僕らは子供が育てられるような立派な大人になれたのかなあ
岡村靖幸さん、通称岡村ちゃんは、こう歌いました「ねえ、僕らは子供が育てられるような立派な大人になれるのかなあ」。
何気ない歌のフレーズ、ずっとココロのどこかに引っかかってることってありますよね。
僕はこの歌の歌詞、というかセリフなんですけど、ずーっとココロに残ってました。若いころ、この歌詞を聴いて、漠然と同じように思ったことを覚えています。
それから時は流れ、僕は立派なおっさんとなり、子供も生まれ育ててまいりました。
それでもなぜか、この歌詞を口ずさむ時があるのです。僕は立派な大人になったんだろうか、ちゃんと立派な大人として子供を育てることができたんだろうか、そんなことを思います。
親戚のおじさんやおばさん、僕が子供のころに接した大人はみんな立派な大人でした。
真面目で、一生懸命で、さぼることなく働いて、自分が思ったことを堂々と口にして、気に食わないことがあれば怒鳴り、時にに感情的に、時に理性的に、そしてとても温かく、笑いながら、いつも優しく僕に接してくれました。
どう考えても、僕はそんな立派な大人になんかなれていない、そう思います。
仕事だって嫌いだし、常に楽すること考えてるし、家ではだらしなく寝っ転がり、マンガだって読むし、面倒くさがりだし、決断力も判断力も自分ひとりじゃなかなか決められない、そんな子供のまま、見かけだけおっさんになってしまった大人、それが僕なんです。
それなのに子供にエラそうな態度で接したり、大人のふりしてウンチク語ったり、どう考えたって、子供が育てられるような立派な大人なんかじゃない、ホントそう思います。
でも、もしかしたら。
あの立派なおじさんやおばさんたちも、もしかしたら、こんなだったのかもしれない。でも弱さを見せない、決して見せない、そんな強さが必要とされた時代だったのかもしれない。そんなことを思います。
いや、たぶん間違ってるね。
だって、あの立派なおじさんやおばさんたちは、今だって立派な大人だもん、もう居なくなっちゃったおじさんやおばさんたちだって、ずっと立派な大人だった。
だから、今からでも遅くないんじゃないか。まだ間に合うんじゃないか。子供が育てられるような立派な大人になりたい、そんなことを本気で思う、おっさんなりの今日この頃なのでした。