「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

生まれた時から僕は僕なのか?

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僕は見栄っ張りだ。

 

大学生の頃、友人に誘われて代官山の美容院に行った。
床屋でなく初めての美容院、前に倒れるのではなく後ろに寝転んで髪を洗ってもらえる美容院。
住宅街の一角にある一軒家を改築したお洒落な美容院。
もちろん、看板などない。
芸能人も通うというその美容院は、たいそう居心地が悪かった。

 

環境やサービスが悪いということではない。
自分の理解を超えたお洒落さに僕自身がついていけなかっただけだ。

 

その美容院に行くために雑誌を見ながら服を一式そろえた。
一番カッコいい服を着こんで、髪を切るためだけに横浜から代官山に向かう。
緊張し続けながら、美容師さんに気を使いながら髪を切ってもらう。
こんなだから、耳を二回も切られた。

 

それでも、僕は全然大丈夫だから気にしないで、などい言いながら謝る美容師さんに気を使った。
その時の傷跡は今でも残っている。
結構、血が出たんだよなー。痛かった記憶だけはある。

 

髪型なんかも美容師さんにお任せだった。
色々と言われたような気もするが、わかっている風を装うのに必死だった。
サイドを刈り上げ、ツンツン頭にされた時は自分でも似合っていないと思いながら、ありがとう、そんなふうに笑顔で答えた。

 

家に帰り、驚いた親の顔が忘れられない。
しかもその時の一言、「お前、頭の形良くないんだね」
それから刈り上げたことは一度もない。

 

こんな若かりし日を思い出して気づくことがある。
それは、今も昔も僕の「所作」がまったく変わっていないということだ。

 

オシャレな洋服屋さんに入っても、高級なレストランに入っても、同じように行動している。
店員さんに勧められると断れない。
店員さんに気を使い、わかった風のいい客を演じてしまう。

 

そうかそうなのだ、僕は昔から変わっていないのだ。成長もしていない。
となると今の僕は、いつ頃出来上がったのだろうか?
もしかしたら、生まれた時から僕は僕だったのではないだろうか?
なんかおかしなことを言っている。

 

でもそうなのだ、僕は僕自身でしかない。
つまり僕は僕のことを受け入れるしかないのだ。

 

受け入れたうえで、どうするか、これが大事なのだと思う。
それなのに僕は僕自身を否定して、変えようなんて思ってしまう。
僕は僕自身なんだから変えようがないのに。

 

ふー、なんか大切なことを発見してしまったような気がする。
今日は僕が僕に気づいた誕生日だ。
まったく、何十年かかってるんだろうね、
まあ、これも歳をとったからわかることかもしれない。

 

頑張ろっと。。。