「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

コメダ珈琲で思う「無個性」の「個性」化


コメダ珈琲に行った、初コメダ

GW、家族で出かける行事もない。
一度行って見たかったコメダ珈琲に行こうと誘ってみた。
(しょぼい父親で申し訳ない)


到着したのは11:30、既に満員だ。
愛層のいい店員さんがてきぱきと働いている。


10分ほど待って席へ案内される。
これがコメダ珈琲か、喫茶店とファミレスの中間みたいな感じ。

メニューを開くと思ったより少ない。
もっと色んなメニューがあると思っていた。


家族はサンドイッチ、僕はホットドックとコーヒーを頼む。
運ばれてきたコーヒーはいたって普通、袋に入った豆菓子つき。


なんでこのお店が全国に広まっているのだろう。
特段値段が安いわけでも、食事が美味しいわけでもない。


横の壁に「KOMEDA COMES TRUE.」と書かれたシールが貼ってある。
ドリカム?何の意味だろう。


スマホで調べるとコメダ珈琲が実現していきたいことを表しているらしい。
くつろげる場所であり続ける、みたいなことが書かれている。


よく考えると、最近は喫茶店らしい喫茶店って少ない。
スタバやタリーズ、もしくはファミレス。
またはデパートなんかに入っている高級喫茶。


昔ながらのモーニングが出てくるような喫茶店って以外にない。
それのフランチャイズ、要はファミレス版がコメダ珈琲なのか。


なんか味気ないけど、誰もが気軽に入れるお店。
普通であること、それを差別化要素にしちゃうんだから、商売上手。


こうなると、一芸に秀でたとんがった店の方が痛い店に見える。
ああ頑張ってるね、こだわってるんだね、もっと普通でいいのに、そんな感じ。


世の中、個性が一巡するとこんな感じになるのだろうか。
無個性の個性化。


でも、世の中そんなお店ばかりだと寂しい。
無個性のように見えて実は個性がある、そんなお店がカッコイイと思う。


人も一緒。
フツーに見えて、一本筋の通った人。


そういう人に限って、着ている服も高品質なものだったりする。
要はそんな服が似合う人。


逆に見かけは突飛だけど、よく見ると、まわりの人も同じような恰好をしている。
着ているのはワンシーズン限りのファストファッション


個性を表現しているのか、個性を装っている(装わされている)のか。
誰かのお仕着せで個性を装うなんてごめんだよね。


自分を知って、自分を正しく表現したい。
似合う似合わないというのは、自分を知っているか否かと一緒だから。


人もお店も一緒かもしれない。
コメダもいいけど、そんなお店も応援したい。


コメダ珈琲でくつろぎながらそんなことを思う。
ああー、商売上手だなあ。