「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

成長したいのは何のため ~明るいうちからシャンパン呑むため~

f:id:Blue-J:20200411180435j:plain



桜も散っちゃいましたね。毎年の恒例行事、マンションの敷地内にある竹林のタケノコ狩りも今年は中止となってしまいました。近くを通ると、いるわいるわ、頭をちょこんとのぞかせたタケノコちゃん達が。思わずココロがむずむずしてきます、掘りたいなー、見つけたいなー、そんな気持ちで頭がカラダがしびれ始めてくるのがわかります。楽しんだよね、タケノコ堀って!

 

世の中は緊急事態宣言でありながら生き物たちはいつものように花を咲かせ、芽を出し、育ち始めています。たくましいよねー、ホントそう思います。でも僕らだってたくましいのです。こんな世の中ではありますが、変わらずいつもの生活を続け、ストレスがといいながらも、いつもの日常を送り続けています。実はちょっと楽しんじゃってない、そんなこと言うと怒られますね、はい。僕らだって桜やタケノコちゃんたちと同じように成長し続けているってことです、そう思います。

 

ところで、そんな僕らの日常において、良く成長の機会を求めてっていう話を聞きますよね。今の自分をより成長させたくて、困難な仕事に自ら志願したり、転職したりするってやつです。あの職場に行けば成長できる、あの人の下で働けば成長できるってね。こんな人を見る度に僕はたくましいなーと思います。

 

そして同時になんでわざわざキツイ仕事に身を置く必要があるのか、もっと楽な道を歩けないものかと思ってしまうのです。こんな僕を世間はグウタラって言うんでしょうね。たぶん当たってます。でも、仕事なんかでよく成長したい成長したいって言ってる人を見るたびに思います、この人たちのゴールって何なんだろ、何を目指して成長したがってるんだろうって。

 

聞くとね、いいキャリアを送りたい、そのためにスキルを得たい、そんなことを言います。まあ、もっというと成功したい、出世したい、お金持ちになりたいってことなのかもしれません。でもさらによくよく話を聞くと出世はしたいけど出世自体を目的にしてなかったり、お金持ちにはなりたいけどサラリーマンの現実もわかっていて、そこそこの暮らしができればいいと思っている人が大半なんですよね。

 

なんかね成長したい成長したいと、困難にあえて望んでいくにしては、望むべくモノが低いというか大志がないというか、そんなことを感じてしまいます。お前が言うなって?その通りではありますが、そう感じてしまうんです。お前の成長したいってのはその程度のことなのかって。だったらもっと楽してゴールにたどり着いたほうがいいんじゃないのかって。

 

なんかさ、世の中の大半の人ってゴールが不明確なまま、成長したいとか、努力努力とか言ってるんじゃないかな、そんなこと思います。つまり、悩みながらも、あれしなきゃ、これしなきゃって、単に強迫観念に駆られている人が多いんじゃないだろうかって。

 

もちろんそんな人ばっかじゃなくて、プロのスポーツマンのように明確な目的を持って取り組んでいる人もいいんだろうけど、それでも「なぜ」って聞くとそのゴールが曖昧な人が大半なんじゃないだろうか。

 

僕?僕は明確だよ、「お多幸」になりたいの、それを感じたいの、それを感じ続ける生活を送りたいの。それだけ。でも、それってお金があれば成り立つものでもないから、探し続けるというか、毎日七転八倒しながら、もがき続けてるわけです。でもそんな中でもお多幸を感じるときがあるから楽しい、そんな時間で満たし続けたい、それが僕のゴールです。

 

お気楽でしょ?でもいいじゃない、苦労することも大切だけど、何のために苦労するかを意識してないと、苦労することが目的になっちゃうよね。成長したい、成長したいって言ってる人たちにそんなことを感じてしまうんですよね。

 

いまね、スパークリングワイン飲みながらこのブログ書いてます。僕の大好きな時間。まだ日の明るいうちに、グラスに注いだスマークリングワインを空に透かして見るんです。グラスの底から泡が空に向かって立ち上るわけね、これを飲み干す瞬間がサイコーなんですよね。

 

やっぱりグウタラかな?でもこんな時間がお多幸な時間だと思うんだよね。幸せです。それでいいんだと思うんだよね。七転八倒しながらもこんな時間を大切にする、それを理解する、そして感じる、それが大切なんじゃないかと思います。

 

桜だってタケノコだって、もう来年に向けて、次の花を咲かすために取り組むわけだ。僕らだって負けてられないもんね、お多幸な生活を歩み続けるぞーっと。そんなこと感じながら酩酊する緊急事態な春なのでした。すみません。幸せだー。