絵を描くということ ~自分で咲かす表現の花~
部屋の断捨離をしていたら、むかし描いた絵が出てきた。そういえば、最近は全然描いてないし描く気もない。絵具だって固まっちゃってる。筆だってボロボロだ。
そもそも、なんで絵なんて描いたのだろう。習ったことだってないし、プロになるわけでも、なれるわけでもない、それでも何かを期待していた。「13歳からのアート思考」末永雪歩さんが言うところの表現の花を咲かせたかったんだろうね。
そもそも絵画を見てスゲーと思ったことってない。教科書に出てくる名画だなーとか、本物みたいだなーとか、その程度。ココロに響いた経験がない。
それでもピカソやらマチスやらには何かを感じた。でも、僕ならもっとココロに響く絵が描ける、そんなことを思っていた(大きな間違いです)。
きれいな色で、美しいと思ったモノや感情を表現してみたい、そんなことを思って何枚か描いてみた。
改めて見ると、僕的にはしっくりする。いい絵だと思うし、部屋に飾ってみたいと思う。たぶんに自分が描いたという、充実感があるからだろう。
そう考えると、絵を描くということは、単に絵を仕上げるということではなく、絵を描く行為そのもの含めて「絵」なんだと思う。
だから自分の描いた絵は自分にしかわからない。世界の名画だって実はそうかもしれない。きっとピカソやマチスやダビンチだってそうだったに違いない。
また描いてみようかな、なんか新しい発見、もしかしたら発明があるかも。そんなこと思う今日この頃でした。