなことを考えることができる、ひとりになれる、自然の中に入り込むことができる、気がつかなかったことに気づくことができる。

 

休みの日の早朝や夕方、家の近所を散歩する。朝は30分位、日中だと2時間くらいかけて色んな所に行ってみる。なるべく行ったことのない道を選んで歩く。Weekdayにあった嫌なことも忘れられるし、無になって新しいことが考えられる、僕にとって散歩は日常をリセットする機会であり、新たな行動を起こすスイッチ、ドラえもんのしっぽみたいなもん。

 

特に雨が降ったあとの道を歩くのが好きだ。道路から乾いたアスファルトの濡れた匂いがする、緑道からは土の匂いがする、草の匂いがする、雨が世界を洗濯してくれたかのようで清々しい気持ちにしてくれる。

 

時たま想定外の雨に出くわすことがある、そんな時は雨宿り。なるべく大きな樹の下でしばらくやり過ごす。そんな時間はなんか不思議な時間だ、いつも忙しく動いているのが不思議なくらい、いつまでだって雨が降る光景を見ていることができる。

 

得したなって思う時は天気雨に出会った時。こんな時は思い切って傘もささずに濡れてみる。雨雲の隙間から日が差し込み、光り輝く雨が降り注ぐ、なんか新たな舞台が開演したかのよう、そんな気持ちにさせられる。ごくたまに虹を見ることができる、思わず、「あっ、虹だ」そんな言葉が口から出る。虹を見つけた人はみんな嬉しそう。

 

早朝の散歩は、新鮮な空気を独り占めしているかのようで心地よい。住宅街を抜け、緑道を歩き、景色が開けて公園に出る。その時、新鮮な空気の色が変わる。あたり一面に草の匂いが充満して、緑の匂いで溢れている。酸素工場、いままさに新鮮な空気を造り出し、街に送り出している、そんなところだ。

 

散歩しているとよく思う、僕は与えられてばかりだなって。僕はこの自然に対して、草や木や土や空や雲や雨に対して、なにか与えることができているのだろうかって。もらってばかり、慰めてもらってばかり、勇気をもらってばかり、不公平だよね。そんな時は耳を澄まして自然の声を聴くようにしている。

 

いつもの木が草が花が、まるで生きているかのように(生きてるんだけどね)、動き出すかのように、生き生きとして見えてくる。僕らが彼らに気づくように、彼らも僕らに気づいてほしいんだと思う。

 

少しは与えることができたかな、気づくってそういうことだよね、そんなこと思いながら、ニコニコしながら、きょうも僕は歩いている。そんな僕を見つけても、決して不審者ではないから怪しまないでほしい。

 

たまに地面に座ってみるといい、木を抱きしめてみるといい、空を見上げて見るといい、きっと気づくことができるから。こんな幸せ、なかなかないと思う。気づくか、気づかないか、僕は気づきたい、どんな些細なことでもいいから気づいていきたい。それが僕がここにいいる理由だと思うから。寒くなってきたから、風邪引かないように暖かくして出かけましょう、そして緑の日々、青い日々を送ろうじゃありませんか。ねっ、幸せでしょ。

 

 

 「存在」

 

 散歩をしていたら

 気がついた

 

 僕は囲まれていることに

 まわりの木々

 

 みんなが僕を見ている

 不思議なことに

 

 僕を見下している

 わかった

 

 彼らは

 見えないところにもいる

 

 土の中

 そちらが彼らの本体

 

 僕は知ってしまった

 そんな僕を彼らは見ている

 

 僕は逃げも隠れもしない

 だから僕は友だちになることにした

 

 喋れないし

 どこかに一緒に行くことだってできない

 

 でも一緒にいる

 そう思うことにした

 

 そう思うことにしたら

 彼らは悠々と僕の前に存在し

 

 僕も彼らの前に存在し

 ただそれだけの存在になった