「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

いまの僕はこれからの僕

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今週は月曜日から札幌に一泊で出張、今日は愛媛に日帰りで行ってきた。手術してから二ヶ月ちょっと、すっかり普通の生活に戻ってしまったけど、体重も落ちたままだし、体力も戻っていないので、やっぱり疲れる。お腹も急に痛くなることがあるし、自分のカラダは自分でいたわらなきゃとあらためて感じる。

 

札幌は3年前にすこしの間だったけど、単身赴任をしていた土地、久しぶりの札幌はすべてが懐かしかった。一人で暮らしていた時はとにかく寂しかった。北海道という土地がこんない素晴らしい場所だとしらなかったのと、そんな素敵な場所に一人でいなければならない状況に我慢できなかった。

 

僕は、世の大人と同じように一人暮らしを謳歌したりできなかった。毎日飲みに行くのを楽しんだり、すすきのでお姉ちゃんと戯れたりすることになんの価値も見いだせない子供な大人だった。そりゃ美味しいものを食べるのは好きだけど、気心のしれた家族や友人と食べてなんぼ、人に気を使いながら一緒にいるより一人の方がよっぽどマシと感じてしまう社会不適合者だった。いまもそうだけど。

 

だから北海道の生活もひとりで色んな所に出かけたのだけれど、家族に見せたいな、一緒に行きたいな、そんなことばかりを思ってた。そして、なんで僕はひとりなんだろうな、なんておセンチなことをずっと考えてた。

 

だからなのかな、不摂生もせず暮らしていたつもりだけど、そのころ僕の大腸にはガンがせっせと成長していたわけだ。たぶん健康な体は健康なココロが育む、きっとそういうことなのだろう。

 

出張の合間に懐かしくって以前住んでいたところにも行ってみたのだけれど、あの頃の気持が思い出されてきちゃって、またカラダが悪くなるんじゃないかと心配になっちゃった。そうだよね、過去のおセンチな自分を振り返るのもいいんだけど、なんの糧にもならないよな、あらためてそんなことを思った。

 

これって全てに通じるんじゃないかな。あんなことがあった、こんなことがあったと過去を振り返り、その時の気持ちを思い出し、感傷に浸ることもある、でもこれってなんの意味ないこと。だって今が大事なんだもん、そしてこれからが大事なんだもん。ほんと、それだけ。

 

過去を振りかえってくよくよするのは百害あって一利なしだと思う。もちろん反省は大事だけど、それはなんのためかと言うと、今のため、そしてこれからのため。ただただ過去を振り返って感傷に浸るのはまったく意味ないこと、今ごろ知るなよって声が聞こえてきそうだけど、僕は今知ったのです。

 

でもいいんだ、知ることができたんだもの。そうじゃなきゃ一生くよくよしながら生きていくことになっちゃたかもしれない。それにこんなことでも知ることができたのは、つらい思いをしたからなのかもしれないし、それによって今を感じることができたからなのかもしれない。今の自分は今の自分でしかないのだし、今の自分はこれまでの自分からできているのだから、必要なプロセスだったのだと思う。これが成長するということなのだと思う。いいように解釈してるけどね。

 

それにしても、久しぶりに札幌で食べたジンギスカンは美味しかったな、こういうの食べていいのかなとも思ったけど、とりあえず何食べてもいですよと言われてるし、腹六分目を考慮してれば大丈夫でしょ(と思う)。誘われるままに二軒目にも行っちゃったけど、サイコーに楽しかった。だから過去を思い出すだけでなく、今を生きるのが大事なのよねん、そんなこと思った寒い寒い札幌の夜でした。