大人な大人ってどんな大人だろう?
自分の意思が明確である、意見をはっきり伝えることができる、言いたいことをいう、人間味がある、包容力がある、所作が大人である・・・、うーん、なんか抽象的だけど、子供のころ大人を見て感じていたことを今、言葉にするとこんな感じだろうか。
所作っていうのは色々あるけど、お酒を飲んだりタバコを吸ったりするのもそう、かっこよく車を運転するのもそう、相手の目をはっきり見て低い声でゆっくりと話しかける様もそう、飲み屋でお姉ちゃんとたわいもない話ができるのもそう、人それぞれだけど共通的なのは相手から見て自分のキャラクターが明確であるということだ。
それが良いのか悪いのか、良く見えるか悪く見えるかは関係ない、これが自分、そういったものがあるから、どんな時でも緊張がない、良い意味でも悪い意味でも自分に自信がある、そういった姿勢を貫き通しているのが大人だと思う。
そう考えると、僕は大人だけど大人だろうか。違うよなー、見かけはおっさんだけど、僕はそんな大人ではないと思う。人の目を気にするし、気を使うし、緊張するし、いつも相手のことを考えて人に接しているような気がする。基本笑顔、それに僕は怒ることが苦手だ。逆に言えば僕は弱い人間なんだろうね。石器時代なら瞬殺されてるかもしれない。
ちなみに会社で出世できる要件の一つに「怒れること」というのがある。これは規則で決まってるわけでも、人事がそう言っているわけでも、ビジネス書に書いてあるわけでもない。僕が言っているだけだ。でも事実そう、正しいか正しくないかは関係なくて、自分がいかに正しいかを演出することが大事、そしてその正しさに反していることについて容赦なく怒れることがリーダシップとして求められている。なぜかというと、怒ることで相手が服従すれば、自分の意見が通るということだから、理屈、へ理屈織り交ぜながら、よく言えば意見を貫き通す。それによって自分の立ち位置を築けることが出世する要件でもあるのだ。
なんかこざかしいって?そう、実はそれも大人の所作のひとつなのである。だから小さいころ、よく理不尽なことで怒られたでしょ、それと一緒なんです。理解のある大人なんて大人じゃないんですよ。それが生きるっていうことなのかもしれない。大人が大人の階段を上るために学んできたことなのかもしれません。くっだらないけどね。
さてさて、そんな大人でないことを僕はどう受け止めるべきか。まっ、いいんじゃないの、そんな大人がいても、自分を慰めながらそう思います。だって世の中、同じような大人ばかりじゃつまんないもんね、世はダイバーシティの時代、いろんな人間、いろんな大人がいるから面白いのです。
でもね、低い声で、緊張もすることなく、自分の意見を淡々と言える大人には憧れちゃうな。それでいて姑息でもなく、自分のやることに自信を持って取り組んでいる人ね。近くにもいるでしょ、そういう人。そんな人になりたいなー、でも、そんなこと思うこと自体が子供だって?そうかもしれないね。でもしょうがない、いつかそんな人になりたいなって本当に思います。
じゃあ、どうしたらそういう大人になれるんだろう。それは明確なんだ、三行前に書いたこと、「自分のやることに自信を持って取り組んでいる人」。わかっちゃいるんだけど、できないんだよねー。それにこういう人って、自営業の人に多いような気がする。自分の力で事業を営んでいる人ね、事業が大きいか小さいかは関係ない、自分のやるべきことが明確な人たちだ。逆にやっぱり、こういう人はサラリーマンには少ない。自分のやるべきことをやっていても、人に評価されないと成立しない職業だからだ。なんか悲しいよね。
さてさて、僕はどうしましょうかね。目指すべき大人な大人になるために必要なことは明確なんだから、それを実行するのみだ。僕はサラリーマンだけど、会社も自分のことも、自分にできることを全力で貫きたいと思う。きっとできると思う。そこには人の評価は関係ない、さっき言ったとおりこれが大事、そしてそこには客観性をもつことがもっと大事、僕の気い使いなな性格や人の目を気にすること、相手を意識しすぎることだって、実は重要なことなんだと思う。だから僕にとって大事なことは人の評価を得ようとしないことだと思う。
重松努さんも言ってたもんね、人に評価されようと思ったらその人の奴隷になるって、僕はその言葉を心に刻み付けている。それを実行できる強いココロ、あっ、それと強いカラダを持ちたいと思います。それが僕の青い日々なのです。でも、こうやってブログ書いていても知らない人が星マークつけてくれたりすると嬉しくなっちゃうんだよなー(僕はつけたことないけどすみません、しきたりがよくわかっていません)。まだまだ修行が足りない、でもだから青い日々なんだ、立派な大人になれますよーに!
「立派なオトナ」
僕は大人だけど
立派な大人だろうか
そういうと
立派なオトナってなんだ
そんなこと思うけど
ホントは分かっていて
知っていて
気づいてるんだけど
知らないふり
気づかないふりして
いつのまにか
自己肯定
じゃなくて
誤魔化して
なんとなく生きていて
だから
僕は立派なオトナかと言うと
そうではなくて
じゃあ立派じゃないかと言うと
そんなこともなくて
僕は僕になればいい
これがホントの事なんだけど
それでもまた
気づいているようで
気づいていないから
誤魔化すことになっちゃって
なんで誤魔化しているのか
それも知っているから
また誤魔化しちゃって
あれ?
僕は誰だっけ
そんなこと思ったりするから
僕は僕であることに気づいて
知って
泣いて喚いて
なんてことはしなくて
ただ淡々と歩き続けて
今の僕ができているわけで
しょうがないよな
そんなことも思うけど
しょうがないなんてことはなくて
そこもひっくるめて
僕は僕だから
僕は僕だから
それを思い
気づくことができる僕だから
まだまだ捨てたもんじゃないな
そう思いながら
前を向いて
歩いている
ただそれだけ
いつか
立派な大人になれるといいな
それだけ
ただそれだけ