「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

あの三日月は、誰が見ても同じ三日月なのだろうか?

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三日月を見ていて思ったことを先日書いたのですが、もう一つ思ったことがありました。

 

月ってなんなのか、知ってようが知るまいが、何千年も前から人間はこの月を見ながら生活をしてきたわけでございます。家族を作り、子供を産み、代々紡いできた人間様、その最新版が僕らなのだと思います。

 

それは何も人間様に限った話ではなく、牛や馬や猫や犬、トンボや蝶々に草木なんかも同じことなんだよね。

 

それが生命ということなんだと思いますが、さてさて、その僕らはいったい何者なのか、この世は何で、一体全体どうやって今があるのか、まったくもって不明なわけです。

 

ということで、僕思ったんです。僕が死んだら、この世はなくなるんじゃないかって。

 

すべては、いま生きてる僕のために存在しているのであって、僕がいなくなったら、僕とともに無くなっちゃうんじゃないだろうか。そんなことを真剣に思ってしまいました。

 

もちろんそんなことはないんでしょうが、僕からとってみればそういうことでもあると思います。

 

この世はすべて僕のために存在している。なんか、そう考えた方が建設的なんではないのかしらん。

 

ハヤブサ小惑星に行ったり、月に人間が行ったりして、色んなことを解明するのも大事なんだけど、もっと自分の今のためにやることがあるんじゃないだろうか。そう思ったりします。

 

それは何なんでしょう?

 

それこそが、「考える」こと、そして「思い」「感じる」ことではないのか。本気でそんなことを思います。だから、こんな雑文を書いてるにかもしれません。

 

今日も世界は自分のために存在する、そして明日という日も、真っ赤な太陽さんも、僕のためにやってくる。素敵な世の中じゃないですか。

 

そんな素敵な世の中に生きている僕は世界一の幸せ者ということですよね、あー幸せ!

 

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